月明かりの下の罠
クラリスの言葉を合図に、会合が始まった。
最初は両国の交易についての話題だった。
クラリスは流暢な口調で、自国の特産品や交易路の整備状況について説明する。
俺は真剣に耳を傾け、時折質問を挟みながら話を進めていく。
マイヤちゃんは足をぶらぶらさせながらも、一応聞いているようだ。
話が進むにつれて、堅苦しかった空気も少しずつほぐれていく。
クラリスの表情にも余裕が生まれ、時折微笑みさえ浮かべるようになった。
政治的な話題が一段落すると、話は自然と日常的な話題へと移っていった。
「そういえば、エリュシオンでは今、どのような料理が流行っているのですか?」
「そうだな……あ!最近はカリステア王国から頂いたプリンという卵を使った食べ物が、働いているメイド内で流行っていると聞いたな!」
マイヤちゃんも料理の話になると目を輝かせて話に加わる。クラリスも興味深そうに耳を傾け、自国の宮廷料理について語り始めた。
窓から差し込む光が徐々に赤みを帯びてくる。気づけば、随分と時間が経っていた。
◆◇◆◇
「そろそろお時間ですね。親睦を深めることが出来て何よりです」
クラリスが優雅に微笑みながら言った。
会合は終始順調に進んでいき、とうとう終わりを迎えた。
話した内容といえば国同士の今後についてと、他愛もない日常的な会話ぐらいだ。
政治の話だけでなく、文化や風習、時には笑い話なども交えながら、予想以上に和やかな雰囲気で進行した。
まぁ、結果として楽しく語り合うことが出来たし良いとするか。
「それでは、部屋を出るとしましょう」
そう言ってクラリスは腰を上げ、そそくさと部屋の扉に近づき、開ける。
「それでは、この城をご案内致します。せっかくお越しいただいたのですから、我が国の城の美しさもご覧いただきたいと思いまして」
クラリスの提案に、俺は少し驚いた。会合が終われば、そのまま帰路につくものだと思っていたからだ。
「ぜひお願いします!」
俺とマイヤちゃんはよっこらせと立ち上がり、カーテンの向こうにいる王様に一礼してから部屋を出る。
そして俺たちはクラリスの影を追うように後ろを歩いていく。
城の廊下は大理石で造られており、壁には歴代の王様の肖像画が飾られている。
クラリスは一つ一つの絵画について丁寧に説明しながら、案内を続けていた。
「こちらは三代前の国王陛下です。この方の治世で、我が国は大きく発展しました」
「変な髭!!」
「ちょっ! ダメだってマイヤちゃん!」
「確かに、少し独特な髭ですね」
クラリスはしゃがみ込み、穏やかな笑みを浮かべてマイヤちゃんにそう言った。
その柔らかな所作に、俺は思わず感心する。……俺とは違って、本当に人の扱いが上手い。
そうして歩を進めていくうちに、ふと目に留まるものがあった。
城の中央、円形の建物の中に――巨大な女性の銅像が鎮座していたのだ。
「あのでかい象は一体?」
「あれはこの世界を創ったとされる六人の神のひとり、女神ルナを象ったものです」
「六人の神、ねぇ……」
またひとつ、知らない単語が出てきた。
宗教的なものだろうか……この国にはまだ、俺の知らない世界の仕組みがたくさんあるらしい。
そんなことを考えているうちに、案内は城の庭園、図書室、そして謁見の間へと続いた。
どの場所も荘厳で美しく、この国の歴史と威厳を静かに語っている。
気づけば、窓の外はすっかり夕暮れ色に染まっていた。
「本当に良かったのか?夕食を頂いても……」
俺は少し遠慮がちに尋ねた。実は案内の途中で、クラリスから夕食を共にしないかと誘われたのだ。
「もちろんです。最大限のおもてなしをするのも私たちの役目なので」
クラリスは柔らかく微笑んで答えた。
「それに、せっかく良い雰囲気で会合を終えることが出来たのです。このまま食事を共にすれば、より深い絆が築けるというもの。どうか、遠慮なさらず」
その言葉に、俺とマイヤちゃんは顔を見合わせて頷いた。
「では、お言葉に甘えさせて頂こうかな!」
