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覚醒の時


 木と紙の、どこか懐かしい匂いが漂っている。

 目を開けると、俺は椅子に腰掛けていた。


「……寝ていた?」


 不思議な感覚だ……何も覚えていないし、思い出せない。

 最後の記憶と言えば、謎の女に()()()()()()……俺は死んだのか……?

 恐る恐る首に触れる。

 だが、記憶を否定するかのように何の傷も残っていなかった。

 そして――まただ。

 カリステア王国の時にも感じた、あの死という概念が消え去ったような、不気味で底なしの感覚。

 生きているのか、死んでいるのか……それすら曖昧になる。


「……ここは」


 目の前に広がる光景は、死後の世界とはとても思えなかった。

 天井へ届くほど高く積み上げられた本棚が延々と並び、その間にわずかに空いた空間。そこには、俺の座っている椅子とテーブル、そして向かいにも同じ椅子がぽつりと置かれていた。

 立ち上がり、周囲を歩く。見渡す限り、同じ造りの本棚ばかり。しかも、収められた本はどれも同じように見える。

 俺はその本棚から一冊だけ取りだし、震える指で、1ページづつめくっていく。


「……日記なのか、これは」


 どのページにも丁寧な文字で「その日の天気」と「一言の記録」だけが記されている。だが、不思議なことに、日付はどこにも書かれていなかった。


「ここにある全てが日記……」


 いや、まさかな……。

 目に映るだけでも数千冊――いや、数万冊は優に超えている。俺が偶然手に取った一冊が日記だったのだろう。


 『晴れ。明日は長年待ちに待った日……ようやく、()()()()


 そう書かれている文字は大きく、濃く書かれていた。

 内容は不気味すぎるほど簡素だが、その余白がかえって胸をざわつかせる。


――……明日


 ならば、次のページは……。

 興味を抑えきれず、俺はゆっくりとページをめくる……その瞬間だった。


「――おお、生きていたか」


 慌てて本を棚に戻し、振り返る。

 そこには、俺の首を落としたあの女がいた。

 闇のように真っ黒な……だが、黒が輝く不思議な瞳。

 椅子に腰掛け、足を組み、まるで待ち構えていたかのように微笑んでいる。


「お前……!」


 怒りと警戒心が声に滲む。この理解が追いつかない状況に問いたださずにはいられなかった。


「何者なんだ……」


 女は唇に笑みを浮かべ、軽やかに答える。


「確か()()――レイヴェナ・イヴァーナイト、だったかな?」

「……今は、だと?」

「すまないね。自分の名前になんて、興味がないんだよ。呼び名なんてどうでもいい……」


 ぞわりと悪寒が背を這う。

 こいつは、やはり常軌を逸している……。


「殺しておいて……ここはどこだ?お前の目的は何だ」


 問い詰める俺を見て、レイヴェナと名乗る女は小さく笑った。


「目的、か……もうそんなものは無いよ。やりたいことは全て終わった。……あとは、残りの余生を楽しむだけさ」


 その声音は穏やかではあるが、どこか底知れない狂気を孕んでいた。


「それと、ここはどこかという退屈で無意味な疑問にも答えてあげよう……私の新居だよ」

「……新居?」

「私はよく住処を変えるんだ。ここに決めただけ……静かで、落ち着く場所だからね」


 そう言った瞬間、レイヴェナの空気が一変する。

 視線だけで背筋が凍りつき、呼吸が詰まる。


「まあまあ座りたまえよ。食事でもしながらゆったりとお話をしようか」


 レイヴェナ……彼女の声は不思議と拒否を許さない響きを帯びていた。

 目が合った瞬間、心臓を鷲掴みにされたような感覚に襲われる。

 その視線の強さに抗えず、俺は無意識のうちに椅子へ腰を下ろしていた。


「私が今まで旅をしてきた中で一番美味しいと思ったものだ。是非とも召し上がってくれ」


 そんなことを言っているが机の上には何も置かれていない。

 困惑していると、レイヴェナはおもむろに指をパチンと鳴らした。

 その瞬間、何も無かった机に突然料理が置かれる。


「魔……魔法!?」


 俺の驚きを無視してレイヴェナは話を続ける。


「これを再現するには時間がかかったのだよ」


 そこにあるのは見たことの無い料理だった。

 皿の上に、よくわからない黄色い塊が山のように積まれていた。


「な、なんだこれ……衣を着た野菜?」


 近づくと、じゅわっと油の香りが鼻をくすぐり、思わずごくりと喉が鳴る。

 正体不明だが、美味そうなのは間違いなかった。


「これはね()()()()()()()()()()という食べ物らしい」

「ジャパニーズ……テンプラ?」


 見たことも聞いたこともないものだ。

 だが、不思議と腹が減る……俺の本能がこれを食えと訴えかけている!


