1952激闘、バルト海海戦23
戦艦周防の中央指揮所で、次々と伝えられる周辺の状況をまとめ上げられている態勢表示盤を艦長である浅田大佐は歯噛みしながら見つめていた。
第二次欧州大戦中に計画されていた信濃型戦艦は、欧州戦線の前線で得られた戦訓を建造中から段階的に織り込んでいた。
その一つが大規模な艦隊司令部用区画の縮小と、見張り員による目視から電探や周辺の友軍から通告されたものなど種類を問わずに得られた情報を集約する中央指揮所の新設だった。
現在の遣欧艦隊は完全な水上戦闘部隊だったから、周防の僚艦である信濃が旗艦に指定されて艦隊司令部が置かれていたが、地中海戦線に投入されていた当時の遣欧艦隊は司令部をアレクサンドリアにおいていた。
その後は遣欧艦隊司令部は海陸軍を統合運用するために設けられていた遣欧統合総軍に合流していたのだが、統合総軍も前線から一歩下がった位置に司令部をおいていたのは変わりなかった。
大戦終盤の最も肥大した時期は連合艦隊の半分をかき集めたとまで言われた遣欧艦隊が管轄しなければならなかった海域や配属された部隊は膨大なものであり、限られた艦上の設備では艦隊編成にともなう事務作業や指揮は不可能だった。
それどころか、組織的には遣欧艦隊の隷下にあって最前線に赴く第一航空艦隊でさえ旗艦は戦艦や空母ではなく、旗艦機能を強化した巡洋艦とするようになっていった。
水上戦闘部隊に加えて大規模な航空部隊を把握して広大な戦域を一元的に指揮するには、既に旗艦用に設けられた大規模な中央指揮所の存在が不可欠になっていたからだ。
伝統的に連合艦隊の旗艦は、戦艦部隊である第1艦隊、第1戦隊の旗艦、つまりその時点で最有力の戦艦が務めていたのだが、戦域が広大なものとなった2度に渡る欧州大戦がそのような贅沢を続けられる余裕を日本海軍から奪っていた。
戦域の拡大に比例して大規模化する一方の艦隊司令部を受け入れる余剰区画は巨大な戦艦といえども存在しないし、艦隊旗艦として有力な戦闘艦を遊ばせておく事もできなかったからだ。
同時に、大規模艦隊の運用に関しては指揮系統の結節点にも戦訓から変化が生じていた。固有編制の艦隊司令部ではなく、随時指揮下の戦隊を組み換え可能な編成である分艦隊制度が第二次欧州大戦中に設けられていたのだ。
周防など現在の日本海軍の戦艦に設けられた艦隊司令部機能は、戦艦や巡洋艦などの水上戦闘艦で構成された部隊からなる分艦隊を収容可能な程度に抑えられていたともいえるだろう。
複数の分艦隊からなる艦隊の司令部を収容可能なのは、結局な専用の基幹設備を備えた艦艇に限られていたが、そうした旗艦専用に割り当てられた艦は、原型が巡洋艦でも戦闘能力はあくまで自衛戦闘程度に留められていた。
その一方で、飛躍的に進化した電探技術なども艦隊や個艦の指揮統率に大きな影響を及ぼすようになっていた。目視よりも遥かに遠距離から安定した索敵が可能な電探によって、指揮官は自らの狭い視界に頼る必要性が低下していたのだ。
わずか半世紀前の日露戦争では、陣頭指揮をとる連合艦隊司令長官が艦隊旗艦の露天艦橋で自ら双眼鏡で敵主力艦隊の様子を確認して指揮をとっていたのだが、現在では戦艦一隻の艦長ですら壁に遮られた中央指揮所内で電探などで確認された周囲の状況を把握出来るようになっていたのだ。
ただし、現在の周防中央指揮所は建造途中で急遽設けられたものだから中途半端なものでしかなかった。本来であれば、砲撃戦の最中でも指揮系統を維持するという観点から艦内奥深くに配置されるべき中央指揮所は、薄い隔壁によって外界から遮られているだけだったからだ。
元々水上戦闘時に使用する事を想定されていない司令部区画から転用されたものだったから、中央指揮所になって追加されたのは精々が弾片防護程度の装甲板だった。これまでは戦闘配置時に艦長の部署と定められていた司令塔に比べても脆弱性は逆に増していることになるだろう。
これが建造時から中央指揮所を織り込んでいる新造戦艦では、機関部や弾薬庫と同様に指揮機能も艦内の防護区画内に配置されているという話だったが、欧州派遣が長引いている浅田大佐は詳細は知らなかった。
それに、今現在周防の中央指揮所に入っている情報は、防護区画内に有ろうが無かろうが関係は無さそうだった。
