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魔人の花嫁  作者: 秋月 忍
第二章 古き縁
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慕情

いつもありがとうございます。

 火がチロチロと燃えている。

 パチッと薪がはぜる音がした。

 イリスはグルリとマントを身体にまきつけ、たき火に枯れ枝をくべる。

 暗い闇の向こうに、またたく星が見え、僅かな水音が絶え間なく聞こえている。

 この山に入って、ずっと肌がざわつくが、頬の傷は痛まない。魔の気配はまったくないのだが、何故だか『見られている』感じがずっと続いているのだ。

「ゼクス様」

「イリス、寝ていいぞ。交代する」

 ゼクスが、剣を持って起き上がり、たき火のそばへとやってきた。

 ルパートとレキナールは横になったままだ。

「はい。でも、眠れそうもなくて」

 イリスは小さく首を振った。疲れてはいる。休まなければならないのも、よくわかっている。そうでなくとも、女性であるイリスは、男性三人にくらべて体力に劣るのだ。無理をして良いことはひとつもない。

「それなら、ラパ茶を入れてくれないか?」

 ゼクスは言いながら、クレの泉の水を汲み上げた。たき火の火をわずかに反射してゆらゆらと水面が揺れた。

「はい」

 イリスは、鍋でお湯を沸かしながら茶の葉を用意する。

「……どうだ? 調子は」

 そう言って、ゼクスはイリスの顔を覗きこんだ。

「大丈夫です。少しだけ、人に見られているような、そんな感じが続いているのですけど」

「そうか」

 頷くゼクスに、イリスは微笑する。

「慣れないことが続いて緊張しているだけかもしれませんが」

 野宿は初めてではないが、封魔士として出歩くとき、イリスは単独行動が多かった。誰かと行動を共にするとしても、これほどに長い時間をともにしたことはない。

「すまんな。無理を言って」

 ゼクスの瞳にじっと見つめられているのに気が付いて、イリスは慌てて視線を落としながら首を振る。

「クアーナ公国を出るのは、公女の籍を抜ける時だと思っていたので、少し不思議な気持ちです」

「帝都に来たことはないのか?」

 ゼクスの言葉に、イリスは頷いた。

「ないですね」

 言いながら、イリスは苦笑した。

「大侵攻の前は、私、魔術を究めたくて、帝都行きを希望していたのですよ。でも、大侵攻後は、新しいことを学ぶよりも、今、出来ることをすべきかなって」

 イリスがカップにラパ茶を注ぐと、ふわりと香りがただよった。

「それに」

 自分はもう、戦うことしか選べない人間なのだと、言いかけたとき、ゼクスの手が、イリスの手に触れた。

「遺跡の調査が終わったら、帝都に帰ろうと思っている」

 ゼクスはそう言ってイリスの手を握りしめた。

「君の名誉を回復させたいーークアーナの領民の為に」

「……殿下」

 イリスはゼクスの硬い手の感触に戸惑う。意志の強い大きな瞳に見つめられ、胸が苦しくなった。

「救国の英雄である君が、嘲りの対象になっている。君やラキサスが噂を否定しない理由はわかっているが、このままでは、クアーナ公国の領民たちは、帝都の人間を憎むだろう」

「でも、私の顔に醜い傷があるのは、間違いのない事実ですから」

 イリスとて、ゼクスの言っている意味は分かる。イリスはクアーナ公国では復興の旗印だ。その旗印を悪しざまに言われて、良い感情を持てと言う方が無理だ。将来的に、大きな火種になる可能性がないとはいえない。

「その傷は君が公女として責任を果たそうとした証。それを笑うものは、人として恥じ入るべきだ」

「私は殿下にそう言っていただいただけで、満足です」

 イリスはそっと手を引いた。ゼクスの手の温もりが離れていくことに、ほんの少し寂しさを感じながら、その手を取ってはいけないと、自分に言い聞かせる。

「クアーナの民が、私のことで肩身の狭い想いをしているとしたら、心苦しいことです。でも、私は本当は公女でいてはいけない人間ですから」

 公主や皇族が『尊い』のは、その『血』で魔を封じるからだ。封印石の前に立てないイリスは、その職務を全うすることはできない。

「君に負担をかけたくはないとは思う。大侵攻をくい止められなかったのは、俺の責任だから」

「……そんなことはないです。殿下は神ではないのですから」

 イリスはラパ茶の入ったカップを、ゼクスに手渡した。

 ゼクスは香りをゆっくりと楽しむように瞳を閉じる。

 赤いたき火の炎が、ゆらりと揺れた。

「クアーナ公国の民は、帝都から来たルゼ将軍に救われました。私と兄は、魔人を退けることはできたけれど、後始末などは全くできる状態ではありませんでした。我が民は帝都の人間を憎んではいません」

「感謝は、ルゼ個人に対してだろう? 不特定多数の帝都の人間は、君を蔑んでいるのだから」

 ゼクスは苦々しい顔をした。

「私のことなど、些細なことです。兄がエルと結婚すれば、公人としての私の仕事はなくなりますし、公女の籍を抜けば、噂などすぐに消えましょう」

「しかし、何を理由に、公女の籍を抜くつもりだ?」

 イリスは、くすりと笑った。

「そうですね。色々考えてはいるのですが、『身分違いの恋で駆け落ち』という辺りが、良いかなと思っているのです」

 美しい恋物語に変えて出奔という形であれば、自分を崇拝してくれた領民たちも、ある程度は納得してくれるであろう。頬に傷を受けた女性が、真実の愛と巡り合えたと、希望につながるかもしれない。

