王である理由
「傷は痛むか?」
「そりゃ……な」
内蔵までは届いてはいないものの、なかなか深く切られている。熱を帯び、血が止まる気配もない。
「それじゃあ応急処置をしようか」
「さっきも言ったが、俺の神能でどうするんだ?」
俺がそう言い終えると、レイヴェナは空中から降り、俺の正面へと歩み寄ってくる。
そして、俺の傷を見ながら言葉を続ける。
「君はこういった切り傷を塞ぐために何をする?」
「そりゃ……布なんかを巻いて血が出るのを抑える」
「そうだ」
短く頷き、レイヴェナは言葉を続ける。
「そうだ。人は何らかの手段を用いて流血を抑えようとする。
ならば君はどうだ?君には創る力がある」
俺は今まで自分のこの力を攻撃、時には防御で使ってきた。
だが、それを全く別の回復というベクトルで使わなければならない。その発想そのものが、俺にはなかった。
それがどれだけ難しいかは言うまでもない。
「君の光を君自身に使うんだ」
そう言って、レイヴェナはさらに一歩近づき、俺の額に手のひらを当てた
ひんやりとした手のひらを額に押し付けながらレイヴェナは口を開く。
「――目を瞑れ。余計なことは考えるな」
囁くような声でそういうレイヴェナに俺は黙って、目を瞑る。
囁くような声に従い、俺は黙って目を閉じる。
「今から君には、光を糸として創ってもらう」
「……糸?」
「細く、細く。切れれば意味がないし、太すぎれば傷を塞げない」
その声は淡々としているものの、確かな重圧を帯びていた。
「その糸で、傷口を縫え。無理に治そうとするな。
繋ぐだけだ。」
何も存在しない暗闇の中で、俺は意識を研ぎ澄ます。
いつものように、光を溢れさせるのではない。
押さえ、絞り、形を保っていく。
すると――意識の奥でかすかな光が一本、揺らめいた。
攻撃力も、防御力も持たない、脆く儚い光。
だがそれは、確かに――糸だった。
「あぁ……見える」
震える集中の中で、俺はその一本の光を操り、ゆっくりと傷口へと近づけていく。
俺の力は、初めて壊すためではなく、繋ぎ留めるために使われようとしていた。
糸が傷を跨ぎ、ひとつ、またひとつと結ばれていく。
光が、命を繋ぎ留めていく感覚。
――そして。
次の瞬間、強烈な鉄の匂いが鼻を刺した。
俺はゆっくりと目を開く――
――崩れた城壁。
――氷に覆われた戦場。
――血に染まった俺自身の身体。
俺は、静かに戦場に立っていた。
視線を落とす必要はない。触れて確かめる必要もない。
「はぁ……これでまだ動けるぞ、クラリス!」
確かに傷は繋がっている……俺の力によって。
傷は、もう開かない。
無理をすれば致命傷になるだろうが、これで十分だ。
胸の奥で、何かが静かに定まる。
焦りはない。恐怖もない。あるのは、確信だけだ。
俺はゆっくりと息を整え、剣を握り直す。
――全ての過去が今の俺をここに立たせているのだ。
傷を塞いだ俺を見て、驚くこともなくクラリスは俯いたままゆっくりと口を開いた。
「貴様は見たのだろう……ナディル地区を」
声量を抑えているがその言葉は何よりも深く響いていた。
「……あぁ」
ナディル地区。俺が作戦を立てるまで身を隠していた自由主義が生み出した最下層地域。
法も、救いも届かない場所。
俺の返事を聞き、クラリスは小さく息を吐いた。
「ならば、理解できるはずだ」
彼女は顔を上げない。
まるで、俺ではなく過去に向かって語りかけるように。
「同じ国に生まれ、同じ言葉を話し、同じ税を課されながら……あそこにいる者たちは、人として数えられていない」
氷の剣の先が、地面をかすかに削る。
「誰も声を上げない。上げても、届かない。
だから……あの場所は、いつまでも凍ったまま|なのだ」
俯いたままの視線が、わずかに揺れる。
「完全なる自由を与えたことで一部の者が豊かで、一部の者が飢えるという現状を生み出した。
それを仕方ないと切り捨てる仕組みそのものが……私は、許せなかった」
氷が軋む音が、足元で鳴る。
「自由を掲げながら、その影で他人の自由を奪っている。それが貴様には許せるのか……ッ!」
話しているうちに耐えることができなくなってしまったのか、クラリスは一瞬だけ声を荒らげた。
「……許せない。許していいはずがない。国王として……いや、人として」
俺は、その問いに迷わず答えた。
同じ人に生まれながら、生まれた場所が違うだけで、守られる命と、切り捨てられる命が分けられる。
そんな理屈が、通っていいはずがない。
「俺は王だ。だが、それ以前に……同じ人間だ」
ナディル地区で見た光景が、脳裏をよぎる。
飢えた子供。声を上げることすら諦めた大人。
誰一人として、国を憎む力さえ残っていなかった。
だからこそ、目を背けない。
俺は、真っ直ぐにクラリスを見る。
「均されていない現実を壊すために、別の誰かを切り捨てる。そのやり方を、絶対に俺は選ばない」
それは綺麗事かもしれない。
遠回りで、傍から見れば愚かな選択かもしれない。
それでも。
「全員を救えないとしても、救おうとし続ける。
それが、俺が王である理由だ」
剣を握る手に、力がこもる。
それを聞いたクラリスは少しの沈黙の後、口を開いた。
「もし、全く違う出会いをしていたなら、テンセイ……君に私は惚れていたかもしれない。だが――今は今だ」
クラリスが顔を上げた瞬間、纏うオーラが一変する。
それは氷河のように冷淡で氷柱のように鋭い視線。
「貴様の王である理由は、私の王になる理由なのだよ。
だから負けられない。負けることは許されない。私の負けは人々の死なのだ」
その目にはただ、揺るぎない覚悟だけが宿っていた。
クラリスの魂のこもった言葉に俺は何も返せなかった。
他人の譲れないものを否定することは出来ないからだ。
「……だから」
クラリスはそう言って、一歩、また一歩とこちらに歩みを進める。
「私は、私のやり方でこの国を救う」
氷を踏みしめる音が、規則正しく響く。
歩幅は、次第に短く。そして、速く。
「もう……止まれないんだ」
その言葉は、俺に向けられたものではなかった。
まるで、過去の自分に言い聞かせるように。
その瞬間、クラリスの目元から氷の結晶のように淡く輝く雫が零れ落ちたように見えた。
レイナ……貴女の思いは必ず私が――




