その7
早朝。俺はゼクスの邸宅に向かった。
デモニオンヒルは晴れて、ひんやりとした空気が心地良い。
城門は開いていたが、まだ、街は目覚めていない。
まばらに警備の騎士がいるだけである。
そんな薄明かりのなか、俺は城塞都市の北東にある貴族別荘エリア、そこにあるゼクスの邸宅に侵入したのだった。――
「ふふっ」
寝室に入った俺は失笑した。
ゼクスはいた。
巨大なベッドで熟睡していた。
枕に顔面を突っ込み、お尻をつきだした器用なかたちで寝ていた。
絹の肌着がめくれ背中まであらわになっていた。
その姿を見ればゼクスが女性であることは明らかだった。
俺は苦笑いした。
あたりを見まわした。ベッドのまわりにはゼクスを囲むように、俺を隠し撮りした写真――魔法装置で精密描写した絵画――があった。
それが散乱していた。大量にあった。
俺は気持ち悪くて、思わず後ずさりしてしまった。
しかし、その大量の精密絵画のなかには『あの手配状』があった。
あの、俺の顔を貼り付けて偽造した手配状を見つけたのである。
俺はため息をついた。
やれやれ――って感じで腕を組んだ。
そして顔をあげた。
すると壁一面に、俺の巨大な顔写真、精密絵画が何枚も貼り付けられていた。
それが目に飛びこんだ。
おそらくどこかに隠し持っていたのだろう。
それを昨晩、部屋いっぱいにぶちまけたのだろう。
そしてゼクスは、それを観ながらワインでも飲んで、そのまま寝てしまったのだろう。
「ストーカーかよ」
俺は呆れたのか感心したのかよく分からない声を漏らした。
それからサイドテーブルにあった魔法装置を手に取った。
「おいっ」
ゼクスを乱暴にひっくり返した。
肌着がめくれあがり、性別がハッキリと分かる状態になった。
俺はゼクスを撮影した。魔法装置で精密描写してやったのだ。
布に描写されたゼクスは大の字で、とてもしあわせそうな寝顔をしていた。
「おい、起きろ!」
俺はゼクスの手を、ぶっきらぼうに引っぱった。
ゼクスはベッドからズリ落ちた。
勢いよく、ほっぺたから床に突っ込んだ。
「うぇーい?」
ゼクスは気だるそうに上体を起こし、不機嫌な顔で髪をかき上げた。
それから俺を見上げた。
ゼクスの目が大きく見開いた。みるみる恐怖の表情に変わっていった。
慌てて飛びあがった。
ザリガニのようにするどく退いた。
「ててててんてん、テンショウ? テンショウ・フォン・セロデラプリンセサァ!?」
「ふふっ、朝から舌がよくまわるヤツだ」
「うぇーい!」
ゼクスは、よつんばいに這いだした。
がさがさと、まるで昆虫が氷の上でばたつくように、みじめな姿で、俺から這い逃げた。俺はそれを憮然とした表情でゆっくり追いかけた。
「うぇひぃいー!」
ゼクスは哀れっぽい声をあげ、お尻まる出しで這い逃げた。
絹の肌着は、ゆったりとして膝上まである。そんな肌着だけを着ているゼクスは、まるで男もののYシャツをはおった女のようだった。
まあ。
女のようだ――というより、ゼクスは女である。
いわゆる男装の麗人ってやつなのだ。
「おいっ!」
「ひぃいー!」
ゼクスは床をかきむしるようにして、立ち上がった。
家を飛びだした。肌着一枚で街に逃げたのだ。
「あはははは」
俺は優越感に満ちて笑い、ゼクスを追いかけた。
ゼクスは気持ちばかりが焦っていた。すぐに転び、よろめき、ふらふらとなり、走らなくとも追いかけるのは容易なことだった。
「おーい、そんな恥ずかしい格好で街を歩くんじゃない!」
俺は笑って、大らかに声を放る。
「うぇうぇうぇうぇ~い!」
ゼクスは羞恥に全身を桜色に染めた。
くやしそうな顔で振りむいて、俺をにらんだ。
ぎゅっと胸を隠した。
そして、あわてて肌着をしぼり、胸を押さえつけた。
ゼクスにとっては、きっと、脚があらわになっていることよりも、胸があることのほうが恥ずかしいのだろう。
ゼクスは屈辱の歯ぎしりをした。
