異世界に行きたい国王のお話
「異世界いぎだいよー!!!」
「テンセイ様、はしたないです」
俺の名前はテンセイ・イセカイ・シュタイン。この小さな都市国家の国王だ。
父が何者かに暗殺されてから数ヶ月。
16歳という若さで玉座に就いた俺は、今日も政務を放り出して異世界の妄想に浸っていた。
そして、隣に控えている美人が俺の専属メイド、ハッシュ・ラッシュ・メイドリル。年齢は不詳だが、俺よりは年上だ。
メイドリル一族は、代々この国の国王に仕えるためだけに育てられてきた家系らしい。
つまり、彼女の人生は俺に仕えるためだけに用意されたようなもの……どうにも申し訳ない気持ちになる。
「どうしたら異世界に行けるんだ……」
「そのイセカイ?というのがどこにあるか存じ上げませんが、遠いところであればいつでも私が送りますが……」
「そういう問題じゃないんだよ……」
父が昔から語ってくれた「異世界」の話。気づけば、それはいつしか俺の夢になっていたのだ。
無論、この世界には魔法やモンスターなんて非現実的な物など存在しない完全におとぎ話だ。
そして、異世界なんてものも存在するかなんて分かるわけもない。
だが、あの時父が言った一言を俺は今でも覚えている。
――「異世界」は存在する。お前はそこで成長するだろう。沢山の仲間と共に――
俺は椅子から立ち上がり、窓の外を見た。
そこには平和な街並みが広がっている。
石畳の道には顔見知りの行商人がちらほら、屋根の低い家が肩を寄せ合うように並び、城の外壁の向こうには広がるはずの大地もわずかばかり。
この国は都市国家と呼ばれてはいるが、実際には土地も狭く、兵の数もごく僅か。
城郭都市ではあるものの大国の軍勢に狙われれば、半日と持たないだろう。
はるか昔から続く、この何の変哲もない小さな国の日常……こんな退屈な現実より、父が語った魔法と冒険に満ちた異世界の方がどれだけ素晴らしいことか。
「そろそろ、式典の時間なんですが。どういたしますか?」
「いつも通り、影武者にやらせとくか……」
「はい、了解いたしました」
ハッシュは俺の部屋を後にした。
俺はめんどくさいことは国王の権力を使って何でも回避出来る。それが国王になって唯一のいいことだ。
そんなことを考えながら俺は部屋の中にある長机に山のように積もった紙を置き、再び椅子に座る。
いくら面倒でも国王の俺がやらなければいけない仕事があるのだ。
それは書類の印鑑を押すこと……あまりにも面倒くさすぎる。こんなことのために王になったわけじゃないのに。
まぁ……そろそろいつものやつやるか……
「滲み出す混濁の紋章……不遜なる狂気の器……」
そうこれがいつものやつだ。もし、異世界に行けた後、この程度の詠唱ぐらいできなければ即死してしまうだろうからな。
これがまじでキマル。これだから詠唱は辞められなのだ!
そして次の詠唱へ移ろうとしたその瞬間。
「――うるさい!ゴミ兄貴!」
隣の部屋から怒号と拳で壁を叩く音が同時にした。
その正体は隣の部屋にいる俺の妹のヒキヤンだ。本名はヒキアナ・ヤンドラシル・シュタイン。
略して、ヒキヤンと言われている。
引きこもりなのにヤンキー気質という面倒な奴だ。
ヒキヤンと名付けた俺のネーミングセンスには我ながら光るものがあると思う。
全く、こいつのせいで興がそがれてしまったな……、
俺は王の城の自室で、ベッドに寝転がりながらゴロゴロしていた。
そして、ふと目に留まったのは、机の上に置きっぱなしだった指輪。
数日前、王都の外れで見つけた謎の骨董屋で購入したものだ。
昼間なのに薄暗く、異様な静けさに包まれたその店の片隅にこの指輪は鎮座していた。
やけに存在感のある銀の指輪、宝石には深紅の光がわずかに灯っていて、何故だか分からないが……惹きつけられるように、俺は思わずそれを手に取っていた。
だが、それが購入の決め手になったわけではない。
俺はあの老人店主とのやりとりを思い出す……
◆◇◆◇
「これは別の世界の扉を開く鍵ですぞ」
「別の……世界?」
「えぇ別の世界です。そうですね……若者言葉で言うところの――異世界」
男は口角を上げた。だが、その目は不気味な程に笑っていなかった。
「――唱えなさい。転生と。それだけで、貴方は生まれ変わり、そして失った力を思い出すでしょう」
◆◇◆◇
常人ならば完全にイカれた爺さんの戯言で済ませるところだろう。
だが、この俺にとってその言葉は突如天から降ってきた小さな糸。僅かな可能性だとしても異世界に行けるのなら試してみる価値があると判断したのだ。
……これは転生ではなく転移なのではとは思ったが異世界に行けるならば問題ない。
「……物は試しだな」
俺はベットから勢いよく立ち上がり吸い込まれるように指輪を手にした。
骨董屋の爺さんが言っていた使用方法を試してみる。
範囲指定は距離で行う。例えば「2メートル」と唱えれば、半径2メートルの魔法陣が出現する仕組みらしい。
さらに、指輪についている宝石を回すことで、魔法陣の高さも調整できる。
「へぇ、よくできてるな」
俺は興味本位で宝石をくるりと回してみた。意外にも手応えは滑らかで、心地よく指に吸いつくような回転。なぜか妙に気持ちよくて、気づけば何分もクルクルと回していた。
「こりゃ凄い!……って、いかんいかん」
遊んでる場合じゃない。半信半疑……いや、九割五分信じてはいないが、いよいよ異世界に行ってやろう!
