1953決戦、ハワイ沖海戦13
艦隊司令長官がキャラハン大将に交代して暫くしてから、太平洋艦隊は空母を中核とした高速部隊を随時編成して日本本土近くに送り込むようになっていたのだが、その作戦は航空巡洋艦に改造されたグアンタナモを用いて行われたものを拡大したものだと言えた。
日本本土を初めて襲った米海軍機は、大型巡洋艦であるアラスカ級を原型とする航空巡洋艦グアンタナモと巡洋艦の船体を用いて建造された高速軽空母を中核とした小規模な艦隊から送り込まれたものだった。
護衛艦艇も同級1番艦であるアラスカが最大という小規模な艦隊だったのだが、数少ない搭載機を艦上戦闘機に集中した上に、陸軍航空隊の重爆撃機隊支援に専念する事で意外な程の戦果を上げていた。
しかも、この艦隊は迎撃に出てきた日本海軍の重巡洋艦を水上戦闘で蹴散らして無事に撤退していた。
相手が戦艦であれば優速を利して逃走し、相手が軽快艦艇であれば火力の優越を武器とするという巡洋戦艦に近い性格を持つアラスカ級大型巡洋艦が本来想定していた戦法がうまく噛み合ったということなのだろう。
高速空母部隊を投入した重爆撃機隊の側面援護作戦は、陸軍航空隊からも高い評価を受けた事から、キャラハン大将は艦隊を大規模化した上で大型空母からなる部隊を再編成していた。
この艦隊は有力な部隊だった。しかも、表向きは再編成といいながらも実際には全く別の艦隊だった。
中途半端な航空巡洋艦や軽空母ではなく、大型の正規空母に空母が入れ替わっていた上に、護衛部隊も戦艦には対抗できないのが明らかとなった大型巡洋艦ではなく、アイオワ級やコネチカット級など高速の戦艦が含まれていたからだ。
相手が戦艦からなる日本軍主力艦隊でもない限り独力で有力な水上砲戦部隊すら蹴散らすことが可能となったこの艦隊は、グアンタナモ級を投入した部隊よりも大胆に機動していた。
陸軍航空隊の重爆撃機による戦略爆撃に呼応して日本本土近くに進出していたことに変わりはないが、日本軍の迎撃網を構成する敵戦闘機隊だけではなく、島嶼部のレーダー哨戒基地など地上施設に対する積極的な攻撃まで行っていたからだ。
大型空母を組み込んだことで生じた搭載機数の余裕が、そのような対地攻撃を行う艦上爆撃機などを十分な数搭載することを可能としていたのだが、補給部参謀であるキーン少佐の見る限りではその代償も少なくなかった。
一時的な日本軍迎撃網の撹乱に専念していた時と違って、日本軍も米艦隊の戦術に慣れてきたのか防空部隊の維持と島嶼部付近で足を止めた空母艦隊への攻勢を同時に行っていたのだ。
今のところ大型艦の中には喪失した艦は無かったが、護衛部隊に編入された駆逐艦等には執拗な攻撃で損失が出ていた。防御が不足しているのか、コネチカット級戦艦の1隻は集中した爆撃によって中破判定を受けていた程だった。
それに、この艦隊の編成に刺激を受けたわけでもないだろうが、日本人達も同様に空母部隊によってグアム島どころかこのミッドウェー島までしばしば襲撃をかけていたのだ。
米海軍のものと同様に短時間の襲撃だったから被害はそれほど大きくはなかったが、艦隊規模を絞っているだけに戦略的な奇襲となりやすく、これまで被害を被ったことがなかったミッドウェー島が襲撃された精神的な衝撃は大きかった。
空母部隊による戦略攻撃というこの艦種が誕生した頃から想定されていた戦法の一つが試されたわけだが、両軍共に神出鬼没の高速部隊への対処が後手に回っていた一方で、この作戦行動中に消耗した機材、物資も膨大なものだった。
当初の戦闘機隊に絞った航空巡洋艦による奇襲攻撃では損傷も少なかったし、戦闘機が消費する物資は燃料を除けば機銃弾と若干の高速ロケット弾程度だったが、本格的な空母部隊同士の衝突となると消耗は飛躍的に増大していた。
空母機動部隊の襲撃は、陸軍航空隊による戦略爆撃だけではなく、海軍も日本本土への襲撃を行っているという半ば国内向けの宣伝の為とキャラハン大将は割り切っていたようだが、ミッドウェー島の補給体制をよく知るキーン少佐は相次ぐ補充の要求に頭を抱える羽目になっていた。
開戦前から、ミッドウェー島は太平洋横断航路の結節点であるとともに、フィリピン防衛の後方根拠地として多額の予算と資機材を投入して重点的に整備されていた。