こうして俺たちは、クラリスに導かれるまま、城の食堂へと向かっていった。
窓から差し込む夕焼けの赤に城全体が幻想的な雰囲気に包まれていく。
思いがけず長居することになったが、これも外交の一環だ。
そう自分に言い聞かせながら、俺は夕食への期待を胸に、俺たちはクラリスの後ろを歩き続けた。
「こちらです」
案内されたのは、重厚な装飾が施された大扉の前だった。
その前には、特徴的な気配を放つ男、カイが立っていた。
クラリスが一歩前に出て、声をかける。
「こんなところで何をしているのです?」
「クラリスですか。何を、とは……言われた通り警備をしているだけですよ」
カイは穏やかに笑みを浮かべたが、その笑顔の奥には何かが潜んでいるように見えた。
「……そう。引き続き頼みます」
クラリスはわずかに警戒の色を見せつつも、静かに頷いた。
カイは足音ひとつ立てず、暗がりの奥へと姿を消していく。
「お待たせしました。では、参りましょう」
クラリスが扉を押し開けると、温かな光と香ばしい匂いが広がった。
◆◇◆◇
夕食は豪華絢爛なものだった。
大広間のテーブルには、色とりどりの料理が所狭しと並べられている。
どれも宮廷料理人の技が光る逸品ばかりだ。
マイヤは目を輝かせ、次々と料理に手を伸ばし、平らげていく。
その勢いに思わず苦笑しながら、俺は小声でたしなめた。
「……少しはしたないぞ」
「だって、美味しんだもん!」
「だけどな……」
クラリスは優雅に微笑みながら、ワイングラスを傾ける。
「いいんですよ。むしろ光栄です。食卓を心から楽しんでいただけるのは、もてなしの冥利に尽きますから」
その一言に、場の空気が一層柔らかくなる。
そんな調子で食事は和やかな雰囲気の中で進んでいった。料理の味について語り合い、それぞれの国の食文化について話が弾む。
マイヤちゃんも美味しそうに料理を頬張りながら、時折感想を口にする。
デザートのフルーツタルトを食べ終える頃には、すっかり満腹になっていた。
「本当に美味しかったな……。こんなに素晴らしいおもてなしをしてもらえるなんて思っていなかったよ」
俺はパンパンに満たされた胃をさすりながら、素直に礼を述べる。
「いえいえ、こちらこそ。今日は本当に有意義な時間でした」
クラリスは満足げに微笑んだ。
◆◇◆◇
城を出て、送迎用の馬車に乗り込む。
この馬車もリューゲ王国側で手配してもらったものだ。
最初から最後まで至れり尽くせりで本当に頭が上がらない。
「それでは、お気をつけて」
クラリスが手を振って見送ってくれる。俺たちも窓から手を振り返し、馬車はゆっくりと動き出した。
城門を抜け、街道に出る。月明かりが道を照らし、馬車は規則正しいリズムで揺れている。
「たくさんお話して、疲れた……」
マイヤちゃんがあくびをしながら言った。
「ああ、でも実りある一日だったな」
俺も同意して答える。緊張の連続だった一日を振り返りながら、ふと妙な眠気を感じた。
「う〜ん。眠……い……」
マイヤちゃんの声が途切れる。
見ると、目を擦りながら、必死に眠気と戦っているようだ。
その時だった。
俺も同じように、強烈な眠気が襲ってくるのを感じていた。
まるで体中から力が抜けていくような、抗いがたい眠気だ。
俺とマイヤちゃんの瞼がゆっくりと下がっていく。
「ああ……なんだ、この眠気は……」
俺は意識を保とうと頭を振るが、眠気はどんどん強くなっていく。視界がぼやけ、体が重い。
まるで深い水の底に沈んでいくような感覚だ。
おかしい……確かに疲れてはいたが、こんなに急激に眠気が襲ってくるなんて……。
一瞬、何かがおかしいと頭の片隅で警鐘が鳴る。だが、その考えを深めることもできないまま、意識は急速に遠のいていった。
ぼやけた視界で隣を見ると、マイヤちゃんはすでに完全に眠りに落ちていた。座席に体を預け、穏やかな寝息を立てている。
「何か……料理に――」
そこまで考えたところで、俺の意識も途切れた。
月明かりの下、馬車は闇の中へと消えていく。
――眠り続ける二人を乗せたまま……




