外伝・記憶(四)
記憶(四)
へぇ、本当に性に合ってんだなぁ。すっげ、楽しそうじゃん。けど・・・。
バーカウンターに寄り掛かりながら、ステージの奥を見つめる琥珀色の瞳が、他のメンバーを見渡す。
ステージの前では、腰を振りながら彼女達がボーカルの手に触れそうになって、黄色い声を上げていた。見れば、歌は確かにローリングストーンズだが、歌っているのは色白で線が細く、甘い目をしたいわゆる好青年だった。化粧品のCMにでも出てきそうなモデルのようだった。
-うーむ、ミックジャガーというよりはミーアキャットだな・・・。
ローリングストーンズは好きだが、何だかしらけてしまう。晃一が付けた「フォーリングストーンズ」というふざけたバンド名が笑えた。
「よおっ、司、来てくれたんだ」
次のバンドの演奏を眺めながらタバコをふかしていると、晃一がドリンクを片手に司の隣に立ち、カウンターに寄り掛かる。
「どうだった?」
司が何となく同情の視線を送った事に気付いたのだろう、呟くように訊く。
「お前に同情するよ」
横目でチラッと見ると、晃一はやっぱり、と溜息を付いていた。
「なぁ、晃一。もし良ければ、オレがお前を引き取るよ」
予想もしない意外な言葉に、え? と司を見つめた。
「オレ、仲間、探してんの。オレの為に叩いてくれない?」
ニコッと微笑むとグラスを軽くかざす。
すると晃一は、何のためらいもなく吸い寄せられるように、思わず自分のグラスをかざしていた。
「じゃ、決まり」
司は晃一のグラスに自分のグラスを合わせた。
そして、二人は今までも親友だったかのように話をし出す。
時にはお互いをけなしたり、冗談を言い合ったり。
その内晃一は、驚いてすっとんきょうな声を出した。
「えーっ! お前が作ってんのっ!?」
バンドを組むという本題に入り、晃一は司の噂を今まで一度も耳にした事がなかったので、さすがに不安になって、経験などを訊いていたのだ。
そして今、誰もがコピーをしたくなる程人気絶頂のヴィールスの曲を、何曲か恭介に頼まれ作っている事を言った時だった。
それまで恭介の事を嫌味っぽく言っていたので、気に障っていたのだが、それを訊いて晃一は驚きを隠し切れない。
「もしかして、司の名字って、光月?」
「そだよ、言ってなかった?」
『光月司』何度かヴィールスの記事で目にする名前だったが素性が明かされない。滑らかにノリ易い曲やバラードなどの作曲は大抵、光月司となっていた。
「じゃ、亮さんって」
「兄貴」
うっそ・・・。 晃一は目を丸くする。
確かに亮には妹がいると聞いたことがある。しかも可愛い妹だと言っていたような気がする。
晃一は、目の前でタバコをふかし、男のような口調で話をし、背格好も顔立ちも目付きも仕草も何処もかしこも全て『男』にしか見えない司を見て、唖然とした。
それを証拠に、二人の周りに女の子達が集ってくる。
「晃一さん、隣の人お友達ですか? 是非紹介して下さぁい」
少し酔っているのだろうか、目を潤ませながら司を見ている。そんな彼女達に苦笑しながらも、適当にあしらっていた。
「なぁ、今度いつ会える?」
何とか彼女達を追い払うと、晃一は司に向いた。
殆どプロ並の活動をしている司と、バンドを組む事が出来ると思うと、幾分興奮している。
「どうかな」
「他にも紹介したいヤツがいるんだ。そいつはベースやってて、今んとこ抜けたいような事言ってるんだ。おとなしいけどなかなかいいヤツでさ、きっと気に入ると思うぜ」
「そう・・・」
一瞬、考え込むような素振りを見せる司に晃一は不安になる。
「どうしたの? ・・・それとも、もう他に決まってんの?」
「いや、今度はいつ帰って来れるかなと思って」
「は?」
「今、ロンドンにいるから。で、9月からはパリなの。あ、でも夏には帰って来れるかな・・・」
ちょうど今、日本では春休みという事もあり、亮が一時帰国する事も相まって、一緒に帰国して来たのだ。 毎年違う国を渡り歩いている事を告げると、晃一は呆然と聞いていた。
「ね、それじゃ、バンドなんか組んだってしょうがないじゃん」
呆れたように言うと、急にしらけてしまった。
せっかくノリ気になり、しかも自分の好きな曲の作曲者と共演ができるなんて、夢のようだと息巻いていたのだが、日本にいなければ、元も子もない。それに自分は司を追って、世界中を旅するような時間もなければ金もない。
なぜなら晃一は17歳。
高校2年生だった。しかも来月からは高校3年生。大学受験も控えている。
「ああ、ごめん。勿論、今年はライブ活動なんてそんな沢山出来ないけど、来年から高校は日本に通わせてもらう事になったんだ。だからもうあちこち行くなんて事、ないと思う」
