Another Story:廃嫡王子と狼少女 02
「アクリルの部屋の用意をさせた。この部屋は自由に使って貰って構わない」
アルガルドがアクリルを案内したのは、洋館の使用人が使っていた部屋の一室だ。
家具は最低限だが、ベッドやテーブル、クローゼットなど必要と思われるものは一式揃っている。とはいえ、クローゼットの中には服は入っていないのだが。
それでもアクリルは落ち着かない様子で目をきょろきょろとさせている。アクリルの心境に反応してか、尻尾と狼耳もゆらゆらと揺れている。
「私が来るまではこの部屋にいるようにしてくれ。必要があればベッドの横のベルを使ってくれ。私以外の者もいるのだが、この部屋から出たら命の保証は出来ないと思ってくれ」
「……殺されるって事?」
「彼等にも立場というものがある。私の一存で君の保護を決めたのだ。私の言う事を聞いて貰えなければ保証はしかねる」
「……アルって何者なの?」
「ただのアルだ」
アルガルドの返答に納得がいかないようにアクリルは怪訝そうな顔を浮かべるも、元々盗みでこの館に侵入した自分が悪いのだからと納得する事にした。
しかし、そう思えばアクリルには不思議だった。アルはどうして自分を保護してくれるのだろうか? と。部屋から出たら殺されてしまうかもしれない、という事は自分の存在は少なくとも良く思われていない事はアクリルにもわかる。
アクリルは疑問からアルガルドの顔をジッと見つめていたが、視線に気付いたアルガルドが微笑して見せる。
「不安には思うかもしれないが、悪い暮らしにはさせない。ただ、アクリルに興味があるというのは事実だ」
「興味って、何が?」
「アクリルがカンバス王国の住人かもしれない事。そして、パレッティア王国には君のような獣人と言うべきか? そういった種族は存在しない。その生態や暮らしが知りたいと思ったからだ」
「…………あぁ、そういう事」
自分に興味がある、という言葉にアクリルは不愉快そうに眉を歪めた。
その反応は、アクリルが明らかに不快感を感じたという証拠だ。態度を凍てつかせてアクリルは小さく呟く。
「……アンタも、そういう人間なのね」
「君がどういう意味で私を称するかはわからないが……少なくとも君の扱いは今までは良かった訳ではないらしいな」
アクリルの反応にアルガルドは特に何も気にした様子もなく呟く。
「私が君の言う人間と同じかどうかは、私のこれからの振る舞いで判断してくれれば良い。気に入らなければ逃げれば良い。鍵などはかけない。但し、そこから先の君の命を私は保証しない。今はこれだけわかってくれれば良い」
「…………」
アルガルドの言葉にもうアクリルは何も返さない。ただ黙り込んで、アルガルドを睨み付けている。
アルガルドは何も言わず、そのままアクリルに背を向けてドアへと向かっていく。
「では、ゆっくり休んでくれ。食事は朝と昼と夜、三食を届けさせる。衣服は……少し待ってくれ。あと君は風呂には入る習慣はあったか?」
「お風呂……? ……いつもは水浴びよ」
「そうか。ここではそれなりに身ぎれいにして貰わなければ困る。監視付きにはなるが、あとで準備しておこう。あぁ、監視といっても中に入る訳ではない。君一人でゆっくりすると良い」
「…………」
「……どうした?」
「き、綺麗にしたって……私の体を自由に出来るって思わないでよね……!」
きゅっ、と自分の体を抱き締めながら抵抗の姿勢を示すアクリル。そんなアクリルの言葉にアルガルドは目を丸くした。
するとアルガルドは背を曲げて、大笑いしてしまいそうになるのを堪え始めた。思ってもみなかった反応にアクリルは目を瞬かせる。
「あぁ、そうか。そういう心配もあったか……すまない、気が回らなかった」
「はぁ……?」
「君を奴隷のように扱うつもりはない。私としては客人として招いたつもりだ」
「……客?」
「あぁ。ちょっとした実験ぐらいには付き合って貰いたいが、君に痛い思いもさせないし、君を家畜や動物のように扱うつもりもない。君は私の客人だ。大手を振ってもてなせない事を許して欲しいと願う程だ」
アクリルは目を丸くして、口をぽかんと開けながらアルガルドを見つめていた。
呆気に取られるアクリルに笑みを深めたアルガルドはそのまま部屋を出て行こうとして。
「あと、私はガキに興味はない」
「なっ――!?」
笑いを含んだような言葉にアクリルの顔が一気に真っ赤に染まっていく。
扉が閉められる音が響き、アクリルは部屋に一人残される。ぷるぷると震え、尻尾や耳の毛を逆立てたアクリルは息を大きく吸い込んで叫んだ。
「ばーーーーーかッ!!」
* * *
「アルガルド様」
アクリルの部屋を後にしたアルガルド、そのアルガルドの背後に音も無く現れたのは老年の執事服の男だった。
かなりの年を重ねている風貌だが、背は曲がっておらず1本芯が入っているかのようにも思える。
すっかりと白く染まってしまった頭髪はオールバックに纏められ、まさに出来る執事を体現した老人だ。
「クライヴか」
「此度の不法侵入者の発見に気付かず、大変申し訳ございませんでした」
深々と頭を下げる老人、クライヴに向けるアルガルドの視線は穏やかなものだ。
クライヴはアルガルドの身の回りの世話を率先して行ってくれる家臣だ。しかし、アルガルドは本来ではそこまでされる必要もないと思っている。だから今回の一件も気にする事ではない。
「よせ。元々最小限の人数で館を回しているのだ。そして館の維持がお前達の本分ではない筈だ。私こそ、本来であればお前達の身の回りの世話をする使用人を雇わないといけない立場だ」