しかし、ミッドウェー環礁を構成する主要な陸地であるサンド島とイースタン島の面積は狭く、環礁内部には他に僅かな小島しかなかった。
サンド島とイースタン島間の水道を整備することで、環礁内部の礁湖を限定的な船舶の泊地としては使用出来ても、陸地の多くは滑走路や駐機所として使用しなければならないから、本格的な物資集積地として活用するのは難しかったのだ。
キーン少佐がいるサンド島の作戦室が大工事の末に地下に設けられたのも、地下壕を兼ねる意味合いがなくもないが、新鋭機に合わせて地上の滑走路を延長した結果として地上に余裕が無くなったせいでもあった。
むしろ米国の主要航路を支えるミッドウェー島がそのような状況であったからこそ、米軍は開戦と同時にミッドウェー島から二千キロの距離にあるハワイを占領して根拠地として整備する必要があったのだが、政治的な制約から太平洋艦隊の主力はミッドウェー島に残されていたのだ。
だが、最近になって乏しい補給の割当に四苦八苦していたキーン少佐の苦悩は一掃されていた。太平洋艦隊の補給体制が改善されたわけではない。ミッドウェー島から艦艇の多くがハワイに移動していたのだ。
きっかけとなったのは日本軍の攻勢が予想されたからだったが、その兆候は日本本土だけではなく世界各地で確認されていたらしい。フィリピンでは日本軍の最精鋭部隊と思われる師団が姿を消していたのだ。
日本海軍の海兵隊に相当する陸上戦闘部隊も同様にしばらく前線で確認されていなかったから、大規模な着上陸作戦が行われる予兆ではないかと考えられていたのだが、太平洋において師団規模の上陸作戦を必要とする、というよりもそれが可能となるほどの陸地面積を持つ箇所は少なかった。
様々な方面から集約される情報から、キャラハン大将は日本軍の最終目的地をハワイと断定していた。予想される日本軍上陸部隊の規模などから本土の統合参謀本部などでも同様の結論に達していたようだった。
当初はグアム島を攻めきれない日本軍が遠隔地のハワイへ直接攻撃を実際に行うのか疑う声もあったのだが、キャラハン大将はこれまでの戦闘から日本軍の目的は、あくまでも太平洋航路の新たな結節点として整備されつつあるハワイを奪取することにあると判断していたようだった。
日本本土だけではなく、シンガポールや香港でも不自然な動きがあったという中立国経由の情報が太平洋艦隊司令部の判断を強化していた。日本人だけではなく、英国人も太平洋になけなしの戦力をかき集めているのではないか。
ただし、戦力の集中という意味では米国に利があった。英海軍の主力はカリブ海を制した大西洋艦隊に拘束されていた上に、昨年にソ連海軍が参戦したことでバルト海や地中海にも彼らは戦力を割かねばならない筈だったからだ。
おそらく、日本軍に加勢するために英海軍が太平洋方面に戦力を動かせたとしても、元々東南アジアに派遣されていた旧式戦艦が数隻程度ではないかと予想されていた。
この方面でしばしばフィリピン近海に出没していた英海軍の戦艦は、40年近く前に建造されたクイーン・エリザベス級だったから、ハワイ防衛艦隊の旧式戦艦でも十分に対抗出来るはずだった。
キャラハン大将は、日本軍侵攻作戦の目標がハワイである場合、事前に西側の島嶼部を占領する可能性が高いと考えているようだった。日本本土とハワイ間は7千キロ近くも離れていたからだ。
この距離は、開戦時に陸軍航空隊の主力重爆撃機だったB-36でさえ遠すぎた。燃料を満載したフェリー状態なら楽に到着出来るが、戦闘行動半径に納めるには相当爆弾搭載量を減らさないといけないし、その間にほとんど目印となる陸地もないから航法も難しかった。
開戦以後、日本人達もB-36並みの巨人機を有しているのが確認されていたが、機体の規模からしても航続距離で大きな差異があるとは思えなかった。だから日本人達も陸上機でハワイを直接攻撃するのは不可能と言って良いだろう。
短期的に海上の制空権を奪取するなら空母部隊を集約すれば可能かもしれないが、陸上部隊の上陸を行うなら事前に付近に拠点を設けてもおかしくはないのではないか。
