少し昔の物語
ある日、この世界に初めて「人間」が降り立った。
二人。若き男女だ。男の名をアルダム。女の名をイベルナ。
二人には、神にも等しい力が与えられていた。
イベルナには「不老」。そして、アルダムには「不死」。
二人は初対面であったが、共に元の世界で死を迎えた転生者であり、この世界においては二人きり。
孤独を埋め合うように自然と心を寄せ、愛を育んだ。
やがて、長男のカイレン、次男のアベイスが生まれ、家族は小さな幸福を手にした。
狩猟はアルダムの役目だった。「不死」の力を活用し、原生の獣に挑み、倒されても蘇り、肉を持ち帰る。ゆえに飢えることはなかった。
しかし一つ、深刻な問題があった。
イベルナとは違い、アルダムは「不死」であって「不老」ではない。
年月と共に、アルダムの身体は確実に衰えていった。
彼は老いさらばえたわけではない。だが若さを失い、髪には白が混じり、狩猟を続けるにはあまりに負担が大きい年となっていた。
そこで始めたのが農耕だった。
カイレンは土を耕し、穀物を育てることを覚えた。
アベイスは群れを率い、動物を飼い慣らし、その肉を得ることを覚えた。
やがて、イベルナとアルダムの間に三人目の子が生まれた。
女の子だ。名をセリス。
兄たちと違い、彼女の出生には不思議なものがあった。
幼子でありながら、瞳の奥には深い知恵が宿り、言葉を覚えるのも早かった。
やがて時が流れ、セリスもまた美しい娘に育った。
しかし、この世界には他の「人間」が存在しない。血を繋がねば、彼らの種は絶えてしまう。
彼女の選択はやがて次の世代を生み、この世界に「人間」という種を確かに根付かせることになった。
その頃、アルダムはもはや若き狩人ではなく、寝たきりになり、老人のようにやせ衰えていた。
しかし、イベルナは変わらず若々しく、時の流れに抗うかのように生きていた。
必然とイベルナはアルダムを介護した。
確かな愛情を持って。
それから幾年かが過ぎ、いつの間にかカイレンとアベイスは独り立ちし、セリスもそれを追うようにそれぞれの寿命でこの世を去った。
だがイベルナは、それを知る由もなかった。アルダムの世話に心を尽くしていたからだ。
彼の身体は、樹齢千年の老木の枝のように痩せ細り、既に意思疎通すら叶わなかった。
それでもイベルナは毎日……毎日、涙を浮かべながら彼に愛を伝え続けた。
――しかし、時は無情だった。
数千年の時が流れ、子孫たちは各地に散らばり、村を築いていた。
その事実を知らぬまま、イベルナは変わらずアルダムのそばに居続けた。
時の経過とともに、彼は人間の姿ではなくなり、ただ存在するだけの肉塊へと変わっていく。
意識はあるものの、死ぬことのない無限の苦しみがアルダムを蝕むのを、イベルナは目の当たりにした。
そして、彼女は一つの考えに至る。
――神が与えた力を消すことはできないだろうか。
アルダムの「不死」を取り去り、老衰により穏やかに命を閉じさせる。
その後、自らの「不老」も解き放ち、天寿を全うする。
イベルナは直感的に、これ以外に救いはないと理解していた。
彼女は骨と皮ばかりになってしまったアルダムを抱え、数万年に渡り世界を彷徨い続けた。
ただひとつ、彼を解放する手立てを探すために。
しかし、それは決して容易には見つからない。
それでもイベルナは諦めることなく歩み続けた。
気づけば十万年という気が遠くなるほどの歳月が流れていた。
小さな村はいつしか国へと姿を変え、人々の身体には突然変異か、あるいは環境への適応か……新たな臓器のような器官が芽生え始めていた。
その変化に、イベルナは目を留める。
彼女は死者を解剖し、調べ、やがて驚くべき事実にたどり着く。
――神の力は子孫へと受け継がれていたのだ。
もっとも、それは「不老」や「不死」といった力をそのまま継承するのではない。
代を重ねるごとに変質し、複雑に連鎖していくものだった。
だが、実際にその力を顕現できたのは、イベルナとアルダムの二人だけであった。
――それは何故か……。
イベルナはその答えを探る中で、この力に「神能」という名をつけた。
そして、ついに真実に辿り着いた。
神能は一度死を経験することをトリガーに目覚めるということを発見した。
つまり、神能は死を経験した転生者にのみ発現し、その子孫においては力は血の奥底に眠ったまま、決して表に出ることはない。
しかし、「人間」は適応した。
