ガングロ
炊き出し場に行った。
そこにはデモニオンヒルで飲食店をやっていた店長たちがいた。
俺は彼女たちとガングロから事情を聞いた。――
「なるほど、だいたいのところは分かった。ようするに水が問題なのだな?」
「ええ。これから向かうところ、ノクトゥルノは巨大な沼に面しているといいます。だからガングロは到着までに水を使いきっても大丈夫だと言うのですが」
「問題ねえだろ」
「しかしその巨大な沼を実際に目にした者はいないのです。ですから我々は念のため水を貯えておいたほうがよいと、少しずつ使ったほうがよいと」
「このビビりがァ」
「おいガングロ、少し黙ってろ」
「うっせ」
ガングロは吐き捨てるように言った。
それから自説を口にした。
「黒き沼は必ずある。ここから北にいったところにリオアンチョって街があるんだけどさ、その西で川が分岐してンだよ。そこから水がこっちに流れてるんだ。だから絶対に沼はあるんだよ」
ガングロはさらさらの茶髪をかきあげて胸を張った。
ぷるんと、胸が生意気にゆれた。
その様子に店長のひとりが、母性に満ちたため息をついた。
それからこう言った。
「しかしその川はここまで来てないかもしれません。大きく迂回している可能性だってあるのです。それにたとえ沼があったとしても、飲み水として使えるかどうか」
「うっせ。そんときはそんときだ」
「………………」
俺たちはガングロの思慮のなさに呆れかえった。
ガングロは続けて言った。
「あのな。あたしたちは魔法使いだ。水なんか、炎とか冷気とかで作れンよ。……な?」
そう言ってガングロは水の作りかたを、いきなり俺にブン投げた。
俺は失笑して、それからかるく頷いた。
そして言った。
「話は分かった。とりあえず黒き沼に着くまでは水の使用をセーブしよう。水ではなくアルコール飲料で、のどの渇きをうるおそう。それからなるだけ洗い物が少なくなるような食事にしよう」
「かしこまりました」
「といっても、黒き沼までは二泊三日くらいだと思うけど」
「あの、領主さまは行ったことがあるのですか?」
「ふふっ、もう領主じゃないよ」
「すみません」
「いや謝らないで。黒き沼は行ったことはないよ。でも、すぐ近くの黒い霧が立ちこめたあたりまでは何度か行ったことがあるんだよ」
カマレオネス・ベスティアの討伐に来たことがある。
その当時のことを思い出して笑っていると、ガングロと目があった。
彼女は何か言いたそうに口をとがらせていた。
俺はなだめるようにこう言った。
「まあ、水はセーブしながら行くけれど、でも黒き沼はあると思うよ」
「それって?」
「デモニオンヒルには人型モンスターの娘たちがいただろう? 彼女たちは穂村の付近と、それに黒き沼のあたりに棲んでいたという」
「ああー」
「人型モンスターのからだは人間とほとんど一緒、だから彼女たちが棲んでいたということは、俺たちが住める環境でもあるんだよ。だからきっと飲み水はある。沼はある」
「たしかにその通りですね」
店長たちは、ぽっかり口をあけたまま、しばらく俺の顔を見ていた。
そんななかガングロは、なぜか得意げに鼻をこすっていた。
俺はクスリと笑い、それから言った。
「デモニオンヒルから人型モンスターの娘たちもついてきてる。彼女たちには農耕の習慣がある。あとで黒き沼の植生などを聞いてみるといい」
「ああ、言われてみればその通りです。さすがです領主さま」
「ふふっ、領主はもう辞めたんだって」
「そんなァ」
「俺はテンショウ。これからはテンショウと呼んでください」
「……かしこまりましたテンショウさま」
「ふふっ、なんだか照れますね」
「領主さまのほうがよろしかったでしょうか?」
「いや、うーん、まかせる」
俺はそんなテキトーなことを言って頭をかいた。
