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68話~77話

 ※68「祖の姿、変幻自在」


 おばあちゃんは『ヒトの女性の姿』をしている。

 これといった『特定の姿』をもたず、旦那さんの家の人達と会う時は『私の母親』を演じているけれど、私の実家にいる時は決まって、小学生ぐらいの女の子だった。


「大人ってのは面倒だからねぇ。肩は凝るし、腰は痛むし、物覚えは悪くなる一方で……」


 前者二つはともかく、物覚えに関しては、見た目を変えて違いがでるんだろうか。お年寄りの言うことはよく分からない。適当に「へー」と聞き流していた。

「あんたが嫁にいく日なんて、いつまで経っても来ないだろうねぇ」

 ぽかぽかとした、日向の縁側。子供の姿をしたおばあちゃんは〝ふあんてい〟な私を膝の上に乗せ、よしよしと背中を撫でながら意地悪に笑った。

「おまえを嫁に娶ってくれる男がいるとしたら、きっと、よっぽどの変わり者さね」

「わたし、たべられちゃう?」

「食べられてしまうかもしれないねぇ」

 ゆったり、のんびりとした時間が進む。見渡す限り自然の大地。いわゆる、ただのド田舎で、二人でゆったり、陽が沈んでいく光景だけを見つめていた。

「おまえはずっと、ここに居な」

 この環境を退屈だと感じたことはなく、どこかへ旅立ちたいとも思わなかった。特別に成し遂げたいことも、これと言ってない。

 ただ、お日さまを浴びる。風のざわめきに触れ、時には雨の匂いにも親しむ。

「陽が暮れてきたね。家の中に戻ろうか」

「にゃあ」

 大好きな人が側にいて、居心地が良い。それだけで十分。でも一度、極彩色の欠片に触れた。ともすれば強すぎる陽の光を浴びて、毎日喉を潤していた水の味気無さに気づいてしまった。


「――わたし、あのヒトが欲しい」


 この世界には、たくさんの物語がある。その中にはモノノケと呼ばれるものが、ヒトに焦がれる話も多い。だけどその大半は悲哀の結末に満ちている。

 きっと、誰もが本能的に知っている。

「さぁ頃合いだ。出てお行き。二度とこの家に戻ってくるんじゃないよ。わかったね」

 二人は幸せにはなれない。離ればなれになるのだと、知っている。



 ※69「大妖怪・九尾の猫娘。あるいは姑、襲来」


 私の祖母は大妖怪である。

「おかえり。ようやっと帰ってきおったね」

「……おばーちゃん?」

 金曜日の深夜。玄関先に白い割烹着を着け、艶やかな黒髪を三つ編みにした女の子がいた。こっちをぐっと見上げてくる隣には、私の旦那さんが立っている。

「おかえり、遅かったな」

「……忘年会だって言ったじゃないですか」

 べつにやましいことはないのだけど。なんとなく、目を逸らしてしまった。

「というか、なんでおばあちゃんがいるんですかねっ!」

「来たらいかんのかえ」

 胸を張り「相変わらず可愛げのない曾孫さね」とか言ってくる。口調だけは年寄りのそれなのに、今の見た目は小学生と変わらない。

「最近流行りの〝いんたーねっつ〟で、旦那さまの〝ぶろぉぐ〟を見てねぇ。おまえときたら、迷惑かけてばかりじゃないか」

「ブログのネタを真面目に受けて、家に来ないでくれるっ!?」

「押しかけられるような事をしとるおまえが悪いんよ」

「あぁもう、信じらんない、おばあちゃんのバカ!」

 両手を握りしめると、旦那さんが慌てて仲裁に入ってきた。

「まぁまぁ、嫁さん抑えて。って酒臭いな。相当飲んできたろ」

「旦那さん、ごめん。そこ退いてください」

 ぐいっと遮り、齢百年を超えてきた、大妖怪と対峙する。見た目は子供。頭脳は明治。最近ド田舎でいんたーねっつを始めたそのヒトは、曾孫の動向にいちいち文句を入れてくる。