「お戯れを」
「本心さ」
アルガルドは廃嫡された王子だ。王位継承権を失い、王族としては終わっている。
いっそ平民と変わらない扱いでも良いのだが、そうしないのは父がアルガルドにつけたクライヴ達の温情によるものだとアルガルドは感じている。
故にアルガルドはなるべく身の回りの世話を自分でやろうとしているのだが、クライヴがやりたいというならば無理に止める事もしない。ただアクリルの侵入の際にたまたまクライヴが席を外していた。それだけの事なのだ。
「アルガルド様に何かあれば、私は先王陛下に申し訳が立ちません」
「……今更な話だ。それにありもしない憶測を言うのは止めろ、クライヴ。クライヴ様と呼ばれたくはないだろう? 私への敬語も外せ、ともな」
クライヴは元々、アルガルドの父であるオルファンス先王についていた執事である。
その年齢から一線から退き、余生を楽しんでいた所をアルガルドの廃嫡の報せを聞いて駆けつけたのだ。
そしてアルガルドが辺境に赴く際に責任者として共にやってきたのだ。彼がそこまでしてくれるのは、アルガルドも幼少の頃にはクライヴに可愛がってもらっていた時期があったからだと思っている。
クライヴが一線から退く前は、アルガルドに王子としての心構えや父の偉業を優しく教えてくれた心優しい老人だった。それ故に、アルガルドとしても強く出られない相手なのではあるのだが……。
「先王陛下の温情をアルガルド様は信じておられないと?」
「……温情は感じているが、家族の情など持ち出すなと言っているのだ。私にはもう許されぬ事だ。あまり虐めてくれるな」
「……畏まりました」
返答までに間があったのは、クライヴなりに現状に不満を抱いているという事なのだろうとアルガルドは感じている。
それは今の環境というよりも、アルガルド自身について。それについては思う所がないとは言えないが、素直に呑み込むにはアルガルドも自分が拗らせている事を自覚している。
だからこそ触れて欲しくはない。自分の身の回りの世話を勝手にするのは良い。それについては文句は言わない。だが、家族の未練や情を説こうとする事だけはしないでくれ、と。
「それで、盗みを働いたあの少女ですが……本気で保護されるおつもりで?」
「あぁ。危険がないか、ここで調べられる事を調べたら……姉上に一報を入れるか」
「アニスフィア王姉殿下にですか?」
「あの姉上なら勇み喜んでここよりも良い待遇を用意してくれるに違いない」
アクリルは普通の人間ではない。恐らく“魔石”持ちではないかとアルガルドは睨んでいる。
魔物が精霊を食する事で、体内で生み出した精霊石を変質させる事で生まれるとされる魔石。
本来は魔物に存在する器官だが、人型の魔物にも存在する以上、アクリルもその一種ではないかと推測している。
そんな背景を持つアクリルがパレッティア王国でも普通に暮らしていけるとは思わない。彼女の故郷と思われるカンバス王国も謎に包まれている為、国に帰せば良いとも言えない。
それならば厚遇してくれるだろう、あの頓珍漢で奇天烈な姉に話を通した方がアクリルの未来は明るいとアルガルドは考えていた。
「クライヴ。すまないが、アクリルの為の着替えを頼めるか?」
「私どもは男所帯ですものな。女子の服となれば村での調達の際に交渉をしてみましょう」
「すまない。あとわかっていると思うが……」
「あの少女には誰も近づけないように、ですな」
「あぁ。見つけても手を出すな。ここを出て行くというのなら追う必要もない。見逃してやれ。そこから先はこちらの手を離れたんだ。野垂れ死んでも責任は持てない。……こちらに死者を出す訳にもいかんからな」
「……と言うと?」
アルガルドの言葉に、その意図を尋ねるようにクライヴは相槌を打つ。
アルガルドは一つ頷いてから、こう言った。
「あれは見かけは子供だが……――強いぞ。何かの訓練も受けてるだろうな」
* * *
(……変な奴)
アクリルは眠れぬ夜を過ごしていた。あの後、アルガルドの案内で風呂に入り、その快適さに驚きながらも部屋に戻された。
夜が来て綺麗なベッドに入れば、逆に落ち着かないほどに気持ちよかった。そんな信じられない事ばかりが続くアクリルが思い馳せるのは、あのアルという男だった。
アクリルは風呂という存在は知っていても、それは自分とは縁がないものだと思っていたし、水浴びだって毎日出来た訳でもなかった。
寝る時もベッドなんて上等なものを使わせてくれる訳でもないし、毛布一枚を渡されて寒さに震える事だってあった。
「……あったかい。お日様の匂い……」
もぞもぞと布団の中で自分の位置を変えて、シーツの匂いをいっぱいに吸い込む。
嘘みたいに心地良い、快適だ。だからこそ、アルガルドへの疑念は膨れあがるばかりだ。
てっきり自分に興味があるという事は、自分を奇異な奴隷として娼婦のように扱う為かとも思ったが、興味がないとも言われてしまった。
「……だったら、なんで」
アクリルにはわからない。アルガルドに施されたこの温かさを知らないから。だから、アルガルドが何故自分にここまで良くしてくれるのかを知らない。
だから不気味にも思うけれど、だけどアルガルドのこっちへ無遠慮に近づいてこないのも警戒心を緩める事に繋がっていた。まだ話が通じるから、と。
「……アル……」
私、ここにいていいのかな?
その問いかけは誰にも聞こえない。眠気に誘われたアクリルの瞳がゆっくりと落ちていく。
眠りに落ちたアクリルは気付かない。その瞳から一筋の涙が落ちていった事を。
その日、アクリルは久方ぶりに熟睡する事が出来たのだった。




