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21話~30話

 ※21「出会い」


 初めて見合いの席で出会った時。彼女はまだ学生服を着ていた。

 今の時代「お見合い」なんてものは、おたがいの家の結びつきを強めるという意味合いよりも、単純に結婚したい。という男女の思いを満たす、ビジネスと化した側面が強い。

 少なくとも、俺はそう思っていた。

 イラストレーターをやっていて、婚活サイト用の依頼なんかも来たからだ。


 ――ポップで明るい感じの、見つめ合う男女のイラストを描いてください。


 ざっくばらんに、そんな内容だった。

 身内にも、軽い気持ちで「そんな仕事もあったよ」的な話をした。それが一体どういう風に捻じれたのか「俺が見合いで結婚したがっている。婚活サイトにもバッチリ登録してる」という風に曲解された。


「――とりあえず、顔合わせるだけで良いから。まぁ、アンタもいい歳でしょう?」


 いい歳なのと、結婚の意志があるかどうかを一緒にしないでくれ。反論もしたが、いまだに昭和の少女漫画をたしなむ母親は「いいわよねぇ、お見合いってロマンスだわぁ」と呆け、独自の感性を持つ父親は「ケーキでたとえるなら、イチゴショートだな」と頷いていた。


 ――悪いが、それとなく断らせてもらう。


 息子の俺が言うのもなんだが、うちの両親は信用ならない。この二人がセッティングした見合いなんぞ、絶対まともでないと思った。実際、相手と顔を合わせた時に確信した。


「――今年で、十七歳になります。高校二年生です」


 彼女は不愛想に言った。むこうも絶対その気じゃなかったし、むしろ早く打ち切るために、わざわざ学生服を着てきたのだと一目で知れた。さらに彼女は制服の上着からスマホを取り出してわざわざ俺の前でアプリゲームを遊びはじめた。

「あ、それ。俺の描いたキャラ」

「え?」

 しかしその時。彼女の瞳が初めてこっちを見た。会話のきざしが成ってしまった。



 ※22「絵」


 絵の才能というのは、結局のところ、現代の人々にどれぐらい受け入れてもらえるか。といった基準でしかない。

 だから、純粋に自分が好きなものを描いて、受け入れてもらうこと。反対にそれを徹頭徹尾突き詰めて、計算して描いたものが評価された場合も、絵が才能があると言えるはずだ。

 ただ、学校の勉強ができる奴と、そうでない奴で分かれるように。

 単純に絵を描くことが上手い奴と、そうでない奴がいる。

 絵描きを志した人間、そして今も現役で絵を描いている人間は、きっと幼少の頃に「君は絵が上手だね」と褒めてもらった記憶があるはずだ。

 けれど、そんな人間が集う環境に一度でも混じると、その大勢が「俺は絵が下手だな」と思うのだ。この時、筆を折るか、または持ち方を変えるかを意識する。

 俺は後者だった。実家は小さな店をやっているが、お世辞にもあまり裕福ではなかったので、俺の中でも自然に「細々とやっていく」意識が根付いていた。

 歴史の中に残される画家にならなくても良い。

 一部の世界のみで、高い評価を得た絵描きでなくとも良い。


 絵を描くことが好きだった。

 自分一人、それが続けていけるならば構わない。


 十年、二十年、あるいはそれ以上。

 明確な積み立ても計画もなかったが、なんとなく、やっていける気がした。


 自分で言うのもなんだが、元々これといった欲がない。

 子供のころ、みんなはゲームで遊んでいたが、俺だけは画用紙に絵を描き続けた。時にはゲームの箱や説明書だけを借りて帰り、いろいろなキャラクターを模写した。

 ゲームキャラの絵――今では『二次元キャラ』なんて呼ばれるが、それが自在に描けるというのは、実際、コミュニケーションの機能として作用した。友達も増えた。

 今の自分も、そこからたいして変わってない。

 子供の頃からの延長で、絵を描けば知り合いが増える。時にはお金までもらえる。美味しい。そんな感覚だ。けどそれは〝近しい人間〟に対しては、ひどく薄情であるとも言える。