店長たちはいっせいに穏やかな笑みをした。
ガングロは仁王立ちで腕を組み、うんうんと頷いていた。
で。
事態が収拾できたようなので。
「じゃあ、俺も緒菜穂に聞いてみるよ」
と、そんなことを言って俺はテントに戻ろうとしたのだけれど、そのとき、北のほうで騒ぎが起こった。
はじめはお酒でも飲んで騒いでいるのだろうと思った。
しかしすぐに悲鳴があがった。俺たちは眉をひそめた。
そのうち炎で空が赤く染まった。
俺たちは事態の深刻さにようやく気がついた。
と。
そこに転がるようにして、女の子がやってきた。
彼女は息を切らせながら北で起こってることを伝えた。
「馬が襲われてるのか!?」
「それだけではありません。人も、人が襲われているのです」
「モンスターにか?」
「はい。人型のモンスターで、でも、デモニオンヒルにいる娘たちとは違って凶暴なんです。言葉が通じないんです」
「なるほど、しかし魔法で撃退できないのか?」
俺は北の空を見ながらそう言った。
女の子は真っ青な顔をして答えた。
「魔力を吸収するんです。どんな魔法も効かないんです」
「はァ?」
「それに噛むんです。鋭い爪でひっかいて、それから牙で首筋に」
「それが人のかたちをしてるのか?」
「ヴァンピーロ。人型モンスターの娘たちは、あのモンスターをヴァンピーロと呼んでます。そう言っておびえているのです」
「ヴァンピーロ……吸血鬼か」
俺がぽつりと呟くと、女の子は大きく頷いた。
また北のほうで大きな悲鳴があがった。
俺たちは思わず身構えた。
するとガングロが、
「分かった。あたしが倒してきてやンよ」
と言って飛び出した。
俺たちが止めるまもなく、彼女はものすごい勢いで向かっていった。
「あのバカっ」
俺は思わず悪態をついた。
それからガングロを追った。
よろしくお願いします! ――と、店長たちが叫んだ。
俺は振り返らずに手をあげた。それから自嘲気味に笑った。
別に追いかけなくてもいいんじゃないか――とは思った。
なにかあっても自己責任だろ――とも思った。だけど気がついたら走ってた。
いつしか俺には守るものができていた。頼られることに慣れていた。
助け合い、持ちつ持たれつという生きかたをするようになっていた。
そしてそのことに俺は心地よさを感じていた。
それが成長というものなのか、オトナになったということなのかは分からない。
でも。
少なくともデモニオンヒルに来て、俺は変質した。
あの閉塞していてしかし居心地の好かった城塞都市。
そこでの日々が俺を変えていたのだ。
「それが好い方向なのかは分からないがな」
俺は無理にゲス顔を作ってそう言った。
騒ぎの起こった場所がもう、眼前に迫っていた。――
キャンプの北端は騒然となっていた。
ヴァンピーロが5・6匹暴れていた。
ヴァンピーロはしなやかな女のからだで鋭い牙と爪を持っていた。
それがするどく跳びはね、馬や人に次々と襲いかかっていた。
何人かが負傷し、そして何人かは命を落としていた。
犠牲者のなかには人型のモンスターもいた。
その凄惨な現場の中心にヴァンピーロは立っていた。
全裸だった。口もとを血で真っ赤に染めていた。
牙をむき出しにして腰を深く落とし、周囲を見まわし威嚇していた。
次の獲物を探していた。
その様子から話し合いなどまるで通用しない相手だと分かった。
ヴァンピーロは、緒菜穂たちと同じく人型のモンスターではあるが、しかし、彼女たちとまったく異なっていた。文化的な交流などまず不可能だった。
「………………」
俺はまつ毛を伏せた。
大きく息を吐いて、それから刀の柄に手をかけた。
魔法使いのみんなを下がらせ、それから一歩前に出た。
びゅっ――と、一閃。
刃を光らせた。
ヴァンピール即死。
