その2
「二人旅なんて認められないわあ」
アンジェリーチカは、眉をキリッと絞ってそう言った。
この言葉に門番は背筋を伸ばした。
騎士たちがゆるやかに俺たちを囲んだ。
俺とフランツは、沈痛な面持ちになりながらも、目まぐるしく計算をした。
このとき。
フランポワンが勢いよく振り向いた。
そしてアンジェリーチカに相対した。
「なっ、あなたやっぱりフランポワンだったのね」
「んふふ。おはよお、お姫チカ」
「おっ、おはよう」
フランポワンはアンジェリーチカに笑顔で詰め寄った。
そして下から胸を押しあてるようにして、顔を近づけた。
アンジェリーチカは、あごを引いて一瞬ひるんだ。
しかし、すぐに挑むように見つめかえした。
そして、キスしてしまうんじゃないかってほどに顔を近づけたまま、アンジェリーチカはこう言った。
「テンショウと、どこに行くのよ」
「どこって、んふふ、婚約旅行かなあ」
「なっ!?」
動揺した拍子に、おそらくくちびるが触れたのだろう。
アンジェリーチカは後ずさり、悔しそうな顔をした。
フランポワンは優越感に満ちた顔で言った。
「お姫チカも一緒に来ない? ちょうどいい機会だから馬車でお話しよう?」
「えっ!?」
この唐突なフランポワンの提案に、アンジェリーチカは言葉を詰まらせた。
救いを求めるような目で俺を見た。
俺は、これは悪くない策だと思った。
フランツを見た。
フランツはコブシをあごに当てて考えていたが、ぱっと顔を上げると、突然大声でアンジェリーチカに言った。
「ザヴィレッジ家は、アンジェリーチカ "第一王女" 様を心から歓迎いたします」
フランツは『第一王女』を強調して、深く頭を下げた。
そして、ひときわ豪華な馬車に向かって手を差しのばした。
フランポワンがアンジェリーチカの手を引いた。
なにがなにやら分からないといった感じのアンジェリーチカを、フランポワンは馬車に連れていった。
フランツはそれを見届けるとさりげなく、しかし、騎士たちに聞こえるように言った。
「命令の優先順位は、たしか王位継承権の順だったかな」
ちなみにアダマヒアの王位継承権は、一番目が第一王女、二番目が第二王女、そして三番目が第一公子、四番目第二公子……といった感じで、アンジェリーチカが筆頭である。
もちろん、魔法使いだと知れわたった今では、アンジェリーチカは王位継承権を失っているだろう。しかし表面上は――特にこのデモニオンヒル内では――アンジェリーチカは未だ筆頭なのである。
それに、そもそもあの偉そうな態度が、彼女に王位継承権があると錯覚させるのだ。……。
俺はこのフランツの心理誘導に失笑した。
そして、懸命に笑いを堪えながらダメ押しをした。
「アンジェリーチカ。騎士たちが戸惑っている。キミの口から、俺たちの旅立ちを宣言してはくれないか」
「えっ?」
「一緒に行こう」
「えっ、それはかまわないけれど」
「彼らは俺たちを見送りたいんだ。キミの言葉を待っているんだよ」
「そっ、そう?」
「ほらっ、第一王女のキミの口から」
そう言って、俺はアンジェリーチカの肩をぽんと叩いた。
するとアンジェリーチカは、ものすごく嬉しそうな顔をして、しかも誇らしげに胸を張って、騎士たちに向かってこう言った。
「これからテンショウとフランポワンと、すこし出かけてくるわあ」
騎士たちは大きく頷いた。
俺たちは慌ててアンジェリーチカを馬車に乗せた。――
城門から出てしばらく経った。
フランツは安堵のため息をついて、それから言った。
「なあ、テンショウ君。フランポワンが見つかったとき、門番が鐘をならそうとしたのに気付いたかい?」
「え? まあ」
「すでに読まれてた。僕たちがフランポワンを連れ出そうとしたことは、読まれていたね」
「前もって指示が出ていましたね」
「ズィーベン様だよ。やっぱり手強いなあ」
そう言ってフランツは大らかに笑った。
そしてアンジェリーチカを真っ正面に見て言った。
「アンジェリーチカ様。もし、あなたがいなかったら、たとえ門を通過できたとしても、ザヴィレッジに到着する前に必ず引き留められていたでしょう。そして最悪の場合、フランポワンは死ぬまで牢に幽閉されたでしょう」
「えっ?」
アンジェリーチカは、きょとんとした顔をした。
俺は、それは言い過ぎだと思ったけれど、イジワルな笑みのまま黙っていた。
フランツは姿勢を正してアンジェリーチカに礼をした。
「このフランツ・フォン・ザヴィレッジ、心から感謝します。そして、アンジェリーチカ様、もしよろしければフランポワンとともに、ザヴィレッジの我が家にお泊まりいただけないでしょうか? 父フランクに会ってやってはもらえないでしょうか?」