 実際、これまでにも何人かの女性と関係を持ったが、どれも長くは続かなかった。

 そうしている間に、自分は一人で生きる方が都合が良い。その方が誰にとっても幸せなんだろうなと結論付いていた。



 ※23「花」


 日曜の昼。いつもの様に絵仕事を一段落させた後、襖の扉を開いた。

 こたつを出した居間の机の上を見れば、嫁さんが仰向けになって寝ていた。

「……」

 可愛い。猫の姿の嫁さんを褒めたり、写真を撮ると怒られるのだが、だったら、こたつの上で腹を丸出しにして昼寝なんかしないでくれ。

「……にゃぅ」

 寝ぼけているのか、まねき猫のように、顔を洗う仕草をする。

 然るべき所に応募すれば、再生数は百万を突破し、金一封もらうのも現実的な話だろう。だが嫁さんからすれば、そんなことをすれば即座に「実家に帰らせていただきます」とのこと。

 ブログの漫画もきちんと服を着せている。腹回りに文句がくれば修正する。

 隣を歩くスーツを着たマグロ頭にも、時折「ちょっと格好良く書きすぎじゃない?」と難癖をつけてくるが耐えている。

「……にゅぅ~」

「よし」

 べつに過去の所業を思いだしたわけではないのだが、録画してやろう、この寝顔。

 一度仕事部屋に戻り、取材で使う小型のハンディカムを取り出してから、上からじーっと撮影した。三十秒ぐらいで飽きた。

「嫁さん、なんか反応してくれ」

「……ぐう」

 可愛いが、ただ寝入ったままの嫁さんを映してもつまらない。とはいえ、起きたところで激怒するだろうし、やっぱりやめておこうかと思ったところで、ふと妙案が浮かんだ。

「――花でも添えてみよう」

 玄関まで移動し、嫁さんが生けた花瓶から、何本か頂戴する。そして再び昼寝している嫁さんの元に戻り、胸元で交差している両手と、ややふっくらした腹の間に差し込んでみた。

