その5
フランツとのお酒が終わったのは、夕暮れ時だった。
薄暗いムードのあるところで飲んでいたから、もうとっくに夜になっているかと思っていたけれど、なんのことはない、夕食前にほんの一時間くらい飲んだだけだった。
俺は、ほろ酔いの気分で、ザヴィレッジ邸の門をくぐった。
心がぽかぽかと高揚しているのは、高級な酒のせいもあるが、フランツの夢に酔ったというのもある。
彼の「一〇〇年後、一〇〇〇年後に尊敬される生きかたをしよう」という言葉が、このとてつもなく壮大な夢が俺を酔っぱらわせたのだ。
こんなことを言う人を、俺は今まで見たことがなかった。
だから初めは、さすがオトナだな――と、感心していたのだけれど、よく考えれば、フランツはまだ二〇代半ばだし、父さんはどんなに酔っても一度もあんな夢を語ったことがなかった。
「大人より、よっぽど大人びてるよなあ……」
お酒の飲みかただって、かっこいい。
夕食前に、パッと飲んで、パパッと酔って語って、パッと終わる。
穂村の冠婚葬祭のような、ぐだぐだダラダラとした飲みかたではない。
「ちょっとカッコイイな」
俺は、なんだか目標となる人を見つけたような気がした。
ひとり微笑みながら、ザヴィレッジ邸から噴水の広場まで歩いた。
日が暮れた中央広場をぼんやり歩く。
噴水をぐるりとまわり、魔法使い居住区のほうにまわる。
そして、斡旋所に抜ける通りに出たところで、ばったりメチャシコにあった。
「あっ、あー! テンショウさんんん!!」
と、メチャシコはオーバーアクションで笑った。
彼女もどこかで飲んできたらしく、バチッとした大きな瞳を、とろんとさせていた。
「最近どうですかあ? 忙しそうですけどお?」
「えっ、まあ。ごめん、ちょっと稼ごうと思ってね、ザヴィレッジ家に入りびたりだったんだよ」
「えへへ。フランポワン様のお気に入りですもんねえ」
「いや、まあ、でも今日はフランツ様と」
「知ってますよお。だって、さっきまでフランポワン様と一緒にいましたもん」
「えっ? じゃあアンジェリーチカのとこに行ったわけじゃあ」
「駄目ですよお、呼び捨てにしてわあ」
そう言ってメチャシコは、ぷっくらとほっぺたをふくらませた。
ごめん――と、言って頭をかくと、メチャシコは満面の笑みをした。
そして言った。
「フランポワン様はアンジェリーチカ様と一緒です。わたしはそこにお呼ばれしていたんです」
「ああ、それで飲んで」
「おふたりは、あまり飲みませんけどね。わたしにワインを飲ませて、それを見て楽しんでるんです」
「はァ」
なんだか嫌な場面を想像してしまった。
「違う違うんですう。おふたりは、遠慮してるわたしをリラックスさせるために、いつも飲ませるんです。それに、わたしだってあんな高級なワインを飲めて嬉しいんです。あんな綺麗な人たちに、挟まれて、しあわせなんですよお」
そう言って、メチャシコは俺の腕にしがみついた。
「ねえねえ、テンショウさんも飲んでるんでしょう? でも、飲み足りないんでしょう?」
「えっ、まあ。なんというか、高級なお酒って、なんか口当たりが良くてさ」
「そうそう。それにお腹もすいちゃいましたし」
メチャシコは俺の顔を下から覗きこみ、うかがうような瞳で見た。
俺は、くすりと笑った。
そして息を合わせて、陽気に言った。
「「居酒屋さんに行こう!」」
大衆酒場でビールを飲んだ。
フランツの酒よりも、エグミがあって飲みごたえがある。
料理も味付けが濃くて、べっとりしてて食べた気になる。
腹にたまる。
それに外は涼しいのに、店のなかは、なんだかムっとしていて蒸し暑い。
変な臭いもする。机や椅子がどういうわけか湿っぽい。
当然、不衛生である。
