第八章(ニ)
誤算(二)
「あー、疲れたなぁ」
店を出るなり司は伸びをしながら空を見上げた。と言っても空は暗く、街の灯りでほんのり青白くなっている。勿論、星など見えない。
「司、今日泊まってっていい?」
秀也も首をこきっこきっと傾けながら片手で肩を揉む。
「いいよー」
二人は同時に溜息をついて、顔を見合わせると歩き出した。
今シーズンのスケジュールの打ち合わせが終わってから、殆ど休みなしで動いていた。
急に、10月末のアルバムの発売と同時に、ミニ写真集を出す事が決まり、3日間でロサンゼルスへ撮影の為に渡米すると、そこで撮影の他に取材も入り、現地での睡眠時間はないに等しかった。そして、帰国すると更に取材に追われ、ほとほと疲れ果てていた。
やっと今日は早く解放され、皆と別れて久しぶりに二人で食事に行って、店を出ると10時を回っていた。
疲れた時程、お互い二人で時を過ごしたい。そう思っていた。
お互い何の気を遣う事はない。好きなように酒を呑み、タバコを吸い、求め合う。何よりの安らぎだった。
マンションの前まで来ると、司は思い出したように立ち止まり、秀也を見る。
「そうだ、ビール切らしてた」
「え? マジで・・・ 」
一瞬秀也は絶句してしまった。
「ま、いいよ」
そう言って入口に向かう。が、司はその腕を引っ張った。
「買い、行こ」
「いいよ、他に何かあんだろ?」
秀也は少し面倒臭そうだ。もう、このまま部屋に入ってゆっくりしたい、と思っていた。
「だって秀也、すっげー、がっくりしてたよ。あー、ビール飲みた~いって顔してる。今も」
ニコッと笑って顔を覗き込む。秀也は覗き込まれて、司には隠せないなと苦笑した。
確かに司の言う通り、ビールがないと言われ、本当にがっくりしたのだ。シャワーを浴びた後には欠かせない。それに特に、今夜みたいな日には、だ。
「はは、バレたか。よし、行こう 」
秀也は司の肩に手を廻し、近くのコンビニまで走った。そのまま自動ドアの前に立ち、ドアが開いて中に入るとレジにいた店員がハッとなる。司も秀也もサングラスをかけていなかった。
「こんばんわー」
司が頭を下げながら言うと、店員もつられて会釈した。秀也は廻していた手を離すと籠を持って奥へ行く。
「司、何本買うんだ?」
扉を開けて、とりあえず自分が飲むアサヒのスーパードライを2本取った。
「んー、あとそれ3本と、バド5本とハイネケン5本」
秀也は言われるまま出していたが、え? と司を見る。
普段そんなにビールを飲まない司がこれだけ買うとは。が、しかしまあ、今日は飲みたいのか、と気にする事もなく籠に入れていく。
そして、スナック菓子を抱えて来た司と目が合った。まるで子供みたいだ。秀也にはそんな司が可愛らしく思えた。
「はい、これね。ポテチとかっぱえびせんとチョコレート。 あ、あとさきいか、ね」
籠に入れるとまた引き返して行く。
今から宴会でもやるつもりなのか、と半ば呆れながら籠を持ち上げる。
う、重い。
レジで支払いを済ませると、とりあえず秀也がビールの袋を二つ持ち、菓子の袋を司が持って外へ出た。
そのまま歩き出したが、いつもなら我慢して持って行くが、何となく疲れもあって、段々腕が辛くなってくる。
「ねぇ、司。 重たいんだけどぉ・・・」
「そぉ?」
チラッと横目で秀也を見ただけだ。
-ちっきしょー、こいつ・・・。
「司、お前さ、もし結婚したら、ホントっ いい嫁さん、になるよな」
思い切り嫌味を込めて言う。
「結婚? ・・・」
足を止めて秀也を見た。
「え?」
秀也も特に意識して言った訳ではないが、何故か自然に『結婚』という二文字が出て来たのだ。そう言えば今までに一度足りともその二文字だけは、口にした事がなかったので、秀也も司も驚いたというよりは不思議な気持ちになった。
「結婚 ・・・ ? オレが?」
司は体ごと首を傾げる。
「バカな事言うな」
思わず笑い飛ばしていた。
秀也も確かにその通りだと思ったが、何となく笑う気にはなれなかった。
そして、二人はそのまま歩き出した。
少し歩いた所で秀也の胸から電話の音がした。二人は立ち止まって顔を見合わせたが、秀也は両手が塞がっていたので、司に取ってくれと目で合図する。
司はしょうがねぇなと、言わんばかりに胸のポケットから電話を取り出し、ランプの点いている画面を見ると、Yukari と出ていた。
「秀也、これ、出ちゃっていいの?」
「誰?」
「ゆ・か・り」
と、携帯電話を秀也の前にかざす。
ランプは消えたが、音だけが鳴り続けている。
秀也は一瞬戸惑ったが、「ごめん」と言うと、司にビールの入った袋を渡し、電話を受け取った。
司は、重てぇなとぶつくさ言いながら持つと、二、三歩下がって秀也を見ていた。
「もしもし・・・・ ?」
何となく様子が変だ。元気がない。
「どうしたの? 何かあった?」