あまりに強く歯ぎしりをしたものだから、口から血が吹きだした。
「きぃいいい!」
「おいおい、全部、自業自得だろうが」
俺が呆れてそう言うと、ゼクスは、キッとにらんだ。
そこに騎士がまばらにやってきた。
北のアダマヒア門、そこの塔から俺たちを見つけて、やってきたのだろう。
「領主さま?」
「こいつはゼクスだ。こんな身体をしているが、第六公子のゼクスだよ」
俺が笑いながらそう言うと、騎士たちは息を呑んだ。
それからゼクスを遠巻きに囲んだまま、信じられない――って顔で見た。
そのなかには魔法使いも何人かいた。
いつの間にか、みんなが街を出歩く時間になっていた。
「おいゼクス! よくも手配状を偽造してくれたな!!」
俺はそう言って、2枚の手配状をかかげた。
ゼクスは真っ青な顔をした。
彼女は、胸の膨らみを隠せていない恥ずかしさと、俺への恐怖で、顔を赤らめたり青ざめたりさせた。ふたつの感情が心中で複雑にからみあって、よく分からない表情となっていた。
「おいっ!」
「うぇひぃいー!」
ゼクスは腰を抜かした。ぺたんと座り込んだ。
俺はそれを鼻で笑った。それから騎士に手配状を渡して、剣を借りた。
そして、そのロングソードをゼクスに放り投げた。
「おい、おまえはここに来たとき、宣戦布告をしたな? 受けてやる。立てよ」
俺はそう言って腰の刀を抜いた。
ゼクスに切っ先を向けた。
ゼクスは俺をにらみつけたまま、ロングソードをつかみ、立ち上がった。
ぐいっと両手で構えた。
俺たちは、3メートルの距離で相対した。
それを騎士と魔法使いたちは遠巻きにして見守った。
「領主さま……」
騎士が止めていた息を吐き出すように言った。
俺がちらりと見ると、彼女は言った。
「その女は強いです。構えを見れば分かります」
「分かってる」
「……領主さまがわざわざ相手をする必要はありません」
騎士がそう言って一歩前に出た。
するとゼクスが、にたあっと、ものすごく下品な笑みをした。
俺は失笑し、騎士たちを下げた。
刀を鳴らし、それから言った。
「来い」
「きええぇ――!」
ゼクスは怪鳥のような声をあげて飛んできた。
俺は魔法を飛ばした。
唐突な振動が、彼女の三半規管を襲った。
ゼクスは勢いよく転倒した。
俺は彼女の胸ぐらをつかみ、立ち上がらせ、そして突き飛ばした。
「ふふっ、『なにか卑怯なことをされた』と、思ったか?」
「ううっ」
「その通りだよ。だがな、おまえのような陰湿な攻撃をしてくるヤツには、これっぽちも心が痛まない。そもそも俺はゲスだ。いくらでも卑劣なことができる」
「しゃあ!」
ゼクスは立ち上がった。
それと同時に、まるでハンマー投げのように回転、剣を振り抜いた。
が。
剣は虚空を泳いで、ゼクスは肩から地面に突っ込んだ。
「どうした? そんなところを斬ってなにをやっている。それともなにか? 俺がそこにいるように見えたのか?」
「貴様ァ!」
「おまえ今、『姑息な手を使いやがって』と思ったな? ああ、その通りだよ」
「きいぃ!」
ゼクスは顔を真っ赤にして立ち上がった。
肩を怒らせ、剣先を地につけた仁王立ちで、俺をにらみつけた。
「なあ、ゼクス。おまえもしかして『正々堂々と勝負しろ』って思ってるか? それなら勝てると思っているのか?」
「貴様などに負けんっ!」
「だったら、なぜ最初からそうしない」
「くっ」
「まわりを巻き込むなよ」
「くぅ」
「はやく来い。屈服させてやる」
俺は、すっと間合いを詰めた。
刀を真っ直ぐに伸ばした。
ゼクスはそれに吸い込まれるように、剣先を伸ばした。
俺はそれを刃で滑らせ、そらした。
刀をすりあげた。
ゼクスは地面を強く叩いた。
つんのめり、そのまま俺を通りすぎていった。
「ゼクス!」
「きしゃあー!」
振り向くゼクスのロングソードを、俺は蹴り飛ばした。
ゼクスは大きく目を見開いた。ロングソードを吹っ飛ばされた状態で硬直した。
びゅっ!