俺の眼前でヴァンピールは、のどから血を吹き上げた。
そしてどさりと倒れた。
「あと何匹だ?」
俺はそんなことを、ぼそりと言ってそれから周囲を見まわした。
すると柵を越えたところ、荒野の先から女の叫び声がした。
「くそがァ!」
ガングロの叫び声だった。
叫び声というかなんというか、品のないかけ声だった。
目を凝らすと、柵の向こうでガングロがヴァンピーロと戦っていた。
暴れまわっていた――と、言い直してもいい。
ガングロは、怪鳥のようなヴァンピーロと対等にやりあっていた。
するどくすばやく、ガングロは縦横無尽に駆けまわり、そして、
「せいやあ!」
おそろしい跳躍力でヴァンピーロに跳び蹴りをカマしていた。
しかもその蹴りでヴァンピーロの首は吹っ飛んだ。
「あいつ……」
俺は苦笑いをしながら、柵を飛び越えた。
ガングロは俺に気付くと、
「よお!」
と、ひどく呑気で大らかな声をあげた。そして手に持った短刀をぷらぷらさせながら、まるでチンピラのようにこっちに歩いてきた。ヴァンピーロが飛びかかってくると、ガングロは即座に、
「おらあ!」
と、斬りつけた。それでヴァンピーロは即死した。
それでも死なないときは首をつかみ足を上げ、まるで柔道のようなフォームでガングロはヴァンピーロを地面に叩きつけた。頭を粉砕した。
あいつ。
あんなに強かったのか。
俺の心中で、呆れと尊敬の気持ちが複雑にからみあった。
俺は複雑な気分で、しかし、たしなめるような目をしてガングロを見た。
ガングロは得意げな顔をして向かってきた。
すると俺の後ろから、子供の魔法使いたちが黄色い声をあげた。
「ニンジアだ。穂村のニンジアだ。ガングロの姉ちゃんがやったのはニンジアのニンポーだ」
子供たちは興奮して言った。
俺は思わず息をもらすように笑ってしまった。
ニンジアって……。
こんな派手な女がニンジア、忍者かよ。
あんなぶっきらぼうな体術のどこが忍法なんだよ。
忍者のイメージとはまるで違うじゃないか。
俺はそんな文句をひとりつぶやきながらガングロを見た。失笑した。
するとガングロは、あごをしゃくるようにして、
「ああン? 文句あんのかコラァ」
と言った。ものすごくガラが悪かった。
まるでドラッグストアに買い物に来たような、ジャージ姿の女のようだった。
ガングロは茶髪で目がバチっとして派手な顔をしている。
小柄だけど態度がデカいから実際の身長より高く見える。
ちなみにかたちのいい胸がつんと生意気に上を向いている。
それがミニスカ着物のうえからでもハッキリとわかる。
ようするにガングロは悪魔的なエロい体をした美少女である。
でも、ガラが悪い。ものすごくドラッグストアやコンビニが似合ってしまう美少女なのである。剣と魔法のアダマヒア世界の住人にも関わらず。……。
「なんだよお?」
「いや」
「ああン?」
ガングロは俺のそばまで来ると、あごをしゃくるようにして威嚇した。
俺はそれを鼻で笑った。
と、そのとき。
バッ――と、突然暗闇からヴァンピーロが飛び出した。
俺たちの横をかすめるようにして、ヴァンピーロは逃げ去った。
「あのやろお」
ガングロの顔色がさっと変わった。
それと同時に彼女はヴァンピーロを追いかけた。
「待て!」
と思わず俺は叫んだ。
しかし、ガングロは待てと言って待つようなタイプではなかった。
待てと言ったときにはもう、声の届かないところを走っていた。
「まったく」
俺はまるで保護者のようなため息をついた。
それからひたすら走った。懸命にガングロを追いかけた。
しばらく走ると、だだっ広い荒野の真ん中でガングロとヴァンピーロがやりあっていた。
俺が到着すると同時に、ガングロが片膝をついた。
ヴァンピーロが命を奪うべく襲いかかった。
まさにその瞬間。
ずだんッ!
