1953決戦、ハワイ沖海戦16
ハワイ防衛艦隊司令部の通信環境は充実していた。最初から指定された艦隊旗艦ではなく、占領行政にあたる民政本部近くの余裕のある地上施設を司令部としていたからだ。
民生本部は英国資本のハワイでは珍しいほどの高級ホテルを接収していたのだが、ハワイ防衛艦隊司令部が接収した建屋は米本土の基準で言えば安宿に過ぎなかった。
しかし、その後は海陸軍の工兵によって次第に通信塔等の艦隊司令部施設にふさわしい付随施設が建設されて、今では本土とミッドウェー島をつなぐ海底ケーブルの支線も構築されていたから、情報の鮮度は本土並みと言ってよいのではないか。
尤もハワイ防衛艦隊司令部が陸上の施設を使用していたのは、艦隊旗艦の通信機能が当てにならなかったためでもあった。
誰かに呼ばれた気がして、ハワイ艦隊司令長官のバーク中将は、出てきたばかりの司令部に振り返っていたが、屋上に通信塔を架設されて奇妙な姿になっている思わず苦笑を浮かべていた。
軽量材を頑丈につなぎ合わせたトラス構造の通信塔は、艦隊旗艦であるカリフォルニアの籠マストのそれとどこか似たような姿になっていたからだ。
バーグ中将の前任である初代艦隊司令長官は、テネシー級戦艦2番艦であるカリフォルニアの籠マストを旧式化の象徴と考えていたらしいと聞いていたのだが、陸上の司令部も結局は似たような姿になってしまっていたのだ。
テネシー級戦艦は、米海軍の最有力戦艦として艦隊旗艦などにもしばしば用いられていた。計12門もの14インチ砲の大火力と、自艦の主砲に対抗しうる重装甲を併せ持つ3万トンの巨体は、米国の威信を内外に知らしめ続けていたと言えるだろう。
ただし、テネシー級が米海軍最強の戦艦という地位を保ち続けていたのは、軍縮条約による停滞という特殊な状況によるものだともいえた。建造直後から米海軍にはテネシー級を越える16インチ砲を備えた艦艇があったからだ。
本来であればテネシー級戦艦に続いてより大威力の16インチ砲を備えたコロラド級が建造される予定だった。列強各国でも主砲の大口径化が急速に進んでいたから、16インチ砲の採用は時代の趨勢だったといえた。
コロラド級戦艦はテネシー級の改良型としてより重厚な姿の戦艦となる筈だったのだが、第一次欧州大戦後に締結された軍縮条約が戦艦としての同級就役を許さなかったのだ。
海軍の保有枠を制限した軍縮条約は、同時に新造主力艦の建造を当分の間禁じていた。新造戦艦も主砲は16インチ砲以下と制限されていたのだが、これらの条約規定からは、建造中の未完成艦や16インチ砲艦を保有していなかった英国海軍の戦力格差などの問題が発生していた。
激しい論争の結果、条約の特例として米英日の3カ国は16インチ砲搭載艦の保有数を2隻ずつに制限されることになっていた。これに対して英日はネルソン級、長門級という純然たる戦艦を建造していたのだが、第一次欧州大戦で中立を保っていた米海軍にはある懸念があった。
この懸念から、米海軍は16インチ砲の保有枠としてコロラド級戦艦ではなく、6隻が計画されていたレキシントン級巡洋戦艦2隻を選んでいたのだ。
中立を保ってはいたものの、米国は第一次欧州大戦の趨勢を注意深く見極めていた。実際の戦場を確認するために観戦武官団の派遣も行われていたが、そこには濃淡があった。
英日やロシア帝国などは政治的な情勢から米国による観戦武官の申込みを拒否していた。それに対して親米のフランスは比較的好意的だったが、それは近い将来における米国の対独参戦を期待したものでもあったはずだ。
だから最後まで中立を保っていた米国の態度に不満が募っていたのか、終戦間際にはフランス軍の米観戦武官への対応も外交的な節度を欠いた冷淡なものになっていたらしい。
そのような途切れがちな戦場の情報からも、旧大陸の戦争では新たな概念の兵器が続々と投入されているのが確認されていた。
戦場に投入された画期的な新兵器である航空機や戦車に加えて、米海軍関係者が大きな衝撃を受けたのが参戦国海軍における巡洋戦艦の活躍だった。