「え・・・? ちょっと、たんまっ。今、高校って言った?」
うん、と頷く司を マジマジ見つめ驚いた。
「ちょっと、お前って今、いくつ?」
「14」
晃一はあんぐり口を開けると、司を見つめたまま動けなくなった。
どう見ても 17・8 にしか見えない。 いや、それ以上にも見える。 どこか大人びた表情や仕草は、背伸びをしているようにも見えるかもしれないが、それが自然に見えるだけあって、不思議な魅力の一部なのだと、晃一は改めて思った。
その年の夏、司は約束通り日本に帰って来た。
来週末の初ライブに向けての、初めての練習を兼ねたセッションだ。しかもメンバーの初顔合わせだ。
大丈夫だろうか・・・。
晃一は今までにない不安と期待に緊張を隠せない。司を待つ間、何度トイレに行った事だろう。
「お前、気ィ小せぇな」
晃一に連れられて来ていた、褐色のいい肌に黒い瞳が印象的なその男が、呆れて隣にいる晃一を見る。
「何で?! ナオは心配じゃないの?」
「別に・・・。今更どうこう言っても始まんないんじゃないの? とりあえず俺は晃一を信じてここまで来たんだから」
そう言うと、落ち着き払って目の前のアイスコーヒーを飲む。
「しっかし、何でまたホテルのラウンジで待ち合わせなのかね」
晃一の落ち着かない理由はここにもあるのだ。
都内でも高級ホテルと言われている、いわずと知れている所だ。
ロビーから入ったラウンジには、晃一達のような高校生・男二人がお茶をするような雰囲気とは余りにもかけ離れ過ぎている。
「悪かったね。他のとこ知らないもんで」
突然、背後からムッとした口調で話しかけられ、ギョッとして振り返ると、あの薄茶がかった長めの前髪から光の加減で変わる琥珀色の瞳が、懐かしそうに晃一を見ている。
「司っ、久しぶりっっ!!」
思わず立ち上がって声を弾ませた。
一瞬、周囲の他の客達の視線を集めるが、ここでのこのようなシーンはよくある事で、何事もなかったかのように談笑に戻って行く。
司は自分より少し背が高く、少し色白とも取れるような、男にしては綺麗な肌で均整の取れた顔立ちをし、少し物憂げな感じのする男を従えていた。ただ、その少し垂れた目から見せる鋭い目付きだけが、何処となく手ごわそうな印象を与えていた。
晃一の前に司はソファに深々と座ると、脚を組んで連れの男にソファを勧めた。
男がウェイターにコーヒーを二つ注文する。
「待たせて悪かったね。 で、そちらさんがベースやってくれるんだっけ?」
「そう、俺が言ってたヤツ。ナオ、神宮寺直人。ナオって呼んでるけど。そっちの人は?」
「紀伊也。一条紀伊也だよ。ギターやってもらうんだ。兄貴の仕込みだから心配要らないと思うけど」
ちらっと紀伊也を見ると、相変わらず警戒したように目の前の二人を見ている。
思わず苦笑すると、
「そんなに警戒しなくたっていいんじゃない。俺達、そいつの事取って食ったりしねぇよ」
と、ナオが司の代わりに言った。
自分が言おうとしていた事を先に、しかも初対面の相手に言われて司はいささか驚いた。
思わず晃一と目が合うと、晃一は何かニヤついている。
司の事を亮の可愛い妹だと教えてあっただけに、ナオの期待外れの言葉が、それだったのだ。
「全く、何が可愛い妹だよ。こっちが襲われそうだぜ」
口を尖らせ晃一の耳元で囁く。
「期待に添えなくて悪かったな。 ・・で、どーすんの? やめんの?」
司は白いシャツの胸ポケットからタバコを取り出すと火をつけ、高い天井に向かって煙を吐いた。
それをじっと見ていたナオはフッと苦笑すると、
「やるよ。何か面白そうじゃん。ワケわかんねぇ不良中学生について行くっていうのも」
そう言って、真っ直ぐ司を見た。
******
それにしても・・・。
歌い終わり、マイクを下ろすと振り向いて三人を見渡す。
初めてにしては、もう何年も一緒にやって来たように息がぴったりだ。
しかも三人ともいい顔をしている。
「O.K。絶対、イケるよ」
マイクを持ったまま手をかざし、三人に向かってそう叫んだ。
司自身、こんなに満足のいく楽しさを味わったのは生まれて初めてだ。
とても快感だった。
ステージに立つのは幼い頃から慣れていた。しかも世界中で注目を浴びるようなコンクールばかりだ。 が、常に周囲からも異様な目で見られる程に冷静だった。
だからこんな小さなライブハウスで、しかもメンバー全員が立っていっぱいになってしまう小さなステージなど・・・。と思っていたのだが、何故か緊張していた。
「なあに、司。緊張してんの?」