「ヤバい。これはヤバいぞ」

 思わず声にでた。

「嫁さん、あんた可愛すぎるだろう」

「……ふにゃあ」

 俺は急ぎ玄関に戻り、残りの花をすべて引っ掴み、輪っかを作った。戻る。

 極めて慎重に。すべての精神力を注ぎながら、三角の耳にそっと引っ掛けた。

「完璧だ。パーフェクトだ。うちの嫁は最高だな」

 録画しながら、俺はため息をもらした。これを漫画に出来ないのが、残念でならない。



 ※24「夢」


「イラストレーターって、えっちな絵も描くんですか?」

「俺は描くよ。仕事選べるほど売れてないからね」

 まったく奇妙な席だった。

 そろそろ二十代も終盤に差し掛かった男と、学生服を着た現役の女子高生が、初対面の見合いの席で明け透けな会話をしている。

「ふーん。そういう自分に空しくなったりしないんですか?」

「時々は思うよ。ただ、そういう絵でも必要としてくれる人がいるのも確かだから」

「そうなんだ。じゃ、楽しくはないんだ」

「……そこをあまり深く突き詰めるとドツボに嵌るから、考えないことにしてるんだよ?」

「大変なんですねぇ」

 なにかもう、見合いというよりは、ちょっとした暴露大会になっている気がした。

 彼女は控えめに見ても美人だった。

 職業柄、顔立ちというか、目鼻立ち、身体の骨格まで意識してしまうが、現代の人々に受け入れられるラインをしているな。とかいうやや変態じみた感想を持った。

 少し格好つけた言い方をすれば、彼女には〝美〟があった。

 先天的な才能だ。俺とは不釣り合いだった。

 彼女ならば、いくらでも良い相手に恵まれる。迎えてもらう先を自分から選べる。

「ところで、日曜日ってなにしてます?」

「ずっと仕事してるよ。日曜日のリズムだけは、誰にもジャマされたくないんだ」

「へぇ。じゃあ、もし付き合う相手ができたりしたら、どっちを優先するんですか」

「仕事。正直言うと、それが原因で何度かフラれたよ。俺は基本的に自分のこと優先するから」

「絶対にジャマされたくないってわけですね」

「そう。自分のリズムが崩れるとヒステリーも起こすんだ。自分の欠点だって分かってるけど、止められないし治す気もないよ」

 だから、誰かが側にいても、絶対に上手くいかない。長続きしない。

「甲斐性ナシですね」

「ないよ。微塵もない」

 そういうわけで、君はもっとまともな奴のところに行くと良い。

 暗に伝えたつもりだったし、その意志もきっと通じていた。

「わかりました。それじゃ、今度の日曜日に、貴方の家にお邪魔してもいいですか? あっ、できれば土曜日から、泊まりだと良いんですけど」

 リアルに飲んでいた茶を吹いたのは、人生で初めてのことだった。



 ※25「心地」


 日曜の夕方、俺は居間で肘をつき、ぼーっとしていた。すぐ目の前には嫁さんがいて、心なしか、やや不安そうにこっちを見ていた。

『あの、旦那さん』

「うん?」

 タブレットから繋いだキーボードを使い、こっちを見上げてくる。

『なにかありました? いつもならお仕事してる時間ですよね』

「あー、うん」

 言葉に迷う。自分で言うのもなんだが、俺が日曜に絵を描いてない、あるいは普段と違う行動をとっている時は、大抵機嫌が悪い。

 主に外的な要因で集中力が途切れた。あるいは別の方向に意識を奪われてしまったからだ。スランプとは縁がないのが一応の強みではあるので、長期的に絵が描けなくなるのは、ここ数年経験してないが、日曜の作業が中断されてしまって、翌日も筆が進まないことは結構ある。そういう場合は、意識的にリズムを戻していくのだが、肝心の作業は遅れて積もる。

『ごめんなさい。少し眠ってしまってて、私が寝ている間になにかありました?』

「あー、うん」

 嫁さんの言葉も、心なしか優しい。「後ろめたい」という想いを久々に味わった。

「ちょっと、まぁ、うん。今日はもう描けそうにない」

『そうですか』

 今日は、既に満足のいくAVアニマルビデオを撮り終えてしまったのだ。嫁さんが目を覚ます気配を察した直後に、全力で花を回収し、花瓶の中に雑に生けなおし、ハンディカムを机の中に隠し「おはよう、少し遅れたけど昼ごはんの支度をするよ」とか言った。

「にゃあ……」

 嫁さんがすり寄ってくる。またしても、ちょっと気づかわしげな声で鳴いてくるので、非常にいたたまれない。すまない。ネットにはアップしないから。自分だけで楽しむから。

「大丈夫」

 よしよし。と頭を撫でる。日曜の嫁さんはやっぱり可愛いなと思っていると、

『旦那さん』

「うん」

『いったい、なにを隠しているんです?』

「!?」

 嫁さんの瞳が細くなっていた。動物的な直感か。はたまた、俺がわかり易いだけなのか。

 とりあえず、血の雨が降る予感だけはした。



 ※26「瞳」


「――にゃあ」

 初めて猫の姿を見せられた時は、ひどく動揺した。動物がヒトの姿に化けるなんていうのは、古来からのお約束で、この国ならずとも、あらゆる世界で想像され尽くしてきたことだ。

 人の頭の中には、非現実を想像する余地がある。けれど、それが正しく実現すると予見、あるいは予測できる人は少ない。


 二十年前、家庭的なレベルで高度なコンピューターが普及すると予測したのは誰だろう。

 十年前、携帯電話が、それと同等の水準を持ち、大勢が日常的に持ち歩くと予測した人は?