「……相手は?」

 いくぶん不機嫌そうにゼクスは口を開く。夢見がちな話過ぎて、説得力がない、ということなのだろうか。

「やはり私が恋の逃避行をするというのは、説得力がありませんか?」

 イリスは苦笑いを浮かべた。

「兄と考えてもう少し設定を詰めようかとは思っておりますが、ゼクス様には他に良いアイデアが?」

「設定? ああ、そうか」

 ゼクスは顔を背けるようにして、ラパ茶を口にした。ほんの少し、顔が赤い。

「そ、そうだな。エリアリナの封魔士あたりだと、リアルかもしれないな」

 珍しく、もごもごとしたように呟く。どこか自分に言い聞かせているようにも見えるのは、イリスの考えすぎかもしれない。

「なんにせよ、吟遊詩人が好きそうな話だな」

「……そうですね。せめて、領民たちの夢の中だけでも、幸せな私でいられたら」

 ゼクスの言葉にこたえようとしたイリスは、身体をグイッとゼクスに引き寄せられた。ゼクスは何も言わず、イリスを抱擁してその髪を撫でる。

「ゼクス様……」

 暖かなその腕に抱きしめられ、イリスは戸惑う。すぐにでもその身を離さねばと思う心と、このまま堅い大きな胸に身を埋めたいと思う心がせめぎ合う。

「イリス……」

 囁くような呼び声とともにゼクスの腕はイリスをギュッと強く抱きしめると、唐突にその手を緩めた。

「ごめん。辺りを見てくる」

 それだけ言い残し、ゼクスは立ちあがる。

 イリスはその身に残ったゼクスの温もりを感じながら、闇に向かって歩いていくゼクスを、ただ、見つめていた。




 きらりと、鏡石で作られた封印石が光る。薄暗い中に蝋燭の火がともり、てらてらと石がきらめく。

 ザルクは、ふうっと溜息をついた。

 領内のデスクワークが山積みの状態であるのに、父、スワインの意向で、帝都アリルの社交界に顔を出さねばならない。

 ザルクの仕事の大半は、もともとは父スワインの仕事である。父スワインは帝都での政争に忙しく、領内の政治に無頓着すぎるのだ。自分が、帝都に行っている間領内の行政がきちんと行われるかどうか、ザルクは怪しく思っている。

 この封印石の封印のつとめだけは、領内屈指の信頼に足る封魔士にゆだねることで安心はしているが。

 ひんやりとした石造りの封印の間は、ザルクにとって、城内で一番くつろげる場所だ。不真面目な父が、ここにやってくることはなく、家臣たちがわずらわしい陳情にくることもない。

『ゼクス様……』

 不意に、聞き覚えのある女性の声が聞こえて、ザルクはびくんとした。

 この部屋には誰もいないはずだ。

 しん、と静まり返った部屋にいるのは、ザルクひとりである。

ーーな?

 鏡石がキラリと光り、ぼんやりと女性の姿を映し出す。髪の色は記憶とは違うものの、美しくて、そして、頬に傷のある女性だ。

ーーイリス公女?

 ザルクの記憶に鮮明に残る、一人の少女。

『あなたの手を取ることは、出来ない』と告げた声がよみがえる。

 ザルクは、目を見開き、石に映る女性を見た。

 記憶しているより、ずっと気丈に見え、そして美しい。

 石の中のイリスがすぅっと遠くなり、彼女に寄り添う男の姿が映った。イリスを見る男の目は甘やかで、熱を帯びている。二人が何を話しているのかは、わからない。わからないが、お互いの目がお互いを映し、甘い温かな感情が二人の中で流れているのが、見て取れた。

ーーゼクス皇太子。

 男の顔に見覚えがある。端正で精悍な顔立ち。そして誠実な人柄。『皇太子』という肩書がなくとも、彼が女性に好かれることは間違いない。

 しかし父の話では、『女に興味がない』と思えるほど、オリビアには素っ気なく、浮いた噂一つないらしい。

 そういえば、ザルクがちらりと後から聞いたところでは、大侵攻の後、イリスを皇太子妃に推す勢力があったようだ。父スワインが、ザルクとイリスの婚約を推し進めた背景には、たぶんその辺りも関係していると思われる。

ーーまさか。

 イリスが自分との婚約を拒否したのは、まぎれもなく魔人が理由であった。そして、『私は誰のところにも嫁ぐことはない』と言った言葉に偽りはなかったと思う。

 ザルクが、鏡石にイリスが映し出される不思議を疑問に思う暇もなく、石がイリスとゼクスの抱擁を映し出した。

 見開かれたイリスの瞳。

 強い抱擁に戸惑いながらも、イリスがそれを拒絶していないのは明らかであった。


『悔しくはないか?』


 聞いたこともない声が、突然、頭の中に鳴り響いた。

「誰だ?!」

 ザルクは、辺りを見回す。

 鏡石は、頬を赤らめたイリスの姿を映している。


『あの女は、お前のモノだ……そうだろう?』


 どこか挑発的な声。

「何が言いたい?」

 ザルクの問いに、声は答えない。

『ゼクス様』

 甘い恋慕を感じさせるイリスの声が部屋に響く。ザルクの胸がざわりとしたものに満たされた。

「やめろ!」

 ザルクは大きな声を出し、鏡石に向かって拳を叩きつけた。

 ゴツッ

 鈍い音がして、拳に痛みが走り、鏡石の映像はぷっつりと消えた。


『クックックッ』


 何者かの忍び笑いが聞こえる。

 薄暗い灯りの中で、ザルクは一人、唇を噛む。

「黙れっ!」

 叫び声が部屋に響く。笑い声が消えて、静寂がおとずれたがザルクはしばらくその場に立ち尽くしていた。


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