暁鐘
俺がエリュシオンへ戻ってから数日が過ぎた。
そしてその朝、一人のメイドから思いがけない来訪者の名が告げられ、俺の表情が驚きに染る。
「フ……フレンさんが?」
俺はすぐに応接間を整え、部屋へと通す。
やがて姿を現したフレンさんはいつもの気さくな穏やかさを持ちながらも、どこか張り詰めた気配を纏っていた。
「わざわざフレンさんが足を運んでくるなんて、何かありました?」
俺の問いにフレンさんは椅子に腰を下ろし、少しの沈黙ののち重々しく口を開いた。
「……大安の魔王、クラリッサがやられた」
――……は?
思考が数秒間止まったように感じた。
俺は先日まで大安魔宴に行ってたんだぞ、その主催者が、ましてやあのクラリッサがやられるなんて考えつくはずがない。
「災禍六魔将のアニカ・ヴェスパー、彼女に襲撃を受けたようだ。クラリッサはどうやら命に別状はないようだが、今は療養中だ」
「そ……それは本当ですか?」
俺がこうなるのも無理ないだろう。
クラリッサには大安の能力によって実質的な攻撃無効状態を常に実現している。
そんなあいつが傷を受けるなんてそんなことが有り得るのか?
「実際に見に行った訳では無いが、クラリッサがいちばん信用を置いているものからの報告だ。おそらく本当だろう」
「一体……どうやって」
「詳細は分かっていない。だがアニカは発見したその場で死亡と判断された。……相打ちだったようだ」
そう言ったフレンさんの顔には、いつもの冷静さの中に、わずかな迷いと焦りが見えた。
アニカ・ヴェスパー――できることなら、俺がハッシュの仇を討ちたかった。
だが、奴には奴なりの覚悟があったのだろう。
死ねばみな仏、とは言うが……そう簡単に割り切れるものではなかった。
「……大安は魔王の能力は今まで誰にも突破されることはなかった。だが、今回のことでそれ可能だということが証明されてしまった。能力で言えば最強格である大安が敗れたということは他の魔王にも同じことが言える……」
そしてフレンさんは少し俯くように考え込む。
そして、静寂を切り裂くように口を開く。
「――やはり、彼ら災禍六魔将には魔王を殺しうる力がある」
魔王を殺す。
それは一昔前の俺が半分冗談で同じようなことを言っていたが、今その言葉が現実として突きつけられている。冗談でも、幻想でもないのだ。
俺はこれが異世界なのだと痛感した。
そんなことを考えていると、フレンさんは静かに顔を上げ、俺に視線を合わせる。
その眼差しは、凍りつくような決意を孕んでいた。
「そこで、僕たちは魔王は動く。
――災禍六魔将及び裏切り者テンマに対し総攻撃を実行する」
一瞬、部屋の空気が凍りついた。
今までの戦いはほぼカウンターの形であり、こちら側から攻めることはなかった。
だが、その発言によって今変わろうとしている。
魔王が動き出す。これはお互いの死力を尽くす全面戦争なのだ。
「できれば君を巻き込みたくない。だが、テンマが君を重要視している以上無視する訳にはいかない」
「じゃあ、俺はどうすれば……」
フレンさんはそっと目を細めた。
その表情からは戦い対する覚悟と、俺を巻き込みたくないという苦悩がせめぎ合っているのが伝わってくる。
そして、困惑の表情を浮かべる俺に対してフレンさんがひとつの提案を出した。
「僕が君の護衛につくのはどうかな?」
それは俺にとって思いがけない提案だった。
だが、こんな何も出来ない俺にフレンさんのような魔王が護衛なんて身に余りすぎる。
ましてや、魔王たちがこれから総攻撃を仕掛けるというのにその主力であるフレンさんが俺のそばで護衛なんてもったいない気がする。
「とても有り難い言葉ですが……遠慮させていただきます……」
