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聴罪士ファナ~何かと事件に巻き込まれていますが、先輩が過保護なのでなんとかなりそうです~  作者: 有沢真尋@12.8「僕にとって唯一の令嬢」アンソロ
【第二章】 廃駅ロマネスク

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地下へ(1)

 神殿の外に出ては行けない。

 アルベルトの目の届かないところに行ってはいけない。


 頭の片隅に危機感は常にあったが、子どもの足。

 本気で走ればすぐに追いつくと考えてしまった。


 逃げ出した男の子が、聖堂に入り込んでテーブルの間を走り抜け、外に飛び出したところでファナも追いかけて神殿の表門を出た。そこで、ロザリオが「もう結構です」と背後からファナの肩を掴んだ。

 強い力。

 振り返ったファナは「でも」と言いかけ、口をつぐむ。

 ロザリオの真摯な瞳に、まっすぐに射すくめられた。


「ペンの一本や二本、たいしたことではありません。盗みは悪いことだと教えてあげたいところですが、往来で追いかけっ子は危険です。どんな事故に遭うかわかったものではない。あなたも、あの子も」

「そう、ですね……」


 ファナは頷いて、ほっと息を吐く。ロザリオの言い分はもっともだ。相手の背中だけを見て走れば、どうしたって注意力散漫になる。子どももまた、無理をして転んだり怪我をしたりするかもしれない。


(止めてもらって良かった。顔、どんな子だっけ。今度会ったときに、必ず注意をしよう……)


 神殿の内部で、客であるロザリオの持ち物の盗難を防げなかったのは無念だが、冷静さを欠いている場合ではない。

 また次の機会に、とファナは遠ざかる小さな背中へと視線をすべらせる。

 思いがけない光景が目に飛び込んできたのは、そのときだった。

 広場の噴水の向こうまでたどり着いた子どもが、黒衣に帽子姿の大人と向かい合っている。

 ファナは呼吸も身じろぎも止めた。

 空へと、伸び上がる水飛沫。

 目裏で、記憶の欠片が弾ける。

 ガリレオと初めて会った晩。そして、先日のカフェにて。ファナはその男をたしかに目撃していた。


(アルベルト様に言わなければ。ガリレオさんとも連絡をとって)


 子どもが笑みを浮かべて男を見上げ、ペンを差し出した、次の瞬間。

 男が子どもに蹴りをくらわせた。

 小さな体が吹っ飛んで石畳に落ちる。

 噴水から水が一段高く噴き上がり、二人の姿が見えなくなる。

 声を上げることもできぬまま、ファナは再び駆け出した。噴水を回り込んで視界に二人を確保したところで、男が倒れた子どもを拾い上げ、走る後ろ姿が見えた。


「盗難はともかく、誘拐は見過ごせません……!」


 横につけてきたロザリオに対し、早口に言い訳をする。


(手段を選ばぬ相手だ。子ども相手にも容赦がなかった! 攫ってどうするつもりかわからないけど、ここで見失ったら、あの子はどうなることか!)


 焦燥に駆られるままに、走る。

 ロザリオは、「わかった」と言ってから、毅然として続けた。


「僕が行く。ファナさんは絶対に僕より前に出ないで。何かあったとき、人を呼びに走る、そういう分担」


 言うなり、速度を早めてファナの前を走り出した。


 * * *


 ロザリオは人の間を縫って、誰かにぶつかることなく駆ける。ついていくのがやっとの速さ。それでも、黒衣の男には追いつけない。子どもを抱えているのに、まるでものともしていないようだ。

 大きな通りには向かわず、両脇に高い建物の並ぶ細い路地へと入って行く。裏道。昼間でも暗い。


「僕は追うから、ファナさんは危ないと思ったところで引き返して!」


 辺りに人影がなくなったとき、ロザリオが歩調を緩めぬまま鋭く叫んだ。息を乱しながら、ファナもまた足を止めずに応える。


「ここまで来ると、逆にはぐれない方が安全な気が」

「それもそうだね!」


 途中から、ファナも失態には気づいてはいたのだ。離脱を決断するならば、裏道に入る前だった。しかし、タイミングを逸して、奥深くまで踏み込んでしまった。

 それはロザリオも了解しているだろう、「このまま離れないように」と即座に返事があった。

 前方。道が少し折れて曲がるところで黒衣の男の姿が消える。

 ファナとロザリオがそこまでたどり着いて曲がると、もうそこには誰もいなかった。


(いない……)


 足を止めて、呼吸を整える。いきなり全力疾走をしたせいか、膝が笑いそうなほどガクガクしており、虚脱感も襲ってきた。

 一方、ロザリオは建物の壁にぴたりと沿わせて置かれた、大きな木箱の蓋を開けて中を覗き込んでいた。


「相手がそこに隠れていたりしたら、危ないですよ。不用意に顔を近づけない方が」


 人が隠れるにはぎりぎりの大きさに見えたが、ファナは念の為声をかける。

 ロザリオは中を見たまま、振り返らずに言った。


「地下への入り口だ」


 ファナは、ひゅっと息を飲んで目を瞠った。


「それは、だめです。なおさら危ない。この街の地下には、悪党の巣窟になっている、幻の廃駅が……」


 頭の中で、ぱたぱたと細切れになっていた情報がつながっていく。ロザリオは肩越しに振り返り、ファナに艶やかに微笑みかけてきた。


「地下鉄の廃駅ですね。ということは、財宝列車はこの先にあるかもしれない」

「あるとしても、ひとりで行ってはいけません。第一、地上を走っていた列車を地下に運び込ぶだなんて、どうやって……」

「列車が王家の亡命先へ向かう途上で、行き先を変更してとある車両基地へと向かわせた盗人がいるんですよ。そこで、列車をこの地下鉄事業に紛れ込ませた。つまり、財宝列車を、地下で走らせる列車と偽り、解体。あとはそれをこの街まで運んで、中で組み立てた。そんなところでしょうか」

「それなら、そのときすでに、財宝はすべて奪われているのではありませんか。今から行っても、空の列車があるだけです」


 ファナは当然の説得を試みたが、ロザリオは笑みを絶やさずにファナを見つめて言った。


「本当に価値があるものは、列車のとある部分に隠されているんです。解体した盗人たちが気づいてなければ、いまもそこにある。僕はそれを探してここまで来たんです。先程の子どもの件もありますし、僕はこのまま追います。ファナさんは……」


 ロザリオは道の左右を見渡して、声を低めて囁く。


「これは罠でしょう。ここまで来てしまったとあっては、どのみち無事に帰ることができるとは思いません。僕と一緒の方がまだ安全かと。そばにいてくれる間は守りますよ。どうします? 考えるまでもないと思いますが」


(いまここで、地下に潜らないという選択肢は無いのですが)


 よほど言いたかったが、ロザリオの意思の強そうな瞳を見れば、聞くだけ時間の無駄とわかる。

 ファナは諦めて、頷いた。


「わかりました。お願いします。もともとあの子が気になり、追いかけてきたのは私です。あなたと一緒に行きます」


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