だけど、そんな店を俺とメチャシコは楽しんだし、それよりもなにより、居心地の好さを感じた。
ザヴィレッジ家の高級で上質なものより、こういった雰囲気に落ち着きを感じてしまうことには、少々複雑な思いがあるのだけれども。……。
「ねえねえ、テンショウさん。最近どうですかあ?」
メチャシコは、上機嫌で隣から俺の顔を覗きこむ。
ビールを片手に、べったりと身を寄せてくる。
それは、せまい店だということもあるが、酔っているせいもあった。
おそらくは、口当たりが良くて爽やかなワインを、まるでジュースでも飲むように飲んできたのだろう。
それが今頃、ボディブロウのように効いてきて、彼女をとろんとろんのグニャグニャにしているのだと思う。
まあ。
高級な酒が今頃になって効いてきたのは、俺もそうなのだけれども。
「ねえねえ、テンショウさん、テンショウさん。フランポワン様とは進展ありましたあ?」
「えっ?」
「嫌ですよお、誤魔化しちゃ。逆・玉の輿ですよお」
「ああ、あれ?」
そう言えばそういうのがあった。
「テンショウさん、わたし知ってるんですからね? この前、お見舞いに行った日、帰ってこなかったでしょう? そのままフランポワン様のところにお泊まりしたでしょう?」
「うん、まあ。泊まったよ」
ベッドに縛りつけられて眠ったよ。
「で、どうです? ヤッたんですか!?」
メチャシコはそう言って、俺の手に指を突っ込んだ。
とろんとした目で、指を出し入れした。
俺が鼻で笑うと、メチャシコは可愛らしく怒った。
そして、お母さんのようなため息をついて、こう言った。
「やっぱりなあ。わたし、そうじゃないかって思ってたんですう。テンショウさんって、女の子に『手を出さない』んじゃなくて、実は、『手が出せない』人じゃないかってえ」
「はあ?」
「テンショウさん、童貞ですよね!?」
そう言って、メチャシコはキリッと笑った。
たぶん、アンジェリーチカのマネなのだと思うけれど、それはさておき、俺はその唐突な断定に言葉を詰まらせた。
面と向かって聞くようなことではないし。
美少女が男に向かって放つ言葉ではない。
「前も言ったと思いますけれどお……。テンショウさんって、奥手な感じというか、童貞くささがにじみ出ているんですう。カッコイイんですけど、女の子を襲わなそうな雰囲気で、なんていうか、好きな人がテンショウさんと一緒にいても安心して見てられるというか」
「そっ、そんなこと」
ないよ――と、言おうとしたら。
「ザヴィレッジ家の方々だって、笑って見てるじゃないですかあ。どうせエッチなことにならない。あいつはフランポワン様を襲えないって、思われてるんですよお」
と、とても核心を突いてて、ぐうの音も出ないことを言われた。
だから俺は。
くちびるをねだるようにして俺を責めるメチャシコの。
くにゃっとひねっている、その、くびれに手をまわした。
そして、ぐいっと抱き寄せて、
「そんなことないよ」
と言った。
酔った勢いというのもあるけれど、前々からメチャシコのことを可愛いと思っていたから、一線を越える好い機会だと思い抱き寄せたのだ。
それに実をいうと。
常日頃からフランポワンに抱きつかれていた俺は、ムラムラとしたものが溜まっていたのだ。この十七歳の溜まりに溜まったエネルギーを、全身全霊を浴びせるようにしてメチャシコにぶつけたいと思ったのだ。
すると。
「もう駄目ですよお」
と言ってメチャシコは、俺の手をぺちんと可愛らしく叩いた。
そして、甘えるように俺の胸に頬寄せてから。
くちびるをねだるように顔を上げ。
とろんとした上目遣いで俺を見つめ。
メチャシコはハッキリと言った。
