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アダマヒア国王 フュンフ2世

 翌日。俺とアンジェリーチカは登城した。

 領主城はデモニオンヒルの城壁の内側、その北西にある。――



 俺たちは城門をくぐり、どこまでも続く花畑を進んだ。

 やがて道は、ぴかぴかに研かれた大理石になった。

 そのまま歩いていくと、俺とアンジェリーチカのほかは立入禁止となった。

 俺は刀をあずけ、ネクタイを締めた。

 アンジェリーチカはマントを脱いだ。

 彼女の青いドレスの胸もとには、大粒の宝石が輝いていた。


「テンショウ……」

 アンジェリーチカが、ぐっと俺の腕にしがみついた。

 俺は思わずドキッとしてしまい、反射的に腕を振りほどいてしまった。

 その気恥ずかしさもあって、ひとりズカズカと王城を突き進んだ。

 アンジェリーチカが慌てて追いかけてきた。寄り添った。

 なんだか夫婦のような雰囲気になってしまった。

 このままアンジェリーチカに押しきられて夫婦になるような――そんな未来が頭をよぎった。身の毛がよだった。

 するとアンジェリーチカが、


「ふふっ、緊張することないわよ」

 と、超上(チョーうえ)からの目線で言って、それから母親のような笑みをした。

 俺はひどく自尊心を傷つけられた。

 だから、王との面会がいよいよとなったとき、アンジェリーチカに尿意攻撃をした。彼女は、もじもじしながら国王の話を聞くことになった。




 国王フュンフ2世は、玉座に浅く腰掛けていた。

 やさしげなオッサンだった。

 ストッキングを被ったような顔で、微笑みを浮かべていた。

 その右手には長杖(ちょうじょう)、左手には短杖(たんじょう)、そして頭には王冠があった。

 俺は王冠を被ったオッサンを初めて見た。

 というより、王様ってヤツを初めて見た。

 自然と背筋が伸びるのを感じた。

 よく分からない権威のようなものに打たれた。

 そして俺は、気がついたときにはひざまづいていた。

 その横でアンジェリーチカが同じようにひざまづいていた。

 玉座の間には、俺たちのほかは誰もいなかった。

 閑散として広々とした空間に、ぽつんと玉座があり、そこに俺とアンジェリーチカ、そして国王フュンフ2世がいるだけだった。


「おもてをあげなさい」

 頭上から王のやさしい声がした。

 俺は大きくツバを呑みこんだ。

 顔をあげると、王は穏やかな笑みをした。

 フュンフ2世は、ゆっくりと視線をアンジェリーチカに移し、また俺を見た。

 そして言った。



「娘の婚約者をひと目見たかった。なるほど美少年だ。やや影があるところは少し気になるが、しかし、そういったところに人は惹かれるものである。これならアンジェも不満はないはずだ」

 王は独り言のように呟き、それからこう言った。


「ザヴィレッジのこと、調査はすべて終えている。……アンジェ、やり過ぎたね」

「はい」

 アンジェリーチカは、いっさい口答えをしなかった。

 今まで見たことのない従順さで(こうべ)を垂れた。

 王はその姿に満足した。そして言った。



「反省しなさい。しばらくこのデモニオンヒルから出ることは禁止だよ」

「はい」

「子を宿すまでは駄目、しばらくはここで彼と仲良く暮らしなさい」

「はい」

「アンジェ。そうやって感情を露わにしてはいけない、はしたないよ」

「ごめんなさい」

「こら、少しは喜びを抑えなさい」

「はい」

 アンジェリーチカの声には、笑いが混じっていた。

 そして王の声にも笑いが混じっていた。

 父と娘、ふたりはしばらく無言で見つめ合っていた。

 やがて王は俺を見た。眩しげに目を細め、それから言った。


「ツヴェルフ第2公子のこと、ザヴィレッジ伯のこと、まことに残念である。死したとはいえ、彼らには厳正な処罰が下されるだろう。だからこのことは、キミは忘れていい。ちなみにザヴィレッジの復興は、ザヴィレッジ伯の息子フランツが精力的に行っている。このこともキミは気にしなくていい」

「……はい」


「ザヴィレッジで起こったことについて、キミは驚くほど潔白だね」

「……はい」


「とんだ事件に巻き込まれたね」

「いえ」


「キミについての詳細な報告が集まっているのだが、知りたいかね?」

「………………」

 俺が言葉を詰まらせていると、王はものすごい笑みをした。

 それから唐突にイタズラな目をした。

 そしてやさしく穏やかに、ゆっくりと言った。



「キミとアンジェは、貧しい者らを率いて領主城に攻め入った。その様子を騎士や修道士だけでなく、ザヴィレッジの村人たちも目撃している。王女を(かた)る騎士と、それに寄り添う穂村の剣士。キミとアンジェは、あの事件の中心人物であり、謎めいた英雄でもある」

