その3
アダマヒアは一夫一婦制だ――と、フランポワンは言った。
俺は、王国の仕掛けた悪趣味な罠に、今さら愕然とした。
動揺を懸命に抑えながら、フランポワンに疑問をぶつけた。
「一夫一婦制って、しかし婚約者はふたり居るじゃないか」
「『婚約』と『結婚』は別なんよ。アダマヒアでは、ひとりとしか『結婚』できンし、それに離婚もできンの。でも、その代わりに『婚約』は何人とでもできるンよ?」
「それで妊娠したらっ」
「妊娠した娘と『結婚』やね。そうなったら、その娘とは離婚もできンし、もちろん、ほかの娘とも結婚できンのよ?」
「じゃあ、ほかの婚約者たちは?」
「『愛人』に、なるンよ。まあ、実際には結婚した娘と同じなンやけれど、教会が認める妻はひとりだけだから」
「教会が認める妻……」
「女の子はそれに憧れるンよねえ」
そう言って、フランポワンは夢見るような顔をした。
アンジェリーチカも、瞳をキラキラと輝かせていた。
「って、でも魔法使いは生殖活動を――って前に」
「うち、魔法使いじゃないやン」
「ああ」
「それに結婚していても、ほかの娘と生殖活動はできるやン」
「そんなっ」
それで好いのかと、思ったけれど。
結婚とか、教会が認める妻というものは、彼女たち王侯貴族の子女にとっては、いわゆる貴族の称号と同じものなのだろう。
彼女たちは、たとえ実体が伴っていなくとも、称号を受けたというそのことのみで喜ぶのに違いない。彼女たち生まれながらの王侯貴族は、きっと、そういう価値観のなかで生きている。
そう思って、アンジェリーチカをチラリと見たら、彼女は眉をキリッと絞った。
そして、まるで小学生に諭すようにゆっくりと言った。
「結婚は、妊娠をしないと認められないわよ」
俺は、フランポワンの言うことが冗談でもなんでもなく、事実であることを知った。
いや。
事実というか、アダマヒアに暮らす人々に深く染みこんでいる宗教観であり、常識であると。
「うち、あの娘より先に妊娠するかもしれンよね」
と、フランポワンはまた言って、イジワルな笑みをした。
俺は、とりあえず深刻な面持ちで頷いた。
アンジェリーチカは、他人事のような笑顔をしていたが、しばらくすると、ああっと大らかな声をあげて、慌てて口をおさえた。
自分が当事者であることを、ようやく理解したのだと思う。――
その夜。
馬車隊は荒野を出てすぐのところでキャンプした。
俺のテントは、フランポワンとアンジェリーチカと一緒だった。
もちろん、あんなことを言われた後だから、彼女たちを抱く気にはなれなかった。
薄明かりのなか。
フランポワンは、布団を被り、スケベな笑みで俺を見ていた。
アンジェリーチカは、結婚のことを意識したのか、頬を染めて俺のことをじっと見ていた。
俺は、ひとり仰向けになって結婚のことを考えていた。
正直に言うと、俺は17歳だからじゃないけど、まだまだ結婚するつもりはなかった。というより結婚に具体的なイメージがもてなかった。
でも、もし結婚をするなら、緒菜穂とが好いなと思った。
で。
そこに【 妊娠 = 結婚 】というアダマヒアの宗教観が立ちはだかったのだけれども。
よくよく考えてみれば、妊娠さえしなければ、たとえ相手が王女だろうと、婚約者を何年続けようと、結婚しなくてすむのである。
否。
妊娠しなかったら婚約を解消できるはずだ。
少なくとも俺のもといた世界のキリスト教――ではそうだった。
この仕組みは、21世紀の北米では試験結婚として利用されていた。
後でアダマヒア教会との違いを調べてみようと思う。
ただ。
まあ。
ゲスな魔法使いである俺としては。
体内を振動させることができる俺としては。
ピンポイントでダメージを与えられる俺としては。
妊娠しなければ結婚しなくともよい――というのは、むしろ良い話である。
簡単に、妊娠の事実を消し去ることができるのだから。
翌日。
俺はフランツとふたりで、装甲幌馬車に乗った。
これは、この日のうちにザヴィレッジに到着し、そのまま船に載るためだ。
到着は門限ちかくになるという。
だから俺は、フランツに背中を押され、ふたりに別れの挨拶をすませた。
ふたりはザヴィレッジでしばらく過ごした後、またデモニオンヒルに帰るようだった。
ザヴィレッジの城門が見えたときには、日が暮れていた。
