1952激闘、バルト海海戦21
第一次世界大戦頃の日本海軍は、駆逐艦を一等、二等に分けていたのだが、これは排水量を基準としたもので、日本海軍の駆逐艦が本格的な外洋型駆逐艦を目指した事や、軍縮条約の制限を受けて個艦能力を追求し始めて大型化していたことから二等駆逐艦の系譜は廃れていったといえるだろう。
実質的な二等駆逐艦の後継は、軍縮条約の制限の対象外として建造されたより小型の水雷艇が該当するのだろうが、艦形が小さすぎて航洋力に劣るのは否めなかった。
当初は小型駆逐艦として重武装の水雷艇を建造していた日本海軍も、軍縮条約の改定以後は外洋での行動能力が低い水雷艇の建造は停止していた。建造済の水雷艇も、武装を減じて警備艦艇として使用されるか、早々と国外売却の対象になっていた。
外洋型の大型駆逐艦である一等駆逐艦を補佐する二等駆逐艦という役割分担に注目すれば、やはり丁型駆逐艦として計画された松型が現在ではそれに該当するといってよかったのだろう。
排水量では一千トンを超える立派な一等駆逐艦に分類されるのだが、駆逐艦の大型化が進む中では比較的軽量で量産性を重視した性格はやはり二等駆逐艦のものといえた。松型が一等駆逐艦の気象名ではなく、二等駆逐艦の植物名から艦名をとられたのもそれを示唆していた。
第二次欧州大戦序盤は最前線に艦隊型駆逐艦の夕雲型や防空火力に秀でた秋月型などが投入される一方で、松型駆逐艦は主に新たに編成される船団護衛部隊などに重点的に配備が進められていた。
本来船団護衛艦の本命と考えられていた鵜来型海防艦は対潜能力に優れる一方で航続距離が短く、アジアと欧州を結ぶ長距離護衛船団に随伴するには難しかったためだ。
それに高速化するドイツ海軍の潜水艦に対して速度面の優位が確保できないこともあって、長距離船団護衛の主力は次第に松型駆逐艦に切り替わっていった。
大戦中盤以降の護衛艦艇に余裕が出てきた時期には英国近海などで対潜掃討に当たる専用部隊が編成されていたが、小規模な対潜部隊の場合は松型駆逐艦を旗艦として鵜来型海防艦複数で編成される場合も多かった。
その一方で、遣欧艦隊に配属されて地中海戦線における正面戦闘に投入された水雷戦隊などでも駆逐艦の損耗が相次いでいた。そこで、当初の想定通り消耗する一線級戦力の代替としても松型駆逐艦が投入されていたのだが、その性能に関しては配属された水雷戦隊からは不満の声が寄せられていた。
危険度の高い最前線での任務を考慮して、艦政本部では松型駆逐艦の高性能化を計画していた。松型駆逐艦の基本的な形態を変えることなく、船体各部のブロック構造をより高性能な艤装品が据えられたものに換装しようというのだ。
実際には必要な艤装品を盛り込んでいくと船体寸法が増大して全幅が変更されたものだから、結果的に従来の松型用の建造ブロックとは互換性がなくなっていたものの、基本的な設計思想や計画方針は松型原型艦の頃から変化はなかった。
端的に言ってしまえば松型の思想で甲型駆逐艦を建造するというのがこの橘型の方針だったのだが、実際に建造された橘型は一部の性能では夕雲型をも上回っていた。次発装填装置付きの魚雷発射管などは射線数で同等だったが、主砲は太刀風型に先んじて長10センチ砲とされていたからだ。
問題があるとすれば、橘型の排水量が三千トン近くに達しており、二千トン級の夕雲型よりも大柄となってしまっていたことだった。この大柄な船体に夕雲型に匹敵する速力を与えるために、主機関出力は6万馬力が要求されていた。
従来の艦隊型駆逐艦同様に橘型も2軸の機関を採用していた。というよりも、松型の基本計画図を出来るだけ流用するためには機関構成の大幅な変更など不可能だったのだ。
多くの艤装品を当時の最新鋭ながらも既存品を採用して建造費用を原型の松型同様に圧縮しようとしていた橘型だったが、主機関だけはどうにもならずに3万馬力の出力をプロペラの適切な回転力に変換させるために、タービンや減速機は新規開発せざるを得なかった。
