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第五章・錯覚(一)

突然目の前に、亡き兄・亮に生き写しの男性が現れて混乱してしまう司。錯覚が招く出会いの章。

第五章 錯覚(一)


「ちょっと、晃一」

ナオが晃一を慌てた様子で突付いた。

 ん? 

振り向いてナオを見るが、ナオは一点を見つめたまま固まっている。

「何?」

怪訝けげんそうにナオの視線を辿たどって行くと、「あっ」と小さな驚きの声を上げ、晃一は一人の男に釘付けになってしまった。しばらく二人は一人の男を見つめていたが、やがてナオが生唾を呑み込んで口を開いた。

「似、てるよな」

「う、うん。似てる」

晃一は慌てて視線を外そうとしたが、どうしても外す事が出来ない。二人の目の色が変わり、顔色も幾分青褪あおざめてきている。周囲ではテレビ局のスタッフが忙しそうに走り回っている。二人共サングラスをしているお陰で動揺を感じ取られずに済んでいた。

「似てるよな」

もう一度、晃一が言った。そして、少し離れた所に紀伊也を見つけると、助けを求めるかのように手招きした。

「ちょっ、ちょい、紀伊也っ」

小声で呼ぶと気が付いて二人の傍に来た。

「どうしたの? 何か変だぞ」

二人が明らかに何かにおびえるように動揺している事に首を傾げた。

「ちょっと、あの男、見てみろよ」

晃一が指を差した。

紀伊也が晃一の指を辿って視線を送ると、スタジオの入口で誰かと話をしている青年を見つけた。少し華奢きゃしゃな感じもするが品がある。彼が不意にこちらを見た。

 !!?

「りょ・・ 亮さん・・・っ!?」

驚愕きょうがくする紀伊也に晃一とナオも納得して顔を見合わせると頷いた。

「やっぱりそうだよな。似てるよな」

ナオが紀伊也の肩を叩くが、紀伊也は動けずそのままその男に釘付けになってしまった。そこへ秀也が現れた。

「あ、いたいた。何やってんだよ。・・・ 誰、見てるの?」


 え? あ、ああ・・・ 


三人とも慌てて視線を元に戻し、誤魔化ごまかすように互いの顔を見合わせた。

「あ、ああ。アイツ?」

秀也は入口の青年を見て、何か知っているようだ。

「お前、知ってんの?」

驚いて晃一が訊く。

「知り合いじゃないけど。あれ、お前ら知らないの? ホラ、最近人気のある俳優だよ。トレンディドラマとかCMに出てる・・・ 何て言ったかなぁ・・・。 並木、そうそう 並木なみき清人きよひと

「俳優なの? アイツ、何で」

ナオが並木を見ながら言う。

「何でって、お前らホントなんも知らねぇの? 歌も出してるんだよ」

呆れて秀也はナオを見た。

「ああ、ごめん。俺、あんまし興味ないし。ドラマとかって」

「それにしても珍しいな。秀也がそんなトレンディ何とかっていうのに詳しいのって」

晃一が言った。

「ま、まあね。友達がさ、アイツが俺に似てるって言うんだ。それでね」

少しバツが悪そうだ。

「お前に?」

三人共一瞬ギクッとして秀也を見る。三人共にサングラスをかけているので、本当の表情こそ分からないが、何か責められたような気がして秀也は一歩引いてしまった。

「い、いや、謙遜けんそんだよ。何だか雰囲気がね、似てるんだ、って言われたよ」

秀也は首をすくめた。が、三人がそれ以上責めて来なかったので、ホッとしていると、

「ところで、司は?」

紀伊也が秀也に向き直り訊いて来た。

「ああ、何とかっていう雑誌の取材があるからって。そうそうリハには来れないから俺達だけでやっとけって、言ってたな」

秀也は丸めた台本をポンポンと叩きながら言うと、マネージャーのチャーリーを見つけて走って行った。

「何だか、すっげぇ嫌な予感がするんだけど、俺」

晃一が秀也の後姿を目で追いながら言うと

「同感」

ナオも頷く。

「俺、気分悪くなってきたよ」

急に吐き気がして紀伊也は口を押さえた。


 その日のリハーサルは目茶目茶だった。こんなに合わないのは初めてだ。いつもなら司がいなくても大抵は一回で終わる。しかし今日は違っていた。秀也を除く三人の息がバラバラだ。秀也のイライラもピークに来ていた時、ようやく無理矢理合わせてO.Kが出たほどだった。

三人共に済まなそうにロビーのソファに腰掛け、タバコを吸っていた。

「どうする?」

ナオが紀伊也に訊く。

「うん・・・、キャンセルした方がいいかな・・・」

「俺もそう思う」

晃一も同感だった。三人共、実はこの場から逃げ出したい位だった。

その時背後から、怒りのこもった呆れた声がする。振り向くと秀也とチャーリーがこちらを睨んでいた。

「何だよ、お前ら。まったく、どうしたんだよっ。晃一じゃあるまいし、紀伊也までおかしいって、どういうことだよっ」

そう言うと、ポケットからタバコを取り出し火をつけた。

「司も遅れるって」

「ねえ、キャンセルできない?」

チャーリーの声と紀伊也の声が同時に重なった。

 え!? 

