真なる闇、偽なる光
〜時間は少し遡る〜
「イディオットの奴、いきなり逃げ出してどうしたんだ……」
俺はイディオットとブレイズの戦いを崖の上からじっと見ていた。
「くそ……ここからだと木が邪魔して見にくいな」
焦りと自分に対しての苛立ちが胸を締めつける。
俺はまたもや無力なのだ。他のみんなは命を懸けて戦っているにもかかわらず、全ての元凶の俺はただ安全な場所から見ているだけだ。
「――自分が……嫌いになりそうだ……」
思わず漏れた独り言。その瞬間……。
「――そうか。可哀想に」
深く囁くような独特な雰囲気の声が、すぐ背後から返ってきた。
俺は反射的に振り返る。
背が高く、顔立ちはかなり整っている。
漆黒のロングスカートに、同じく黒く艶やかな長髪。服装は少し風変わりではあるものの探せば似たような格好の人間もいないことはない。
――けれど、違う。
明らかに異様な存在だった。
まるで心の奥底を無理やり覗き込まれるような、おぞましい感覚。
懐かしいような気がするのに、同時に脳が拒絶を叫んでいる。
「だ……誰……ですか?」
口が震えて上手く喋ることが出来ない。
なんなんだ……。この女は……。
目の前の女は静かに手を顎に当てたまま、何かを考えている。
「あの……本当に誰ですか?」
「――私が……助けてあげよう」
どういう意味だ……?と問い返そうとした、その瞬間。
――いきなり世界が逆転した。
体が……動かない……
自分の体の感覚がどこかおかしいのに、それがどうしてか分からない。
「さぁ……試させてもらうよ」
ふと目線を落としたその先……そこには、自分の身体が首のないまま崩れ落ちていた。
だが恐怖も痛みもそこにはなかった。
ここで俺はようやく理解した。
――俺は、もう……
◆◇◆◇
「あいつどうなってんだあれ!」
【理由は分からんが、とにかくあいつを止めるで!】
その時、宙に浮かぶ「俺」からまたもや光の斬撃が飛ぶ。
「護衛の俺が止めるしかないか……!」
その斬撃は木々を切り倒しながら一直線にイディオットを襲う。
イディオットはとっさに横っ跳び、その一撃をギリギリで回避する。
「浮いてちゃ攻撃が当たらんぞ……」
その時――真横から怒声が飛ぶ。
「――俺様の腕をよくもやったな!」
次の瞬間、空が一気に赤く染まった。
灼熱の爆炎が空を焼き尽くし、「俺」を飲み込む。
横にいたのはブレイズだった。
「……イディオット、一時休戦だ。あいつを殺す!」
「……そうする他ないようだな!」
二人の視線が、一点に重なる。
その場所からゆっくりと「俺」が降りていき、音もなく地面に足がつく。
と、ほぼ同時、「俺」は二人に向かって手を伸ばす。
「なん――」
イディオットが言葉を発する間もなく、俺の掌から光り輝く気弾のようなものが放たれる。
それはまさに光速。誰も反応ができない。
二人は無惨にも吹き飛ばされていく。
「いちち……」
イディオットはブレイズを庇うように大剣を横から構え、事前に防御に入っていたのだ。
「ちっ……癪だぜ!」
【アホみたいな力やな……】
今の攻撃によって、「俺」に大きな代償があった。
「俺」の掌はポープコーンのように弾け、原型を留めていなかったのだ。
「俺様が殺す……」
殺気を帯びた声でそう囁くブレイズは「俺」の方へかけていく。
「俺」は無数の小さな光の刃を生み出し、無尽蔵に放っていく。
「おいおい!速さが足りねーな!」
それをブレイズは軽やかにかわしながら、凄まじい速さで距離を詰めていく。
その目が見開かれ、右手の鉄棒が一瞬にして激しく燃える炎に包まれる。
それと同時に「俺」が後ろに逃げられないようにするためか、炎の壁を作り出す。
「腕の分だぁ!もらっとけ!」
ブレイズの殺気を込めた渾身の一撃。
その刺突が「俺」の胸めがけ燃え盛る鉄棒が突き刺さる。
その瞬間だった。
「――来い!イディオット!」
ブレイズは突然炎の壁向けて叫ぶ。
次の瞬間、灼熱の炎を切り裂いて一つの影が飛び出した。
「――止める!」
