ネタバレしないで
「なあエリス、エドモンド・グレイヴスの新作は読んだ? 仮面の魔術士、今回も良かったなあ~」
「うん……でも、キャラ頼みっていうか……話がありきたりで、トリックがいまいち……」
私はもごもごと辛口批評をするが、クロードはわかってないなあと、首を横に振る。
「そんなことないよ、スラスラ読めてハッと驚ける。素晴らしい作品だ」
目の前で熱く語られるのは嬉しいけれど、どうしても慣れない。気恥ずかしい。
……なぜなら、私が、その作家、「エドモンド・グレイヴス」だからだ。
近年、印刷技術が発達し娯楽的な本も売られるようになった。その中でも仮面の魔術士シリーズは人気作だ。一応ミステリなのだが、主人公の探偵ユリウスと謎の仮面の男のアクションや思わせぶりな会話が人気で、幅広い読者層に支持されている。
私がエドモンド・グレイヴスであることは我が家の秘密だ。まだ学園に通う身だし、貴族の令嬢が仕事を持つなどあり得ないと考える人も多い。これからどんなご縁があるかわからないし。
クロードは読書仲間だ。私をただのミステリ好きだと思っている。
いつも取り巻きに囲まれている彼は、それを撒いてまで私が気に入っている裏庭のベンチにやってくる。どうやら取り巻きとは、ミステリの話はできないらしい。
読書の話は、私も楽しい。でも、こうも手放しで褒められると居心地が悪い。
「そうだわ、クララ・ベアリドの新作は読んだ?」
「ああ、でもクララは、あまり人気ないよね」
「うーん、面白いのだけど少し難しいから……」
「それより仮面の魔術士、次が楽しみだ! 今作の新しい登場人物は実に魅力的だった」
話題を変えようとしてもスルーされてしまった。クロードが、新キャラについて熱く語るのを複雑な気持ちで聞きながら、曖昧な相槌を打つ。
「一体どのような人なのだろう、エドモンド・グレイヴス先生とは! 僕の予想では儚げで美しいが芯が強い、ユリウスのような人ではないかと」
「そ、そうかなあ~」
「いや、正体が不明というところを考えると、悪戯好きで秘密がある、仮面の魔術士のような人かもしれない」
「ど、どうかなあ~」
クロードはうっとりと作家の正体を予想し始めた。どうやらクロードの中でのエドモンド先生は、輝く金髪に翡翠のような瞳の、主人公のような賢い美人らしい。
「そういえばエリスも、金髪に緑の瞳だ。ユリウスはこのような感じだろうか」
「うーん……」
半分正解。主人公ユリウスは、私がモデルなのではなく、こうだったらいいなー、という憧れをぶち込んだキャラクターである。実物はご覧の通り、くすんだ金髪にありふれた緑目の、冴えない女である。
そして、そんな話に夢中になっていても、クロードは輝くように美しい。さらさらとした艶やかな黒髪に青灰色の瞳。切れ長の目は賢そうで、すっきりと伸びた背筋は、ただの木のベンチに座っていても品が漂う。
「名前は男性名だが女性かも知れない。ほら、文章が美しいだろ? きっと賢く、素敵な人に違いない! 王子妃には興味はないだろうか。あの才能の前では身分など関係ない。僕のために一遍でも書いてくれるのなら、すべての障害を排除してみせよう。どうかなあ、王宮のドロドロした日常は良いネタになると思うのだけど」
とんでもないことを言い出したので、これは私の胸にしまっておくことにする。
そう、クロードは王子様なのだ。この国の第三王子。
本来なら子爵令嬢の私が気軽に話せる相手ではない。