「おばあちゃん、悪いけど帰って」

「そうはいかんさね。今日は一晩、いや二晩、泊まっていくよ」

「なんなのもー! 普通は連絡ぐらい寄こすでしょ!?」

「旦那さんには連絡したえ。すかいぷで。ぴーしーの、すかいぷでのぅ」

「ナウいじゃろ? って感じの顔しないでくれます? たかがスカイプ使ったぐらいでっ!」

 電子メール一通送っただけでハッピーになれるのが、昨今の大妖怪の実態だった。

「嫁さん、とりあえず水飲んで、風呂入りなよ」

「わかってますっ」

 私は廊下をずんずん進んだ。その後ろを「やれやれまったく、相変わらず子供さねぇ」と馴染みのある声も続いた。



 ※70「せっかく三連休取ったのに、実家のばあちゃんがなう…」


 土曜日。貯まりに貯まった有給を消費して、月曜含みの三連休をゲットした。久々に旦那さんとイチャラブな日々を送ろうと考えていた矢先に、世界で一番やかましいのが来た。

「まったく。あんたって子は、いくつになっても一人で起きられんのかえ」

「……うるさいなぁ。もう……」

 白い割烹着を着たおばあちゃん。三つ編み姿の女の子。半世紀前からタイムスリップして、奉公に来たのかと思えるお手伝いさんは、不服そうな顔をした。

「私もねぇ。他所さまの家の事情に口出したくはないけどね。食事の支度の一切を、旦那さまにやらせているのは、嫁として情けないと思わんのかえ」

「うちはそれで回ってるから、いいんですっ」

 お味噌汁をすする。実際、料理の腕は旦那さんの方が上だし、なにも文句を言わずにテキパキやってくれるので、自然とお任せしている。

「旦那さまもねぇ。苦労するでしょう?」

「いえいえ、そんなことありませんよ」

 ぐぬぬ。見た目十歳ていどの子供に言われると、ほんと腹が立つ。

「あっ、これ美味しいですね。お義母さん」

 なのに旦那さんは、どこか嬉しそうだ。平日の朝は和食の日が多い。彼の好みが和食寄りらしく、朝は大体いつも白いごはんとお味噌汁、お漬物の匂いが香っている。

「なによりです。良かったら今度、贈らせてもらいますん。さぁさ、もう一口どうぞ」

「いただきます」

 なんだか仲睦ましく、のんびりと、言葉を交わしていた。

 一応、補足しておくと、旦那さんはロリコンではない。外見、中身共に完璧な、あだるてぃーな女性が好きなのだ。スマホすら使えない〝のじゃロリ〟はお呼びでない。

「旦那さま、ごはん粒ついてます」

「え、どこですか?」

「こちらに……」

 スッと手を伸ばして、小さな指で唇に触れる。もちろん、ごはん粒なんてついてない。

「おばーちゃんっ!」

「なにかえ、いきなり大声出して」

「そのヒトは私のなんですっ! もうっ! 近寄らないでください~っ」

 旦那さんはロリコンではないが、おばあちゃんを侮ってはいけない。そのヒトは、かつて有象無象の男性を虜にして、ころころと掌で躍らせた、ナウでヤングなイケイケ魔性セレブの大妖怪なのである。実家の使用人がそう言ってた。