俺は刀で、ゼクスを撫でた。
のど元から、真っ直ぐ下に向かって、刃先をはしらせた。
そして。
まるで血を飛ばすように刀を振りおろした。
それから俺は、ゆっくりと刀を鞘にしまった。
カチリと鍔を鳴らした。
そのときゼクスの肌着が、ぱっくり割れた。
「なっ!?」
ゼクスのまっ白なお腹、女そのものの体があらわとなった。
ここに集まるたくさんの騎士と魔法使いの目に裸体がさらされた。
俺が肌着だけを斬ったからだ。
「この刀は、キヨマロの七刀のうち二番刀・菊清麿だ。おそろしく斬れる刃を持ち、また、絶妙な重量バランスで、精密な刀捌きを得意とする」
俺は冷然と言った。
ゼクスは自身の肩を両手で抱いた。胸を隠した。
そして羞恥に身もだえ、叫んだ。
「破廉恥! 恥を恥とも思わぬ恥知らず!!」
「はァ?」
「痴漢! ヘンタイ! この、むっつりスケベ!」
「おまえに言われたくない」
俺は、ぐいっと一歩前に出た。
騎士たちが一斉に剣を抜いた。
すると。
「ひいぃ!」
ゼクスは転がるように逃げ去った。
北のアダマヒア門に向かって全力疾走したのである。
「待て!」
俺を先頭にして、騎士たちがそれを追う。
ゼクスは肌着をひらひらとなびかせて、勢いよく駆けていく。
俺たちが追う。
ゼクスは疾走する。門に突進する。
「捕らえろ、阻止しろ!」
門番に向かって俺が叫ぶ。
門番たちは慌てて城門の真ん中に出る。立ちふさがる。
が。
ごごごおおおおぉぉぉぉおおお――――!!!!
このとき門番の後ろから、すなわち城外から幌馬車が向かってきた。
門番は混乱した。
ゼクスは門番を華麗にかわし、アダマヒア門の内側の門を突破した。
俺たちはそれに続いた。
そして暴走幌馬車が外側の門を突破した。
俺たちは正面衝突した。
ゼクス、俺、騎士、暴走幌馬車、それを追いかける番兵。
俺たちはアダマヒア門の中心、交易・競売会場で鉢合わせした。
「門を閉じよ!」
俺は叫んだ。それと同時に幌馬車に魔法を撃ち込んだ。
暴走幌馬車は車輪から崩れ、大破した。止まった。
外門の格子が落とされた。
内門には、騎士と魔法使いが詰まっていた。
俺たちを追いかけて来たためだ。
「はやくしろ!」
俺は叫び、暴れる馬に魔法を撃ちこんだ。
ゼクスは、大破した幌馬車のすぐそばで立ちつくしていた。
外門が閉じたため、行き場を失ったのだ。
「おまえは後だ! おとなしくしていろ!!」
俺はゼクスを叱りつけた。
と、そのとき。
ぼろっと。
幌馬車が崩れた。
そしてなかから棺桶のようなものがズリ落ちて。
ばかっと蓋が開いた。
がさりと内容物がこぼれ出た。
「ひいぃぃいいい!」
ゼクスはそれを見て腰を抜かした。
死体だった。
その死体は、ものすごく汚らしかった。
がさがさしていて、髪の毛が白く、からまっていて、ぐちゃぐちゃで、そこだけは脂っぽくて、顔がシワシワだった。ヒビみたいなものがあって、茶色で、まだらで、変色していて、生き物じゃないように見えた。実際、死んではいたが、ところところじゅくじゅくとうごめいて、なかに、なにか生き物がいるようだった。
その死体は、ボロボロの作業着を着ていた。
そのことから、もとはアダマヒアの労働者だったことが知れた。
作業着は、染みだらけでべったりしてひどい色で、朽ちていた。
黒ずんだところと色が抜けて薄くなったところがまばらにあって、迷彩服のようになっていた。袖はすり切れ、爪は真っ黒で汚かった。
その死体を視て俺は、
これは恐ろしい病に感染している――と、思った。
俺だけではない。
こんな死体――急速に干からびた、まるでゾンビのような死体――を見れば、誰だって、その異常性に身の危険をおぼえるはずだ。
「門を封鎖! 今すぐ、ここを隔離する!!」
俺は出せる限りの声を張り上げた。
アダマヒア門は騒然とした。
魔法使いは慌てふためいた。
騎士が封鎖にとりかかった。
そんななか。
ゼクスは死体を見ながら、あえぐようにこう言った。
「ブラックデス、黒死病だ」
――・――・――・――・――・――・――
■チートな魔法使いである俺の復讐の記録■
ゼクスからチャラい宣戦布告をうけた。
→受けてやった。もちろん打ちのめしてやった。
……この黒死病はアダマヒア世界のもの、中世ヨーロッパで猛威をふるった線ペストや肺ペストとは異なる伝染病である。
■まだ仕返しをしていない屈辱的な出来事■
なし