 人の多くは〝空飛ぶ車〟や〝超合金ロボット〟が想像できる。けれどそれは、実際に誕生するにはまだまだ先のこと。あるいは、現実的ではない未来だ。しかし大勢の人が求める〝絵〟や〝物語〟というのは、それでいい。二十年後の未来には、きっと空飛ぶ車が存在しているんだ。

 俺はそういった要素を推察して、流行り廃りを演算して描きおこすんだ。


 自分は〝想像の一番手〟にはなれない。本当に才ある人々が呼び醒ました感性の後出しをするしか出来ない。でもだからこそ、強い自覚が生じたんだ。


 『 大勢の人々が、普遍的に夢想する出来事は、まず現実に起こりえない 』


「にゃあ」

 二股に分かれた尻尾。とっさに「ネコマタ」という四文字が浮かんだ。

「にゃあ」

 一体なんなんだ、コレは。俺はどこかの物語か、絵の中に入り込んでしまったのか。

 そんな風に錯覚した。いや、今だって心のどこかで思ってる。これは夢なんじゃないかって。本当は、ずっと〝自分の絵〟を諦められない自分が見ている、幻覚なんじゃないかって。

「にゃあ」

 ただ、それなら。とつぜん現れた白猫は震えていないはずだった。もっと自信をもって、堂々と胸を張り、自分の存在に誇りを持っていたはずだ。

「――私がおそろしいですか? 私は貴方にとって、理解の及ばぬ化け物ですか?」

 だけど違った。彼女は異なる弱さを抱えていたからこその現実だった。この両腕で抱きしめることもできたんだ。「怖くないよ。君に会えて、とても嬉しく思ってる」。そう伝えた。

 めでたし、めでたし。末永く――とテンプレ通りにいくかは、まだ、これから。



 ※27「兆し」


 最近、出先で同業者に合うと「絵がやさしくなったなぁ」と言われることが増えた。

 上手くなった。ではなくて、やさしくなった。

 いろいろな解釈の仕方はあるだろうけれど、素直に良い意味で評価されたんだなと受け取った。

「ところでさ。風の噂に聞いたんだけど。最近、結婚したって本当?」

「はい」

「あ、本当だったのか。式は?」

「まだしてません。先に籍だけ入れておきました」

「そうなんだ。なんか理由があんの?」

 ――彼女。まだ学生なんですよ。現役の女子高生です。

「えーと、その……」

「いや、ごめん。こっちも興味本位が過ぎたな。仕事の話に戻ろう。今回発注したイラストな、ソーシャルゲームの課金キャラ、いわゆる〝ガチャ用〟ってのは言ったと思うけど」

「はい、聞いてます」

「さっきも言ったけど、君の絵が最近、これまたいい感じになってきたんで、ファンが増えてるんだわ。で、別案の発注で、最高の☆六、ゲーム的にはレジェンドレアって呼んでるんだけど、これのイラスト描いてもらえないか」

「本当ですか?」

「ん。まだ決定事項ってわけじゃないのが悪いけどな。とりま、なるたけ豪華で、すげー強そうな萌えキャラにしてよ。プレイヤーの課金欲をじゃぶじゃぶ煽りたくなるようなヤツ」

「わかりました。乳とか尻とかふとももとか出した方がいいですかね」

「黄金の三重奏だよな。乳尻ふともも。あとうちのSD作画班の希望、巨乳で」

「了解しました」

 要望のメモを取り、汲み上げていく。すると上着の中で携帯が震えた。

 やばい。電源切ってた方が良かったと一瞬、身構えた。

「構わないよ。そういうところに抜けがあるのは珍しい。――例の奥方?」

「えぇ、まぁ」

 付き合いの長い担当者は察しが早く、ニヤニヤと笑っていた。俺も軽く会釈して携帯を出す。メールの返信を手短に終えると、「まぁ焦りなさんな」と遠慮なく待ち受けを覗いてきた。

