自由で、平等な世界
「私の覚悟は貴様ごときに止められるほど軽々しくない」
クラリスが静かに剣を構え直す。
クラリスの周囲に、冷気が渦巻き始める。
空気が凍りつき、地面に霜が降りていく。
クラリスの持つ氷の刃は、月明かりを受けて青白く輝いていた。
だが、その刃を見ても恐怖はわかなかった。
「そうか。だが、俺の覚悟もクラリス程度には負けない」
その言葉と同時に、意識を深く、またさらに深く沈める。
雑音が消え、意識が細く研ぎ澄まされていく。
体の芯が灼けるような熱を帯び、力が溢れ出そうになる。
「あぁ……クラリス、いくぞ……」
その瞬間――俺の足元から神々しい光が放たれる。
その光は凍りついた地面を塗り替えるように俺を中心に加速的に広がっていく。
「その技は……!」
クラリスの視線が、わずかに揺れた。
光はクラリスの足元の氷すら飲み込み、戦場を輝かせる。
これはクラリスが見せた、一瞬で地面を凍らせた技。
それを俺の創光でアレンジしたもの。
「パクらせてもらったぜ……」
「……だからなんだ。あの技は、スピードを極限まで引き上げるための補助に過ぎない。貴様が使おうが――」
言い切る前に、俺はニヤリと口角を上げた。
そして、剣を低く構える。
「そんなことは知ってる。……来ないのか?」
「……その根性は評価してやろう」
クラリスが一歩前に踏み出す。
――この瞬間を待っていた。
刹那、地面の光がクラリスの進む向きと逆方向に水のように流れる。
「何が――!?」
クラリスの表情が変わる。
足元から摩擦が消失し、体が僅かに後ろへ滑る。
「次にお前が感じるのは――眩しい光だけだ」
俺は地面を蹴った。
光は俺の進む方向へと流れ、摩擦をゼロにする。
いや――むしろ加速させる。
世界が歪む。
空気が裂ける音すら、置き去りにする。
クラリスの瞳が見開かれる――が、もう遅い。
――創世断光!!
氷も、冷気も、覚悟さえも断ち割る、ただ一度きりの一撃。
剣を振った感触すら、後から追いついてくる。
光の軌跡だけが、クラリスの胴を左肩から右腰にかけて斜めに迸った。
「……ぁ」
クラリスの口から、かすかな息が漏れる。
氷の剣が手から零れ落ち、地面に突き刺さる。
裂かれた傷から遅れて血が吹き上がった。
切られたという事実が、今になって現実に追いついたようだ。
そして――クラリスの体が、ゆっくりと後ろに傾き始めた。
「レ……イナ……ごめんね……」
その呟きは、誰に届くこともなく、眩い光に溶けた。
ドサッ、という鈍い音とともに、クラリスは地面へ仰向けに倒れ込んだ。
同時に、俺も限界を迎える。
膝から力が抜け、そのまま後ろへ倒れた。
そして、地面を飲み込んでいた光が輝く粒子になって宙を舞う。
「はぁ……はぁ……あぁ……」
呼吸をするだけで、肺が焼けるように痛む。
無理やり縫い止めた傷など、最初から誤魔化しにすぎなかった。
俺の身体は、とうに壊れていたのだ。
視界が滲む中、かろうじて聞こえたのは今にも消えてしまいそうな声。
「……私は……負けたのか」
震えたその声には、怒りも憎しみもなかった。
ただ、すべてを失った者の、底の抜けた絶望だけがあった。
「――テンセイ様ぁぁ!!」
こっちにマイヤちゃんが走ってくる。
そして俺の傍にしゃがみこみ、懐から慌てた手つきで応急処置用の道具を出す。
「今、手当てする!」
「――……いや。しなくていい」
「……え?えぇ!?」
信じられない、という顔。
荒い息の合間に俺は言葉を絞り出す。
「俺じゃない……クラリスを……頼む」
「貴様ッ!何を言って――」
「――クラリスが正しかった……」
クラリスの方へ視線を向ける。
動かないその姿を、ただ見つめながら。
俺は胸の内を零すように言葉を紡ぐ。
「……クラリスの王としての信念は、間違ってなかった」
自由を掲げながら、誰かの自由を踏みにじる世界。
平等を謳いながら、最初から選択肢すら与えられない人間がいる国。
「この国は……自由主義の名の下で、ずっと不平等を見ないふりしてきたんだ」
息を吐くたび、胸が焼けるような痛みを発生させる。
「それを変えようとした。歪んでたかもしれない。血も流れた。
でも……目を逸らさなかったのは、クラリスだけだった」
「お前の王としての覚悟は、本物だ。
この国を変えようとした理由も、俺は否定しない」
その言葉に、クラリスの呼吸がわずかに乱れた。