現在も、損耗した艦隊型駆逐艦の代替として橘型駆逐艦の多くが水雷戦隊や駆逐戦隊隷下の第一線にある駆逐隊に配備されていたのだが、その余裕のある船体規模を活かして、第52駆逐隊のように松型駆逐艦で編成された駆逐隊の旗艦に充当されることも多かった。
それでは高性能の機関性能や火力を活かすことはできないように思えるが、建造数の多さや、性能面の余裕が小回りの効く駆逐隊の旗艦に適していると判断されたのだろう。
第二次欧州大戦終結後に戦時量産型の松型駆逐艦を原型とした橘型よりも高級な従来型駆逐艦の発展型として計画されたはずの太刀風型だったが、実はその主機関は抗堪性に優れたシフト配置を含めて橘型から流用されたものが多かった。
戦後の軍縮傾向では、新規にタービンなどの基幹部品を新規開発する余裕も無かったのだろう。
だが、そうした傾向には、水雷科員だけではなく微風の先任将校兼航海長である古田大尉のような古参の駆逐艦乗り達も些かの疑問を抱いていた。
水雷科のように次発装填装置が存在しないことを嘆くわけでは無いが、本来は甲型と乙型をかけ合わせた理想的な艦隊型駆逐艦であったはずの太刀風型は、装備面からは妥協しているように思えたからだ。
だからこそ、今回の任務で太刀風型のみで編成された第51駆逐隊の方がより危険な哨区を割り当てられた事で駆逐艦乗り達の士気が上がっていたのだが、ここしばらくの間にその士気も低下していた。
地中海方面でイタリア海軍がソ連海軍黒海艦隊を撃破したという速報が入ったのは、3日ほど前の事だった。詳細は不明だったが、時間が経つにつれて細かな戦闘の推移も断片的に伝わってきていた。
それによれば、イタリア艦隊は主力であるヴィットリオ・ヴェネト級戦艦一隻が戦闘不能となるほどの損害を被った上に、もう一隻も大きな損害を受けていたらしい。
尤も、黒海艦隊の方も戦艦に準ずる大型巡洋艦のクロンシュタット級が撃沈されていたうえに、艦隊の主力であったのだろうソビエツキーソユーズ級も損傷して撤退に追いやられていたらしい。
ソビエツキーソユーズ級の損傷がどの程度だったのかは不明だった。イタリア艦隊には少なくとも健在な戦艦一隻があった筈だが、損傷艦への追撃が何故行われなかったのかも分からなかった。
確かなのは、黒海艦隊がイタリア艦隊の突破を断念してエーゲ海や更にその先の黒海に引き返していったと言うことだけだった。撤退時も黒海艦隊が艦隊基準速度を発揮出来たとすればもうギリシャ領海内を航行しているはずだが、ギリシャ共和国からの情報はまだ無かった。
奇妙なことに遥か彼方の地中海方面から黒海艦隊の動きが途切れ途切れでも伝わってきているのに対して、バルト海に到着しているはずの北方艦隊はその動きが不明だった。
複雑な形状の内海であるバルト海だったが、最後に確認されたソ連海軍北方艦隊はソ連時代になってから建造された概ね新鋭と言って良い高速艦ばかりで編成されていたから、2日ほどあれば横断できるはずだった。
しかし、北方艦隊主力はバルト海と白海を繋ぐ運河のバルト海側の出入口であるサンクトペテルブルクで現地の情報網が確認したのを最後に情報が途絶えていた。
バルト海沿岸の大半はソ連及びその衛星国で占められていた。紛争開始後は商用航路の監視も強化されていたようだから、商船からの情報は期待出来なかった。
スウェーデン辺りには英国情報部の手も伸びているようだが、バルト海航路の運航が制限されているのか、艦隊の動向は不明だった。
しかも、厄介なことに衛星国と言っても主権国家だったから正式な宣戦布告もされていない状況では堂々と領空を侵犯するのもためらわれており、国際連盟軍による航空偵察も不調だった。
問題は、地中海で行われた戦闘の経緯をどこまでバルト海に侵入したソ連北方艦隊が把握しているのか、そして把握した情報をどう解釈しているのか、だった。
