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【書籍化&コミカライズ】傷物令嬢の最後の恋  作者: 瑪々子


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22/27

思いがけぬ出会い

 エリーゼル侯爵家の屋敷の庭を、ギルバートはオーレリアに寄り添われながらゆっくりと歩いていた。

 ギルバートは、怪我を負って以来、初めて自らの足で立ち上がってからというもの、毎日歩行の練習を繰り返していた。

 歩き始めて数日こそ、オーレリアの手を借りない時には杖を使っていたけれど、今では、無理に歩く速度を上げなければ、もう杖を使う必要もなくなっていた。

 オーレリアはギルバートににっこりと笑い掛けた。


「歩ける距離も、日を追うごとにどんどん延びていらっしゃいますね」

「ああ、ありがとう。こうして、歩きながら庭の花々を楽しむ余裕も出て来たよ」


 何かあったらいつでも彼の身体を支えられるようにと、すぐ隣で付き添っているオーレリアに向かって、ギルバートは笑みを返した。


「これもすべて、俺を一番近くで支えてくれる君のお蔭だよ。それに、君の魔法は素晴らしい効き目だね」


 オーレリアは毎日、ギルバートの身体を観察しながら、彼に足りない力を内側から補うようなイメージで魔法を掛けていた。彼女は、ギルバートの言葉にはにかみながら頬を染めた。


「そう言っていただけると嬉しいです。けれど、これほど順調に回復なさっているのは、ギルバート様が毎日頑張っていらっしゃる努力の賜物ですよ」


 ギルバートを見上げて微笑んだオーレリアを、彼は軽く抱き寄せた。


「君が隣にいてくれると、頑張ろうという前向きな気持ちが湧いてくるんだ。君となら、不思議と疲れを感じないよ」

「ふふ、ありがとうございます。でも、くれぐれも無理はなさらないでくださいね」

「ああ。……正直なところ、もう、この庭だけでは少し物足りないくらいに感じているんだ」


 その時、庭にいたギルバートとオーレリアの耳に、近付いて来る馬の蹄と、馬車の車輪の音が響いた。馬車は外門の前の石畳の道でごとごとと止まると、馬車の中からフィルが勢い良く飛び降りた。


「ただいま、兄上、オーレリア」


 二人は、元気に駆けて来るフィルに向かって笑い掛けた。


「フィル、お帰りなさい」

「お帰り、フィル」


 フィルはにこにことしながら目の前の二人を見つめた。


「兄上、今日も歩く練習をしていたんだね。もう、大分歩き慣れて来たみたいだね」

「そうだな。まだ歩く速度もゆっくりではあるが、そろそろ屋敷の外に出てみたいとも思っているよ」

「本当に!?」


 フィルはぱっと顔を輝かせた。オーレリアが来る以前は、ベッドから立ち上がれないほどに衰弱する前でさえ、人を遠ざけるようにして屋敷からも出なかった兄が、これほど前向きな気持ちになっていることが、彼にはとても嬉しかった。


「それならさ、すぐそこに流れている小川の脇の散歩道にでも行ってみない? ……昔は、あの辺りでよく遊んだよね」


 ギルバートは遠い日を思い起こすように瞳を細めた。


「懐かしいな。そうだな、久し振りにあの景色が見たいな」

「この近くには、川が流れているのですか?」


 尋ねたオーレリアに向かって、二人は頷いた。


「ああ。オーレリアは、この家に来てからずっと俺の側にいてくれて、この辺りに出掛けてはいなかったから、知らなかっただろうね。外門を出て、緩やかな坂を少し下ったところに、水の綺麗な小川が流れていて、その脇には散歩にもちょうどいい小道があるんだ」


 フィルもギルバートの言葉に頷いた。


「気持ちのいい場所だから、きっとオーレリアも気に入ると思うよ。僕は急いで制服を着替えてくるね」

「ええ。私は水筒に飲み物を準備しますね。では、一度室内に戻って、一息吐いてから出掛けましょうか」

「ああ、そうしよう」


 三人は和やかな表情で、揃って屋敷の中へと戻っていった。


***


 さらさらと流れる小川を横目に見ながら、オーレリアは隣に並ぶギルバートとフィルを見つめて微笑んだ。


「本当に、気持ちのよい道ですね」

「そうでしょう?」


 フィルは両手を上げて伸びをしながらにっこりと笑った。オーレリアはフィルに向かって頷くと、ギルバートに視線を移した。


「ここなら、ギルバート様が歩く練習をするのにもぴったりですね。でも、少しでもお疲れになったなら仰ってくださいね?」

「ああ、ありがとう」


 薄い雲の間から、太陽が覗いていた。川面がきらきらと美しく光を弾く様子に、オーレリアは目を細めていた。道の脇に立つ木々の鮮やかな緑の枝も、時折吹く爽やかな風に揺れていた。


