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氷の女王

今回のエピソードは胸糞注意です。


 ()は、リューゲ王国の外れにある小さな農村で生まれ育った。

 王都からは遠く、地図の端にようやく名が記される程度の場所だ。

 村の中心には、()()()()()()()()と呼ばれる一本の巨木がそびえ立っている。

 かつて勇者が激闘の末、神を封印した――そんな伝承が残る、少しだけ有名な木だ。

 物珍しさに惹かれて、たまに旅人や観光客が訪れることもあった。

 だが、私にとってそれは名所でも伝説でもない。

 そこが、私の日常なのだから。

 この地域は差別や格差はなく、村民みんなで協力し合う。

 本当に平和だった。なんの疑う余地もない。

 私の家には、母と妹のレイナがいた。

 母はよく働く人で、畑仕事も家事も一切手を抜かなかった。

 その背中が本当に大好きだった。

 父もいた。

 だが、王都へ出稼ぎに行くと言って家を出て以来、帰ってくることはなかった。

 今どこで、どうしているのかも分からない。

 それでも――優しい父だったことだけは、はっきりと覚えている。

 だから時折、ふとした瞬間に思うのだ。

 いつか、また会えたらいいな、と。

 そして、妹のレイナは私より五つ年下でよく笑い、よく泣き、そして誰よりも優しい子だった。

 時折、私はレイナと共に夢を語り合う。

 それは王都で国王を守護し、国の秩序を守る最強の三人……三翼傑になる夢。

 そんな無謀で子供じみた夢をレイナと語る時間が、私は本当に大好きだった。


「ねえ、お姉ちゃん」


 ある日の夕暮れ、畑仕事を終えた私たちは丘の上で腰を下ろしていた。

 夕日が地平線に沈みかけ、空が深い青が混じる橙色に染まっている。


「どうしたの……?」

「私ね……」


 レイナは少しだけ言葉を選ぶように間を置き、それから真っ直ぐに私を見つめた。


「お姉ちゃんが三翼傑になったら、この世界のみんなを、自由で、平等にしてほしいの」


 その声は幼く、けれど驚くほど真剣だった。

 まだ小さなその瞳には、濁りのない希望の光が宿っている。


「自由で……平等?」

「うん。この村みたいにさ。みんなが笑ってて、誰も苦しまない世界」


 そう言って、レイナは私の手を握った。

 夜風は冷たく、指先がかじかむほどだったのに――その手だけは、不思議と温かかった。

 氷を溶かすような、優しい温もり。

 この感触を、私は一生忘れないだろうと思った。


「あぁ、約束する。私が三翼傑になったら、必ずみんなが笑顔で暮らせる世界にする」

「本当!?」

「本当よ」


 レイナは嬉しそうに笑みを浮かべた。

 その少しの笑顔が、私の全てだった。



◆◇◆◇



 それから数ヶ月後、村の中心部にある掲示板にとある張り紙が張り出されていた。


「お姉ちゃん、これ見て!」


 レイナが興奮した声で叫ぶ。

 視線を向けた先にあったのは、王都の紋章が刻まれた公的な告知。


――王都兵士、募集。


 その文字を見た瞬間、胸の奥が熱くなった。


「やっと……やっときた……」


 王都の兵士になれば、三翼傑への道が開ける。

 夢の中で何度も思い描いた未来が、ようやく現実として手の届く場所に現れたのだ。


「私……応募する」


 その言葉は意図せずとも自然と零れていた。


「うん!頑張って、お姉ちゃん!」


 レイナは、自分のことのように嬉しそうに笑った。

 その笑顔が、私の背中を押してくれる。


――そんなレイナとの日々が何より幸せだった。


 待ちに待った応募の日。

 村の外れまで、母とレイナが見送りに来てくれた。