それに呼応するようにイディオットが炎の壁の中から突如現れる。
あの炎の壁は、イディオットを隠し、潜ませ、奇襲させるための布石。全てはこの二人の連携のためだったのだ。
イディオットの大剣が振り下ろされる――その時だった。
地面が轟音を轟かせながら突如隆起し、ひび割れていく。
そのひび割れた地面の間から神々しい光が放たれ、二人に押し寄せる。
そして、イディオットとブレイズは攻撃を中断し、ひび割れる大地から逃げるように避けていく。
【……あかん、桁が違う。こんなん人の力やないぞ……】
「ちっ……胸が貫通してるのに平然としてやがる……」
「俺」の胸は先程のブレイズの刺突によって貫通していた。だが、何も無かったかのように堂々と立っている。
イディオットが地面に視線を落とし、溜息をつきながら吐き捨てる。
「近づこうにもあの足場じゃな……」
ひび割れた大地は、激しく隆起と陥没を繰り返し、今やまともに立っていられる場所すら限られていた。
踏み込めば足を取られ、最悪そのまま崩れ落ちかねない。
「関係ねぇ!」
だが、ブレイズはお構い無しに怒りに身を任せ突撃していく。崩れかけた大地を蹴り、ふらつきながらも跳ねるように前へと。
【あのガキ!お前と同じぐらいアホやな!】
「俺も行くしかないな!」
イディオットもためらうことなくその背を追う。
ひび割れた大地を駆ける二人。
だがその瞬間、「俺」の背後に異様な気配が集まり始めた。
――音が消える。
時間が止まったかのような静けさの中、「俺」の背後に巨大な裂け目が現れた。
「な……なんだあれ!」
「ちっ……あれは俺様でもまずいかもな!」
その裂け目の奥深く……そこから現れたのはひとつの輝きを放ち、脈打つ球。
この世の理に抗うかのように存在するその球体はとても異質な存在だった。
そして球体が回転し始めると同時、そこから放たれたのは、世界を切り裂くほどの濁流のような輝き。
視界を埋め尽くすそれは何もかもを押し流していく。
【……あかんわ、これ】
地も、空も、「俺」すらも飲み込まれる。
――このままでは全てが終わる。
……はずだった。
突然、風が変わる。
二人は感じた……「俺」が放つ光とは真逆の存在。
――光を呑み込む闇を
その瞬間、全ての光は底知れぬ闇に吸い込まれるようにして弾き返された。
二人の目の前にはただ静かに立つ、ひとりの女。
禍々しさと神聖さが入り混じった気配を纏いながら風に揺れる黒髪をなびかせ、漆黒のロングスカートの裾がヒラヒラと揺れていた。
「俺でも覚えてるぞ……お前は……あの時の……!」
【……ちっ】
イディオットの表情が驚きに染まる。
「――そうか。大安領の森で会って以来だね、新しい勇者」
そう……そこに立っていたのはかつて森の奥でただならぬ気配を漂わせて現れた、あの謎の女だった。
「あ?誰だよこいつ!殺してやろうか?」
「災禍六魔将……赫怒のブレイズ・アイアンフレア……だね。面白い神能を持っている……欲しいくらいだ」
そんなことを言いながら「俺」の方へとゆっくりと一歩一歩、着実に歩いていく。
そんな女に「俺」は光の刃を飛ばす。
「おい!危ないぞ!」
イディオットが思わず叫ぶ。だが、その警告は無意味だった。
飛んでくる刃が女に触れる直前、拒絶されたかのように、光の刃は進路を逸れ、次々と横へ吹き飛ばされていった。
そして、女の歩く場所……崩れた大地の裂け目がまるで時間が戻ったかのように元あった大地が創造されていく。
女はついに「俺」の前に辿り着き、ぽっかりと空いた胸の穴にそっと細い手を当てた。
「――もう、十分だ。……お疲れ様」
優しい声が響く――その瞬間だった。
「俺」の肩から力が抜け、糸が切れたマリオネットのようにその場に崩れ落ちた。
その光景に誰も言葉を発せなかった。
ただ女だけが、静かにその姿を見下ろしている。
風が変わる。
こうしてこの戦いは……終わりを迎えたのであった。
――しかし、この結末は序章にすぎない……別の地では、未だ語られぬ死闘の幕が上がろうとしていたのだ。




