勉強会
「であるからして……」
板書を進めるゼラさんを前に、僕は本を片手に必死に頭に情報を叩き込む。
エーテルエネルギー保存則
エーテルのエネルギーは、運動前と後の間で一致する。
覚えることはこれだけだけど、それを活かした内容、要するに発展系となると、これがまた複雑になる。
さらに出てくる二つの式。
1/2Ev²とEax。vが速度で、xが距離……。
このふたつは前と後で一致するから=で結べるらしく…
で?
「問題を解くだけならば、その記号の位置にそれぞれ数値を代入するだけでよい。だが、1級試験を見据えるのであれば式の構造、理解を進めなければならない」
ゼラさんはスラスラ書いて説明を続けるも、正直置いていかれている自負はある。
「これらふたつの式は、どちらもエネルギーについて述べている。前者は速度に着目した運動エネルギーの式、後者は距離に着目した体内エネルギーの式。前者は、大元の式、Evを瞬間瞬間で区切り繋ぎ合わせたもの、近年で言う積分という操作で式変形を行い、そのエーテルが持つ速度によってエネルギー量を表している。後者は、Ea=Fの式に、距離xを追加したもの。これによりエーテルEがaの引力下において、x移動した場合、どれほどのエネルギーを必要とするのかを計算することが出来る」
ゼラさんの言うことにゃ、これでエネルギーってのが計算できるらしいんだけども、今ん所式を覚えるので手一杯。言ってることがまだチンプンカンプン状態だ。
「少し例を出そう。射出する直前の魔弾Xのエネルギーと射出後5m先にいる敵に当たる直前の魔弾Xのエネルギーの関係だ」
1/2Ev。²+5Ea=1/2Ev²
「v。は初速だ。腕の動き等で与えられた速度だと思ってくれ。この例ならば加速度aは、射出した人間のエーテル器官の発散加速度だ。初速v。を持った魔弾Xは、放たれる直前は、v。による運動エネルギーと、5m分の体内エネルギーを抱えているが、着弾寸前には、全てvによる運動エネルギーへと変化している。この際、横槍などがなければエネルギーの総量に変化は無い。これがエーテルエネルギー保存則ということだ」
…………………………………………………………。
終わった、マジでひとっつもわからない。
急に現れたふたつの式のせいで全てが終焉へと導かれてしまった。
いや、まじでなんなの。
総量の変化がないのはまあ当たり前な感じするんだけど、それを応用したらなんでこんな訳分からない数式まみれになっちゃうのさ……!
その上で=で結べたとて、一体何がどうなるの!?
まるで未知の言語を目の前にしているかのような混乱さえ覚えてしまう……。
ああ……そうだ、
こういう時は、こうするしかないな。
すうーーーーーーーっ。
せーーーーーのっ!
――――――――――――――――――――――――
「助けてぇ〜〜〜! 暁音さーーーん!!! 」
僕は扉をくぐりながら、図書館中にそう叫んだ。
その声は直ぐに、目当ての人の元に届いたようで。
「人をドラちゃんみたいに呼ぶんじゃない! 」
とあわてて僕のほうに駆け寄ってくる。
「全く、恥ずかしいからやめてよね……!? 」
「だってぇ……まじでちんぷんかんぷん、ちちんぷいぷいのかいじゃりすいぎょであぶらかたぶらだったんだよぉ」
「つまりなんにも分かんなかったってことね? 」
授業が終わって泣きつく先は僕の第一の師、暁音さん。
図書館の座席で授業が終わるのを待っていてくれた彼女は、泣きつかれて早々、僕に補習の授業をしてくれた。
「いい? ここの範囲は、高校物理とやってることはほぼ同じなの。つまり、高校生なら理解出来ることしかやってない。だから、悠里くんでも理解出来るはずなの! 」
「でも……まじで何にも訳が分からないよ? 」
「それは仕方がないよ。高校入ったらみーんな物理で躓くんだから。理系科目で数学と並んで双璧を成す、単位界のディフェンダー。個人的には高校1年生でやるなら、いちばん厄介な科目だと思うなぁ……」
「じゃあ、やっぱり無理だよ」
「でも、今更諦める訳にはいかないでしょ? 大丈夫、手とり足とり教えるからさ」
暁音さんは、贅沢に紙とペンを使って、僕に今日の授業範囲を端から端まで叩き込む。
「いい? 正直に言うとね、微積分習わずにここの範囲を100パーセント理解するなんて絶対に無理だから。悠里くんはひとまず暗記に専念して! 」
1/2Ev²、Eax……。さっきも見た、おぞましい式達を、何度も唱えて頭の中へ。
「1/2Ev²とEaxはv=at、x=1/2at²っていう2つの式をtを消して式変形させると……ほら1/2Ev²=Eaxっていう風に=で結べるの」
「待って。そのv=atとx=1/2at²ってのはどこから……」
「そっか……ここも積分がいるんだわ。やっぱり高一にやらせる内容じゃないよ。文部○学省はどういうつもりでここに配置してるのかしら」
「唐突にどこへ八つ当たりしてるの!? 」
暁音さんは、「まずaの理解から進めた方が良さそうだね」と、新しい紙を取り出して僕に説明を続けた。