 ※71「今日は三人でおでかけよ」


 今日の予定は、旦那さんと二人でお買い物。

 最近、洗濯機の調子が悪いので、電気屋のポイントカードを使って、雑貨を買うついでに新しいのに買い換えようか。という話になっていた。

 そんなわけで、ご飯を食べて身支度を整えたら、旦那さんに車を出してもらった。

「街に買い物に出るなんて、何年ぶりかねぇ」

「お家でのんびりしててもいいんだよ、おばあちゃん? 迷子になっちゃうと困りますから」

 助手席から、後ろに座るおばあちゃんに向かって言ってさしあげる。

「ふん。まったく可愛げのない曾孫っ娘だよ。あんたこそ、味噌汁の作り方が書いてある本の一冊でも買って、お家でお勉強してたらどうなんだい?」

「うふふ。迷子センターに放置してって差し上げましょうか、おばーちゃん?」

 せっかくの旦那さんとのデートを、ロリ姑にジャマされては敵わぬ。今日は映画を見て、可愛いお洋服と下着を買って、にゃーにゃーしようと思っていたのだ。

「……あのさ、二人は昼に食べたいものとかあるかな?」

 赤信号で車が止まったところで、この空気に耐えられません。と言わんばかりの旦那さんが、恐る恐る、地雷を踏まない程度に発言した。

「買い物が済んだら、午後になるまで、どこかで休憩してもいいんだけど」

「はんばぁーがー」

「え?」

 小さな声がささやいて、旦那さんと私の視線が、フロントミラーを見つめた。

「いえ、なんでもないですん」

 後ろに座ったヒトが、「失言でした」とばかりにそっぽを向いた。顔が仄かに赤い。

「ありますよ。別階のレストランエリアに、確か一店舗入ってました」

「えー、近くに穴場の洋食屋さんがあるみたいだから、そっちがいいです」

「嫁さんの探す店は、当たり外れが大きいからなぁ」

「そんなことないですっ!」

 普段はなにも言わないで付き合ってくれるのに。

「旦那さん、おばあちゃんの肩持ちすぎじゃないですか?」

「旦那さま、あたしのことは気にせず、普段言えないことを遠慮なく言うてあげてくださいな」

 そこの子供。噛み千切られたいか、首根っこ。

「嫁さん、今日はせっかく遠いところから来てもらってるんだし、な?」

「む~~っ、わかりました。わかりましたよーっだ」

 この埋め合わせは、あとで三倍にして返してもらうことにする。旦那さんの、バカ。



 ※72「女子のお買い物。男子は荷物持ち」


 予定通り、最初は電気店のフロアを巡って、洗濯機を買った。おばあちゃんが「普段お世話になってますから」とか言い出して、上着のポケットから、容姿とは不釣り合いな革財布を取り出して、万札を束で渡した時は焦った。

「…………」

 店員さんの笑顔が凍り付き、旦那さんが慌ててクレカで決済した。店を離れてからおばあちゃんを叱りつけると、ぷくーっと頬を膨らませて「外見で判断する人間は大成しないよ」と拗ねていた。

 その後、婦人売り場のコーナーに移動して、私のコートや仕事用のスーツなんかを見繕った。手袋やマフラーもフカフカしたのが揃っていて、二人で手にとったり試着したりして、それから今度は宝石店に移動したら、

「――あのさ、俺、ちょっと画材とか見てくるよ」

 途中、旦那さんがリタイアした。両手には私たちが買い込んだ紙袋が三つ下がっていた。

 いつもより目まぐるしい時間が過ぎていた。午後二時も近くなったところで、お昼を食べに移動した。旦那さんが持つ紙袋は計五つに増えている。


 ハンバーガーをトレイに乗せて、三人で席に座った。おばあちゃんは、頼んだチーズバーガーを、指でちまちまと千切り、頬を赤らめながら食べていた。

「美味しいね」

「おばあちゃんって、そんなにハンバーガー好きだっけ?」

「ふふ。田舎だと食べる機会がないからね。たまぁに食べたくなるのさ」

「うちの実家って、近くにコンビニすらないもんねぇ」

「それがね。最近、近くに一件できたんだよ」

「徒歩何分?」

「使用人に車を出させて、十分もあれば着くさね」

「すごい。近いね」

 ド田舎的な基準ですごく近い。徒歩一時間圏内なら、十分です。

「ただねぇ、冬になって雪が積もってくると、三日間ぐらい棚が空っぽだったり、置いてある〝じゃんぷ〟が、二週間前のだったりするんだよ」

「田舎あるあるだね」

「……商品の陳列はともかく、ジャンプに関しては店員に問題があるような……」

 旦那さんが、フライドポテトを食べながら突っ込みを入れた。私もフィレオフィッシュのさくさくした食感を楽しみながら、ほんとたまに食べると美味しいなぁ。と思った。



 ※73「そうぞうせい・フィクション」


 ごはんを食べたあと、荷物を車に積み込んでから三人で映画を見に行った。日本の監督さんの作品で、内容は史実を元にしたノンフィクション物だった。私は主演している女優さんが綺麗だったなぁと思い、旦那さんは「美術背景が素晴らしかったが、3DCGに関しては、まだまだ改良の余地がある。予算がもう少しあれば尚良いものができたに違いない。次に期待したい」と、いつも通りの長々とした感想を口にした。ただ「面白かったです」と言えば済むのに、男の人はめんどうくさい。おばあちゃんは、

「はて。うちの記憶とはずいぶん違ったねぇ。あのヒト、死んどらんよ」

 さらりと言った。

「死んどらんって、主役の、帰らぬ英雄になったヒトのこと?」

「そうさね。敵前逃亡まではおうとるけどね。その後、あんな単騎特攻みたいな真似事しとらんよ。フツーに生きて、フツーに畑耕して、フツーに碁会所に顔だして、今も週一で囲碁打って余生過ごしとるはずよ。今年で八十超えるんやったかね」