俺の思いを察したように、フレンさんは小さくうなずいた。
「そうか……なら代わりに彼を護衛につけよう。安心してくれ、強さは本物だ」
「……彼?」
そう言うとフレンさんはゆっくりと立ち上がった。
「悪いね、僕はそろそろ行かなければ」
「あの……彼っていうのは」
俺がそう問いかけると、フレンさんは微かに口元をニヤつかせた。
「お楽しみだ。彼には僕の方からお願いしておくよ」
その言葉だけを残し、フレンさんは部屋を後にした。
残された俺の胸の中には、戦いの始まりと謎の護衛のことでいっぱいだ。
一体……この先どうなってしまうのだろうか。
◆◇◆◇
フレンさんの来訪からまた数日後、またもや思わぬ来訪者が現れた。
俺は応接間を整え、その来訪者を通す。
そして扉が開かれ、現れたのは……見慣れた人物だった。
「よう!テンセイ、何日ぶりかな!」
「イディオット……再会が早すぎるぞ……」
そう、つい最近まで一緒に大安魔宴へ行っていたイディオットだ。
「まさかとは思うが、フレンさんから俺の護衛を頼まれていたりしないよな……」
「何言ってんだ、俺がわざわざなんのために来たと思っている!俺がいれば百人力だ!」
「頭脳が一人にも満たしてないんだよ」
いやー……だいたいそんな予感はしてたが本当になるとはな。
こいつを隣に置いておくと、どんな目に遭うか分からない。逆に危険なのでは……とまで思う。
「まあまあ、任せとけって!」
そんな大口を叩きながら背負っていた大剣をソファのそばに置き、ドスンと座る。
「で、俺の護衛につくってことはしばらくここで泊まるのか?」
「そうなるな。……嫌か?」
イディオットはそう言って、ニヤリと笑う。
こいつは頭が悪いだけで根は良い奴だし、別に嫌って訳では無いが……どこか心配がぬぐえないな。
「いや……まあ、そっちに任せるよ。部屋くらいはいくらでも空いてるしな」
「よっしゃ!じゃあ今晩は久々に宴でもするか!」
「久々じゃないだろ」
そんなくだらない冗談を交えながら、しばらくの間、他愛のない話で時間を過ごした。
イディオットとの会話はいつも騒がしいが、不思議と気が緩む。
今のこの嵐の前の静けさに、少しだけ安らぎを感じた。
やがて日が傾き始め、イディオットが立ち上がった。
「外に持ってきた荷物があってな、部屋に運んでもいいか?」
「俺も手伝うよ。部屋に案内するついでだ」
そう言って俺も腰を上げる。
イディオットが先に部屋の扉を開け、廊下に出ようとしたその時……
「よし、俺も――おっと……」
俺の足元が何かに引っかかった。
下を見ると、それはソファの横に置いていたイディオットがいつも愛用している大剣だ。
「あいつこれ忘れてるじゃん……」
俺はその剣の柄を持って持ち上げようとする……とその瞬間。
【――痛いわ!注意して歩かんかい!】
「ええ!?」
突然脳内に直接語り掛ける声が飛び込んできた。
あまりの唐突さだったため俺は驚いて思わず剣を手から取り落としてしまう。
甲高い音を立てて、大剣が床に倒れ込む。
辺りを見回しても、声の主らしき人物はいない。
「どうしたテンセイ……あ、俺の剣。忘れてたわ」
イディオットが落とした剣を拾い上げ、そそくさと外へ出ていく。
なんだったんだ、今の声は……
「早く行くぞ!」
イディオットがドアの端から顔だけ出してそんなことを言ってきた。
俺が手伝ってやるって言ってんのになんだその態度は……でも、こいつも俺の護衛としてきたんだよな。
「……わかってるよ」
小さく息をついて俺も廊下へ足を踏み出す。
こうして、イディオットが俺の護衛としてエリュシオンの王城に住むこととなった。
――この出来事が運命を大きく揺るがすことになるとは、この時の俺には知る由もなかったのだ。