「……ん? てっきり嫁さんを待ち受けにしてると思ったら、なんだ、猫か」

「えぇ〝うちの〟です。可愛いでしょう」

「わかる。わかるぞぉ。実嫁よりもさぁ、やっぱ猫とかの方がいいよな~」

 付き合いの長い担当者は、それからしばらく、嫁の愚痴を語り続けた。



 ※28「嫁さんの名言」


 うちの嫁さんには、いくつかの名言がある。最近のベスト賞は、


 「 課金したら負けだと思ってる。 」


 昨今のラノベのタイトルに選ばれそうな迷台詞に、軽い眩暈を覚えた。

「ふふ。自分で言うのもなんですが、できたお嫁さんだと思いませんか?」

 〝とうらぶ〟も、無課金一筋を貫きとおしてるんですよ~。自慢げ。

「……うん、そうだな」

 嫁さんの言葉には、絵描きとして内心忸怩たる思いもあるのだが、まともにこの話題を振ると、金銭感覚の相違的なアレやコレで、夫婦の絆に溝が入るので黙っておく。

 関係者各位。どうもすみません。うちの嫁さんは、無課金厨というやつです。ただし違法ダウンロードなんかはしていないので、どうかお許しください。

 まぁともかく。俺もそういった「ギャンブル」には興味が無い方だ。

 年末は店先に「スーパージャンボ宝くじ一等五億円!」なんて広告が飛び交うが、二人そろって「今日は餅とパンが安いね。買いこもうよ」とか言っている。普段通りだ。

「でもね。旦那さんが描いたキャラクターは欲しいんですよ~」

「原画データ、家にあるよ。確認用にもらった、ドットのSD画像もな」

「そうじゃなくて、ゲームで実際使えるのが欲しいんですってば」

「あぁ。その気持ちはわかるよ」

 自分が描いたキャラクターが、どこかの世界で活躍している。大勢のユーザーからは、まっ先に「使える」「使えない」という強さ基準の感想が流れるけども。

「旦那さんのキャラが二次創作されてたりすると、なんだか私も幸せになります」

 中には〝使えないキャラ〟を「好きだから」と言って、大事にしてくれるヒトもいる。

 そういう感想は、嫁さんがツイッターなんかを追いかけ、選り分けてくれる。俺が喜びそうなものだけを抽出してくれる。その気づかいはとても嬉しい。一人じゃできなかった。

「でも、最高レアのキャラクターって、確率五パーセントとかでしょう?」

「んー、まぁ、低いんだろうけど。ゲーム作ってる方も商売だしな」

 いわゆる、ガチャというやつだ。目当てのキャラクターを求めて、現金で百万もの大金を注ぎこむ人もいると聞く。俺が描いたキャラも、一部がその最高レアリティとやらに該当していて、しかもその一人が相当強いのだそうだ。

 正直「今月はガチャに十万注ぎこんだので、三食もやし決定です。でもキャラクターは出ました。ありがとうございます!」なんてコメントを見る度に、なんというか、申し訳ない。



 ※29「嫁さんとガチャ課金」


「 旦那さん。一万円だけ、課金させてください 」


 課金したら負けじゃなかったのか。ならば、嫁さんは既に負けているのだろうか。

 何に? ガチャの闇とかいうやつに?