「それはそれで面白そうな話ですね」

 旦那さんが言った。私も同意した。確かに面白そうだけど、映画向きの話ではないよね。という意味で。

 その後、ビデオショップで、旦那さんが映画のサウンドトラックを視聴して購入し、私も映画のDVDを一本買った。店を出ると外はすっかり暗くなっていた。

「そろそろ夕飯の材料を買いに行きましょうか。嫁さん、お義母さん、なにか食べたいものありますか?」

「おでんがいいです」

「おでんが食べたいねぇ」

 ここへ来て、ついに意見が一致してしまった。

「じゃあ、おでんにしようか」

 旦那さんは、どこかほっとした様子で言った。それから私たち一行は、地下の食品フロアに移動して、買い物カートに、ぽいぽいと食材を放り込んだ。

「旦那さん、お酒も買っていきましょうよ」

「そうだな。あまり度数の高くない日本酒を……」

 そこで私たちは、二人そろってそっちを見た。

「おばーちゃん。甘酒とオレンジジュース、どっちがいいですか~?」

「ふん。ここまで来て子供扱いかえ。上等さね」

 おばあちゃんは、ずんずんとお酒売り場に歩いていき、両手でやたらキラキラとしたラベルの一升瓶を抱えた。人目がある中を堂々と戻り「ふんす!」と、カゴの中に突っ込んだ。



 ※74「第二次、嫁姑戦争。~旦那は静かに食事がしたい~」


 この世で許せないことが二つある。


 ひとつは、おでんに、がんもどきを入れること。

 もうひとつが、お酒の飲み比べて負けること。


 私はお酒にとっても強い。職場のヒトと飲み比べても負けたことがない。飲み会に顔を出せばよく男性に絡まれた。私には旦那さんがいるというのに、ふしだらな考えでお酒を薦めてくる男性は、ぐびぐびと水を飲むように煽り、返り打ちにした。

「――見直したぞ。後輩」

 それまで私のことを「お姫」と呼んで、なにかとトゲトゲしかった先輩が、その飲み会をキッカケに優しくなった。困ったことがあれば手助けもしてくれて「お酒の力ってすごい!」と感動したものだ。

 最近は飲み会に顔を出したがらないヒトも多いらしい。そこで私が顔を出し、多少の無理はお酒で通せ。とばかりにぐいぐい飲むと、契約が取れたりした。

 故に、飲み比べでは負けられない。

 お酒は勝負だ。人生だ。

「おばあちゃん、私が飲み比べに買ったら、がんもどき、入れないでくださいね」

「ふっ、曾孫が。あたしに勝とうなんて百年早いわさ」

「あの……俺としては、おでんを食べながら、楽しく酒を飲みたいかなと」

「一杯で顔真っ赤になる旦那さんは、黙っててください」

「そうですん。これは女の勝負です。おでんには、がんもどき。がんもどき無きおでんは、おでんにあらずということを、この出来損ないの嫁に教えてあげねばいかんのです」

「おばあちゃん。私はもう、一方的な鍋奉行に従う気はないことを、教えてあげる」

「かかってらっしゃい。ほら、杯をお出し」

「どうもどうも」

 トクトクトク。透明な液体、芳醇な香り。波打つそれを見つめるだけで、かなりの度数があることが知れた。向かい合う私たちの間に、旦那さんが「どうなっても知らんぞ……」という顔で座っている。

「……それじゃあ、とりあえず、いただきます」

 鍋の蓋が開かれる。白い湯気がふわりと広がる。具がちょうど良く、ぐつぐつと煮込まれている。でもがんもどきだけは、別の鍋に浮いていた。

 ――がんもどき。貴女は、この家の鍋に入る余地はないことを、教えてあげます。



 ※75「妖怪に酒を飲ませれば、大体解決! 日本現代話」


  貴方は、おでんの具はなにが好きだろうか。

 俺は「はんぺん」が大好きだ。次点でジャガイモ、たまご、鳥のすじ肉辺りも大好きだ。というか、だいたいなんでも白いご飯と良く合うのが、おでんという料理の醍醐味ではないか。

 つまるところ、煮込み系の鍋料理とは、あまり個人の好き嫌いに左右されず、大人数で卓を囲み、和気藹々と、大ざっぱな味付けを楽しむ料理と言える。

(だから、あまりこれを入れるだの、入れないだの考えたことはないんだがなぁ……)

