エイプリルフールss:社長、心の声がだだ漏れです!
ツィツィー・ラシーは困惑していた。
(本当に……ここなの……⁉)
超高層のビルが立ち並ぶ、ビジネス街の一等地。全景を見るだけで首を痛めそうな建物の前には『ヴェルシア・グローバル・カンパニー』と彫られた立派な門標があり、その有名すぎる社名にツィツィーは血の気が引いていくのが分かった。
(お父さん……本当にこんなところに知り合いがいるのかしら……)
ツィツィーは来年大学を卒業する女子大生だ。だが百を超える採用試験に落ち続けており、いよいよ行き場がないと混迷していたところ、父親から「知り合いが秘書を探している」という話を持ちかけられたのである。
幸いツィツィーは語学系の学部に所属しており、主要な外国語には対応できるスキルがあった。加えて秘書検定も取得しており、条件的には問題ないとあれよあれよという間に話が決まってしまったのだ。
受付の綺麗な女性に事情を伝えると、ボタンが一つしかない社長室直行のエレベーターに案内された。ものすごい速度で増加していく階数表示――それもやがて消え去り、ゆっくりと重力が平常に戻ったと同時に、静かに扉が開く。大理石の敷き詰められた廊下を恐る恐る進んで行き、一番奥にあったドアに手をかけた。
「し、失礼いたします……」
最上階フロアの大部分を占める広大な社長室。足元には重厚な黒の絨毯が敷き詰められ、壁には新進気鋭の有名アーティストによる絵画が、センス良く配されている。
その中央に艶々と漆黒に輝く執務机があり、その奥に眼鏡をかけた、眼光鋭い男性が座っていた。
「何をしてる。名乗れ」
「し、失礼いたしました! ツィツィー・ラシーと申します」
「ラシーか。話は聞いている」
男は眼鏡を外し、ゆっくりと椅子から立ち上がると、足音を立てることもなくツィツィーのもとに歩み寄った。近くで見ると恐ろしく綺麗な顔をしており、ツィツィーは思わず見惚れそうになる。
その瞬間、まったく別の声がツィツィーの耳に飛び込んできた。
『――俺の女神』
(……⁉)
男が手を差し伸べた瞬間、ツィツィーは不自然なほど体を離した。男はまさか避けられると思っていなかったのか、やや驚いたような表情を浮かべている。それを見たツィツィーはああっと慌てて頭を下げた。
「も、申し訳ございません! その、ちょっと驚いてしまいまして……」
「……まあいい。俺はガイゼル・ヴェルシアだ。お前には明日から、俺の秘書として働いてもらう」
「え⁉ その、面接や試験は……」
「必要ない。分かったらさっさと行け」
そう言うと社長――ガイゼルは踵を返し、再び重厚な布張りの椅子に座り込んだ。ツィツィーはしばらくその様子を目で追っていたが、失礼いたしますと部屋を後にする。
そのまま長い廊下を戻っていたツィツィーだったが――その途中、次第に頬が赤くなったかと思うと、やがてぼんと音を立てるように赤面した。
(え? 嘘? さっきの……でもやっぱり……)
何度も思い出すが、やはり間違いではない。
(さっき――『ようやく会えた、俺の女神』って……)
実のところ、ツィツィー・ラシーは大学での成績も非常に優秀であった。
容姿も自身は謙遜しているが、大学在籍時、彼女に思いを寄せながらもその天然ぶりに玉砕した男たちは数多くいる(ただしこれには他に事情もある)。
ではどうして、今の今まで就職先が決まっていなかったのかというと――実は彼女には『人の心の声が聞こえる』という不思議な力があり――そのせいでいつも採用試験における精神攻撃を真っ向から受け止めてしまう、という弱点があったのである。
(それにあんなにはっきり……こんな人、今まで初めて……)
ただしこの能力には幅があり、道行く人すべての内情が聞こえてくるわけではない。
だが彼――ガイゼル・ヴェルシアは普段の会話となんら変わらぬ音量で、まっすぐに心の声を発してきたのだ。
(でもどうして⁉ め、女神だなんて、今日初めて会うのに……)
彫刻のようなガイゼルの顔を思い出してしまい、ツィツィーはエレベーターに乗り込んだ後も、訳も分からず頭から湯気を立ち上らせていた。
「新しい秘書、ですか?」
「ああ」
それを聞いた第一秘書・ヴァンはわずかに首を傾げた。現在ガイゼルには、自分と第二秘書のランディが付いているが、さして業務量が多いと感じた覚えはない。どういうことだ、と履歴書に目を落としたヴァンだったが――すぐにああと苦笑した。
「社長、これは」
「何か文句があるのか?」
「……いえ。ですがいつかはお伝えしないと、本気で嫌われると思いますよ」
ヴァンのにこやかな笑みを前に、ガイゼルはう、と言葉に詰まった。そんな雇用主に向かって、ヴァンはなおも言葉を続ける。
「優秀な学生のため奨学金を負担するのは良いことですが、その代わりに大学内での動向を逐次報告をさせるとか」
「報告書の提出を義務付けただけだ」
「関連会社や下請けにまで、今期の採用試験の動向を尋ねてらしたとか」
「結果に口出しはしていない」
「あげく、御父上に一般人のふりをして接近して、知り合いになるだとか」
「……」
「出るとこに出たら、ギリ負けるかと」
「……言う。言うからそれ以上言うな」
「たしか、社長がお若い時に助けていただいたんでしたっけ? その時にちゃんと『付き合ってほしい』とおっしゃればよかったのに」
「そんなこと、簡単に口に出来るはずがないだろうが」
眉間に皺を寄せ、むっつりと口を閉じてしまった社長――兼幼馴染を見て、ヴァンは再び困ったように眦を下げた。
これはあまりない就職事情――『年下の少女に恋をしてしまった結果、陰ながら過度に守り続けていた不器用な社長』と『社長の心の声が聞こえてしまうため、秘書としての仕事を完璧にこなしてしまう女性』が出会った、奇跡のような物語である。
(了)
エイプリルフールネタでした!
眼鏡スーツガイゼルが見たかっただけともいう(…)












