祖母 2
物陰から出た僕は、その光景に思わず見とれた。
まるで時が止まったかのようだった。
ただ唯一光り輝く金色の輪。
月寄りの丘の名が相応しいほどに、月と太陽が近づき、大きな真円を描く日蝕。
黒ずんだ青の中、雲を割るようにあるその円は、まるで絵画のような絶景。
威光を放つその景色は、見る者に恐れ多いとすら思わせるほど。
そんな日蝕を背に、ワンピース姿の彼女は微笑む。
「あれっ、ユーリくん、と……どちら様かしら」
物怖じしたりせず、ただ普段通りの振る舞いの彼女。
なんて事のないいつも通りの彼女だが、それがどうもおかしく見える。
何気ない日常の一コマが、背景の異変で異質に見える。
彼女に似合わない日蝕が、彼女を混沌に仕立てている。
吸い込まれそうになる瞳、纏めあげられた髪、スラリと伸びた手足、何もかもが綺麗で、不気味。
リナさんなのに、リナさんじゃない……。
そうさせているのは……。
「っ! 」
彼女に忍び寄る、手。
後ろ、何かいる。
「下がれっ!!!!!!!! 」
ルフローヴさんの一声で、僕はより一層身構える。
「聞こえていないのか! 下がれと言っているんだ! 」
「えっ、何、ですか……? どうしてそんな声を荒らげて」
「いいから、早く! 」
彼の忠告を聞いても、リナさんはその場から動こうとはしない。
「今、大事な時間なんです。久々におばあちゃんが帰ってきてて」
「おばあちゃん……? 」
「何を言ってるんだ! そこにいるのは――」
直後、彼女の陰から何かが現れる。
その瞬間、もう一度僕の時は止まった。
「化け、物……」
正体を表した月の魔物。
日蝕を背に嗤う奴の姿は、獰猛で残忍で冷酷で凶暴で悪辣でいて、
愛らしい。
「へぇ、こんな姿にしてくれたんだ……偏見? 固定概念?それとも、君の趣味……なのかな」
どこかで聞いたような声で喋るそいつは、まるで人間のように振る舞う。
見たままは、どこをとっても人間の少女。
金色に光る長い髪を靡かせ、俗に言うバニースーツに身を包んだ"彼女"は、僕に目を合わせ、口に見えるその部位で言葉を紡ぐ。
「こんにちは! 私の名前は……って君の語彙の中に無いんだよなー。うーん、あえて言うなら、そうだなぁ……。そうだ、エフェックス、なんてどうかな。三厄災が一つ、人呼んで月の魔物だよ! よろしくどーぞ、ユーリ君」
「どうなっているんだ……」
理解し難い光景に、僕は思わず言葉を漏らす。
月の魔物。
確かに奴は、姿形を見る人によって変えると聞いた。
だが、なぜ僕から見た奴はこんな姿をしているんだ。
「ねぇねぇ、気になるんでしょ、私がこんな姿してるの」
「なっ!? 」
「視線でバレバレだよ? 君の理想の女の子が出てきたとしても、目線はこーこ。分かった? 」
目元を指さし僕に忠告する奴は、不敵に微笑みながら前へと出る。
「こんな姿をしているのは、君のせいなんだよ? 君が月に代入した結果が私。君が月に関して持つ要素の写像として私が産まれる。分かりやすく言うなら、君の持つ月のイメージの集合を変換した物、それが私。分かったかな?」
「というか写像なんて言葉よく知ってたね、なんでかな? 」と不思議がりながら、朗らかに語りかけてくる。
その美麗なまでの容姿とその距離感から、一瞬気を許してしまいそうになるが、こいつは月の魔物。
これまで何百と屠ってきた、人類の仇だ。
油断してなるものか。
「おおっ、目の色変えたぁ……! 本気モードってやつ? 」
「冗談もその辺にしろ! 」
刀身を奴に向け、敵対の意志を伝えるも、奴は全くもって緊張する様子もない。
「あはは怖い怖ーい! 」
「ちっ……」
からかわれているかのようにすら感じる態度に、剣を持つ手にも力が入る。
「あんまり力入れすぎない方がいいよー? 力んで空回りしちゃうと危ないから」
「黙れ。お前は僕の手で必ず倒す」
「倒す? どんな風にかなぁ? 」
「どんな風って……それは……」
それは、それは……この剣で、首を、だな。
返答に困っていると、尽かさず奴が口を挟む。
「現実的な手段が見えないのなら、きっと私は倒せない」
「なっ……」
「君はまだ、戦場に立っちゃいけないんだよ」
「どういう意味だ」
「ん? 言葉通りだよ。君はまだ戦場に立つ資格がないってこと」
「資格……? 」
「例えば――」
刹那、奴はリナさんの首元に爪を当てる。
「……! 」
「こんなふうな状況でも、君は全てを救おうとしてる。この子も救って、世界も救う。そんな妄想を描き続けてる。でも、そんな無茶、考えてる暇は無いんだよ? どっちか、選ばなきゃ。この子を救うために、世界をなげうつか。世界を救うために、この子を犠牲にするか。選ばないと」
「悪魔め……」
「選ぶ自由があるだけ天国だよ」
一瞬の油断が、この地獄を産んだ。