 ちびちびと熱燗を飲みながら、目前で行われている、タイマン酒飲み大戦を見つつ思う。

「……おばーひゃん、そろそろげんかいやないれふか?」

「ひよっこがぁ。もうねをあげたのうえぇ~」

 ひっく。ういーっく。顔を真っ赤にした妖怪どもが、愉快そうに杯を傾けていた。

(なんかこれに似た話を……昔、どこかで見たような……)

 なんだったろうか。日本むかし話か。はたまた、水木しげる先生の短編集のいずれかだったか。とりあえず、がんもどきを入れるかどうかで、家庭内戦争が起きるような話は無かったはずだ。

「おい、キタロォ!」

「俺はキタローじゃないですよ。お義母さん」

 妖怪アンテナは持ってないし、ペルソナも召還できない。

「だんなひゃん! おひゃわり!」

「ストップ。いい加減、飲み過ぎだろ」

「がんもくえ! がんもぉ!」

「はい。いただきます」

 お義母さんから差し入れされたがんもどきを食う。うん、まぁ美味い。おでんは万能だな。

「うわああああああん! だんなさんのあほおぉー! うわきもの~~!」

 とつぜん嫁さんが泣きだした。泣き上戸か。

「やっひゃり、ロリコンだったんですぅー!」

「違う」

「キタロォ、ロリコン!」

「お義母さんも、そろそろやめてください」

 流石に飲みすぎだ。これ以上はいけない。俺は酒と杯を取りあげて、代わりにミネラルウォーターを「水割りですよ」と言って振舞った。

 母娘の妖怪は、それも美味そうにがぶがぶ飲み干して、同時にぶっ倒れた。

「……さて、後片付けをするかな。ごちそうさまでした」

 すぐ隣からは、同じ気配の寝息が二つあがっていた。



 ※76「日曜は娘と二人、変わらぬ日々を過ごしておりました」

 

 連休は、あっという間に過ぎた。頭を抱えて唸っていた一日もあったけど、基本的にのんびり、ゆったりと過ごした。

 日曜日は、私はいつも通り猫になって、旦那さんはお仕事に向かった。いつもはタブレットPCでネットに繋ぐのだけど、今日は久しぶりにおばあちゃんの膝の上に乗っかった。

「おばあちゃん、お酒くさい」

「おまえもね」

 いつもの居間。こたつの側で、ぬくぬくしながら、ゆったりとした時間を過ごした。

「明日の朝一番に、帰るよ」

「……もうちょっとゆっくりしていけば?」

「休みは明日までだろう。旦那さまに可愛がってもらえる日をジャマしちゃ悪いさね」

「本当は昨日のうちに、そうするつもりだったんですけど」

「それはそれは。仲のよろしいこと」

 おばあちゃんの手が、私の背中をゆっくりと撫でる。ぽつりと告げた。

「あんた、良い男と一緒になったね」

「うん。幸せだよ」

「そうかい」

 おばあちゃんの掌が止まった。

「間違っていたのは、私だったね」

「なにが?」

 私が首を傾いで見上げると、おばあちゃんは、ふいっと目をそらした。

「だからその……おまえは、ヒトには向いてないだとか、散々口うるさく言ったろう」

「うん。言われたね。実際、向いてないのかもしれないよ」

「ヒトの生き方は、つらいかい」

「つらいよ。でも、こうして猫に戻れる日があるから大丈夫。戻ることを許して、受け入れてくれるヒトがいるから。私は幸せです」

「育ったねぇ。ヒトとして、大きくなったんだね。それに比べて私は……」

 ――ずいぶん、小さくなっちまったよ。

 微かな声。故郷の景色を連想させるような、そっと淋しい気配が混じる。私の胸はなんだか不安に高鳴った。今だけは、本当の猫のように、大好きな人の手を黙ってなめた。


 次の日。月曜日。相変わらず子供の姿であるおばあちゃんは、やって来た時と同じく、たいした荷物を持たず、切符だけを買って新幹線に乗り込んだ。


 

 ※77「銀河鉄道の夕刻」


 ねぇ。またきてね。

 あの娘に送り出された時、覚悟がゆるんだ。

 もう少し、この身体で、この時間を生き永らえても良いのかもしれないと、そう思った。

(けれど、何事にも潮時ってのがあるものさね)