「……はい」


「炎を噴き上げたのは、やり過ぎたね」

「っ!」

 俺は思わず顔をあげた。

 全身からドッと汗が噴き出すのを感じた。

 王は笑顔のまま大きく頷いた。そして言った。



「アダマヒア王国は、魔法の使用を禁じている。そもそも、すべての魔法使いは、このデモニオンヒルに住むことになっている。その実際はさておき、建前としてはこのデモニオンヒル以外に魔法使いは存在しない――そういうことになっている」

「………………」


「それは魔法使いに対する偏見が厳しいからだ。ここ以外では、とても尊厳のある暮らしができないからだ」

「はい」


「それは理解してくれている……どうやら分かってくれているようだね」

「はい」

 俺が深く頭を下げると、王は穏やかなため息をついた。

 そして満ち足りた笑みでこう言った。



「我々、アダマヒア王国はこの魔法使い問題――魔法使いに対する根強い偏見と迫害――の解決には、最低でも100年の歳月がかかると思っていた。そういった気構えで問題解決に取り組んできた。この城塞都市デモニオンヒルも、そのプロジェクトの一環である」

「はい」


「ところが、ザヴィレッジの調査報告書を見る限りでは、どうやら軌道修正が必要のようだ。我々は人間心理を読み誤っていた。甘く見ていたといってもいい」

「そっ、それは!?」

 のどのつまったような声で、俺は思わず叫んでしまった。

 王とアンジェリーチカが一斉に、たしなめるような視線を俺に向けた。

 その後、しばらくすると王は穏やかな笑みで言った。



「城に攻め入る女騎士と魔法使い……すなわちアンジェとキミが、ザヴィレッジに住む者たちの目には、王女とその婚約者のように映った」

「…………」


「領民を率いる王女、そしてその夫であり魔法使いでもある男に、キミたちの雄姿が見えたのだな」

「…………」


「まあ、見えたもなにも、まさしくその通りなのだが――。それとアンジェ、婚約からなにから方々に言いまわっていたようだが?」

「ごめんなさい」


「しかし、そんなキミたちを見てね。ザヴィレッジの民は興奮したそうだよ。凛とした女王と魔法使いの王。彼らはアダマヒアの未来を、そして繁栄を、キミたちを見て確信したようだ」

「そっ、それは」


「彼らは、アンジェとキミに好意的だ。いや、まさか本物の王女とその婚約者だとは思っていないだろうが、しかし、魔法使いが王となるような、そんな『もしも』に彼らは嫌悪感を抱いてはいない。吟遊詩人がそのような歌を創作し、村民らがそれを楽しんでいる。そういう報告もある」

「まさかっ」



「はじめは何かの間違いかと思ったがね。でも、フランツ君からの報告もキミに好意的だし、それに、ザヴィレッジの教区司祭と教区総長も好意的な報告書を送ってきたんだよ」

「…………」


「教区総長からの報告書は、読んでるこっちが恥ずかしくなるくらい熱烈だった。なんというかキミへのラブレターのような、ははは、まあ冗談でもなんでもなく本当にそのようなことが延々と書かれていてね、最後は、ザヴィレッジの騎士すべてがキミに尊敬の念を抱いていると、そんな言葉で結ばれていたのだよ」

「はあ……」

 そこまで言われるようなことはしていないと思うのだけど。

 しかし、あの岩のような老騎士がそんな手紙を書くとは思いもしなかった。



「というわけで、テンショウ君。我々アダマヒア王国は、魔法使い対策プロジェクトを大きく軌道修正する必要がでてきた。具体的には、キミを王として迎える――そういう可能性がでてきたのだ」

 国王フュンフ2世は、穏やかな笑顔で言った。

 俺は、沈痛な面持ちのまま目まぐるしく計算をした。

 アンジェリーチカはただひとり、ぽっかり口を開けたままでいた。

 なにを今さらそんな当たり前のことを? ――みたいな顔をしていた。


「テンショウ君」

「……はい」

「ははは、その様子なら大丈夫だ。現状の理解がしっかりできている」

「困ります」

「だろうね」

「……わたくしは第1王女さまの婚約者とはいえ、ちっぽけな魔法使い。公子の皆様から身を護るだけの力がございません」

「ははは、その通りだ」

 アダマヒア国王フュンフ2世は、大らかに笑った。

 すっとあごを引き、背筋を伸ばした。

 それからものすごい笑みをして、フュンフ2世はこう言った。



「余は直系の王ではない。王位継承者の夫である。今日は先輩としてアドバイスをしに来た。だから、アンジェ。彼とふたりきりにしてくれないか?」

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