「えっ、ええ。それはかまわないけれど」
「んふふ。うちもかまわんよ?」
そう言ってフランポワンが、フランツをじっとりとした目で見た。
はやく出ていけ――見たいな表情だった。
するとフランツは頭をかいて、こう言った。
「じゃあ、僕はそろそろ向こうの馬車に移るけど」
「フランツさん、俺も」
「んふふ、婚約した者がせっかく集まっているんだからお話しよう?」
「そうだね、テンショウ君はここに残るといい」
「そんなっ」
と、思わず情けない声をあげると、フランツが笑った。
そして、ごめんごめんと言いながら、地図を広げた。
「では、馬車を移動する前に、すこし説明をさせて欲しいのだけど」
「えっ、あっ、お願いします」
「現在、僕たちの馬車はデモニオンヒルを出て東に向かっている。そして、おそらくは明日、ザヴィレッジに到着する。そこでフランポワンとアンジェリーチカ様には、降りてもらいます」
「わかったわ。それでテンショウは?」
「テンショウ君を含めた我々南征隊は、ザヴィレッジから船に乗ります」
「船ですか」
「ああ、それで行く。実は大きなヤツを造らせていたんだよ」
そう言って、フランツはイタズラな笑みをした。
御者に指示を出して隊を止めた。
「ではまた」
と言って、フランツはウインクをした。
あっという間に別の馬車に移った。
豪華な馬車のなかには、俺とアンジェリーチカとフランポワンが残された。
フランポワンは、俺とアンジェリーチカを交互に見た。
そしてスケベな笑みをして言った。
「さて。ひとつひとつ、スッキリさせていこか」
俺とアンジェリーチカが頷くと、フランポワンはゆっくり頷いた。
そしてアンジェリーチカに向かって言った。
「うち、お姫チカに殺されそうになったンよ」
「それは、あなただって」
「だからそれは、おあいこにしよう?」
「えっ、ええ。良いわよ」
アンジェリーチカは尊大にかまえて了承した。
フランポワンは微笑んだ。それから、すねて言った。
「お姫チカ、魔法使いだったの黙ってた。うち、ずっと知らなかったンよ」
「それはっ、私だってあのとき初めて知ったのよ」
「ほんまやの?」
そう言ってフランポワンは、アンジェリーチカに抱きついた。
くちびるをねだるように顔を近づけて、マジマジと見た。
アンジェリーチカは挑むような目で、真っ直ぐにフランポワンを見た。
そして頷いた。
「んふふ、信じてあげる。でも、魔法使いだなんてショックやわ」
「わっ、私だってショックよ」
「でも、うちのショックのが大きいンよ?」
「そんなことないわよっ」
「ふうん」
フランポワンがスケベな笑みでアンジェリーチカを見た。
しばらくの後、ふたりは笑いだした。
「んふふ、とりあえず仲直りやね」
「ええ、そうね」
ふたりは抱き合い、友情を確かめあった。
アンジェリーチカのカッコイイ巨乳が、フランポワンのバカみたいに大きな乳に埋もれて小さく見えた。
俺はそれを妙な感心のしかたをしながら、ぼんやり眺めていた。
しばらくすると、ふたりは、いっせいに俺を見た。
そしてフランポワンが言った。
「次は、魔法使いクンの番かなあ?」
「…………」
俺がムスッとしていると、フランポワンが飛びこんできた。
そして思いっきり顔を近づけて言った。
「魔法使いクン」
「はあ」
「旦那クン」
「なんですか」
「んふふ。『旦那クン』のほうが嫌な顔するンね」
「…………」
「じゃあ、これからは旦那クンって呼ぼうかなあ?」
そう言ってフランポワンは、髪を解いた。
ふわっと、いい薫りがした。
「旦那クン、今、ドキッとしたンね」
「…………」
「うちのこと、可愛いと思ったンね?」
「…………」
俺は目を逸らしたまま黙っていた。
するとフランポワンは、俺の頬をさすり、俺を真っ正面から見すえた。
「かあいいねえ」
と言った。ぎゅっと抱きついた。
そしてスケベな笑みでこう言った。
「あの夜のことは忘れてあげる。んふふ、許してあげるわけではなくて、忘れてあげる。もしかしたら、思い出すかもしれンけどお?」
「…………」
「それになあ? 旦那クンは、穂村の出身だから分かってないかもしれンけど。婚約者なんて――って、軽く考えてるかもしれンけどな? アダマヒアは一夫一婦制、ひとりとしか結婚できンし、離婚もできンのよ。そンでな、婚約者が妊娠したら、その娘と結婚って規則なんよ?」
「あ"あ!?」
「うち、あの娘より先に妊娠するかもしれンよね」
そう言って、フランポワンはイジワルな笑みをした。
俺は今さら、王国の仕掛けたこの悪趣味な罠に愕然とするのだった。