 窓の外。生きてきた時の流れを思わせる速度で、世界は目まぐるしく移ろい過ぎていく。

(もう十分)

 改めて、あの娘も嫁に行ってしまったのだと思った。長年を生きてきた女の勘も働いて、このまましばらくは大丈夫だと安心できた。できてしまった。

(家に帰るのを、待つまでもないかねぇ)

 小さな四角い窓の先。お陽さまが高々と昇っている。

 晩秋の青空に、紅葉に満ちた木々の景色が目に沁みた。気持ちの良さげな風に乗り、落ち葉が舞って流れ行く。これが最後だよとばかり、ヒトの心に情景を蘇らせた。


 ――やあ。そろそろ、こっちへ来るかい?


 懐かしい声がした。私はひとつ「いいかもね」と微笑んだ。

(冬は、寒くて寂しいからねぇ。苦手だよ)

 雪に染まった景色も苦手だ。童心のようにはしゃぐ気持ちはなく、雪かきに精を出すぞと思う気兼ねもなく、ただ沁みるのだ。切々と、寂しさに支配され、昔のことばかり思いだす。

(ヒトであることには、もう満足したさね。だから、もう十分)

 静かに目を閉じた。その時に、ヒトの作った道具がひとつ、小さな音を立ててさざなんだ。


 ――今度のブログの日記です。下書きが済みましたので、宜しければご意見をください。


 でんしめぇる。付属されたふぁいる。画面をいろいろ弄ってみて、ようやく開いたら、

「あらあら」

 〝猫〟の私がいた。尻尾がちゃんと二つある。曾孫と一緒に、同じこたつに足を入れ、ただの〝猫〟である、あの娘と言い争っていた。

「おでんに、がんもどき入れないでよ。美味しくない!」

「がんもは必須ですん!」

 尻尾が一本と、二本の猫が「にゃーにゃー!」ケンカしていた。その隣で買い物カートを押すマグロ頭が(この母娘、実に面倒くさいな……っ!)と内心を暴露していた。



 ※78「ニンゲンの繋がり。~わたくしといふ現象は~」


 ブログの漫画。嫁さんと、お義母さんの「おでん会」は、結構反響があった。

 付属されたコメントの多くが「ケンカするほど仲が良いって言いますよね」というものだった。心の底から同意した。

(寂しかったんだよな。きっと)

 駅で新幹線に乗り込む直前、お義母さんの表情に近いものを、かつて見たことがある。


 ――生きることに、疲れ果てたヒトの顔。


 陰りなんてものは通り超え、未練や後悔も飲み干して、在るがままに「終わろうとしている」ヒトの顔。他人である俺は気づけず、長い時間を過ごしてきた嫁さんだけが動いていた。

「またきてね」

 抱きしめる。反してお義母さんの顔は、素直に驚いていた。

「……機会があればねぇ」

 どこか他人行儀で、抑揚のない声だった。そこで俺も、お義母さんの様子にやっと気づいた。なにか言おうとしたが、言葉は出なかった。二人が築いた時間は特別で、積もる雪のように重い。一歩を踏み込むのも躊躇われ、結局は、自分はまだ他人であるのだと思い知った。

 お義母さんが行ってしまった後、俺たちもまた、たいした言葉を交わさずに、まっすぐ家に帰った。


 誰かに喜んでもらえる絵を描くこと。今ではクライアントに認められることが、その第一条件になっている。

 俺の絵は商品だ。絵に描いた餅は食べられないが、ヒトの感情を揺さぶる嗜好品となれば話は別だ。そして絵を描くことは仕事であると同時に、生き甲斐だ。喋ることは苦手だが、描いた絵を見て喜んでほしい。元気になって欲しい。それが俺にできる道筋だ。

『楽しくて、可愛らしいお義母さんですね。次回の更新が楽しみです。あと、がんもどきは、おでんには必須だと思いますね!』

 ブログの漫画を描くと、コメントが着く。コメントは一般公開にしているから、誰の目にも留まる。翌日には、待ちに待ったヒトからもメールが届いた。

『旦那さま、お正月はこちらの家においでませ。真のおでんというものを、貴方と、あの娘に見せてやりますん!』

 メールを見て噴出した。「やっぱり、似たもの親娘だよな。あの〝二人〟」そう呟いてから、俺はスケジュール帖を手に取り、年末年始の予定を書き込んだ。



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