勿論、予め彼らに与えられた作戦目的も正確には分からないのだから、ソ連艦隊を率いる指揮官の判断を読み取るのは難しかった。本来ならサンクトペテルブルクを発った北方艦隊はボーンヘルム島を通過してもおかしくない日付を過ぎているのだ。
―――もしかすると、黒海艦隊の撤退を知らされた北方艦隊は既に運河を引き返しているのではないか……
会敵予想時間を過ぎた後は、微風の艦橋内にもそのような雰囲気が流れていた。危険な徴候だった。一度は高まっていた士気が長期間の哨戒で低下していたのだ。
当直士官を交代した古田大尉は、どことなく弛緩した様子の乗員達の様子を内心苦々しく思いながらも、自ら双眼鏡を手にして見張りに立つことで見張員達の士気を維持させようとしていた。
正確な情報が得られない上に、敵対国の沿岸に隣接する海域での哨戒任務では適切な緊張感を保つのは難しいと感じていたからだ。
ここは率先して航海長である自分が姿勢を示すしか無いと古田大尉は考えていたのだが、まだ艦橋にいた平大佐は緊張感の欠片もないのんびりとした口調でいった。
「そろそろ敵さんが来る頃、かな……」
独り言には大きすぎる声だった。古田大尉は唖然として窓枠に寄りかかっていた平大佐に視線を向けていた。艦橋内の見張員達の背からも、艦長の発言を気にしている様子が伺えていた。
古田大尉は、平大佐の発言は迂闊なものと考えていた。確かに北方艦隊がいつ出現するかどうかは分からないが、艦隊司令部が推測していた日時をとうに過ぎた今となっては正確にその時間を予想することなど難しかったはずだ。
平大佐の発言が当たれば良いが、外れたときには今以上に乗員達には失望感が広がってしまうのではないか。
だが、慎重にそう構える一方で、古田大尉はいざという時に発揮される平大佐の勝負勘に期待しても良いのではないかと考え始めていた。
それが自分の迷いに起因するものだとは古田大尉は気がついていなかったが、取り敢えず乗員達に余計な期待を掛けさせないように当たり障りのないところから尋ねるつもりで口を開いていた。
「しかし……ソ連海軍は何故北方艦隊の出撃を遅らせていたのでしょうか。実際に地中海に展開しているイタリア艦隊はともかく、地中海から脅威が去ったとすれば、イタリア艦隊の後詰めとして待機していた英本国艦隊の戦力も、時間差があればそれだけ我が方に合流してソ連側に不利となるのは必然です。
それに常識的に考えれば地中海とバルト海、双方で我方が待ち構えている海域も予想出来た筈です。特に我々はポーランド辺りから観測されていてもおかしく有りませんし……会敵時期は侵攻するソ連側に決定権があったと思いますが、何故それを外して来たのでしょうか」
古田大尉としては一番の疑問を追求したつもりだったが、平大佐はあっさりと言った。
「何だ。先任はそんな事を気にしていたのか。多分露助の方も先任と同じように考えていたはずだよ。確かに常識的に考えれば、イタリア半島か、この島の辺りで俺達が待ち構えいるのは明らかだしな。
先任は航行時間から算出した……到着時間を合わせたと考えたのだろう。だが、バルト海の方はともかく、地中海の方を進むソ連艦隊はきっと孤立無援のまま進んでいたはずだ。到着時間を正確に合わせられるはずはないんだから、何処か最初の方で合わせていたはずなんだよ」
面白そうな表情を浮かべた平大佐の顔を、古田大尉は煙に巻かれたような気分で見つめていた。
太刀風型駆逐艦の設定は下記アドレスで公開中です。
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ソビエツキーソユーズ級戦艦の設定は下記アドレスで公開中です。
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