出会いは一年前、学園の図書館で、死体がどのくらいで腐っていくのかを調べていた時だ。なぜそんなものを調べているのかと聞かれ、小説で読んで気になった、と言うと、嬉しそうに笑って「僕もだ」と言う。
それからミステリ仲間に認定されたのだ。
「王宮といえば、クララのデビュー作は王宮を舞台にした作品……」
「クララはいいだろ、今はエドモンド先生の話をしているんだ」
話題を変えるのも失敗し、私はため息をついた。しかし、これ以上ひやひやするのも嫌だ……
私は咳払いをして背筋を伸ばす。
「……クロード殿下、そろそろお帰りの時間では?」
「ひどいよエリス」
クロードはわざとらしくハンカチを出して目を押さえて見せる。
「二人の時は、クロードと呼んでと言っているだろ」
「……」
いくら学園の中とはいえ、何故ただの子爵令嬢が、王子を呼び捨てにしなければならないのだろう。
「クロード、そろそろ、」
「ああそうだエリス」
帰りましょう、と言いかけたが、遮られる。そして私は、クロードが笑顔で続けた言葉に驚愕した。
「今回の新刊で、僕、エドモンド先生の正体、分かったかもしれない」
「え!?」
「それで聞きたいことがある。君の家、中庭にポプラの大きな木があったでしょう」
私は背筋に冷たい汗が流れるのを感じた。確かに、……ある。そして今回トリックで、そのポプラの木を使ったのだ。
「で、でも、ポプラの木って珍しいものでもないし」
「いや、あの小説を読んで浮かんだのは、エリスの家の中庭だった。とても美しく印象的で、まるでユリウスのようだと思ったから覚えている」
クロードは一度我が家に遊びに来たことがあるのだ。本棚が見たいと言って、わざわざ変装して。その時に見たのだろう。
……今度から気を付けよう。目に入った物をそのまま使うのは危険……
「エリス、なんだか顔色が悪いよ」
そう言ってクロードはハンカチを持った手を伸ばし、そっと私の額の汗をぬぐった。上目遣いの、なんとなく悪戯めいた眼差し。
「ハンカチを使ったのも良かったよね。ポプラの木に意味ありげに結ばれたハンカチ、それがいつほどけ、濡れて、被害者の鼻と口を覆ったのか」
「……」
クロードはぱらっとハンカチを広げて見せた。
「これでしょう?」
そこにはポプラの刺繍が。私の全身からどっと汗が噴き出す。
確かに、それなのだ。締め切り前、何も思い浮かばなくて、ぼんやり庭の木を見ていたら、そういえばクロードのハンカチに、ポプラの刺繍があったなあと思って……
「ななな、何のことやら」
「ねえ、僕にだけこっそり教えてよ」
クロードは秘密の話をしようとするように顔を近づける。切れ長の目に、黒い艶やかな髪がかかる。近づいてくる美形に、ついごくりと喉を鳴らしてしまう。
実はこの頃この顔ばかり考えていた。仮面の魔術士の正体、ルナのモデルはクロードだ。柔らかい表情に、何かを隠しているような眼差し。
……だから、このうるさい鼓動は、正体がバレたかも、という焦りであって、クロードの香りがルナと同じバラの香りであることに気が付いたからではない。
「エドモンド先生ってさ、」
ずいっと近づいてきた青灰色の瞳に、自分が映っているからではない。
「……君のお父上なんだろ?」
クロードの声が、いつもより少し低くて掠れてるからでは……って
「……は?」
小さくささやかれた言葉に、つい呆けた返事をしてしまう。
え、ええ? バレてない? バレてないのお??
