コミックス3巻発売お礼SS:白雪姫と一人のガイゼル
むかしむかしあるところに、ツィツィーという可愛らしいお姫様がいました。
輝くような銀色の髪。
透き通った空色の瞳。
そして雪のように真っ白な肌をしていたため、皆からは『白雪姫』と呼ばれ、大変可愛がられておりました。
ですがある日、ツィツィーの母親は病気で命を落としてしまいます。
その数年後、父王は後妻を迎えたのですが――この王妃がツィツィーのことをひどく嫌っており、毎日冷たく当たっているのでした。
「鏡よ鏡、世界でいちばん美しいのは誰?」
「それはもちろん――ツィツィー王女殿下でございます」
「……っ!」
王妃は魔法の鏡を睨みつけると、喚くように「ランディ! ランディはどこ‼」と優秀な王佐補を呼びつけました。
現れた王佐補は顔に仮面を着けており、どこかうんざりした様子です。
「お呼びですか、王妃殿下」
「……秘密裏に命じる。誰にも知られぬところで、ツィツィーの命を奪いなさい」
「は? 何故です」
「あの娘がいなくなれば、わたくしが世界でいちばん美しい存在になれるからよ!」
それを聞いたランディは、呆れたように息を吐きました。
「世界でいちばん美しい、の定義が曖昧では? たとえ見た目が十人並みでも、知的な女性を好ましく思う者はいます。逆にいかに優れた容貌であろうとも、その精神性が未熟であればそれは美しさを担保する材料には――」
「いいから! 早く行きなさい!」
「……承知しました」
王宮勤めは主君には逆らえません。
ランディはいつの日かラシーで隠居生活することを夢見ながら、渋々依頼を受けるのでした。
「というわけで、こちらが地図と三日分の食料です」
「あ、ありがとうございます……」
とはいえランディは、みすみすツィツィーを殺すような真似はしませんでした。国境付近まで連れて来ると、事情を説明し、てきぱきと逃亡の手筈を整えます。
「この道をまっすぐに進んで行くと小さな川にぶつかります。その川を下流に向かって下りていくと狩人用の小屋があるはずです。今日はそこで一泊して、翌日太陽が高いうちにヴェルシアの関所まで行くのが安全かと」
「ヴェルシア……」
「以前は少々荒れていましたが、最近は比較的平和だそうです。ヴァンという知人に話を通しておきますので、しばらくはこの国に戻らずそちらでお過ごしください」
「あの、ランディ様は大丈夫なのですか? 命令を無視するような形に……」
「ああ、大丈夫ですよ。あんなことを繰り返していればいくら王族とはいえ、いつか追放されますから」
「は、はあ……」
さらりとぶっそうなことを口走ったあと、ランディは「王妃に見せる証拠として」とツィツィーの髪を一房いただくことにしました。
ツィツィーはランディに何度も頭を下げたあと、隣国ヴェルシアを目指します。
(ヴェルシア……確か数年前、クーデターがあったと……)
わずかな不安を抱えつつ、ツィツィーは目印とされた川に沿って下りて行きました。
間もなく日が暮れるという頃、小さな建物が見えてきます。ツィツィーが中に入ると、暖炉にくべる用の薪と古びたベッドがありました。
(無事についてよかったです。とりあえず、今日はここで休みましょう……)
ランディから貰った食料を食べたあと、ツィツィーはすぐに眠ってしまいました。
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『――どういうことだ。家に帰ったら、ベッドに天使が寝ているんだが……』
(……?)
