第四章(九の2)
二日後、レコーディングの打ち合わせの為に事務所に集ったが、司が姿を見せず、結局スケジュールの調整だけ行い事務所を後にしたが、チャーリー始め、スタッフもメンバー一人一人の様子が何となくおかしい事に首を傾げた。
司の気まぐれに腹を立てるどころか、個人的な会話が一つも出ないのだ。事務的に話をするだけで笑い声一つ立てない。そして打ち合わせが終わると同時にそれぞれ無言の内に散って行った。
「何かあったんですかね」
宮内が皆の出て行ったドアを見つめながらチャーリーに話しかけた。
「さあね。でも、明日の取材では何とかしてもらわないとね」
仕事を無事に切り抜けてもらえば良いという言い方だが、内心穏やかではない。
仲間割れのような悪い噂はすぐ記事になり易いし、芸能記者の一番飛びつきたい話だ。
悪い予感を感じながらも、司が何とかしてくれるだろうと、明日司が来てくれる事を祈った。
が、チャーリーの祈りも虚しく、時間になっても司が現れない。四人は相変わらず黙ったままで、お互い目も合わそうともせず、タバコを吸ったり新聞を読んだりしている。
都内のホテルの一室を借りての雑誌のインタビューだ。
取材をする側もされる側の双方のスタッフは、無言で過ぎる時の長さを感じながら待っていた。
予定の時間から三十分程過ぎたところでようやく室内がざわついた。司がやっと姿を見せたのだ。
だが、その様子を見てチャーリーは更に深刻になった。
何の悪びれる素振りも見せず登場するのは毎度の事だが、他の四人と同じように無言で声もかけようとしない。それより顔色は思わしくなく、険しい顔つきだ。
黙って秀也の隣に腰掛けると宮内から水の入ったコップを受け取り、それを半分飲んだところで宮内にコップを返すと、急にむせ返るように咳をし出した。
今まで無関心を装い黙っていたメンバーもさすがに、苦しそうに激しい咳をする司に注目する。
「どうした?」
秀也が司の顔を覗き込む。
「風邪、ひいたみたい」
やっとそれだけ言うと、再び咳き込んだ。
「取材始めてもいいですか?」
その問いかけに司は頷くが、他の四人は初めて顔を見合わせると首を横に振った。それには、スタッフ全員が驚き声も上げられない。
待たされた挙句、突然のキャンセルだ。
「10分位で終わるならいいよ。でもそれ以上は無理だ。熱が出て来たみたいだから 」
秀也が司の肩を抱きながらスタッフに告げる。
「10分だなんて、そんな無茶言わないで下さいよ。それに遅れて来たのはそちらさんでしょ。雑誌の取材ですから咳くらい大丈夫ですよ」
「お宅はそれでもいいかもしれないが、俺たちはやだね。その後のこのバカの面倒を誰が看るって言うんだよ」
タバコを灰皿に押し付けながら晃一が立ち上がる。
「この後もスケジュールが詰まってるんだ。 取材なら空いた時間にでもやればいいだろ。とにかく今日はダメだ。司だけでもキャンセルさせてもらう」
何を馬鹿な事を言っているのだと、スタッフは怒りを露わにし、チャーリーや宮内に詰め寄るが、本人の体調が悪いのであれば仕方がない。何とか説明するが相手も食い下がらない。その内、秀也と晃一が司を抱きかかえるように立ち上がらせた。それを見たスタッフは驚いてようやく諦めた。何故なら先程まで一人で歩いていたのに、今は二人に抱えられなければならない程にぐったりしているからだ。
「司は特異体質なんだ。後は俺に任せろ」
紀伊也がスタッフに説明する。 秀也と晃一はチャーリーに車を回させると自宅まで送って行った。
「まったく、ナオがおかしいって?」
ソファにもたれ、タバコの煙を天井に向かって吐きながら司が二人に言う。
「ナオどころかお前らまで変だって言うじゃねぇかよ」
嫌味っぽく言う司に秀也と晃一も決まり悪そうに顔を見合わせた。
「悪かったな」
ぼそっと呟く晃一に司は呆れて溜息をついた。
「ああでもしないと断れねえだろ。あの雰囲気で対談なんかやってみろよ、言いたい放題の大喧嘩になってたぜ、ったく」
昨夜、紀伊也から電話をもらった司は本当に風邪をひいて寝込んでいた。
そして事情を聞き、何とか今朝、解熱剤を打ってもらい現場に行くと、話しに聞いていた通りの皆の様子に堪りかねて一芝居うったのだ。
さすがの紀伊也も耐えかねたのだろう、司も紀伊也から相談された時は正直驚いたのだ。 言い合いや喧嘩ならしょっちゅうしているので多少ひどくなろうがどうって事はない。が、今回のように何も言わず険悪なムードが漂うだけで、しかも皆それぞれが違う方向を向いているのは初めての事だ。ただ、一つの方向に向かいたいのに敢えて背中を向け合っているという言い方の方が正しいのかもしれない。
紀伊也からそんな事を聞かされ、自分でもどうしていいのか分からない苛立ちを感じると告白されたのだ。
それは恐らく秀也も晃一も同じだろう。三人共同じ悩みを抱えながら、それを互いに言い出せないでいた。