「クラリス……体だけは、無理をしないでね」


 母はそう言いながら、私の手を両手で包み込む。

 温かい手だった。


「大丈夫だよ、母さん」


 私ははっきりと頷く。


「必ず、この村に誇れる人間になって帰ってくる」


 母は小さく笑い、涙をこらえるように頷いた。

 それから、私はレイナの前に屈む。


「レイナ、これ」


 私は懐から小さなペンダントを取り出した。

 銀色の鎖に、小さな緑の宝石がはめられている。


「これはお揃いのペンダント。私も同じものを持っていくわ」

「お姉ちゃん……」


 レイナは目を輝かせ、嬉しそうにペンダントを受け取り、首にかけた。


「これがあれば、いつでも一緒だね」

「必ず帰ってくる。そして、約束を果たす」

「うん!待ってるね!」


 レイナはぴょんぴょんと跳ねながら、満面の笑みで手を振った。

 母もまた、静かに、目元を抑えながら私を見送ってくれる。

 その光景を胸に刻み込み、私は振り返らずに歩き出した。


 未来は、眩しいほどに輝いていると――



◆◇◆◇



 王都での訓練は、想像していた以上に過酷だった。

 剣を握る指は裂け、魔力制御の失敗で意識を失うことも一度や二度ではない。

 それでも、私は立ち止まらなかった。

 レイナとの約束が、いつも胸にあったからだ。

 自由で、平等な世界。

 あの村のように、誰もが笑って生きられる国。

 その未来を掴むためなら、どれほどの苦しみでも耐えられた。

 剣術では誰よりも早く型を会得し、魔法では精度と威力の両立を評価され、戦術では教官すら舌を巻く判断力を示した。

 努力は、確かに結果として返ってきた。

 常に首席。常に最前列。

 誰もが私の名を呼び、次代を担う存在として期待を寄せた。

 そして――ついにその日が訪れる。

 玉座が鎮座する格式高い間。

 居並ぶ貴族と高官たちの視線が、一斉に私へと集まる。


「クラリス・シュトルツ・ヴァンホルト。お前を一翼の聖に任命する」


 剣術、魔法、戦術――全てにおいて首席を取り続けた。

 そして、ついに私は三翼傑の一人、()()()()に任命された。

 王の言葉が、玉座の間に響く。

 私は膝をつき、頭を垂れた。


「光栄に存じます、国王様……」


 心は希望に満ち溢れていた。

 これでいい。これで、ようやく届いた。

 レイナとの約束に。自由で平等な世界への、確かな第一歩に。

 自由で平等な世界を――



◆◇◆◇



 一翼の聖として王の側近に就いてから、私は王城の奥深くへ立ち入る機会が増えた。

 そこで耳にするのは、表に出ることのない報告や命令。

 国を守るため――そう信じて疑わなかった言葉の裏側に、次第に黒い影が差し込み始めていた。

 そんなある日のことだ。


「……聞きましたか。クラリス殿」

「何の話だ」


 廊下で顔を合わせた兵士が、声を潜めてそう切り出した。


「リューゲ王国の端にある村が……王国軍により制圧されたそうです」

「……なんという村だ?」

「名前までは……ただ、あのオプファーの大木がある村らしいですよ。ご存知ですか?」


 一瞬、言葉の意味が理解できなかった。


「反抗の兆しがあったとかで……住民は一時拘束。村は王国の管理下に置かれたと」


 オプファーの大木……それは、私が生まれ育った村にあるものだ。

 母と、レイナと、穏やかな日々を過ごした場所。


「……それは、誰の命令だ」

「さぁ……上から、としか」


 兵士はそれ以上何も語らず、足早に去っていった。

 胸の奥が、なんとも言えない嫌な音を立てる。

 反抗?あの村が?誰もが助け合い、争いを嫌ったあの場所が?