『遭難者か? しかしそれにしては目を見張るばかりに美しい……。まるでどこかの王女か、女神か、花の妖精か、それとも――』
「――っ!」
どうやら自分のことを言っているらしい、と気づいたツィツィーは慌てて飛び起きました。
そこにいたのは黒い髪と青紫の目をした美丈夫です。
この辺りに住む狩人でしょうか。
ツィツィーが真っ赤になっていると、彼は訝しむように眉を寄せます。
「お前は何者だ。何故ここで休んでいた」
「も、申し訳ございません! 私はツィツィーと申します。訳あってヴェルシアに向かうところだったのですが、途中少し休ませていただければと思い……」
「……」
「まさか、あなたの家だったとは知らず……」
ひとしきり事情を説明したあと、すぐに出ていきますとツィツィーは外へ続く扉に急ぎました。すると彼は素早くツィツィーの手首を掴みます。
「俺もしばらく借りているだけだ。それよりヴェルシアに行くのは待った方がいい」
「そ、そうなのですか?」
「ああ。じきに騒ぎになる。行く当てがないのなら、ここに置いてやるが」
(どうしましょう。でも――)
青年は険しい顔でこちらを睨んでおり、味方か敵かも分かりません。すると悩めるツィツィーの元に再び、先ほどの『声』が響いてきました。
『っ……さすがに初対面の男からこんなことを言われて信じる奴はいないか……。だが今ヴェルシアに行くのは本当に危険なんだ! せめてあと二週間でいい。くそっ、どういえば信じてもらえるんだ……!』
(この方は……本当に私のことを心配して……)
ツィツィーは足を止め、青年に向き直りました。
「あの……お名前を聞いてもいいですか?」
「……ゼルだ」
「ゼル様。良ければお言葉に甘えてもよろしいでしょうか」
「……好きにしろ」
「はい!」
そう言うと青年は「今日は外で寝る」と言い残し、ツィツィーにベッドを譲ってくれました。再びベッドに座ったツィツィーは、胸の奥がドキドキしていることに気づきます。
(見た目はちょっと怖いけど……本当は優しい方みたいです)
王妃様も知らない、お姫様の持つ不思議な力――
ツィツィーはごくまれに、近くにいる人の『心の声』が読めるのでした。
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お城に戻ったランディは、白銀の髪を王妃に渡しました。
「よくやった。何でも望む褒美を取らせよう」
「あ、じゃあ長期休暇をいただいていいですか? ちょっと行きたいところがあって」
「構わぬ。ただしこのことは他言無用じゃぞ」
目障りなツィツィーがいなくなって王妃様は大喜び。
さっそくエゴサ、ではなく魔法の鏡に向かって尋ねます。
「鏡よ鏡、世界でいちばん美しいのは誰?」
「それはもちろん――ツィツィー王女殿下でございます」
「……っ‼」
ランディはとっくに御前からいなくなっており、王妃はぎりぎりと歯噛みしました。
「あの男……わたくしを騙そうなんて百年早いのよ……!」
こうなればランディはもう当てには出来ません。といって他の人間に命令を下せば、そこから更に話が広まってしまうかもしれません。
「そうなれば……わたくしが直接手を下すしかなさそうね」
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ツィツィーがゼルと暮らし始めてから、一週間が経過しました。
不思議なことに、普段なら聞こえたり聞こえなかったりする『心の声』が、彼からは『だだ漏れ』に近いレベルで伝わってきました。
こんなことはツィツィーも初めてです。
「ゼル様、味付けは濃くありませんか?」
「ああ」
『くっ……ツィツィーが作った朝食が食べられるなんて、俺はなんという幸せ者なんだ……! それどころか家に帰ればツィツィーがいて、あの愛らしい笑顔で「おかえりなさい」を言われる日々……。許されるならばここで一生暮らしていたい……!』
(ゼ、ゼル様……)
ゼルは大変無愛想で、口にするのも短い言葉ばかり。
ですが心の中はいつでもツィツィーのことをこれでもかとばかりに溺愛しており、そのギャップにツィツィーの心臓はいつもはち切れそうでした。