「現地人はそこにある()()()()()()()()()を使って食べるのだよ」


 横を見ると、いつの間にか木の棒が二本置かれていた。

 これがチョップスティック……?ただの棒で、どうやって食えというのだ。


「使い方がわからないかね。こう使うんだよ」


 レイヴェナが手に取り、器用にジャパニーズテンプラを摘み上げる。

 サクッ、と衣の割れる音。

 口に運んだ彼女の顔がわずかにほころんだ。


「……うん。やはり、美味しい」


 その一言で、理性が吹き飛んだ。俺も真似て必死に棒を操り、どうにか一つ掴み上げる。そこにあるのは黄金色の塊。中に透けて見える赤――海老か。

 恐る恐る口に運んだ……その瞬間。


「――……は?」


 思わず、思考が途切れた。

 意味がわからない。これがジャパニーズテンプラ……


「……美味すぎる。美味すぎるぞ!!」


 カリッとした衣が弾け、中から熱々の旨味があふれ出す。舌を突き刺すのではなく、全身を優しく包み込むような味わいが広がっていく。

 海老だ……これは間違いなく海老だ。だが、俺の知る海老ではない。噛み締めるたびに、弾けるような食感と濃厚な旨味が口いっぱいに溢れ、油のコクと衣の香ばしさがそれを包み込む。

 まるで、王業に疲れ切った体を布団へ投げ出した時のような、全身を優しく受け止める幸福感。

 体の芯まで痺れるほどの快楽が広がっていく。

 この時、俺は確信した……全ての世界はこのジャパニーズテンプラを中心に回っていると!


「喜んでもらえたかね?」

「大大大大大満足だ!!」

「それは良かった。さて……ここからが本題なのだが」


 俺が夢中でジャパニーズテンプラを頬張っていると、レイヴェナがふいに口を開いた。


「――指先に力を込めてみろ」

「……まぁ、それくらいなら」


 意味も分からず、人差し指を立てて力を入れる。

 だが、何も起こらない。


「別に何も……」

「指先に集中しろ……指先から細い糸を出すイメージだ」


 糸を……出す?いまいち分からない……がやってはみるか。

 そして、言われるがままに意識を注いだ――その瞬間。


「なっ……!」


 俺の指先から、淡く輝く光がスッと伸びていった。


「お、おい……これは一体……!」

「今度はそれを、脳内で自在に変形させていってくれ」


 言われるままに光を粘土だと想像して形を変える。

 すると、現実の光がぐにゃりと姿を変え始めたのだ。


「こ、こんな……!」


 あまりに現実離れした光景に、思わず息を呑む。

 レイヴェナは愉快そうに目を細めて言った。


「……やはり()()()()()()()()。問題は無さそうだ」

「一体……これは……」


 問いかけた俺に、女はさらりと告げた。


「――それこそが、テンセイ。()の神能だ」

「……神能!?これが、俺の……!?」

「そうとも。疑う余地はない」


 胸の奥から熱が湧き上がる。

 驚きと困惑と……ほんのわずかな高揚感を隠せなかった。


「これは……どういう力なんだ?」

「知るものか。君の力なのだから」


 俺を突き放すような答え。

 だが、逆にその言葉が俺の心をさらに震わせた。

 この力をどう育て、どう使うかは自分次第……。

 これは俺に与えられた俺だけの力なのだ。

 夢だった……特別な力……異能……神秘。

 渇望し、幾度も妄想してきた俺が……本当にその力を手にしてしまった。

 ……いや、あまりに唐突すぎる。なんで今、こんなものが……。


「唐突に神能が発現して困惑しているのかね?」

「まぁ……そりゃ……」


 すると、レイヴェナはふっと笑った。


「君は私に斬首されたあと、暴走したんだ」

「……は?」


 言葉が頭に届かない。理解が追いつかない。

 俺が……暴走?

 確かに、あの瞬間からの記憶は途切れている。


「その暴走によって、君の中に眠る神能が目覚めたのだろうね。……良かったよ」


 その声には、妙な落ち着きとわずかな喜びが混ざっている。

 俺は思わず眉をひそめた。


「まず、なんで俺の首を落としたんだよ!」

「興味本位……かな」


 その答えに、一瞬にして背筋が冷たくなる。

 ただの興味本位で、俺の首を!?

 彼女の目には冷酷さの影だけでなく、どこか好奇心に満ちた光もある。

 この世界を俺はまだ完全に理解できていないのだと痛感する。

 そして……もうひとつ気になることがある。


「……前もだ。死という概念そのものが消えたような感覚。今回も明らかに即死だったはず……なのに、なぜ俺は生きている?」

「知らない。これが今の私に出来る答えだ」


 レイヴェナの声音は淡々としている。だが嘘には聞こえなかった。むしろ、この人が嘘を吐くはずがないと直感で思わされるような不可思議な力があった。


「回復魔法は効かなかった。今の君の身体は、すでに高次元の存在へと変わりつつあると考えるべきだ」


 ……思い返す。

 カリステア王国の戦いのとき、フレンさんに回復魔法をかけてもらってものの、全く変化はなかった。

 あの時すでに俺の身体は常人の領域を外れ、おかしくなってしまっていたのだろうか。


「じゃあどうやって俺は生きて……」

「縫った」


 即答だった。


「……縫ったとは?」

「回復魔法が効かなかったからね。魔力で細胞を強制的に繋ぎ合わせたのさ」


 な、なるほど……?

 細かい理屈は全く分からないが、とんでもなく人間離れした芸当だということは理解できた。


「魔力が完全に定着するまでは安静にしておいた方がいい。下手をすれば、いきなり頭が落ちるかもしれないからね」

「……嫌なんだが」


 そこで会話が途切れ、妙に気まずい空気が流れる。

 やがて、沈黙を破るようにレイヴェナが深くため息を吐き、小さく呟いた。


「食べてていいぞ」

「じゃあ……遠慮なく」


 俺がジャパニーズテンプラを頬張っていると、レイヴェナは俯き、囁くような声で口を開く。


「……少し昔話をしてあげよう」


 その瞬間、レイヴェナはゆっくりと顔を上げ、わずかに口角を吊り上げる。

 そして、俺の目を真っ直ぐに見据えて静かに語り出した。


「――今から数十万年前の話だ」

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