 事実かどうか、確かめなければならなかった。

 確かめられるのは――一人しかいない。

 私は、その足で王の私室へと向かった。


――これが全ての始まりだとも知らずに。


 夜も更け、城は静まり返っている。

 王の私室の前に立った、その時だった。


「……やめて……やめて……」


 か細い声が部屋から漏れてくる。

 まさにそれは――子供の声。

 私は無意識のうちに息を殺し、扉に手をかける。

 わずかに開いた隙間から、私は――見てしまった。

 そこでは王が、幼い少女を押さえつけていた。

 少女は泣き叫び、抵抗していたが、王は構わず欲望のままに彼女を蹂躙していた。


「ぁ……あ……」


 信じ難い光景に私の喉から、声にならない声が漏れる。

 これが……王?

 これが、私が守るべき存在?

 全身が震え、吐き気が込み上げる。

 私は咄嗟に扉を閉じ、その場から離れた。


――数時間後。


 王の私室から、一つの布に包まれた小さな影が運び出された。

 私は物陰から、その様子を見ていた。

 足は勝手に動き、兵士たちの後を追う。

 兵士たちは王城の地下深く、誰も立ち入らない場所へと向かった。

 誰も立ち入らない、闇の奥。

そこには厳重に封鎖された鉄の扉があり、兵士はそれを開けていく。

 そして、その扉が開かれた瞬間に感じた腐敗臭で私は理解した。


――墓場だった。


 山のように積み上げられた、子供たちの遺体。

 どれも幼く、小さく、無残に壊されている。


「これは……」


 胃がひっくり返ったような吐き気が込み上げる。

 全員、幼い子供たち。全員、王の玩具にされた子供たち。

 用を済ました兵士たちが出ていったのを確認し、私は震える足で、その墓場に近づいた。

 そして――見てしまった。

 山の中腹に、小さな手が見えた。

 その手は、キラキラと緑に輝く何かを強く握りしめている。


「あぁ……あぁ……嘘……嘘……」


 私は這うようにその場所へ近づき、その手を開く。


――ペンダント。


 銀色の鎖に、緑の宝石。

 私が、レイナに渡したもの。


「レイナ……なの?」


 声が震える。

 恐る恐る、その顔を見た。


――変わり果てた姿。

――傷だらけの体。

――涙の跡が残る、幼い顔。


「あ……あぁ……」


 世界が、崩れ落ちた。

 全てが、音を立てて壊れていく。

 希望も、夢も、約束も――全てが嘘だった。


「自由で……平等な……世界……」


 レイナの言葉が、脳裏に蘇る。


――できなかった。

――守れなかった。

――私は、何のために三翼傑になったんだ。


「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ……!!」


 私の叫び声が、地下室に響き渡る。

 私はもう泣いているのか、叫んでいるのかすら分からなかった。


 完全に壊れた私の心はレイナのようにもう、二度と元には戻らない。

 そう理解した瞬間、私の中で何かがプツンと切れる音がした。



◆◇◆◇



 次の夜、私は王の寝室に忍び込んだ。

 王は憎たらしい顔を晒し、安らかな寝息を立てている。

 三翼傑である私を、疑う理由などない。


「……さようなら」


 私は氷の剣を創り出し、感情に身を任せ、王を斜めに切り裂いた。

 王は一瞬だけ目を開けたが、すぐに息絶えた。

 あまりにも、あっけない最期。

 こんな男が、私の全てを奪ったのか。


「これで、終わりだと思うな……」


 私は氷のように冷たくそして、静かに呟く。

 王だけではない。

 この腐った王国を支える貴族たち。

 奴らも、同罪だ。


 ――殺す。――一匹たりとも逃がすことなく。


 氷の刃で、静かに、確実に。

 三翼傑である私を、疑う者などいない。

 そして――王を氷漬けにした後。

 私は王座に座り、冷酷に微笑んだ。


「レイナ……私は、約束を果たす」


 自由で平等な世界。それを実現するために。

 この腐った王国を全て破壊し、創り直す。

 それが、私の新たな夢。


――いや、もうこれは()()()ではない。


 これは、()()()()()だ。

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