「a、この世界では収束発散加速度、なんて呼ばれ方をしているけど長いから加速度って呼ぶね。加速度っていうのは、何となくイメージできる?」
「速さみたいなもの? 」
「うーん。20点」
「低いっ! 」
「加速度っていうのは……物がどれだけ加速するかを表すものなの」
「それって、やっぱり速さなんじゃないの? 」
「全然違うよ。例えば、床にボールを転がしたとする。この時、そのボールは摩擦でだんだん遅くなりながらいつかは止まると仮定した時、そのボールの加速度は前と後どっちにかかっているか。悠里くんわかる? 」
「えっ!? 」
急に問題出されるってのは、いつの歳になっても苦手だ。
なんせ、絶対に恥をかくことが確定しているからね。
こういう時にあってた試しは無いし、裏の裏をかくとかまどろっこしいことも好きじゃない。
どうせ間違うんだ。
直感に従って……。
「前……じゃないの? 」
「はいハズレ」
やっぱり間違うのかよ。
「だって、前って進行方向でしょ……? 」
「そうだよ」
「だったらその加速度っていうのも前なんじゃないの?」
「加速、度だよ? 例えのボールは加速してる? それとも減速してる? 」
「そりゃ遅くなって……あっ? そういうこと? 」
「そういうことって?」
「速くなってれば前で、遅くなりゃ後ろってことでしょ? 」
「概ね正解。物体がたとえ前に進んでいようとも、その物体が遅くなっているなら加速度は後ろにかかってる。物理習いたてでまず勘違いしやすいところはここだから注意ね」
続けて、暁音さんは紙に図を描く。
○の上に矢印。何に使うのかは、僕には不明。
「さっきのボールの例えを使おっか。投げ始め、よく初速なんて呼ばれ方をする一番初めの速度、これを10とする。それから、4秒後にしようか。だんだん減速していったそのボールの4秒後の速度が2になった。さあ悠里くん、この時のボールの加速度はいくつだ? 」
「きゅ、急に言われても……」
分かるはずがなかろうて……。
「だってまだ式も覚えきれてないんだよ。vとかaとか」
「そんなに難しい式使わないよ。計算自体は小学生でもできるレベル」
「ま? 」
「ま」
そう言われると、負けず嫌いな僕の性根が騒いでしまう。
「ええっと……加速度は、どれだけ加速するかで、今回は減速してるから……………………ダメだよ分かんないって」
「まあ、そうだよね。ごめん意地悪した。てへっ」
僕の心情分かっててか、こいつ…………!!!
「要するに変化の割合なんだよ」
「変化の割合……? 」
「変化の割合っていうのは、前と後でどれだけ変わりましたかって事。今回の例えだと、10の速度のボールが2になってるどれだけ変わったかと言うと?」
「ええっと8? 」
「惜しい、減速してるから……? 」
「-8? 」
「優秀! そして、それがどのくらいの時間で変化したかを求めて割れば加速度は求められる。この変化は何秒かかってる? 」
「4秒! 」
「正解! そして求めたそれぞれを割ってあげる。-8を4で割ると……」
「-2だ! 」
「はい、お見事。これが加速度の求め方。どんな問題でもやることはこれと同じ。向きさえ間違えなければ簡単でしょ? 」
「えっと、まあ」
「そんでもって、本題はここから。求めた加速度に時間をかけてあげる。例えばこの例えなら、3秒後の速度を知りたいよってなったら、さっきの加速度に時間の3をかけてあげて初速に足す」
「10足す-6だから……4だ」
「そ。で、今の操作を一般化した式が、v=v。+at、初速が0の時がv=atってなるの」
「あー、なるほど。わかった気がしてきた……」
「良かったぁ……。うーんっ、解説ってのも一苦労だわ」
図書館の真ん中、2人して伸びをする姿は、ひと仕事終えた後のように映ることだろう。
「これだけ頑張ったんだから、読者も増えるかな? 」
「急にメタいね。まあそうだといいんだけど……」
何故かあとを濁す暁音さん。
「どうかしたの?」
「確かね、数式が増える度に読者が減るっていう研究結果が、どこかの論文で出てたとか出てなかったとか」
「……まずいじゃん!!! 今話だけで10回くらい書いちゃってるよ!? 」
「まあ、元々見られてるだけ奇跡みたいなものだし、今後も物好きな人が見てくれるよ、きっと」
「ほんとかぁ!? ってか、なんでこんな文量書いてなんで減らしに行ってるの作者」
「病気なんでしょ、数字病」
「馬鹿だなぁ……」
手を叩いて、「さぁ、本題に戻るよ」と暁音さん。
「v=atをtで積分したのが、x=1/2at²。積分がなんだか分からないと思うから、もうここはそうなんだって感じで覚えちゃって」
「分かった。とりあえず助かったよ暁音さん」
「何を勘違いしてるの? まだまだこれからだよ!!! 」
「……え? 」
それから5時間と少し、みっちり教えを叩き込まれた僕は、もう二度と数字など見たくないと思うほどのトラウマをうえつけられたのだった。