「だ、だって、やっぱり旦那さんのキャラが欲しいんです~っ! 今回だけ見逃して~」

「べつに俺は止めてないけど。ちょっと待ってな」

「はいな?」

 仕事机から一枚、書類を取り出す。

「え、なにこれ。金銭取引契約書?」

「金貸しの書類。我が家から嫁さんに一万円貸します。別に返す必要はない」

「……え、えーと?」

「利子もつかない。後から請求する気もない。ただし、今後も要求する度に紙を一枚足していく。つまり、嫁さんがガチャで使った金は、こうしてすべてが実紙に残る。残ったものは俺が所持する。この紙をどう使おうが、その権限は俺にあり、嫁さんが一切口を挟む事は許さない」

「あ、はい……つまり、場合によっては私の実家に提出すると……?」

「然るべき機関に相談する場合もあるかな」

「はふうううぅ……!」

 悩みはじめた。ダメだな嫁さんは。

 たぶん、というか間違いなく、一度〝沼〟に浸かると抜け出せないタイプだ。意志が弱いともいう。根本的に興味のない抑止力がなければいけない。

「旦那さん」

「なに?」

「その~、作者権限とかで、キャラクターのシリアルコード貰ったりって……」

「それは遊んでいる人に不公平だし、最初から納得した現金以外、受け取る気はないよ」

「相変わらず、マジメな人ですねぇ」

 嫁さんがぷっと吹き出した。

「じゃあ、0.000000001パーセントにかけてみますか」

「なにその確率?」

「ゲーム内で手に入ったチケットです。これも、すごーーーく稀に、最高レアが出るみたいです。独自の集計結果で、宝くじ一等賞ぐらいの確率だとか。旦那さん愛で出してください♪」

「無茶振りだろ……」

 俺は嫁さんから受け取ったスマホで、初めてガチャを回してみた。



 ※30「俺の嫁さんは、レジェンドレアリティを超えている」


 双対の閃光剣士:『キリノ・アスカ』

 レアリティ:☆☆☆☆☆☆

 最大攻撃力:2560000

 最大防御力:1980000

 スキル:シャイニング・バースト・エタニティ・ストリーム

 効果:攻撃力を128倍にし、さらに3ターン無敵の加護を得て、プレイヤーを全回復する。


『――貴殿ですか。私のマスターは。いいでしょう。中々に興がのりましたわ。

 わたくしの双剣の極意、何処まで通ずるか、その眼にご覧にいれてみせましょう』


 いつも立ち寄っている最寄りのスーパーに嫁さんと寄った。表入口となるすぐ側に、いつもはない屋台があって、宝クジを売っていた。

「タカラクジィ! サンオクエーンっー! ヒトヤマ当ててぇ、オオガネモチー!」

 見れば黒人男性のアルバイターらしき青年が、たった今、大当たりが出たんだぞと言わんばかりに、鈴をガランガラン鳴らしまくっていた。あきらかにタイミングを間違っている。

「た・か・ら・く・じー! さ・ん・お・く・えー、ん! ンンー、ゲキウマッ!」

 テンションが高いのは結構だが、それは宝クジを売るそういうアレじゃないだろう。俺と同じ感想を持ったのか、流れる買い物客らも目を合わせず、そそくさと側を通り過ぎていく。

「……旦那さん、旦那さん」

 ぐい、ぐい、と。上着のコートを引っ張られた。振り向けば、嫁さんが割とマジな顔をして俺を見上げていた。

「買いましょう、宝くじ。旦那さん。当たります……っ、いけます、マジにっ!」

「いや無理だから」

「当たりますっ! 世の中には、物欲センサーというものがありまして! 旦那さんは割と本当に無欲なんですよっ! だから当たっちゃうんですよぅ、一等賞がっっ!」

「そうやって念を押されてる時点で無理だろう」

「あ~~ん、宝クジの一等だったら、ガチャなんて数億回も回せたのにぃ~」

「数億回は無理だろ。一円以下になるぞ。ほら、買い物済ませて帰るよ。明日は日曜だ」

 でもでも、と駄々をこねる嫁さんをなだめて店の中に入った。だいたい、俺は昔から一等賞とは縁のない人生を送ってきた。

「特賞ならもう手に入れたからな。十分だよ」

 隣を歩く嫁さんの肩を静かに寄せた。


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