神能が放つ魔素を、神能が発動しない死を体験していない者であっても体内で生み出せるように進化していったのだ。
その結果、人は神能に酷似した力――すなわち魔法を作り出した。
――魔法とは、神能の変質と人間の適応が生み出した模造品にすぎなかったのだ。
彼女はついに一つの試みに踏み切った。
魔素を生み出す新たな臓器を摘出し、アルダムの体へと移植したのだ。
だが、その瞬間、異変が起きた。
本来なら活動を始めるはずの器官が、まるで存在を拒むかのように沈黙し、完全に機能を停止したのだ。
移植の失敗を疑い、彼女は何度も、何度も繰り返した。
しかし結果は同じ。移植した全ての臓器はことごとく働きを止める。
やがて彼女は、原因を突き止める。
アルダムの「不死」の神能によって生み出される魔素が、臓器の作り出す魔素を打ち消していたのだ。
神能の魔素は、臓器の魔素よりもはるかに強力であった。
そこで、イベルナはひとつの仮説を立てる。
二種類の神能を同じ肉体に宿し、互いにぶつけ合わせれば、対消滅を起こすのではないか――。
そのために必要なのは神能の抽出、もしくは神能と同等の魔素の生成であった。
この時では神能そのものを取り出すことは叶わなかったが、同等の強度を持つ魔素を精製することには成功する。
そして、アルダムの体へと注入した。
次の瞬間――
予想していた対消滅は起こらなかった。
魔素同士は互いに反発することなく結合し、さらに強力で不安定な魔素へと変貌したのだ。
その力に耐えられるはずもなく、アルダムの体は悲鳴のような衝撃音と共に爆散した。
イベルナは呆然と膝をついた。
またしても失敗。
どうすれば彼を救えるのか。どうすれば自らを解放できるのか――その問いだけが彼女を苛み続けた。
幾万年に及ぶ研究の果て、イベルナはある一点に思い至った。
神能は必ず「転生の瞬間」に与えられる……これはもはや疑いようのない真理。それと同時に「神能を定着させる力」がこの世界では働いているのではないかと考えた。
それは裏を返せば神能という概念が存在しない転生前の世界には神能を定着させる仕組みが存在しないということでもあった。
ならば、もし神能を転生前の世界へと逆流させたならどうなるか。
定着の力を失った神能は魂に馴染まず、漂うように不安定化する。完全に失われはしないが、剥がすことが可能になるのではないか。
その仮説に至ったのは偶然だった。
名を変えつつ各地を転々としていた中、イベルナは稀に同じ転生者と出会うことがあった。
話を聞くと、転生者が生前の夢を垣間見る現象に気づいた。死を目前にした転生者たちは、時折、前世の情景を鮮明に見て、神能に人それぞれの変化が起こる。まるで魂が前の世界へ一瞬だけ引き戻されたかのように。
――その時だ……神能は確かに揺らいでいた。
それを見逃さなかったイベルナは、全てを繋ぎ合わせる。
「前の世界」に戻すことで、神能は魂に定着できず、不安定に漂う。
その瞬間を突けば、アルダムから神能を剥ぎ取ることが可能になるのではないかと。
イベルナは、その一縷の望みに縋り付くように、転生前の世界へ戻る方法を模索した。
そしてついにひとつの可能性を導き出す。
人知を超える量の魔力を用いた転移魔法――それによって生まれる空間の揺らぎが、転生前の世界の扉と繋がるかもしれないということだった。
そして、その可能性を見つけた時、神からの祝福だろうか……ある捨て子を見つけた。
生まれながらに類を見ない魔力量を持つその子に、イベルナはすぐに目をつけた。
彼を育て、活用することで、彼女の計画を実現できる……そう直感したのだ。
そして成長するにつれて、この子の力はイベルナの予想をはるかに凌駕するほどに増大し、その存在だけで世界の均衡を揺るがすほどになった。
10歳に差し掛かった頃、この子の魔力量がさらに増大すれば制御不能になると判断したイベルナは、彼の体から魔力の根源である魔素を抽出することに成功した。
この処置により、この子の力の暴走を抑えつつ、同時にイベルナの計画に必要な魔素を確保することができた。
その魔素を、彼女が長年研究していた、どんな強力な魔素も封じ込める特製の石に詰め込むと、輝きを放ち、深紅の宝石のように美しく変化した。
――彼女はそれを「転石」と名ずけた。
あまりの喜びに、イベルナはその子の存在など一時忘れ、アルダムを伴い、転石の力を使って、この世界からの脱却を果たしたのだ。