「昔は、この辺りでよく遊んでいらしたのですか?」

「そうだね。当時は、フィルと虫を捕まえたり、この辺りを走り回ったりしていたな。暑い時期には、冷たい川の水によく足先を浸していたよ」

「懐かしいね、兄上。あの時は、父上も母上もまだお元気だったよね……」


 思い出話に花を咲かせながら、オーレリアとフィルはギルバートの歩調に合わせてゆっくりと歩いていた。

 しばらく歩き、額に薄らと汗を浮かべたギルバートに、オーレリアはハンカチを差し出した。


「もう大分歩きましたね。少し休憩しましょうか?」

「ああ。フィルもそれでいいかい?」

「もちろん! そこのベンチにでも座ろうか」


 頷いたギルバートが車椅子に腰を下ろすと、オーレリアは手にしていたバスケットから、皮革製の水筒を取り出して彼に手渡した。


「ギルバート様、とてもお上手に歩いていらっしゃいましたね」

「ありがとう。大分、身体が思う通りに動くようになってきた実感があるよ」


 水筒の蓋を開けたギルバートは、その中身で喉を潤した。


「これもすっきりしていて美味しいね」


 爽やかな香りが鼻を抜け、ギルバートはオーレリアを見つめた。


「これは、レモングラスとミントで作ったハーブウォーターなのですよ」

「へえ、僕も飲んでみたいな」

「もちろん、フィルもどうぞ」

「本当だ、美味しい。暑かったけど、生き返るね」


 和気藹々とした三人は一呼吸入れた後、再び立ち上がると、屋敷へと折り返す方向へと歩き出した。

 通って来た散歩道を戻り、緩やかな坂を上ってエリーゼル侯爵家の屋敷が見えて来た時、フィルが怪訝な顔をしてきょろきょろと辺りを見回した。


「どうしたの、フィル?」


 不思議そうに尋ねたオーレリアに、彼は首を横に振った。


「……ううん、何でもない」


 辺りには、ちらほらと通りを歩く人々の姿が見えたけれど、特に何も変わった様子はなかった。


(おかしいな。誰かの驚いたような心の声が聞こえた気がしたんだけど、気のせいだったのかな……)


 少し離れた並木の陰から、身を隠すようにして切なげに三人を見つめる姿があったことには、彼らは気付いてはいなかった。


 エリーゼル侯爵家の屋敷まで帰り着くと、オーレリアは外門を潜ったところでギルバートの手を取って嬉しそうに笑った。


「もうこれほどの距離を歩けるなんて、素晴らしいですね。……暑い中をこれだけ歩いて、お疲れになったことでしょう」


 彼女が魔法を唱えると、ギルバートの身体が淡い光に包まれた。彼もオーレリアに微笑み掛けた。


「疲れが消えて、新しい力が湧いてくるようだよ。ありがとう、オーレリア」


 オーレリアは、外門にも程近いエルダーフラワーの木の前で足を止めると、隣に並ぶギルバートとフィルに口を開いた。


「私は、少しこの花を取ってから戻りますね。ギルバート様は、フィルと先に戻っていていただけますか?」

「ああ、わかった」

「じゃあ、また後でね、オーレリア」


 ギルバートは一日に二食まで摂れるようになり、夕食はオーレリアとフィルと共に囲むようになっていた。


(もう、日常生活にはそれほど支障がなくなっていらっしゃるように見えるわ)


 心を弾ませながら、オーレリアは屋敷へと戻って行く二人の背中を見送ると、いつでも採って構わないと庭師に了承を得ているエルダーフラワーに手を伸ばした。

 手にしていた空の水筒が入ったバスケットの隙間に、オーレリアがいくつか白い花を摘んで重なるように入れた時、外門の辺りがにわかにざわついた。


(何があったのかしら?)