背後から亮に声を掛けられ、ビクッとして振り向いた。
「司より俺の方がドキドキしてるよ。まさかお前がこんなに早く演るとは思ってもみなかったし、顔合わせたのだって先週だろ? まだ、一週間しか経ってないのに本当に大丈夫?」
不安気に覗き込む。
「それは大丈夫、問題ないよ。多分、驚くと思うよ。実際オレだって驚いたもの。とにかく見てて」
亮が不安な顔をしていたので、逆にそれが司の緊張を解いてくれていた。
何故か自分の代わりに緊張してくれたのだと思った。
次は自分達の番だ。入れ替わりに準備に入る。
初めてのバンドという事と、司には自分のバンドをアピールするような友人もおらず、晃一もナオも今までのバンドを抜けて、というより相手からしてみれば裏切って、新しいバンドを組んだという事もあり、盛り上がっていた客の熱も一旦冷めかけていた。
そんな亮の心配をよそに、司達はそんな事を一向に気にする気配も見せず、しかも自分達の事も名乗らずに、いきなり演奏を始めた。
晃一の弾けるようなドラムに紀伊也のギターが響く。そして、ナオのリズミカルな重低音のベースが響くと、それらに合わせ、司のセクシーとも取れる艶のある歌声が騒ぎの治まったホールに響いた。
一瞬、亮は息を呑んで、驚いたように司を見つめた。
今まで何度か曲を作りながら口ずさんだ声は聴いていたが、ここまで印象のある声だとは思わなかった。しかもメロディーに忠実で音域にも幅がある。何処で発声を習っていたのだろう。そう思わせるかのように吸い寄せられるように聴いていた。
隣にいた祐一郎も同じように釘付けだ。亮に言葉を掛ける事も忘れていた。
いつの間にか、何処かへ行っていた客も、吸い寄せられるようにステージの前に集って来ていた。
一曲目が終わると、一瞬ホールが静まり返ったが、あちこちで拍手が起こると、その内ホールが拍手と喝采の渦に飲み込まれた。
が、司は客には目もくれず、後ろを振り返り、三人に満足そうに頷き、晃一に合図を送る。
2曲目、ビートの効いたノリのいい曲にホール全体が沸き上がり、瞬時にして熱狂の渦に呑まれた。
司は、晃一のドラムの音、ナオのベースの音、紀伊也の奏でるギターの音色に、耳を傾けて歌った。
2曲とも恭介に渡した歌だ。
スピーカーから聴こえる歌より、生で自分で歌った方が断然いい。
3曲目、一転してポップ調のバラードだ。これは作った中でも、結構お気に入りだっただけに、気分が高揚してくる。
不意に観客も一緒に歌っている事に気付いた。
これが恭介の言っていた、皆が一つになれる時っていうのか・・・。あいつ、こんな気持ちいい事してたんだ。
恭介のライブには行ったことがない。スケジュールが合わないのだ。しかし今はいつか行ってみたい、恭介がどんな風にステージに立っているのか見てみたい。今日、初めて思った。
「あれだけ盛り上げといて、たった3曲ってことはないだろ」
呆れた口調で祐一郎が司にグラスを渡す。
サンキュと受け取り、それを一気に飲み干した。
「仕方ないだろ、一週間前に組んだばかりなんだから」
前髪をかき上げ、額の汗を拭ったその時、タオルが頭の上にかぶせられ、
「良かったよ」
と、亮の声が聴こえた。
「本当!? じゃ、ひとまず成功だ」
パッと目を輝かせながら亮を見ると、微笑ましそうに司を見つめている。
司は満足気に頷くと他のメンバーを見渡した。
三人共、やり遂げたという満足感と底知れぬ快感に酔いしれていた。
それもたった3曲で。
ふと、紀伊也と目が合った。
あんな笑顔初めて見た・・・。10年近く付き合っていてあんな笑顔・・・。
思わず二人は初めての笑みを浮かべ、見つめ合った。
主従のような関係から、親友になれた瞬間だったかもしれない。
「ねぇ、ねぇ、さっきのバンド、カッコ良くない? 何か聞き惚れちゃった。それにみんな美形でカッコイイし。バンド名、何?」
あちこちでそんな会話が聞こえる。 そんな批評に晃一は敏感だ。
「そういや、俺達のバンド名って一体何なの?どうせ付けるなら、刺激的でカッコイイやつにしようぜ」
「あれ、言わなかった? ジュリエットって」
コーラを一口飲んで司は晃一に言う。
「ジュリエット??!」
晃一とナオは目を丸くし、開いた口が塞がらない。あまりにも期待していたような刺激的なものではなく、女性的だ。というより言わずと知れた女性の名前だ。
「何でそんな、カワイイ名前な訳?!」
呆然と晃一が訊く。
「兄ちゃんの恋人の名前なんだってサ」
あっけらかんと応える司に、二人は更に開いた口が塞がらない。
側にいた祐一郎にしても然りだ。
思わず亮を見ると、意味深に笑っていた。




