第二章 9
その夜、ツィツィーは主寝室のベッドで読書に励んでいた。昨日まで視察に出ていたガイゼルが戻って来たので、久しぶりに過ごす夫婦水入らずの時間だ。
だがガイゼルが上着を脱いでいる間もツィツィーは熱心に本を読んでおり、やがてパタンとページを閉じる。
「やっぱり、貴族の女性が働くのは難しいことなんでしょうか……」
「なんだいきなり」
珍しく眉間に皺を寄せているツィツィーを眺めながら、ガイゼルはベッドの端へと腰かけた。寝る準備を終えたラフな格好だ。
「いえ、その……同じ仕事をしても、男性と女性というだけで、印象が変わってしまうというか……変わった目で見られることがあると思いまして」
「それは確かにあるな。ましてや貴族であれば、労働自体を厭う奴も多い」
「ですよね……」
母国ラシーは、それ自体が小さい国であったため、貴族であっても商売をしている人間が多かった。王族であった姉たちもモデルなどに誘われていた気がする。
ラシーだけではない。イシリスでも女性は皆働いていた。そうしなければ、あの厳しい冬を越せないからだ。
(ヴェルシアが豊かな国だからこそ……でしょうか)
もちろん適材適所という言葉の通り、向き不向きというものは存在する。だがエレナの才能は『女性だから』という理由で、無碍にされるようなものではないはずだ。
何かを思い悩むツィツィーに気づいたのか、ガイゼルは軽く首を傾げた。
「働きたいのか?」
「あ、いえ、もちろん皇妃としての仕事は頑張るつもりです! ……ただ貴族でも女性でも、もっと自由に働くことが出来ればと……」
するとガイゼルは足を組み、何事か思量するように口元に手を当てる。
「それは、俺も考えていた」
「え?」
「今までは戦功さえ上げれば領土は拡大した。だが俺の政策を進めるならば、どうしても地代の収入だけでは立ち行かなくなる貴族が増える」
領土がこれ以上広がらないのであれば、今以上の収入は得られない。だが代を重ねるごとに遺産の相続などで土地は分割されていく。
もちろん長男だけに相続させるという方法もあるが、リスクが無いわけではない。
「それを補うには国内の経済を発展させ、事業を起こす――その筆頭として諸侯らが立ち上がるのが理想だが、今までの安寧を手放したくない奴ばかりだ」
「新しいことを始めるのは、大変ですものね……」
「ああ。近いうちに、王宮の在り方も考えねばならん」
ガイゼルによると、今の王宮は各地方の有力な貴族たちが動かしている。当主が直々に赴く家や、次男や三男が着任する場合もあるが、基本的には男性ばかりで女性は皆無なのだという。
ですが、とツィツィーは問い返した。
「女性が政治に関わっても、大丈夫なのでしょうか……」
「確かに今まで男だけで組織されていた以上、快く思わない奴は多いだろう。しかし有能な人材であれば、性差を問わず門戸を開くべきだと俺は思う」
ガイゼルのその言葉に、ツィツィーは遥か未来のヴェルシアを思い浮かべた。
今よりももっと産業が栄え、交易は進み、男性も女性も対等に働いている。街中は今以上に活気にあふれ、王宮で働く女性も現れる。領土の奪い合いや権利の略奪ではなく、互いの文化や技術に価値を求める。
争いのない平和な世界――その幻影の端に、エレナが笑っている姿をツィツィーは見出していた。
(この国が変われば、エレナも自分の名前でドレスを作ることが出来るのかしら……)
だがツィツィーはすぐに肩を落とした。ガイゼルの描く将来像は、ツィツィーにとっても願ってもない理想である。
しかしそれを達成するまでには、きっと長い年月がかかることだろう。多くの協力者、理解者も必要だ。今のヴェルシア貴族たちに訴えたところで、どれほどの賛同を得られるか。とてもではないが、ガイゼルの代では間に合わない。
人に染み付いた意識や概念を取り払うためには、それなりの時間がかかるだろうとツィツィーは落胆した。
すると陰ったツィツィーの表情に気づいたのか、ガイゼルがそっと頭に手を乗せてきた。まるで慰めるかのように撫でてくる。
「悪い。こんな話を聞かせるつもりはなかった」
「い、いいえ! もっと聞きたいです。陛下が、この国をどうしていきたいのか」
「……お前は変わっているな」
また今度な、と微笑んだガイゼルは、ゆっくりと立ち上がると毛布をめくり、ツィツィーの隣へと体を滑りこませた。
途端にガイゼルの体温が迫って来て、ツィツィーは持っていた本でさりげなく顔を隠す。だが邪魔だと言わんばかりに、ガイゼルが本を引き抜いてしまい、ツィツィーは防御する術を失ってしまった。
そのまま抱き寄せられたかと思うと横になり、ツィツィーはいつものようにガイゼルの腕の中にすっぽりと収まってしまう。いい加減この体勢にも慣れたいところなのだが、黒髪越しの美貌を前にするとどうしても緊張してしまうのだ。
(せめて背中越しなら、陛下のお顔を直視せずに済むんですが……)
ガイゼルは豊満なツィツィーの髪を愛しむように撫でていたが、やがて覗き込むようにして意地悪く口角を上げた。