氷のように張りつめていた表情に、ほんの一瞬だけ綻びがでる。
――肯定されるはずのなかった想い。
――理解されるはずのなかった怒り。
それらを真正面から受け止められたことに、クラリス自身が戸惑っているようだった。
ずっと胸の奥に押し込めてきた孤独が、初めて誰かに見られた気がしたのだろう。
だからこそ――次に来る言葉が、何よりも残酷だと否が応でも分かってしまう。
「――だがな、クラリス。
やり方は、間違ってた」
言葉を選ばず、真っ直ぐに突き刺す。
「奪われた者の痛みを知ってるお前が、同じやり方で誰かを踏みにじったら……それは、奪う側に堕ちるってことだ」
息を吸い、最後に告げる。
「平等は、壊せば生まれるものじゃない。自由は、奪い返せば守れるものでもない。
……それじゃあ、お前が壊したかった今と同じだ」
その言葉は……剣よりも深く私の胸を抉った。
反論しようとしても言葉が見つからない。
否定できないからだ。
私自身が、誰よりもその真理を理解しているから。
守るために剣を振るったはずだった。
救うために血を流したはずだった。
それでも――気づけば、憎んだ奪う側と同じ場所に立っていた。
凍りついた視界の奥で、レイナの笑顔が、何も言わずに揺れている。
「お前の理想は正しい。
だが――その理想を汚したのは、クラリス……お前自身だ」
あぁ……。
喉の奥から、掠れた息だけが漏れた。
「……汚した、か」
頭の中に浮かぶのは、王でも、貴族でも、敵でもない。
夕焼けの丘で、無邪気に笑っていた妹の顔。
――自由で、平等な世界。
あの時、レイナの願いを聞いた自分はこんな未来を想像していただろうか。
血の上に立つ世界を。
誰かの命を踏み台にしなければ、辿り着けない理想を。
私は……壊したかっただけだ
現状を。偽りの自由を。
自由を掲げながら、平等を踏みにじるこの国そのものを。
だが――壊すために同じことをしていた。
自由を奪われた者の怒りを、自由を奪う側の論理で振りかざしていた。
気づいていたんだ。ずっと、どこかで分かっていたんだ。
それでも止まれなかったのは、自分が正しいと信じ続けなければ、レイナの死に意味を与えられなかったからだ。
――……私は何をしていたんだろう。
そんな言葉が頭を過ぎった瞬間――この男の声が、静かに私の胸に届いた。
「でもな、クラリス。
お前の覚悟……そして思いは、少なくとも――俺には確かに届いたぞ」
責めるでもなく、諭すでもない。
ただ、受け止めるような優しい声だった。
レイナの死は無駄じゃなかった……。
私の思いは無駄じゃなかった……。
私は腕でそっと目元を覆う。
そして、掠れる声で言葉を紡いだ。
「――優しいな……」
こうして、剣も言葉も尽き果てた果てに――俺たちの大激闘は、ひとつの終わりを迎えた。
◆◇◆◇
数日後。
「久しぶり……という程でもないかな」
「フレンさん……」
友引領――魔都にそびえ立つ魔王城。
重厚な雰囲気を放つ玉座の間で、二人の魔王が静かに向かい合っていた。
一方は穏やかな笑みを浮かべる友引の魔王、フレンさん。
もう一方は、赤口の魔王であるカイトだ。
「リューゲ王国での一件。テンセイ君は大変だったみたいだね」
世間話のような口調。
「はい。一応、今回の騒動の首謀者とされていた三翼傑の一人、クラリス・シュトルツ・ヴァンホルトは秘密裏に処刑されたそうです」
カイトは淡々と報告していく。
「三翼傑、カイ・フェアラートは一翼の聖へとそのまま昇格。
そして――三翼傑、ザルヴァン・フラディウスは行方不明。大量の血痕だけ残っていたそうです」
報告が終わると、室内に短い沈黙が落ちた。
フレンさんは顎に手をつけながら、口を開く。
「行方不明……か。まぁいいだろう」
その口元に、わずかな笑みが浮かぶ。
それまでの緩やかな空気が、微かに張り詰めた。
フレンさんの視線が、真っ直ぐにこちらを射抜く。
フレンさんは、穏やかな表情をそのままに、口を開いた。
「では、本題だが……君も既に感じているみたいだね」
「……はい」
フレンさんは、ほんの一瞬だけ目を伏せ、そして静かに告げた。
「――新たな魔王が誕生した」
自由と平等編、これにて終了です。
正直に言うと、想定していた長さの倍以上になってしまいました……。
それでも最後まで読んでくださった皆さま、本当にありがとうございます。