僕が対話なんてせずに、とっとと奴の首を断ち切っていれば……。
このままじゃ間違いなくリナさんは死ぬ。
それを防ぐには……。
「ちっ……! 」
手を離し、カランと剣は地面に落ちる。
「ユーリ、何をっ! 」
「あはは! そっかぁ、君ってそういう人なんだぁ…! 」
「……離せよ。お前が言った選ぶってのはこういうことなんだろ」
「ふふっ、別に剣を放せとは言ってないけどね。でもそういうことなら、うんいいよ! 離してあげる」
そういうと奴は、リナさんの肩を押して突き放した。
こっちに突き飛ばされた彼女は、メアさんの腕の中へ。
「おばあ、ちゃん……? 」
「何言ってるのリナ姉……! 」
困惑してる様子の彼女を置いて、奴は僕への言葉を続ける。
「面白いね、君」
「何がだよ」
「だってこの期に及んで、まだ選択しなかったんだもん」
選択しなかったって……。
「君、私に委ねたんだもん。生かすも殺すも、自由にどうぞって。なんでなんで? なんで私があの子を離すと思ってくれたの? どうして信頼してくれたのかなぁ? 」
「……ちっ」
逆撫でしてくる言葉に惑わされるな。
あいつはただ僕を苛立たせたいだけだ。
「ふふっ、優しいんだね、君は。簡単に信用するところ、決して欠点なんかじゃないと思うよ。けどね、だからこそやっぱり戦場には立つべきじゃないと思うんだ」
「……」
結局奴は、何が言いたい。
僕を褒めたいのか、貶したいのか。
それとも、なんでもいいのか。
人間の言葉を意味ありげに吐いてるだけで、そこに意味なんかないんじゃないか。
奴は魔物と呼ばれるような存在だ。
今まで相手してきた相手とは違う。
ただ人語を話しているだけに過ぎない、それだけの奴。
「落とした剣、律儀に拾わないところとかさ。真面目なんだよね。いくらでも拾う隙はあったはずだよ? 」
「ああそうだな。なら、拾わせてもらう」
剣を拾う時も、奴はニマニマと笑うだけで、攻撃の素振りすらしない。
全く、なんなんだ、こいつは。
「なぁユーリ、さっきから何を……! 」
「えっ……あぁ」
ルフローヴさんから奇妙な眼差しを向けられて、思い出す。
そっか。
こいつが人型をして見えてるのは、僕だけだったな。
だから、他の人から見たら多分独り言をいいながら剣を落としたり拾ったりしてる変なやつに見えてるんだ。
「ルフローヴさんには、奴がどんな姿に見えてるんです」
「腕が100本あまりある、隙なんてない怪物さ。お前があいつに言葉を投げてるのを見て度胸を感じるくらいには恐ろしいよ」
「そう、ですか……」
どうやら、似ても似つかないらしい。
サイズも器官も何もかすりやしない。
うんと伸びをする奴を前に、今一度、剣を握り直す。
「さてと、例え話は終わったから、ここからが本番ってことで」
ここからが本番……。
言葉通りなら恐らく攻撃を仕掛けてくるはず。
目の前に意識を向けて構える、が。
「いいよ! ドンと来ーい! 」
来いだって? またこいつは僕を試しているのか。
くそっ……! 挑発に乗るのは良くないが、倒すには…!
「はああああああっ!」
大きく振りかぶって、奴に切りかかる。
「きたきたぁあ! 」
が、カンっ、と音を鳴らして、僕の剣は奴の履いたヒールによって防がれる。
「なっ!」
「良かったぁ。君の女の子の認知が歪んでなくて。これくらいなら、受け止められるんです! よっ! 」
全力で押しているのに奴はふらつかない、片足立ちなのに体幹は並の少女の比じゃない。
さすがは、月の魔物といったところか。
ならっ……!!!
「かああっ! 」
もう一撃。今度は水平に、切る。
「危ないっと」
間一髪で避けられるが、攻めは止めない。
奴には剣を受け止める手段が足のヒールしかない。
だから、足の届かない位置の攻撃なら避け以外が取れない。
流派も無いようなデタラメな振りだが、全てを避けきるのはいくらなんだって不可能だろう。
そう思っていたが。
「刃物相手はさすがに厳しいなぁ」
なんてこぼしている奴だが、今のところ的確に攻撃を回避し続けている。
まるで未来でも見えているかのように、寸前を紙一重で。
くそっ、このまま続けていても埒が明かない。
人間相手ならスタミナ切れを狙うのも手だが、超常現象じみた存在の奴にそんな概念あるとは思えないし、先にこっちが体力切れする危険性もある。
畜生、どうしたらいい……?
かくなる上は、代償の力で。
犠牲にできるのは……この脚くらいか。
けど失敗すれば、その後は。
「あーあ、また迷ってる」
「くそっ……! 」
避けながらニヤリ微笑む、そんな奴に一発も当てられない自分にも腹が立つ。
そんな中、戦場を割くひとつの声。
「やめてよ! 」
「……え? 」
「これ以上おばあちゃんを、虐めないでよ……! 」