「で、お前らが変なのはわかったよ。心配し過ぎなんだよ、ナオの事。あいつだって何か考えて行動してんだろ?」
「いや、それがさ本当におかしいんだって。海にだって行かないんだぜ。それに誰かから頻繁に電話かかって来てるみたいだし。オフには家にもいないようだし」
晃一がビールを置いて言うと、秀也に同意を求めるように見る。
「宏子と会ってるんじゃないの?」
司が訊く。
「なら、いいけど。あいつだってそう頻繁に電話かけてこないだろ。俺達のスケジュールだってある程度は知ってるんだし。あいつも忙しいからな」
「それに」
秀也が付け加える。
「珍しく図書館とか行ってるみたい」
「図書館?」
「うん、この前移動の時に結構分厚い本読んでたから、ちょっと気になってさ、何気に見たんだ。そしたらどっかの図書館の判があって、心理学書みたいだったな」
「心理学?」
「エッセーかなとも思ったけど、あんな専門用語だらけなのは何かの論理書しかないと思って。あいつも真面目だからな、もう一度勉強し直してんのかと思って感心したけど、今になって思えば本当に真剣に読んでたな」
「それ、いつの話?」
「いつだったかなぁ、だいぶ前だよ。ホラ、司がナオに絡んだ日の後かな。あれ位だと思ったけど」
ふーん、 と秀也の話を聞いていた司は何となく胸騒ぎを覚えたが、それが何なのかよく分からない。直接本人に訊いてみるのが一番良いのだろうが、それでは恐らくナオは何も喋らないだろう。それよりあの様子なら尚更遠去かって行くのは間違いない。
さて、どうしたもんか、と大きな息を一つ付く。と、またゴホゴホむせ返ってしまった。
まったく、何だってこんな時に風邪なんかひかなきゃならないんだ。と自分自身にも腹が立つ。
暫く三人は黙ったまま時を過ごしていた。そのうちに誰かが部屋へ入って来た。
「はい、買って来たよ。大丈夫か?」
紀伊也が司に薬局の紙袋を渡すと、「悪いな」と受け取り、中から咳止めシロップを出して封を切って飲んだ。 うぇーまずー、と言いながら顔をしかめ慌てて台所へ行き水を飲んだ。
「で、どうだったの?」
ソファに腰を下ろし、タバコに火をつける紀伊也に訊くと、紀伊也は一服吸って煙を吐いて顔を上げ、「うん」と一瞬目を伏せた。
「疲れてんのかな、あいつ。何だか全然元気なかったよ。訊いてみたけど、どこも悪くないって言うし。とりあえず家まで送ったけど」
「そう、悪かったな」
「あ、それで、とりあえず明日はオフになったよ。全部キャンセル。今日も来なくていいって事になったから。あいつらも司の事話したら相当ビビってたよ。チャーリーなんかはまた変なスクープになるかもしれないって焦ってたけどね。宮ちゃんなんかはこれで無理なスケジューリングしなくていいって逆に喜んでたな。でも、ドタキャンあるから覚悟しといた方がいいよって脅したら青ざめてたけど」
紀伊也にしては珍しくジョークが飛び出す。相当無理して皆に気を遣っていると思われた。そんな紀伊也に三人は申し訳なく思うと、苦笑するしかなかった。
「そっか、明日のオフはどうするんだろうな、あいつ」
晃一が言う。
「明日こそ誘って、無理にでも連れて行く?」
秀也が晃一を見ながら言うと、そうだな、と頷いた。
「ナオが行くなら、オレも行ってもいいよ」
えっ!?
三人は同時に驚いて司を見た。言った手前少しバツが悪くなりそっぽを向くが
「それ位しないと、ナオもオレ達の事分かってくれないだろ」
一番言いたくない台詞だったが、それだけ深刻な悩みとなってしまっていた。
「じゃ、後で連絡してみるか」
晃一が司に感謝しつつ、ポンっと手を打つと、
「あ、今夜はしない方がいいかも」
紀伊也が思い出したように言った。
「何で?」
「宏子に会うとか言ってたから。久しぶりらしいから邪魔しちゃ悪いだろ」
「だな。 たーっぷりお仕置きしてもらえばいいんだ」
司がニヤついて言うと、晃一が何だよ、と司に問いただす。先日の合コンの件を話して聞かせると三人は急に笑い出した。すると、何だか久しぶりに笑った気がして少し気が楽になるのを感じた。
「もしかしてナオも浮気してたりしてな。その電話の相手ってそれだったりして」
晃一はまさかと思いながらもあり得るかもしれないという変な期待を抱いて言うと、それに拍車をかけるように、
「もし、そうだとしたら、痴情の縺れで俺達振り回された事になるよな」
と、秀也が言い
「それが本当ならあいつらぶっ殺してやる」
と、司が呆れ返って付け加えた。
その日の夕食は皆の反対を押し切って、七月上旬の蒸し暑い中、司は熱々の鍋を囲ませた。しかも、風邪を理由に冷房も極力抑えていた為、汗を掻きながらの食事となり、三人は司を恨みつつも久しぶりに楽しい時が過ごせた事に感謝したが、やはり物足りなさを感じてしまった。
満たされず、何かしらの寂しさを覚えながらも司の家を後にした。