「い、いや、ちがうわ!」
「隠さなくてもいいよ、ピンと来たんだ。子爵はよくミステリの話をしているからね」
「ええ……ええ! そう! 実はそうなの!」
私は乗っかることにした。そうだ、そう思っててくれれば私のことはバレない。
「誰にも言わないで」
「勿論だよ。君と僕の秘密だ」
ホッとしていると小指を差し出されたので、それに自分の指を絡めた。クロードは憧れの作家の正体を知ったからか、幸せそうに白い頬を染めた。
「次は、クローバーの話にするのかな?」
「え?」
「この間そんな話をしていたから」
なぜ知ってるのだろう、と思ったけれど、父は私が日頃から構想やトリックの案をとりとめなく喋るのを聞いてくれる。それを世間話にすることもあるかもしれない。
「あ、ええ、そうなの」
クローバーのアリバイトリックは、先日クロードと話してて思いついたのだ。父に話しただろうか。……思い出せないが、クロードがいうなら話したのだろう。
「ここだけの話、教えてくれよ。四葉のクローバーがアリバイ崩しの切っ掛けになるとか?」
「なんでそこまで知ってるの~」
私は脱力した。それは重要なポイントだ。読者に知られていたら書けないではないか。クロードが知っているという事は、父は何人かに話してしまったのだろう。
もうこのトリックは使えないな……と思い、クロードだけに教えることにする。
「四葉のクローバーの場所が違うのよ……だからアンはユリウスだと思い込むのよね」
「成程」
「アンは、ユリウスが計画を阻止しようとしていると思っているの」
「へえ、ルナがそう仕向けたり?」
「そうなの、自分の邪魔にならないように……」
嬉しそうに聞いてくれるから、楽しくなって、どんどんしゃべってしまう。もうこの話は使わないしな、と思ったのもあって、気が付いたときにはストーリーを丸々話していた。
「……って、言ってたわ、お父様が」
……自分でも、しゃべりすぎたと思ったけど、最後に父から聞いたと付け加える。
「ははは」
それを聞いてクロードは、愉快そうに笑った。
「それは面白そうだ。僕は子爵とは面識がなくてね、今度聞いてみよう」
ん? 面識が、ない?
「実は市民の識字率の向上の為に、印刷事業に力を入れることになってね。僕も推薦できる人を探しているんだ」
「え?」
「エドモンド先生のお父上なら、ぴったりだろう。なにせわかりやすい、楽しい、読みたいと思わせる文章をずっと見てきたんだ」
私はさーっと青くなって何も言えなくなってしまった。クロードは作戦が成功した仮面の魔術士のようににやりと口の端を上げる。
「やっぱり、エドモンド先生は、儚げで美しいが芯が強い、悪戯好きで秘密のある人なんだね。……エドモンド先生は、第三王子には興味ないかなあ」
ええと、バレた? バレたのよね? それは分かったけど、第三王子に興味? ……そういえばさっき、王宮のドロドロには興味ないかな、とかって……
「な、無いと思うわ! 王宮ミステリは身内になったら書きにくいと思うしっ」
真っ赤になりながらもそう言うと、クロードは少し残念そうに口を尖らせた。
「大丈夫だよ、第三王子がクララ・ベアリドでも、全然バレないんだから」
クララ・ベアリド? ミステリ作家の?
「正体を明かせば、もう少し人気出るかな。でもそれでは意味がないよな」
……確かに、言われてみれば、王宮の描写がやけにリアルだった。王宮勤めの経験があるのかと思っていたのだ。
えーと? クロードが、クララ・ベアリド、という事?
「一緒に書くのも楽しいと思うんだ」
混乱していると、気づけばクロードが私の手を取っていた。
そしてたっぷり溜めた後、少し得意げに目を細める。
「──墓まで一緒に、人生というミステリを一緒に紡いでいく、というのはどうかな?」
何そのもったいぶった、気障な台詞。
ああ、本物だ。こういうところなのだ。私はつい、苦笑いしてしまった。
「……クララはアイディアはいいのに、言い回しに凝りすぎ。オチはもっとわかりやすいほうがいいわ」
「そうかなあ。じゃあ、思いっきりシンプルにすると……」
んー、と、クロードは少し悩んで、真剣な顔をこちらに向けた。
「エリスが、好きだ」
その顔は、真っ赤になっている。
……それを見て、王宮ミステリに挑戦するのも悪くないかも、と、私は思った。
読んでいただきありがとうございました!