ハワイの基地化は進んでいたから、米海軍空母が全滅したとしてもハワイの陸上基地から米軍機が粘り強く航空戦を続けることは可能だった。これを長期的に制圧するなら陸上機の進出は欠かせないし、艦載機部隊の不時着地としても使用できるはずだった。
しかし、その候補地となるのは太平洋広しといえども2箇所しかなかった。ハワイの西2千キロにあるこのミッドウェー島と、更にその西百キロにあるクレ環礁だった。
尤もクレ環礁の陸地面積はミッドウェー島以上に狭いから、艦艇や飛行艇の一時的な拠点とはなっても本格的な航空基地とするのは難しいだろう。
ミッドウェー島とハワイの間には他にもいくつか環礁や島嶼が存在していたが、そんな所を仮に占領したところでミッドウェー島とハワイの両面から叩かれるだけだった。
結局、日本軍が長期的にハワイを占領するならば、その前にミッドウェー島を無力化しなければ成功はおぼつかないだろう。それが太平洋艦隊の結論だったのだが、キャラハン大将はハワイ侵攻の前哨戦というよりも、むしろその状況を利用しようとしていた。
太平洋艦隊の司令部こそ前進していたものの、既存技術と予算では拡張が限界に達していたミッドウェー島の状況は、開戦以後も大きな変化は無かった。ミッドウェー島のような離島で大規模な土木工事を行うような余裕があったとしても、ハワイに全力投入されていたのだ。
一部では守備隊の増強を望む声もあったのだが、現実的にはミッドウェー島内にそれを受け入れる余地はなかった。ミッドウェー島防衛力は環礁内に錨泊する艦艇部隊に依存するものだけだった。
しかも、開戦以後長い間はラドフォード大将がこの地下作戦室で主に指揮をとっていたのに対して、艦隊司令長官を交代したキャラハン大将は陸上ではなく艦隊旗艦に司令部を置いていることが多かった。
広い海域で作戦行動を行う大規模な艦隊指揮には機能が充実した陸上の施設の方が良いという意見もあったのだが、ミッドウェー島の設備には限界があると主張してキャラハン大将は艦上の司令部にこだわっていた。
開戦から何度かアジア艦隊指揮で行われた海上戦闘でもキャラハン大将は艦隊を旗艦から直卒していたのだが、当時のアジア艦隊旗艦には戦艦イリノイが指定されていた。アイオワ級戦艦の5番艦として建造された同艦は、戦隊旗艦用の設備が最初から整備されていたからだろう。
実質的にレキシントン級巡洋戦艦を代替する目的で建造されたアイオワ級戦艦だったが、軍縮条約が無効化されたことで質と量を求めることが出来るようになった米海軍は、たった2隻のレキシントン級では果たせなかった英日巡洋戦艦への対抗を意識して、一挙にアイオワ級6隻を建造していた。
これを太平洋と大西洋に配備するために、2年に分けて3隻ずつが計画されたアイオワ級は、其々の年度事に1隻の戦隊旗艦設備搭載艦が建造されていたのだ。
だが、戦艦戦隊旗艦用の設備では純粋な水上戦闘部隊の指揮ならばともかく、広い範囲に散らばった太平洋艦隊全軍の指揮を取るのは難しかった。
そこでキャラハン大将はフィリピンから脱出する際の戦闘で損傷したデモイン級重巡洋艦の1隻を艦隊旗艦専用に改造させていたのだが、原型が重巡洋艦では収容能力に限りがあった。
その結果、キャラハン大将と直接同行するのは情報参謀や作戦参謀などに限られており、キーン少佐達後方参謀はミッドウェー島の司令部施設に残されるという変則的な形になっていたのだった。
しかも、キャラハン大将はミッドウェー島を囮として使用する作戦計画を立てていたのだった。
グアンタナモ級航空巡洋艦の設定は下記アドレスで公開中です。
http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/cfguantanamo.html
コネチカット級戦艦の設定は下記アドレスで公開中です。
http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/bbconnecticut.html
レキシントン級巡洋戦艦の設定は下記アドレスで公開中です。
http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/ccrexington.html