秀也とチャーリーは驚いて顔を見合わせた。

「出来る訳ないよ」

「司に何とか連絡取って・・・」

また重なった。

「さっき、司から電話あって、少し遅れそうだって。 本番ぎりぎりになるかもしれないって言ってた」

今度は紀伊也は黙っていた。 ダメか・・・ 。 諦めかけた時、晃一が言った。

「それじゃ、司が間に合わないって事で・・・」

「何訳分かんない事、言ってるんだよ」

秀也は完全に呆れ返っている。

「司とはもう連絡取れないの?」

ナオが訊く。

「うん、もう現場は出たみたいだから。それに何処かに寄って来るとかで、みやとは分かれて一人で来るらしいから」

チャーリーが自分の腕時計を見ながら言った。

「今日は何処へ行ったんだ?」

「鎌倉だよ」

秀也が答えた。 まったくどうしたんだよ、リハーサルが上手くいかないからって情けないヤツ等だ。秀也は段々に苛立ってくる。

「鎌倉!?随分ずいぶん遠くだな。全く何だってこんな時に司は携帯持ってないんだよ」

晃一はがっかりしながら言うと

「あー、俺も気分悪くなってきたよ」

と、タバコを灰皿に押し付けながら呟いた。

「ダメだ、気持ち悪ィ」

我慢できなくなった紀伊也は立ち上がると洗面所へと駆けていく。

「ああ、俺も・・・」

晃一も続く。ナオは慌てて二人の後を追った。

「何だよ、アイツら」

そう言えば三人共に顔色が良くないな、と思い少し心配になった。

「どうしたのかな。何かまずいものでも食べた?」

チャーリーも心配そうに言うが、三人の態度から仮病っぽいものを感じた秀也はぷいっと横を向いた。

「ふん、ラーメンで当たるかよ、ばか」


 本番三十分前になっても司は現れない。スタッフ達は少々慌てている。さっきから楽屋の前を何人かが行ったり来たりしていた。生放送番組なので、取り直しが利かないのだ。

四人は既に着替えも済ませ、司を待っていた。その時、外で「あ、来た来た。早く早く」と焦った喜びの声がして、バタバタっと誰かの走って来る音がしたかと思うと、勢いよく扉が開き、息せき切って司が飛び込んで来た。

「悪い、悪い」

「おっせーよっ」

秀也が睨みながら言った。司は上着を脱ぎながら秀也からコップを受け取るとそれを一気に飲み干した。

「いやー、混んじゃってさぁ。電車で来ればよかったぁ」

そう言ってコップをテーブルの上に置いた。

 ? 

三人がヤケにおとなしい。ナオと紀伊也なら分かるが、晃一までも黙ってるなんて。

「どうしたの?」

晃一の顔を覗きこみながら言うと、秀也に向き直った。

 さあ? と秀也は肩をすくめた。秀也の方こそ訊きたい位だ。

「何か変なモンでも食った?」

然程さほど気にする様子もなく、衣装に着替え始める司を見ながら秀也は、司に今日の事を愚痴った。

「こいつ等今日、おかしいんだよ。リハもさ、最悪だったんだぜ。もう、合わなくてメチャクチャ」

「何で?」

「知るかよ。とにかく、紀伊也が特におかしいよ。ドタキャンしようぜ、なんて言い出してさ」

「紀伊也が?」

司は手を止めて紀伊也を見た。紀伊也も黙って司を見上げた。三人共に何か言いたそうだ。

「そろそろ本番行きます」

チャーリーが声をかけに来た。司は慌てて仕度を整えると「何だか知らんが、本番は頼むぞ」と皆を見渡した。

三人は頷くと顔を見合わせた。

 とても不安だった

スタジオに向かって通路を歩きながら紀伊也は呟いた。

「大丈夫かな」

「秀也に任せるか」

晃一が言う。

「とにかく、俺達もしっかりしようぜ」

ナオが二人の背中を突付いた。


 ******


 オープニングの曲が始まり、スタジオから観客の歓声が聞こえる。司会者が出演者を紹介しながら順に登場するのである。ジュリエットは最後に紹介された。司を先頭に登場すると観客の声は一層大きくなった。

 リハーサルに出ていなかったので、誰が出ているのか珍しく興味を持って出演者を見た司は、息を呑んで自分の目を疑った。

 そんなっ・・・!?