◆◇◆◇
――ようやく辿り着いた、別の世界。
そこはイベルナが転生前にいた世界ではなかったが、彼女の仮説通りに神能の定着は不安定になっていた。
しかし、剥がすことはできても、力そのものを消し去ることはできない。神能は、すぐに魂に戻ろうと必死に抵抗していた。
その瞬間、イベルナはある決断を下す。
剥がした神能を、近くにいた一人の男の子の魂にそっと定着させたのだ。
たとえ別人であっても、魂というものは皆、平等に存在する。
イベルナはアルダムの胸にそっと手を当てた。
――永遠に愛してる
その行為によって、アルダムは長く苦しかった「不死」の呪縛から解放され、天へと召された。
長きに渡る苦悩の果てに訪れた、静かで、確かな安堵。
世界の片隅で、彼女の祈りはようやく届いたのだった。
イベルナはその姿を見つめ、涙を浮かべながらも次の行動を起こす。
この「不老」の力から自らを解放することだ。
そこで、イベルナはこの世界にあったひとつの国を訪れ、その国の路地裏で、一人うずくまる幼い少女を見つけた。
生まれて間もなく親に捨てられ、名を呼ぶ者もなく、ただ誰にも気づかれぬまま生きてきた子であった。
彼女は人に忘れられることを何より恐れ、消えていく運命に怯えていた。
――どうか、存在を覚えていてほしい。
その小さな魂は、ただそれだけを願いとして燃え続けていた。
イベルナは悟った。
この子こそが「不老」を受け入れる器であると。
死を拒み、忘却を恐れるその魂は、永遠の時を渇望していたのだ。
そして彼女は、剥がした「不老」の神能を少女へと定着させた。
その瞬間、イベルナはようやく自身を束縛していた「不老」から解き放たれたのだった。
数十万年にわたる苦悩と探求の果てに、ついに彼女はその鎖を外すことに成功したのである。
それは静かな解放であった。涙も歓喜もなく、ただ長き時を経てようやく訪れた安らぎ。
それから、イベルナは数十万年を過ごしたこの世界へと戻り、今もどこかで暮らしているらしい。
――寿命が尽きるその日まで。
◆◇◆◇
話を聞いているうちに、いつの間にか涙がこぼれていた。
俺は無意識に手で拭う。
自分が泣いていることにさえ気づかなかった。
レイヴェナが淡々と語る昔話。
けれど、話が進むにつれて俺は理解してしまった。
これは単なる遠い時代の逸話ではない、これはこの人が歩んだ道だと。
果てしなく続く不老の時を生き、ようやく解放された女性の物語。
その背後に積み重なった孤独と恐怖を思えば、胸が張り裂けそうになる。
だが、俺は気づいたことを声にすることはなかった。
ただ静かに俯き、震える拳を握りしめる。
涙は止まらない。
それでも俺は、レイヴェナの物語を最後まで黙って聞き届けた。
その涙が、彼女の孤独を誰かが受け取った証となることを願いながら。
話を終えたレイヴェナは深くため息をついて、口を開いた。
「――強くなりたいか?」
その言葉に俺はハッとした。
いつだって俺は足を引っ張ってきた。
弱いせいで、守れなかった命がある。
そしてこれからも、エリュシオンの国民達を守れる保証など今の弱い俺には微塵もない。
レイヴェナの問いは、まさに今の俺の奥底に眠っていた思いを的確に貫いた。
俺は一呼吸おいて、ゆっくりと震える口を開く。
「俺は――強くなりたい!」
俺は全身全霊を込めてその言葉をたたきつけた。
そんな俺を見て、レイヴェナはふっと口元を緩めた。
「これから毎日ここに来い。君の神能を使いこなせるように鍛えてやろう」
今の俺に残された道は、これしかない――。
「お願いします!」
「いい返事だ……」
そう言いながらよっこらせとレイヴェナは席を立った。
そうすると、徐に遠くを指さす。
「そこに階段があるだろ。登ったら帰れるよ」
視線の先には、確かに石造りの階段が続いていた。
俺は深く一礼し、迷わず歩き出す。
そして、一段目に足をかけ、小さく囁く。
「俺は……もう誰も死なせる気は無い」
誓いを胸に、俺はかっこよくその場を去った。
そして上には扉……ゆっくりと開いていく。
だが、その先の光景に俺は目を疑った。
見覚えのある壁の装飾。馴染みすぎている匂い。どこまでも心安らぐ空気。
そして、こちらを振り返るメイドの姿。
「――ここ……俺の城の中じゃねーか!!」
――こうして、城の地下にレイヴェナが住み着きました。