世界最大の海戦となったユトランド沖海戦において、英独両海軍は敵主力の誘引と包囲に務めたものの、実際にはドイツ海軍が撤退したことで鈍足の戦艦群は砲火を交えることはなかった。
その一方で、前衛となったドイツ海軍の巡洋戦艦を壊滅寸前にまで追い詰めて最終的に全艦隊の撤退にまで追い詰めたのは、英日の巡洋戦艦群であると言われていた。
この時に問題となったのは、第一次世界大戦に前後して出現した新艦種とも言える巡洋戦艦を米海軍が全く保有していないという事実だった。
交戦国海軍を横目で睨みつつ米国で建造されていたのは戦艦ばかりで、巡洋戦艦は軍縮条約締結間際になってようやく建造が開始されたレキシントン級しかなかったのだ。
そもそも米国は優れた科学技術を保有していたものの、巡洋戦艦の実現に必要不可欠な大出力舶用機関の開発に関しては遅れを取っていた。前世紀末から急速に発達した蒸気タービンを実用化したのは米国と敵対関係にある英国であり、その基礎的な技術開発を同国から導入するのは難しかったのだ。
それにフィリピンやミッドウェーなど僅かな海外領土を除けば、米国は本土だけで成り立つ巨大な内需を有していた。極論すれば、輸出入がなくとも国内の輸送だけで大半が賄えるというまさに神に与えられたといってもよい土地だったのだ。
逆に言えばパナマ運河や五大湖を利用した国内輸送を除けば積極的な船舶輸送の必要性が薄いものだから、特に大型船舶用の機関開発にさほど大きな投資がなされなかったと言っても良いのではないか。
その代わり、広大な領土で効率よく情報をやり取りするために鉄道網や電信技術が発達しており、それに伴って米国の電気関連技術は列強から抜きん出たレベルに達していた。
そこで米海軍では大型艦や潜水艦では推進軸と直結された高性能のモーターと発電機関を組み合わせたディーゼル、ターボ・エレクトリック方式が採用されていた。
ターボ・エレクトリック方式であれば、あれこれと形状の異なるタービンの切り替えや減速機を使用すること無く、蒸気タービンは純粋な発電機としてのみ使用されるから、タービン製造に高度な技術は必要なかったのだ。
だが、テネシー級戦艦などでは低速時、つまり巡航速度における燃料消費率の低下をもたらしたターボ・エレクトリック方式だったが、高速航行を行う巡洋戦艦に必要な大出力を得るのは難しかった。
重油を燃焼させてボイラーで発生された蒸気量に対して、単純な蒸気タービン推進と比べると最終的な推進力に変換されるまでに失われるエネルギーが大きく、また大出力モーターもかさばるものだったからだ。
戦艦級の大型艦へのターボ・エレクトリック方式の採用が米海軍における巡洋戦艦の実用化を遅らせていた原因の一つとも言えたが、結局米海軍唯一の巡洋戦艦として就役したレキシントン級は、この問題を強引に解決していた。ボイラーの搭載数を増やして蒸気発生量自体を増大させていたのだ。
完成したレキシントン級巡洋戦艦の最大速力33ノットという快速は、防御区画の外にまではみ出す勢いで増設されたボイラーがもたらしたものだと言えた。
それでも同級は基準排水量で四万トンを越えてしまっており、米国はレキシントン級2隻の建造の代わりに英海軍のフッド級巡洋戦艦を条約規定を越える主力艦として認めざるを得なかったのだ。
そこまでして米海軍がレキシントン級巡洋戦艦の保有を諦められなかったのは、英日巡洋戦艦に対抗するためだった。英国海軍の巡洋戦艦フッドは主砲口径こそ16インチ砲に劣る15インチ砲であったものの、レキシントン級に匹敵する巨体を持っていた。
それ以上に米海軍で脅威と思われていたのは日本海軍の金剛型だった。フッドやレキシントン級と比べると同型は個艦性能では明確に劣る14インチ砲艦ではあったものの、4隻というまとまった数が建造されていたからだ。
米海軍が恐れたのは、巡洋戦艦の遍在性にあった。軍縮条約の制限によって、補助艦の中でも最も有力な巡洋艦でさえ主砲は最大8インチに制限されていたことで、金剛型が装備する14インチ砲ですら戦艦、巡洋戦艦以下の相手に対しては圧倒的な優位にたっていた。