「わたしの初めては、テンショウさんにはとても払えないほどの金額ですよ」
俺は絶句した。
するとメチャシコは、ちょこんと可愛らしく舌を出した。
そして言った。
「わたし、駄目なんです。わたしって生まれたときから魔法使いなんですけど、それの関係で男の人とズボズボするのは駄目なんです」
「そっ、そうなんだ」
もうちょっと別の言いかたはないのかなと思いつつ、俺は沈痛な面持ちをした。
メチャシコは、くすりと笑った。
「といっても。二歳からここにいますから、よく分からないんですけどね」
「ああ」
「男の人って、テンショウさんくらいしか知らないんですよお」
そう言って、メチャシコは抱きついてきた。
ほっぺたをゴシゴシこすりつけてきた。
そして、唐突に立ち上がって言った。
「もう一軒行きましょう」
その後、俺たちは何軒かハシゴした。
すっかり暗くなって、安っすい酒に悪酔いしたせいか、どこを歩いているのかよく分からない状態だった。
おそらくは街のずっと南のほう、城壁ちかくの屋台のようなところで飲んだのだと思う。
メチャシコは、ぐにゃぐにゃになっていた。
俺も彼女と同じくらいニコニコしていた。
「次は、こっちだあ」
「おっ、おお」
俺とメチャシコは、とても十七歳とは思えぬ酔いかただった。
俺は彼女の指ししめすままに歩いた。
メチャシコは歩かなかった。
抱かれるというより、俺に絡みついて夜の街を移動していた。
その間、メチャシコはずっと、
「ヤれ、ヤッちまうんですよ童貞ぃ」
などと、下品なことを言っていた。
で。
メチャシコの言うままに、知らない裏通りをぐるぐるまわった。
毒々しいネオンのような灯りが渦巻くように流れすぎた。
俺はメチャシコよりも、しっかりしているつもりだったのに、彼女の吐息にむせかえった拍子に、深い酔いに落ちかかっているのを意識した。――
つれこまれた先は、今度は飲み屋でも酒場でもなかった。
いや、はじめから変な家だとは感じていたのである。
街の南東にあるプリンセサ・デモニオの丘。
そこの斜面にあるテントのような粗末なアバラ屋。
のれんのような布のかかった入口。
それを潜った先にあったのは、うすよごれた壁と、畳のようなうっすい敷物だった。
酔った俺の鼻にも、むっとする湿気と異臭がにおってきた。
「暑いぴゅん」
と言って、メチャシコはカーテンのような布を開けた。
ぺたんと座りながら、案内してきたメイドのような子に言った。
「ビールが欲しいぴゅん」
メイドっぽい子は、部屋の隅に並んでいたビールを座卓に置いて訊いた。
「お風呂はどうするでシコ?」
「お風呂ぴゅんか、テンショウぴゅん、入るぴゅんか?」
俺は、いや――と言ってから妙な顔をした。
メチャシコのしゃべりかたが変わっている。
俺は酔った頭で、ここはいったいどういった場所なのだろうと懸命に考えた。
どこかで異様な声がした。
顔をあからめずにはいられない声だった。
そのうち淫らな言葉すらきこえてきた。
「お風呂はあとでいいでぴゅん。まずラブドと、それから緒菜穂を」
と、メチャシコは言った。
メイドが去ると、俺は訊いた。
「ここって、どんな店なの?」
メチャシコはビールを飲みながら言った。
「女の子と遊ぶところぴゅん」
――・――・――・――・――・――・――
■チートな魔法使いである俺の復讐の記録■
特に復讐を心に誓うような出来事はなかった。
……しかし、とんだ悪所に入ってしまった。どうにも嫌な予感がするのである。
■まだ仕返しをしていない屈辱的な出来事■
城塞都市からの使者・アンジェリーチカ第一王女に、まるで汚物でも見るような目で見られた。
屈辱的な姿勢で、後ろから指をつっこまれた。




