とある魔王の大厄災(カタストロフィ)
クラリッサは自らの才覚と能力に絶対の自信を持っていた。いや、それは自惚れだったのだ。
鋭い閃光が放たれた瞬間、迷いもなくクラリッサの額を貫く。
瞬時に膝の力を失う、それでもなお崩れ落ちるまでには奇妙な静止がわずかに在った。
テーブルの上のティーカップがカタリと音を立てて揺れ、やがて静止する。
その紅茶の香りだけがまだそこに彼女の存在を残していた。
アニカはまだ白煙を上げる拳銃を無言で腰へと差し戻す。
感情の揺れなど一切感じさせない冷たい仕草のまま、わずかに瞳を閉じて呟いた。
「なんて哀れな最後……」
アニカは目を開け、もう動くことは無い人形となったクラリッサに静かに視線を向ける。
その沈黙の中でアニカの眉がわずかに動く……その中でアニカはなにか違和感を感じていたのだ。
そして数秒後、アニカがなにかに気づいたのかアニカの目がはっと見開かれる。
「――流血がない……!?」
その声には明らかな戸惑いの色が滲んでいた。
完璧に額を撃ち抜いたはずの一撃、しかし地面に血の一滴さえ落ちていない。
「――大安の魔能を無視する弾丸……なるほどですわ。
貴女の神能、概念自体をすり抜けるのですわね?」
アニカの背後から聞き覚えのある声が聞こえる。
その声は落ち着き払った上品な響きでしかし背筋を凍らせる冷たさを持っている。
間違いないその声は先ほど撃ち抜いたはずの人物、クラリッサであった。
アニカは明らかな動揺を見せながらゆっくりと声のした方を向く。
そこには五体満足なクラリッサがまるで最初からそこに立っていたかのような堂々たる態度で立っていた。
「まるで幽霊にでもあったみたいな反応ですわね。特別に教えて差し上げますわ」
クラリッサは微笑みながらちらりと倒れている自分に視線を送る。
「そこに転がっているのはフレンに頼んで魔法で作らせ、そこにワタクシの大安の力を付与させた精巧なダミー。
つまり最初から貴女は見事に騙されていた、というわけですわ」
アニカは静かに口を開く……
「へぇ……貴女の性格、よく分かったわ。傲慢だけども用心深い。己の才覚に絶対の自信を持ちながらも決して油断という言葉を知らない……ということはティータイムの時間をずらしたのも私に罠を仕掛けさせないためね」
クラリッサはアニカの言葉を聞き終えると面白げに小さく目を細める。
「その通りですわ。一つ、ワタクシの弱点を教えてあげますの。
それは相手に攻撃の意志のない不可抗力的なダメージ。例えば、紙で指を切るなんかそうですわね。
紙に攻撃の意思はないため魔能は発動しませんの。
その原理と同じでもし地雷のような罠を踏んでしまったら、その罠には攻撃の意思がないからワタクシはダメージを受けてしまいますのよ。
まぁ……それを知っていて罠を仕掛けに来たのでしょうけどね」
それを聞いたアニカはふっと視線を落とし、わずかに眉を寄せた。
「そうね……できれば真正面の戦闘は避けたかったわ」
次の瞬間、彼女の口元にうっすらと笑みが浮かぶ。
「でもどうやら貴女、自分の今いる現状がわかっていないみたいね」
「ふふ……それはどういう意味かしら」
ゆっくりと顔を上げたアニカの瞳が、鋭くクラリッサを覗く。
「――だって、私の前では貴女はただのか弱い令嬢じゃない」
言葉が終わるのと同時にアニカの指が腰に伸び、目で追うことは不可能な程の閃光のごとき早撃ちを見せる。
――ドンッッ!!