俺は踏み込み抜刀した。
びゅっと刀を振り下ろし、血を飛ばした。
鞘にしまった。
カチリとつばを鳴らした。
ヴァンピーロがどさりと倒れた。
首はどこかに吹っ飛んでいた。
俺はたしなめるような目をして、ガングロに手を差し出した。
ガングロは立ち上がった。羞恥に頬を染めた。
そして目をそらしながら、彼女は、ぼそりとこう言った。
「ありがと」
俺は、しかたないなって感じのため息をついた。
するとガングロは口をとがらせた。
それから、くやしそうにこう言った。
「あいつは口が血に染まってた。人間の味を知ってしまった」
「……ああ」
「そういうモンスターは、絶対に群れに帰してはダメなんだ。人間の集落に大挙して押し寄せてくる。群れに帰すとそうなってしまうんだ」
「なるほど、そういうことだったのか」
俺はため息をつくように言った。
それからガングロを抱きかかえようと手をまわした。
「なっ、なにすンだ」
「足を怪我してるだろ」
「……ああ」
「ん? 噛まれてるじゃないか」
「……うん」
「キャンプに戻って治療しよう。でも、今すぐ手当したほうがいいかな」
「………………」
「よく分からんが吸い出したほうがいいのかな?」
「バっ、バカっ! こんな太ももの付け根、吸うとかバカっ!!」
「いやまあ、俺もそうだと思うけど、でも命には変えられないだろ」
俺だってそんなマンガみたいなことしたくない。
「大丈夫だ。べっ、別にヴァンピーロに噛まれたわけじゃねえし」
「ウソつくなよ」
「ほんとだって! 戦ってるときにヘビに噛まれたんだよ」
「そんなっ」
そんな深夜のアニメで観たような展開。
ものすごくアクロバティックなハプニング。いったいどんな状況なんだよ。
「まあいいや」
俺はガングロを寝かせた。
それから彼女のぷっくらとした可愛らしい太ももに口をつけた。
「ひゃん」
ガングロは可愛らしい声をあげた。
「おい。そういう声はノクトゥルノに着いてからにしてくれよ。俺はただの応急処置、医療行為をしているだけだぞ?」
「って、だってそんなァ。あっ、あたし」
「エロい声を出すんじゃない。なんもエロくない。エロいと思うのは、それはおまえの心がエロいからだ。そういう目で見るからだ」
「つっても、あんたとメチャシコが抱き合ってるの見たばかりだし」
「あれはスキンシップだ。いつものことだ。エロい妄想をするんじゃない」
「いや。なんかそれって、むしろエロい妄想しちゃわね?」
「気のせいだ」
「ひゃあって、あんた。ちょっと手がエロい」
ガングロはふるえた声でうったえた。
「あっ、あたしこういうの初めてだし」
「こういうのって、俺だって毒を吸い出すのは初めてだ」
「ひゃっ」
ガングロは腰をくねらせた。
俺は笑殺した。かまわず解毒を続けた。
まあ、たしかにガングロの太ももは色っぽいかもしれない。
しかし、つい先ほどまで、この脚でモンスターの首を吹っ飛ばしていたのである。
そんな脚に欲情なんかできるわけがない。
できるとすれば、そいつはかなりのマゾ野郎である。
と。
俺は心からそう思うのだった。
「終わったぞ」
俺はガングロのお尻をひっぱたいた。
それから彼女を背負ってキャンプまで歩いた。
ガングロはひどくくやしそうな、でもすこし嬉しそうな声でぽつりと言った。
「なんか、あたし。あんたに助けられてばっかだ」
俺はそれには答えず、穏やかな笑みをするだけだった。
空いっぱいに無数の星が輝いていた。