思わず心配になって、優しく訊くが返事がない。少し不安になった。
「もしもし、ゆかり、どうかした?」
言いながら思わず司を見た。
司は何となくふて腐れているようだったが、「行けよ」と、顎で秀也を押すと、背を向けて歩き出した。
秀也は戸惑った。今夜司を誘ったのは自分の方だったが、ゆかりを放っては置けなかった。
遠去かって行く司の背中を見つめた。
「今、行くから」
そう言って電話を切ると、司とは反対方向に走り出した。
自分から走り去って行く秀也の足音を聞きながら司は、何となく切なくなってしまった。
「 ったく、重てぇなぁ・・・」
立ち止まって後ろを振り返ると、誰もいない。
街灯の明かりだけが、静かに道を照らしているだけだった。
******
一人部屋へ入り、リビングの灯りをつけた。
いつになくがらんとしている。
台所へ行き、冷蔵庫を開けると買って来たビールを一本ずつ入れ始めた。
最後の一本を入れようとしたが、そのまま手を引っ込めて冷蔵庫を閉めると、壁に寄りかかって座り、足を投げ出すとそれを開けて、ぐいっと飲んだ。
一気に半分位まで開けると、片膝を立てて缶を持った肘を置き、一息ついた。
そして、再び口につけるとそれを一気に飲み干した。
缶を自分の脇に置くと、上着の内ポケットからタバコの箱を取り出し、一本銜えながら出すと火をつけた。
一服吸って、ふうっと暗い天井に向かって煙を吐く。
そして、タバコを銜えると、隣の冷蔵庫の扉を開け、もう一本ビールを取り出した。
秀也が飲もうとしていたスーパードライだった。
缶を一周回し、それを見た後、蓋を開ける。
タバコを口から外し、ぐいっと飲んだ。
思わず炭酸が喉に引っかかりそうになって、チっと顔をしかめると缶のロゴを見た。 一息ついて、喉を落ち着かせると一気に飲み干した。
それを灰皿替わりに、手にしていたタバコの灰を落とすと、もう一服吸って天井に向かって煙を吐く。
何なんだろうな、この虚脱感は・・・。
司は溜息をつくようにタバコを吸うと、息を吐いた。
そして、タバコと灰皿替わりにしている缶を、目の前に持って来ると、タバコを缶の中に落とした。
シュッという音がして煙が消えた。
それを脇に置き、再び冷蔵庫を開ける。
もう一度、スーパードライを取り出すとそれを開けて飲み干す。一気に口に入れた為、口の端からビールがこぼれ、それを缶を持った手で拭った。
「結婚・・・?」
突然、秀也が口にした二文字を思い出した。
今まで本当に一度足りとも意識した事のない言葉だった。取材では何度か尋ねられたりした事はあっても、自分にとっては一生縁のない言葉だと決め付けていた。それに、出来る筈がなかった。
-ばかばかしい
司はその二文字を打ち消すかのように缶を投げ付けた。
そして再び冷蔵庫を開け、ビールを取り出すと蓋を開けて一気に飲み干すと、空いた缶を投げ付けた。 更にビールを取り出す。
いつの間にか、取り出した最後のビールになっていた。
-ハイネケンか・・・ 並木が飲むって言ってたかな
それを開け、一気に飲み干すと、手でぐしゃっと缶を握りつぶし、投げつけた。
司にしては、かなり酔いが回って来ているようだ。天井を見上げると、何だか回っているような気がした。そして、 がくんっと何かが体の中で落ちるような感覚に襲われて、そのまま目を閉じた。
翌朝、目の前が明るくなった事に気付き、目を開けると、冷蔵庫の隣でそのまま壁に寄りかかって足を投げ出して座ったまま眠ってしまった事に気が付いた。
足の先を見れば、いくつものビールの空き缶が転がっている。
口の中が何となく気持ち悪い。水で口をゆすぎたくなって、立ち上がろうとした。
「うえっ」
急に吐き気がして、口を押さえ、シンクによろけながら掴まった。水道の蛇口を思い切りひねり、体の中に溜まっている汚物を吐き出した。
ふうーっ。 少し楽になった。
そのまま両手で水をすくうと口の中をゆすいだ。ついでに顔も洗う。シンクの横に置いてあったグラスを取り、溢れるまで水を入れると、それを飲んで水を止めた。
グラスをそのままシンクへ置くと台所を出た。
「うー、気持ちわりィ・・・」
腹を摩りながらバスルームへ向かった。
熱いシャワーを一気に浴びると瞬間目の前が真っ暗になったが、何となく洗われるようだった。
バスローブを羽織って髪を拭きながら台所へ向かう。
冷蔵庫を開けて、チッと舌打ちした。
「水も切らしてやがった」
バタンっと足で冷蔵庫の扉を閉めると、シンクに置いてあったグラスにそのまま水を入れ、一気に飲んだ。
グラスをシンクに置くと両手をついて、ふうーっと一息吐き、横目でちらっと床に転がっている空き缶を見た。それを見ながら首にかけていたタオルで口を拭うと、髪を左右に振って台所を後にした。
バスローブを脱ぎ捨てると、服に着替え、出かけた。