それは確かにクラリッサの額を狙い空間を裂くように弾丸が走り、撃ち抜かれる……そう思った瞬間。
「――ッ!?」
火薬の匂いと焼けた金属の煙が、アニカの周囲を黒く染めた。
鼓膜が破けるような轟音とともに、爆ぜたのは銃口から放たれた弾ではなかった。
なんと爆発したのは、アニカの手にあった拳銃自身だったのだ。
アニカは全ての指が異常な方向にねじ曲がり、裂傷をおった手のひらを押さえながら一歩、二歩と後ずさる。
「こんなこと……あり得るはずが……っ」
困惑の表情を見せるアニカを見下ろすように、クラリッサは口元を吊り上げ、ふっと愉快そうに笑みをこぼす。
「その弾丸、確かにワタクシの力をすり抜ける厄介な代物ですわ。けれど、撃たせなければ恐るるに足りませんことよ」
――なぜ拳銃が爆ぜたのか。
それは、クラリッサが大安の魔能の範囲を自身の周囲にとどめることなくこの中庭全体を包み込むほどにまで広げていたからであった。
つまりこの空間内では、彼女を害そうとするあらゆる攻撃が未然に無効化され、完全なる無敵となる。
アニカは苦虫を噛み潰したような表情でクラリッサを睨む……とその瞬間、いつの間にか腰の後ろに指してあったナイフを左手に持っていて、それをクラリッサ向けて投げようとする。
――ゴキンッ
肩の関節が外れたのだろうか、アニカの左腕は糸の切れた人形のように力なく垂れ下がった。激痛に息を呑む間もなく、握っていたナイフがカランと転がる。
「……人体にまで影響するのね」
そう言いながらなんの躊躇いもなく左肩をはめる。
クラリッサは小さくため息をつくと、おでこに手を当てて呆れたように首を横に振りながら
「愚か、滑稽、まるで道化……貴女、一度向こうの世界で死んでいるのでしょう?よほど哀れな人生だったのでしょうね。
今の貴女を見てよく分かるわ、誰にも必要とされず、最後は何の意味も価値もないまま無様に幕を下ろした……どうせ惨めで、くだらない人生だったのでしょう?」
クラリッサの容赦も同情も一切ない挑発に対して、アニカは黙りこくってそっと下を向いた。
「……その通りね。最初から最後まで無価値な人生だったわ。――でも」
だが次の瞬間、アニカは顔を勢いよく上げ、激情を込めた叫びを放つ。
「この世界の人生には意味を持たせてみせるわ!」
叫びと共に地面に落ちていたナイフを拾い上げ、アニカはクラリッサへと一直線に駆け出す。
だが当然、そんな無謀な突撃を許すほど甘くない。
彼女に向けて降り注ぐのは人智を超えた厄災の数々……
空から突如としてグランドピアノが落下し、アニカの前に叩きつけられる。
続けて、何十羽もの黒い鳥の群れが羽音を立てながら猛スピードで突進をしてきて、さらには頭上から花瓶が降ってくる。ギリギリのところで避けるとその避けた先には大量の釘が立っていた。
それをもろに踏んでしまいアニカの両足には無数の穴……もう立っているのが不思議なくらいだ。
そして、コンマ一秒反応が遅れる……その隙を逃さず、鳥の群れが渦を巻くようにアニカの周囲を飛び交い、視界を封じつつ耳を裂くような羽音で聴覚すらも奪っていく。
(一体次はどこから……な!?)
理解のできない出来事の連続に意識がかき乱される中、彼女の視界に安全ピンの抜かれた手榴弾をくちばしでしっかりとくわえた一羽の鳥が音もなく舞い降りた。
(これは私の……!……仕方ないわ!!)
普通なら後ろに飛んで避けようとするのだろう……だがアニカは逆に手榴弾に左手を伸ばし指先で軽く触れた……
次の瞬間、白く眩しい閃光と共に鼓膜が破けるような轟音が中庭全体を震わせた。
アニカの身体は爆風に吹き飛ばされ、弧を描きながら空中を舞った後地面に叩きつけられる。
「ッ……がはっ……!」
口元から鮮血が舞い、喉の奥からせき込むように血が溢れた。
先程の爆破でアニカの伸ばした左腕は跡形もなく消え去り、熱によって煙を上げている。
(何とか……何とか神能は間に合ったけどもう……)
アニカは手榴弾に触れることで爆破によって飛んでくるはずだった手榴弾の破片を全て透過するようにしたのだ。
神能による防御が一秒でも遅れていれば無数の破片によってアニカは穴だらけとなっていただろう。
そのおかげで瞬間の死は免れたが死へのカウントダウンは残りわずか……
「――あぁ……もう足が動かないわ」
掠れた声でボソッとつぶやく。
アニカは既に限界だった……足に力を入れようとするも立ち上がることさえ叶わない。
視界がぼやけ次第に黒に変わっていき、まぶたが徐々に閉じていく。
――また、私は……何も成せなかった。
ひとつ補足です
大安の魔能は性質だけを他人に移すことができる、他の魔能にはない特徴的な力です。
でも、まぁクラリッサは自分が一番なので他人に使うとかはしないでしょう。