最初は「出会ったばかりの異性と同棲なんて大丈夫でしょうか」と緊張していたツィツィーでしたが、ゼルはいつも外で睡眠を取っており、決してツィツィーに触れるようなことはしませんでした。
もちろん心の中では「好きだ」「可愛い」と連呼していますが、それを表に出すこともありません。
(とても真摯な方なのですね……)
それだけではありません。
持参した食料が尽きたツィツィーのために獲物を取って来てくれたり、女性には必要だろうとテーブルや椅子を作ってくれたりと、実に親切に世話を焼いてくれました。
ツィツィーはますます彼に惹かれていきます。
やがて食事を終えたゼルは、狩りの道具を持って立ち上がりました。
「行ってくる」
「はい、どうかお気をつけて」
「ああ」
『ああーー行きたくない……。だがこれもツィツィーのためだ。以前食べたメラン鹿が美味しいと言っていたから、前と同じ辺りに罠を張るか……。ふっ、ツィツィーの喜ぶ顔が今から目に浮かぶようだ……』
(あんまり無理をされないと良いのですが……)
そうしてゼルがいなくなり、ツィツィーは彼がいない間の家事を始めようとしました。するとこんこんとノックの音が響き、ツィツィーははてと首を傾げます。
「ゼル様? 何か忘れ物でも――」
ツィツィーが扉を開けると、そこにいたのはゼルではなく一人の老婆でした。老婆は黒いローブを着ており、顔はフードの下に隠されています。
「おお良かった、実は足をくじいてしまってな。少し休ませてもらいたいんじゃが」
「た、大変です! すぐに手当てしますね」
ツィツィーは老婆を招き入れると手当てをしてあげました。
老婆がほっとした様子で口にします。
「ありがとう。もうだいぶ良くなったようじゃ」
「良かったです。でもあまり無理はしないでくださいね。そうだ、良ければ今夜はここに泊まって行かれては――」
「いやいや、そこまで迷惑はかけられんよ。それより――」
そう言うと老婆は、鞄から真っ赤なリンゴを取り出しました。
「お礼にこれをやろう」
「まあ、綺麗なリンゴですね」
「さあ……早くお食べ?」
ツィツィーはありがとうございますと微笑み、リンゴを持ち上げました。
そしてそのまま――厨房の方へと向かいます。
「……そ、そのまま食べていいんじゃよ?」
「でもとても美味しそうですし、せっかくなので一緒に食べませんか?」
そう言うとツィツィーは小さなナイフで器用に皮を剥き、八等分にしてお皿に盛りました。嬉しそうに帰ってきたかと思うと、テーブルの上にとんと置きます。老婆は冷や汗が止まりません。
「私一人では食べきれませんし、良かったらぜひ」
「あ、ああ、ありがとう……。じゃが儂はお腹いっぱいでな」
「では、喉が渇いたらいつでも食べてくださいね」
「……」
予想外の展開に、老婆はすっかり困ってしまいました。
するとそこに再びノックの音が響きます。
「悪い、ツィツィー。今日俺の友人が――」
伝言を言い忘れていたゼルが戻ってきたのですが、彼は部屋の中にいる老婆を目にした瞬間、これまでにないほど警戒心を露にしました。
そのまま部屋の奥にいたツィツィーに向かって叫びます。
「ツィツィー、こっちに来い‼」
「え、えっ⁉」
言われるままに彼の背に隠れると、それを見た老婆が慌てて立ち上がりました。足をくじいたというのは嘘だったようです。
「貴様……『魔女』だな。俺の国を内乱へと導いた――」
「ええっ⁉」
「……くそっ!」
老婆は舌打ちすると、反対側にある窓から逃げようとしました。ですがそこには武装した兵士たちの姿があり、老婆はたまらず立ち止まります。
するとツィツィーたちの背後に、一人の青年が駆け付けました。
「陛下、遅くなりました」
「まったくだ。ツィツィーに何かあったらどうするつもりだ」
「僭越ながら、まさか女性と同棲しているとは思ってませんでしたので……」
「……報告しなかっただけだ」
「ですがこれで、ようやく証拠が揃いそうです」
青年はお皿の上に置かれていたリンゴを手に取ると、老婆に向かって言いました。