周防を中心とした周辺の状況を簡単に図示する態勢表示盤に書き込まれているのは、ボーンホルム島周辺に接近してくる潜水艦の反応と、これを阻止すべく動き出した友軍駆逐艦の姿だったからだ。
第二次欧州大戦に前後してソ連海軍の潜水艦は数的には世界最大と言っても良い規模にまで膨らんでいたのだが、旧式化や外洋航行能力の低さなどから稼働実績は低かったらしい。
対独戦においてもバルト海や黒海に攻め込んでくる枢軸軍艦艇を有効に迎撃する事は出来ずに損害ばかりが増していたようだった。
二度の大戦で潜水艦を主力として最も熱心に整備していたのは、対英通商破壊作戦に海軍が有する大半の戦力を投入したドイツだったが、残存していたドイツ海軍潜水艦の大半はソ連よりもひと足早く講和していた国際連盟軍に渡っていた。
ドイツ潜水艦の多くは即座に解体されて一部の先進的な潜水艦のみが調査対象として残されていたが、ドイツ製の潜水艦に対して熱心な技術調査を行っていたのは潜水艦隊や艦政本部の一部に限られていた。
国際連盟軍全体としては、ドイツ海軍潜水艦隊に配備された個々の機材そのものよりも、喪失艦や確認された戦果などの資料情報の方を重視していた。自分達の手元にある資料と交戦国であったドイツ側の資料を突き合わせて対潜戦闘の戦略的な分析を行う為だった。
そのような状況だったから一部のドイツ海軍潜水艦がソ連側に渡った可能性は否定出来ないが、今のところソ連潜水艦の性能は大きくは変化していないようだった。
ソ連と友好関係にある米国の潜水艦も、水上艦と比べると技術的な立ち遅れが目立っていた上に、空前の巨大潜水艦であるバラクーダ級など大口径砲を搭載する水上行動能力を重視したものが多く、常識的な形態のソ連潜水艦に対する技術的な寄与は少ないと思われていた。
今のところ、友軍駆逐艦はソ連潜水艦の制圧に成功していた。有力な対潜能力を有する国際連盟軍の警戒網を突破出来ずに、ソ連側はいたずらに戦力をすり減らしているように見えた。
だが、浅田大佐はこのように潜水艦の接触を受けていること自体が、北方艦隊の接敵が間近である証拠に思えていた。
小型艦の多いソ連海軍潜水艦の行動距離や速度からすると、この海域を担当するバルト海艦隊は相当以前から綿密に作戦海域や時刻を計算して潜水艦隊を投入していたのではないか。
おそらくは主力である北方艦隊と遣欧艦隊との予想接敵時刻に合わせてこちらを撹乱する為なのだろうが、これは本来であれば避けられた事態だった。読まれやすい単純な海域で待機を続けていた遣欧艦隊は、性能に劣るソ連海軍潜水艦にとっても狙いやすい相手だったはずだからだ。
―――こんな島の近くで待機を続けるから位置を読まれるのだ……
浅田大佐はそう考えて傍らの海図に視線を向けていた。英本国艦隊からの増援部隊を伴った遣欧艦隊主力は、第52駆逐隊などの前衛部隊をボーンホルム島東側に配置する一方で、同島西側の海域に留まっていた。
前衛部隊が北方艦隊を発見した時点で、余裕を持って艦隊主力を集中して敵艦隊に向かわせる為だったが、北方艦隊の出現を予兆するものはこれまでになく、艦隊内には弛緩した雰囲気も漂い始めていたところだったのだ。
だが、前衛部隊のうち南側のポーランド沿岸に隣接して配置されていた第52駆逐艦の哨区は、既に接近を試みるソ連潜水艦の制圧が始まっており、状況を連絡された艦隊各艦からも緊張感が漂ってくるようだった。
―――やはりポーランド沖合を潜水艦の援護を受けて突破するのが北方艦隊の作戦なのだろうか……
もしそうだとすると、潜水艦だけではなく、航空戦力を投入してくる可能性も無視出来なかった。戦闘が始まるとすればボーンホルム島とポーランド領沿岸に挟まれた海域となるのではないか。
このように状況が不明瞭になるのであれば、あらかじめ艦隊主力をボーンホルム島東方に進出させて、更に東側に哨戒線を広げていた方が良かったはずだ。浅田大佐はそう考えていた。
周囲海域の地形から国際連盟軍が待ち構えていることが分かりきっているボーンホルム島から距離を取れば、脚の短いソ連潜水艦による接触は格段に難しくなるはずだからだ。