 不思議に思いながらオーレリアが外門に向かうと、顔色の優れない若い女性が、門番の一人に支えられていた。


「どうしたのですか?」


 オーレリアが門番に声を掛けると、彼は戸惑ったように女性を見つめて口を開いた。


「奥様。こちらの方が体調を悪くなさったようで、急に足元をふらつかせて倒れそうになっていたのです」


 女性の顔を覗き込んだオーレリアは、はっと小さく息を呑んだ。


(お綺麗な方……)


 人形のように整った顔立ちをした、滑らかな金髪をした女性は、淡褐色のヘーゼルアイを苦しげに瞬いた。


「すみません。私は大丈夫ですので」


 頭を下げた女性は、慌てて歩き出そうとしたものの、再びふらりとよろめいた。


(熱中症かしら……)


 薄い雲は出ていたけれど、その合間から照り付ける陽射しは、じりじりと焼け付くようだった。

 オーレリアが彼女の腹部を見ると、薄らと膨らんでいるのがわかった。彼女が妊婦だと見て取って、オーレリアは急いで口を開いた。


「眩暈や頭痛はありませんか。少しだけでも日陰で休んでいらしては?」

「いえ、そういう訳には……」


 瞳を揺らした彼女だったけれど、オーレリアは手を貸して彼女を支えた。


「お腹の赤子に障っては大変でしょう。落ち着くまででも、そこのベンチで休んでいらしてください」


 オーレリアは、エルダーフラワーの木にも程近い木陰のベンチを指し示した。


「……すみません」


 俯いた女性をベンチに座らせると、オーレリアは門番に、彼女の側についていてもらえるようにと頼んでから、急ぎ足で屋敷へと戻った。

 屋敷の中からは執事のアルフレッドがオーレリアを迎えに出て来ていた。


「アルフレッド、ちょうどいいところに来てくれたわ。少しお願いしたいことがあるのだけれど」


 冷えた水と氷を持って来てくれるよう、オーレリアはアルフレッドに依頼してから、すぐに彼女の元へと引き返した。


(勝手なことをしてしまったけれど、少しくらいなら許していただけるかしら)


 オーレリアには、以前にどこかで女性を見掛けたことがあるような気がしたこともあり、このまま放っておくことも憚られたのだった。

 ベンチに戻り、門番に礼を言ったオーレリアが女性の隣に腰を下ろすと、程なくして、アルフレッドが冷たい水の入ったガラス瓶とグラス、そして氷を入れた容器を載せたトレイを手にしてやって来た。


「オーレリア様。お待たせいたし……」


 彼は言葉を切ってベンチの手前で足を止めると、みるみるうちに目の色を変えて厳しい顔つきになった。


「どうして、ミリアム様がここに?」


 アルフレッドの硬い声に、オーレリアの隣に腰掛けていた女性は所在なさげに目を伏せた。


「ご無沙汰しています、アルフレッド」


 二人が知り合いだったことに、驚きに目を瞬いたオーレリアの目の前で、アルフレッドは見たこともないほど険しい表情で彼女に続けた。


「落ち着かれたら、すぐにお引き取りください」

「はい、承知しています」


 アルフレッドは、オーレリアに手にしていたトレイを手渡し一礼すると、屋敷に向かって踵を返した。

 項垂れた彼女と、普段は温厚なアルフレッドの冷ややかな様子に、オーレリアの頭の中では一つの結論が出ていた。


(この方は、きっと……)


 身体に緊張が走るのを覚えながら、オーレリアが戸惑いとともに彼女を見ると、彼女はどこか物悲しげに微笑んだ。


「ご迷惑をお掛けしてしまい、申し訳ございません」

「いえ。あの、違っていたらすみませんが、貴女様は……」

「ええ、お察しの通りです。ギルバート様を置いて逃げた、かつての彼の婚約者ですわ」


 少し口を噤んでから、オーレリアは彼女に尋ねた。


「……ギルバート様に会いにいらしたのですか?」


 彼女は首を横に振った。


「いいえ。さっきのアルフレッドの態度を見てもおわかりかと思いますが、過去に決して許されないことをした私には、ギルバート様にお会いする資格はありませんから」

「では、どうしてここに?」

「……貴女様を、どうしても一目見たかったからです」

「私を、ですか?」


 思いがけないミリアムの言葉に、オーレリアは困惑して彼女を見つめ返した。

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