一応、国民への挨拶?置き手紙?……知るか!
俺の異世界ライフが今、始まろうとしているんだ!
まずは範囲設定だな。俺一人だけでいいから2メートル……いや、ギリギリ隣のヒキヤンの部屋まで巻き込みそうだ。
そうだ、確かセンチメートルでもいけるって言ってたな。なら、150センチメートルくらいで丁度いいだろう。
俺は深呼吸して、高ぶる気持ちを落ち着かせる。
「よし、いくぞ……150――へクシッ!!」
くしゃみが出た。まあ、この程度なら問題ないだろう。
「センチメートル!そして……転生!!」
……
…………
………………
何も起きない。おいおい、どういうことだ。やっぱり……やっぱりこれは……。
「パチモンか……」
騙された俺は肩を落として泣く泣く指輪を外そうとした。……その時、外から何やら人々の叫び声が聞こえてきた。
ざわめき……いや、これは悲鳴に近い。
何事だと思い、俺は窓の外を覗き込む。
そして、目に飛び込んできた光景に思わず息を呑む。
「はぁぁ!?なんで外に魔法陣が!?」
外の地面……いや、俺の国全体に魔法陣が張り巡らされている。しかも現在進行形で広がっている。
「魔法陣初めて見た!すげぇ!……じゃなくて、範囲150センチメートルじゃなかったのかよ!」
俺は慌てて指輪を外そうとし、手元で何度も宝石を回すが、魔法陣がどんどん大きくなっていくばかりで何の反応もない。
「やばい……解除、解除だ……頼む!止まってくれ!」
その瞬間、魔法陣の広がりがピタリと止まった。
「と……止まったのか」
そう安堵した瞬間、俺の部屋のドアが勢いよく開かれた。
「テンセイ様!外の地面に……謎の巨大な紋章が現れております!」
ハッシュが目を見開き、動揺した様子で状況を報告してきた。
その顔を見てほんの少しだけ安堵の気持ちが湧いた……だが、それも束の間だった。
――指輪が突如思わず目を覆ってしまうほどのまばゆい光を放ち始めたのだ。
ま、まさか……俺の名前に反応して――
「お、おい待て!転生なんて言うから……ッ!」
その神々しい光は瞬く間に膨れ上がり、国全体を覆い尽くしていく……
そして俺の視界は真っ白に染まり、意識は深い深い闇の底へと沈んでいった。
◆◇◆◇
「――様!――セイ様!テンセイ様!起きてください!」
「ん……」
ゆっくりと意識が浮かび上がり、呻くような声を漏らしながら重たいまぶたを開く。
「テンセイ様!良かった……無事でいらっしゃいましたね」
どうやら意識を失っていたようだ。意識がはっきりすると柔らかな感触が後頭部を包み込みこんでいることに気づく。俺の頭がハッシュの柔い太ももの上にあった。
いつもの俺だったら興奮のあまり飛び起きて後ろの壁に頭をぶつけていただろう。
しかし、今の俺にはそれ以上の興奮があった。
俺は飛び起きながらほとんど反射的に叫んだ。
「やっと異世界に来れたのか!」
目の前に広がるはずの冒険の大地、非日常の光景を夢見て俺は期待に胸を膨らませた。
「……って、あれ?」
俺の視界に飛び込んできたのは異世界なんて高貴で崇高なものでなく、いつもと何ら変わらない俺の汚部屋だ。
「そ、そんなはずは……!」
震える手で指先を確認する。
そこにあるはずの宝石がはめ込まれた指輪――俺を異世界に導く唯一の鍵が、跡形もなく消えていた。
「な、ない……!?どうして……!」
胸がざわつき、心臓を握り潰されたような衝撃が全身を走る。
俺の唯一の希望は、確かにこの手にあったはずなのに。
そんな俺の動揺をよそに、背後から落ち着いたハッシュの声が響く。
「それよりも……先ほど私たちを包んだあの謎の光、そして突如として地面に現れた紋章……あれは一体……」
振り返ると、ハッシュが眉をひそめていた。
「く、くそ……」
異世界に行けなかった失望、そして騙された怒りがふつふつと湧いてくる。
俺が怒り心頭に発しているとハッシュが立ち上がる。
「少し外の様子を見てまいります。安全が確認されるまではこの部屋を出ないようにお願い致します」
そう言ってハッシュは駆け足で部屋を出ていった。
夢にまで見た異世界はどこにあるんだ!俺はチートスキルを手に入れて、魔王城を目指し冒険して、魔王を倒して、その後ハーレムを築く予定を既に立てていたのに!
そんなことを考えていると再度外が騒がしいことに気づく。
「俺の異世界ライフの夢は潰えたってのに……」
窓から外を覗く……そして俺は二度目の驚愕を味わう事になる。
「おいおい……見た目でわかるぞ……あのおぞましいオーラの出てるアレってまさか、魔王城か!?」
遠くに俺の城より一回りでかい特徴的な形をした城が見える。だが、遠くと言ってもこの国のすぐお隣にだ。
「おいおいまじかよ……」
周りを見てもいつもの町だ。だが少し遠くを見るとそこはもう異世界と言わざるを得ない世界だった。
この時、俺は全てを理解し事の重大さに気づく。
「――俺の国ごと異世界来ちまったぁぁぁぁ!!!!!」