思わずよろけそうになってしまった。

「兄ちゃん・・・」

隣にいた晃一はかすかな呟きを聞き逃さなかった。横目で司を見ると、徐々に顔が青褪あおざめて行くのが分かる。体も何となく震えているようだ。晃一の予感は当たった。そして、後ろに回していた手の指でバツ印を紀伊也とナオに送った。二人共それを見て観念したように俯いて目を合わせた。

 晃一は、カメラが寄って来るのに気付き、慌てて肩で司を突付いた。

ハッとなりカメラを見るといつもの視線を送った。

 CMに入り、司会者の後ろにセットされた席に着く。

司を真ん中に秀也、晃一が座り、その後ろにナオと紀伊也が座った。

司の目は虚ろだった。

ショックから立ち直れないでいる。

CMの間に晃一がサングラスを手渡した。一瞬晃一を見たが、何も言わず受け取りそれをかけた。

「大丈夫か?」

誰にも聞こえないように声をかけると、司は息を呑んでわずかに頷くだけだった。

 一瞬しか見ていないが、余りにも似すぎていた。

 番組が進行していく中、司は暫く放心状態だった。晃一のサングラスのお陰でようやく落ち着きかけた時、彼の番になった。

司会者の隣に座る彼に、サングラスの下から視線が釘付けになっていた。視線を外そうにも吸い寄せられるように離れないでいた。

「ジュリエットの・・・」

不意に自分達が呼ばれ、ギクッとした。でも次に秀也の名前が呼ばれると少しホッと胸を撫で下ろす。

「似ていると言われるんです」

そう彼が嬉しそうに言う。

 話によると、どうやら彼は司を尊敬しているらしいく、デビュー当時からのファンだという。何でも彼の好きなバンドの曲を司が手掛けていたのを知ってファンになったというのだ。そして、そのメンバーである秀也に似ていると言われ嬉しいらしい。しかも今日はその司との共演が叶ったのだ。

彼が憧れと尊敬の眼差しをこちらに向ける。

 ドキッとした

司は、自分の心臓がドクっドクっと大きな音を立ててうねっているのを感じて、息苦しくなってしまった。

 似てる・・・ 

話し方まで似ている。声のトーンこそわずかに違うが、あの笑顔、忘れる事の出来ないはにかんだあの笑顔。思わずうめきそうになって秀也の手を握った。

 司? 

汗ばんだ手に秀也は驚いたが、今は本番中だ。秀也は無視すると司会者からの質問に応えた。

「あ、俺も似ているって言われた事ありますよ」

確かに秀也と並木は同じ雰囲気をかもし出していた。

晃一は気が気でない。思わず身を乗り出して秀也の顔を覗き込む。

目の前を突然晃一の顔が横切り、思わずった司は後ろにいたナオと紀伊也と目が合った。

二人の目は、しっかりしろ、と言わんばかりだ。

司は正気を取り戻し、いつものニヒルな笑みを浮かべ、司会者に反論した。

「そうかなあ、秀也より彼の方が断然紳士っぽいけど」

思わず秀也はムッとなり、司の頭をはたくと一斉に笑いが起こった。

四人はホッと胸を撫で下ろした。何とかその場を乗り切る事ができたのだ。

並木の歌が始まった。歌声を聴いて司は更に驚愕してしまった。

 間違いない、本人だ

思わず錯覚しそうになっていた。

晃一には司の心臓の音が聞こえてきそうだった。

「司、しっかりしろよ。アイツはただ似ているだけなんだから」

ナオが小声で耳打ちする。

「う、うん」

司は手にしていたフルートを握り締めた。

 自分達の出番まで、どれだけ長く感じただろう。司の心臓はバクバク言い続けていた。

ようやく出番になり、それが最後の出演者であると同時に今人気絶頂のジュリエットの登場に拍手も歓声も一際大きくなった。

並木はさすがだなあ、と感心した。しかも目の前では憧れの司が喋っている。写真やブラウン管で見るよりずっと美しい顔立ちをしている。何よりサングラスをしている事が少し残念だった。

司一人を残し、皆は演奏の準備に入った。少し不安だったがリハーサルもしていないので、トークタイムはほんの一分程で終わった。

マイクの前に立つ前、司はふと紀伊也に助けを求めるような視線を送った。

『司、しっかりしろ。今は歌う事だけを考えて俺達に合わせろ』

珍しくテレパシーを送って来た。

司は頷くとサングラスを外し、晃一に合図する。

 曲が始まった。

今回は司が最も得意とするバラードで、間奏には司がフルートを吹く事になっていた。フルートを構えると皆うっとりしたように司を見た。さながら何処かのおとぎ話に出てきそうな貴公子がいるようだ。

フルートの音色を聴きながら、メンバーはやはりいつもと違うと感じた。

微妙な心の変化が音色を変えていた。

さすがに秀也もどうしたのだろうと司に視線を送った。





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