地下へ(2)
「地下鉄は、過密都市の移動手段としてこの先必須になるでしょう。技術が発達すればするほど、地下深くに設置することになる。実際、今実用化に向けている技術は、深い部分に横穴を掘り進めるものです。トンネルとなる金属の指輪のようなものを崩落に備えて置いて、奥へ奥へと掘り進んで伸ばしていく。この方法だと、海底にトンネルを掘ることもできると考えられています」
縄梯子が下ろされただけの竪穴から、地下へと下りた。一段低くなった線路沿いに、道は左右に伸びていたが、灯りが見えたのは片側だけ。ぽつぽつとガス灯の燈された方へと歩き出して、ロザリオが落ち着き払った声で説明をする。
灯りがある時点で、ここには誰かがいて、日常的に使われているのは明白。ファナは緊張しきりだ。
(いざというときは、『力』を使うしかない……)
ファナは、まだ自分の身に備わっているという「力」の使い方には習熟していない。アルベルトが指導を約束してくれたとはいえ、神殿で日課をこなしていれば、二人で会える時間は多くないのだ。依然として未知の部分が多いまま。使えば、昏倒する恐れもある。だが、ファナにはそれ以外の奥の手が無い。
頼みの綱は、自分がいなくなったことに気づいたアルベルトが追ってきてくれること。行き先は地下だと、すぐにあたりはつけられるはず。アルベルトには危ないことはしてほしくない……という思いはあるが、ここまでファナが来てしまった以上、それは現実的ではない。ならばせめてガリレオと連携して来て欲しいと切実に願っている。
(入り口はすぐには見つけられないはず。駅から地下に下りるとすれば、会えるまで時間がかかるかもしれない)
先を行くロザリオの背を見て、ファナは深く息を吐きだし、声をかけた。
「この地下鉄は、その方法とは違う作り方をされているように見えますが。かなり浅いというか……」
「そうですね。技術的に深い部分を掘れなかったというより、動力源の問題でしょう。蒸気機関車を地下に走らせるために、地上に何箇所か蓋をしないでおく場所を必要とした。おそらく今僕たちが使ったこの入口は、その名残。地下の駅を完成手前まで作っていたのなら、都市のあちこちにこういった地下への竪穴があるはず。それを熟知し、使いこなしているとすれば、この街は悪党にとって実に活動しやすい場所だ」
ロザリオの声は明るく、それでいて隠しきれない皮肉を含んでいた。ファナはぞっとして顔をこわばらせたまま呟いた。
「もしかして、地下鉄の駅は設計ミスでうまくいかなかったというよりも、はじめから悪党によってその目的に使用されることが決まっていたとしたら……」
「その線は強いでしょう。相手は悪党といってもただの悪党ではない。おそらく、建設の意思決定に関わる都市の有力者たちとも裏で結びついている」
「地上で暮らしていただけの私には、想像もつかない話です……」
今思えば、ガリレオがすぐにはぴんときていなかった事情もその辺ではないかと思えてしまう。警察組織内でさえ、地下に目を向けさせないよう、資料等に細工をされていたのかもしれない。
(それでなんで、今になって、こうした接触を……?)
ファナの疑問を見透かしたのか、ロザリオが軽い調子で言ってきた。
「ファナさんのように、一見すると無害そうな一般人がこの地下について知っていたのは、何か事情がありそうですが。勧誘でもされました?」
「勧誘……と言えるかどうか。接触はありましたが、何故私なんかを」
「使い勝手が良さそうだからじゃないですか。まだ神殿に魔の手が伸びていなかったとして、悪党が協力者を必要とした場合、あなたが良さそうに見えた。もしくは……、あなたを人質にすれば言うことを聞いてくれそうな、天使のお兄さん。さきほど年嵩の神官に呼ばれたときも物怖じしない態度で応じていましたが、彼はあの年齢でかなりの有力者なのではないですか」
ぞくりと背に悪寒が走って、ファナは足を止めた。気づいたロザリオが振り返って、眼鏡の奥から感情の覗い知れぬ目を向けてくる。
「あなたは、彼を釣る餌だ。彼があなたを大事にしているのは、見ればわかる。あなたを押さえてしまえば、彼は己の主義信条を曲げてでも、悪党に協力する。そういう心当たりは?」
(アルベルト様はカリーナ嬢の一件で、ロダンと名乗った少年に「力」を見られている。はっきりと悟られたわけではなくても、もし「力」の存在を知るひとが悪党一味にいた場合、あのやりとりの情報だけで看破された恐れは十分ある。だけど、ただ勧誘してもアルベルト様は手に入らない。弱点があるとすれば……、私)
アルベルトは、聴罪室の一件から、「ファナが狙われている」と警戒を強めていた。しかし、狙われた真の理由が「力を持つ神官であるアルベルトを強制的に従わせること」であり、ファナはその手段とみなされていたのだとしたら。
一連の出来事の背景に思い当たって、ファナは顔色を失う。目的はアルベルト。
ロザリオは不意に態度を軟化させ、柔らかな微笑を浮かべた。ファナを落ち着かせようとするかのように。
「少なくとも、悪党の狙いが彼なら、彼を懐柔するためにもあなたに危害を加えることはないはずだ。あなたを無闇と傷つけてしまえば、彼は絶対に従わないだろう。……脅しの意味で、痛い目に遭わされるくらいのことはあるかもしれないけど」
「そもそも、捕まるわけには……」
「うん。僕もべつに悪党に利するつもりはないから、できる限りあなたを守りたいとは思う」
そこで言葉を切って、ファナを背にかばうように立つ。低い声で短く告げた。
「せっかちなのかな。向こうから来たみたいだ。話は僕がする。ファナさんは警戒していて。いつでも逃げられるように」