その城門を見ながら、フランツは穏やかな笑みで言った。
「ザヴィレッジの門は、夜9時に閉まるんだ。だから急いだのだけど、どうやら間に合いそうだね」
「ええ」
「それで申し訳ないのだけど、テンショウ君。僕はこのまま船に載ろうと思う」
「9時までにザヴィレッジを出発するんですね?」
「その通り。せっかくザヴィレッジに来たのに、歓待もなにもしなくて申し訳ないのだが」
「分かってます」
と、俺は心からの笑顔でそう言った。
フランツの気遣いが嬉しかったからだ。
「フランツさん。俺が貴族になったことは、ザヴィレッジには秘密なのでしょう?」
「……ああ」
「それにそもそも俺は穂村から護送されたときに、ザヴィレッジで休憩をとっています。ごくわずかな貴族や従者としか会っていませんが、顔を見知っている人がなかには居るのではありませんか?」
「その通りだよ、テンショウ君」
そう言ってフランツは、申し訳なさそうに眉をゆがめた。
そして言った。
「現在のザヴィレッジは、キミが護送された頃とは違ってね。第2公子のツヴェルフ様が、領主となるために来ているんだ」
「第2公子のツヴェルフ様、アンジェリーチカの義兄ですか」
「ああ、青い帽子がトレードマークだよ。でね、ゆくゆくは我がザヴィレッジ家がツヴェルフ様に統治権を返上し、ザヴィレッジは王家の直轄地……王領地となるのだけれども、まあ、ここら辺の詳しい話は、もし興味があれば後でゆっくりとするよ。とにかく今は、ごたごたしてるんだ」
王族を迎え入れたばかりで、大切なときなのだろう。
「だから、実はフランポワンとキミとのことは、まだ親に言っていない」
「はァ!?」
「ふふっ。実は僕とフランポワンとで勝手に決めた。というより、フランポワンに押しきられた」
「そっ、それは」
俺が言葉を詰まらせると、フランツは笑って頭をかいた。
子供がイタズラを見つかったときのような――そんな笑顔だった。
「まあ、正直に言うと、アンジェリーチカ様の事件以降は異常事態が続いていて、我がザヴィレッジ家はもちろん、王国会議ですら諸々を対処しきれていないんだ」
「そんなふうには思えませんが」
「取り繕っているだけだよ。現に、魔法使いの王侯貴族をどのようにもてなして良いのか――誰も分からない。まだマナーが創られていないんだ。だからね、申し訳ないけれど両親との挨拶はまたにしてくれないか?」
そう言って、フランツは頭を下げた。
俺は慌てて彼を起こした。
すると、フランツは寂しげな微笑を浮かべた。
そしてお酒を取り出して、一緒に飲もうと言った。
俺は彼と一緒に、黄金色をした高級な酒を飲んだ。
しばらくすると馬車はザヴィレッジに入った。
下層貴族たちが出迎えているようだったが、しかし、フランツはかるく挨拶をすませただけで、窓をガッチリと閉めて、そのまま真っ直ぐ船に向かった。
「実はね、父親とあまり上手くいってないんだよ」
フランツはお酒を呑みながら言った。
俺はお酒を呑みながら頷いた。
「頭ではね、分かっているんだ。父親のようなやりかた、泥臭くて不正ギリギリのやりかた、いや、ハッキリと言えば不正行為そのもの――そんな政治をね、領主は領民のしあわせのためにしなければならないのだと。それはね、分かっているんだよ」
「………………」
「でも、僕は。そんなことをしなくても、領民をしあわせにできるんじゃないかって思いたいんだ」
「素晴らしいです」
「父親には、ブン殴られたがね」
そう言って、フランツは大らかに笑った。
俺は苦笑いでお酒を口に含んだ。
「でもね、テンショウ君。僕は父親と上手くいってないけれど。意見は衝突してるけど。思想は相容れないけれど。実は、しばらく口をきいていないのだけども」
「ふふっ」
「でも、僕は父親のことが好きなんだな」
「俺も同じですね」
「男はみんなそうだよな。まあ、尊敬できるようになるのはしばらく先だと思うけれど」
でも、父親ってそんなもんだよな――と、フランツは言った。
俺も彼とまったく同じ気持ちだった。
気持ちを共有できて嬉しかった。
誇らしく思った。
しばらくすると。
俺たちを乗せた装甲幌馬車は、船に搭乗した。
月明かりのもと船は川を下り、アダマヒアを南へと進むのだった。――