浅田大佐が見守る態勢表示盤の上で動きがあった。信濃の艦隊司令部は、艦隊主力の護衛についていた第52駆逐隊に、ボーンホルム島南岸を回り込んで第51駆逐隊への増援を命じていた。
雑多な仕様の松型駆逐艦と隊旗艦の橘型駆逐艦で構成された第52駆逐隊は、対空、対艦能力では太刀風型で構成された第51駆逐隊に劣っていたが、対潜能力では遜色無いはずだった。
艦隊司令部は増援と命じつつも、実際には第52駆逐隊に対潜制圧を引き継がせて、より戦闘能力が高い第51駆逐隊は哨戒任務に復帰させようとしているのだろう。
浅田大佐は、ふと第51駆逐隊を率いる平大佐のにやけ顔を思い出して苦笑していた。そういえば、平大佐は昔から妙に運が良かった。今度も東側に進出して哨戒に専念すれば敵艦隊発見という引きを見せてくれるのではないか。
だが、浅田大佐の予想に反して、悲鳴のような敵艦隊発見の報は駆逐隊が合流するより前に発せられていた。通信室から中央指揮所につながる電話についていた伝令の声に、浅田大佐は一瞬考え込んでしまっていた。
敵艦隊発見の報告を上げてきたのは英海軍のインコンスタントだった。英海軍前衛部隊の旗艦である軽巡洋艦ウガンダと共に臨時編入されてきた駆逐艦だったから浅田大佐も詳細は知らなかった。
艦名からすれば英海軍が第二次欧州大戦前にアルファベット名をつけて建造していた中のI級駆逐艦なのは間違いなかった。A級からM級まで建造された駆逐艦の数は多かったが、いずれも基準排水量で二千トンに達しない軽量級の駆逐艦だったから大戦終結後に廃艦となった艦も多かったはずだ。
その生き残りが前衛部隊に編入されていたのだろうが、抗堪性には期待できなかった。
そもそも浅田大佐が咄嗟に考え込んでしまったのはインコンスタントの配置を思い出せなかったからだ。
北方艦隊が現れるとしたらポーランド沿岸寄りと考えていた遣欧艦隊は、より危険度の高い海域に最新鋭の太刀風型駆逐艦で構成された第51駆逐隊を配置する一方で、ボーンホルム島北東のスウェーデン寄りに軽巡洋艦ウガンダ率いる英海軍部隊を配置していたのだ。
だが、予想に反して北方艦隊は、スウェーデン寄りのバルト海中央部を堂々と南下していたのだった。インコンスタントからの敵艦隊発見の報が悲鳴のように聞こえるのも道理だった。北方艦隊は哨戒中の旧式駆逐艦を蹴散らしながらボーンホルム島に迫りつつあったのだった。
俄に周防の中央指揮所も慌ただしくなってきていた。遣欧艦隊司令部は信濃、周防に英ヴァンガードを加えた3隻の戦艦からなる艦隊主力をボーンホルム島北岸を回り込んで東岸沖に進出しようとしていた。
―――しかし、今からボーンホルム島を回り込んで北方艦隊の頭を抑える位置に展開できるだろうか……
慌ただしく書き換えられる態勢表示板の情報を読み込みながら浅田大佐はそう危惧していた。
信濃型戦艦の設定は下記アドレスで公開中です。
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高雄型重巡洋艦鳥海の設定は下記アドレスで公開中です。
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バラクーダ級巡洋潜水艦の設定は下記アドレスで公開中です。
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太刀風型駆逐艦の設定は下記アドレスで公開中です。
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松型駆逐艦の設定は下記アドレスで公開中です。
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橘型駆逐艦の設定は下記アドレスで公開中です。
http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/ddtachibana.html
ヴァンガード級戦艦の設定は下記アドレスで公開中です。
http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/bbvanguard.html