「ヴェルシア騎士団所属、ヴァン・アルトランゼと申します。このリンゴに含まれている毒は、先帝ディルフ様の命を奪ったものと同じだとお見受けします」
「……っ」
「これだけではありません。あなたが所有していた『魔法の鏡』はランディ殿の協力のもと、先ほど押収させていただきました」
「ランディ……あいつ、わたくしを城から出すために、わざと……⁉」
金切り声にも似た怒りが爆発するなか、ヴァンは手際よく部下に指示を出し、あっという間に老婆を捕らえました。やがてヴァンがゼルに向かって深々と頭を下げます。
「これでようやくお戻りになれますね」
「ああ」
「あ、あの……ゼル様は、いったい……」
怒涛の展開に置いてきぼりになっているツィツィーに気づいたのか、ゼルはややきまり悪そうにツィツィーに告げました。
「嘘をついて悪かった。俺の本当の名は、ガイゼルという」
「ガイゼル……ってもしかして、あの……」
「ガイゼル・ヴェルシア。ヴェルシアの新しき皇帝となる御方です」
ヴァンが口にした補足を受けて、ツィツィーはようやくすべてを理解します。
「確かヴェルシアは先代皇帝が暗殺され、そのあとクーデターが起きて……王族は皆、行方が分からなくなったと……」
「そうだ。俺は身分を偽り、この国境沿いの森で暮らしていた。すると父上を暗殺した『魔女』が、隣国に逃げたという噂を聞きつけてな。今日この日まで、ヴァンに調べさせていた」
「ずっと王宮に籠られていたので手が出せなかったのですが……。ランディ殿の作戦が功を奏したようですね」
やがてガイゼルは、ツィツィーに向かって言いました。
「これでもう、お前の命を脅かす者はいなくなった。安心して自分の国に帰るがいい」
「は、はい……。そう、ですね……」
本来であれば、諸手を挙げて喜ぶべきところです。
しかしツィツィーは、何故か自分が落ち込んでいることに気づきました。
(もう……ガイゼル様と一緒に暮らすことは、出来ないのですね……)
するとやや苛立った様子のガイゼルが、はあと呆れたように息を吐き出します。
「……まあ、もしもお前が来たいというのであれば、一度ヴェルシアに連れて行くことは出来る」
「え?」
「元々は、ヴェルシアに向かう予定だったと聞いたが?」
「そ、それは、行き場がなかった頃のお話で、今は……」
すると目の前で険しい表情を浮かべている彼から、悶々とした葛藤が聞こえてきます。
『本当に……本当にこれで離れ離れにならなければいけないのか……? 俺は……俺はお前とこのまま離れたくない……‼ 許されることなら、これから先も一生、ああしてお前と暮らしていけたら、どれだけ幸せか――』
(ガイゼル様……)
『だがこればかりは、俺の感情だけで決めて良いものではない……。考えたくはないが、ツィツィーに母国で婚約者がいる可能性は十二分にあるし、それでなくともこの美貌と聡明さだ……。国に帰れば当然、結婚の赦しを乞う男が一人二人どころか百人や一大隊程度は――くっ、戦いで婚約者を決めるのであれば、何が何でも参加して全員叩き潰す自信があるというのにっ……!』
(それはもう、騎士団の合同演習とかなのでは……?)
心なしか青ざめているガイゼルを見上げ、ツィツィーは微笑みました。
「ではその、お言葉に甘えてもよろしいでしょうか」
「……いいのか?」
「はい。実は一度、ヴェルシアを訪れてみたかったのです」
それを聞いたガイゼルは「ふっ」と短く笑うと、ツィツィーに手を差し出しました。
「……来い」
「はい!」
こうしてツィツィーは、無事隣国ヴェルシアに向かったのでした。
その後ヴェルシアは新しい皇帝のもと、荒れた国内を一生懸命に立て直していきました。隣国から引き抜かれた優秀な王佐補も、復興に一役買っているそうです。
そしていつしか二人は結婚しました。
皇妃様は素直ではない皇帝の『心の声』にどぎまぎしつつ――いつまでも幸せに暮らしたましたとさ。めでたしめでたし。
(了)
コミックス3巻発売お礼ssで、白雪姫パロでした!
謎の王佐補ランディが気になった方は、書籍の番外編で頑張っていますのでそちらも手に取っていただけると嬉しいです。