しかも、日本海軍は数が多い金剛型巡洋戦艦を積極的に巡洋艦部隊と共同で行動させている気配があった。もしも巡洋戦艦である金剛型が主隊から離れて前衛偵察部隊に配属されていた場合、巡洋艦しか配属されていない米海軍偵察艦隊は一方的に打ち負かされる可能性があったのだ。
レキシントン級巡洋戦艦だけではなく、米海軍が巡洋艦に限定的に飛行甲板を配置した航空巡洋艦を建造した理由の一つもここにあったのではないか。巡洋艦の索敵範囲を拡大することで、鈍足の戦艦だけではなく、高速の巡洋戦艦ですら遠距離から察知することで、無意味な正面からの衝突を避けるためだ。
レキシントン級就役から30年近くが経っていたが、米海軍の懸念が単なる錯覚であったとはバーク中将には思えなかった。旧式化したためだったのかもしれないが、日本海軍は金剛型を艦隊主力から分離すると、再び揃って欧州に派遣して空母部隊に派遣していたからだ。
このような柔軟な運用こそ米海軍がおそれたものであったし、第二次欧州大戦では金剛型と同じ14インチ砲を装備した英海軍の旧式戦艦が数的に優勢な軽快艦艇部隊を一方的に撃破した戦例もあったのだ。
ただし、この頃になると米海軍の巡洋戦艦への懸念はだいぶ薄れていたと言えた。軍縮条約が無効化されたことによって、米海軍はその規模を飛躍的に増大させていたからだ。
ルーズベルト政権では景気対策を兼ねた巡洋艦の大量建造が行われていたのだが、それでもノースカロライナ級、サウスダコタ級と新鋭戦艦の建造が続々と開始されていた。
レキシントン級巡洋戦艦の後継はある意味で2種類あった。
サウスダコタ級を越える長砲身16インチ砲という大火力と装甲を備えながら巡洋戦艦並の高速性能を与えられたアイオワ級が一挙に6隻も建造されていたのだが、同時期には戦艦に準ずる12インチ砲を主砲とするアラスカ級大型巡洋艦も就役していたのだ。
アラスカ級大型巡洋艦は、中途半端な性能と評価されることも多かったが、12インチ砲9門の火力は重巡洋艦殺しとしては過大な程だった。レキシントン級が建造された当時の巡洋戦艦としての運用は今でも不可能ではなかったのではないか。
それに米海軍はレキシントン級の近代化改装も実施していた。予算不足で船体や主砲などには手を加えられなかったが、艦橋構造物や対空火力は抜本的に強化されていた。
前部マストや高射装置装備の絡みから艦橋も閉囲されていたから、露天艦橋のアイオワ級よりも艦橋構造物周りだけ見れば新鋭艦のように見えたほどだった。
同時に2隻揃って行われたこの近代化改装工事では、従来の籠マストが前後共に根本から完全に撤去されて筒状の構造物にすげ替えられていた。構造的な強化を行うとともに、急速に進化していた各種レーダーを装備するためだった。
これにより、1940年代なかばには改装工事を終えた純然たる巡洋戦艦であるレキシントン級2隻に加えて、高速戦艦であるアイオワ級6隻、アラスカ級大型巡洋艦6隻からなる高速戦艦部隊を一挙に整備していたのだ。
ところが、建造が同時期であったにも関わらず、テネシー級戦艦の近代化改装工事は後回しにされ続けた挙げ句に、未だに建造当時とさほど変わらない姿でホノルルの沖合いに浮かんでいたのだった。
レキシントン級巡洋戦艦の設定は下記アドレスで公開中です。
http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/ccrexington.html
コロラド級空母の設定は下記アドレスで公開中です。
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アーカム級航空巡洋艦の設定は下記アドレスで公開中です。
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ノースカロライナ級戦艦の設定は下記アドレスで公開中です。
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