第二章 貴族も実家も大変です。
レヴァナイトの一件が終わったことで、少しだけ平穏が戻って来た。
結婚式まであと三か月を切っており、このところのツィツィーの仕事はもっぱら、招待客の情報を頭に叩き込むことだ。
(公爵家に伯爵家……それぞれの繋がりや立場があるのね……)
ラシーはとても小さな国だったので、大きく王族や武人、聖職者、貴族や商人といった区分けはあったものの、複雑な力関係や政治的な関わりはあまり多くはなかった。
一方ヴェルシアは、貴族として古い歴史を持つ家が多く、姻戚関係から分家本家の関係まで、非常に複雑な絡まりがあるらしい。
また以前は領地経営だけで暮らしていた貴族が多かったが、最近では商売や交易に手を付けることで、莫大な財を築いている家もあるという。
だが本来の貴族の在り方ではないと反発する者も多く、傍からは見えない軋轢があるようだ。
(きちんと把握しておかないと……陛下に恥はかかせられません)
膨大な書類の山を、ああでもないこうでもないと読み込んでいたツィツィーだったが、自室の扉を叩く音に手を止めた。
返事をして振り返ると、開いた扉の先でリジーが嬉しそうに微笑んでいる。
「皇妃様、まもなくお約束のお時間です」
「あ、はい! 今行きます」
式の準備が始まってから、幾度となく足を踏み入れている一階の応接室。
ツィツィーが中に入ると、片方のソファに儀典長と一組の男女が座っていた。遅くなって申し訳ありません、と前置きしてからツィツィーは来客の前に腰を下ろす。
初めて見る二人は、どちらも深い赤色の髪をしていた。瞳も互いに茶色で、まるで双子のような相似形だ。やがて儀典長が口を開く。
「ご足労おかけしまして申し訳ございません、皇妃様。本日はいよいよ衣装の打ち合わせを、と思いまして」
すると男性の方がツィツィーの方を見た。
「はじめまして皇妃殿下。私はルカ・シュナイダーと申します。こちらは妹のエレナ」
ルカと名乗った男性は理知的な顔立ちをしており、幅の狭い眼鏡をかけていた。ツィツィーを前にしても余裕を持った笑みを浮かべており、どこか抜け目のない印象を受ける。
反対に妹と呼ばれたエレナは、どこか落ち着かないぎこちない様子だった。しっかり髪をセットしているルカとは違い、うつむきがちに長めの前髪を下ろしている。
(なんだか……似ているけれど、似ていない兄妹だわ……)
そこでツィツィーはシュナイダー、という姓にひっかかった。先ほど丁度目を通したはず……と記憶を辿っていき、ようやく名前を思い出す。
「もしかして、アスティル伯爵家の……」
すると儀典長がおお、と感心するように声を上げた。
「もしやご存じでしたか。彼らアスティル伯爵家は、ドレスや衣装のデザインを手掛けているのです」
アスティル伯爵家は、まさに新しい貴族の形をいち早く取り入れた存在だった。
元々領地で羊の養育、綿の栽培が盛んだったことからスタートし、そこから早期に設備投資をすることで、紡績業のトップに躍り出た。
また仕立て屋や毛織物、染色業といったギルドに多額の支援をし、有能な職人の育成に励んだ。
やがて腕利きの彼らを集めた工房を設立した結果、その圧倒的な品質と信頼から、皇族をはじめ他貴族からも注文が殺到していると聞いたことがある。
なるほど、皇妃の婚礼衣装を作るには申し分ない相手だ。
すると話が早い、とばかりにルカが儀典長の言葉を引き継いだ。
「はい。そして実は、私がその工房でデザイナーを担当しているのです」
「え、デ、デザイナーを、ですか?」
「ええ。貴族にしては珍しいとよく言われます」
確かに特定の業種に経済支援をする貴族は少なくない。
だが自ら仕事を引き受ける貴族、となるとあまり例を見ない。儀典長によると、ルカのデザインしたドレスの人気はすさまじく、貴族のご婦人や令嬢なら誰でも「一度でいいから着てみたい!」と目を輝かせる出来栄えらしい。
「本来であれば予約が三年先まで埋まっているのですが、……今回は皇妃様のドレスということで、特別にご用意させていただければと」
「い、いいんですか⁉ 待っている方がたくさんいらっしゃるのに……」
「むしろ光栄です。これでうちの工房にも箔が付きますよ」
にっこりと微笑むと、ルカはさっそくデザイン画を並べ始めた。
色はどれも白だったが、形がそれぞれ異なっている。肩を出したものや、前は膝丈だが後ろ部分が長いもの、手首までをレース地で覆ったものなど、どれも斬新なドレスばかりだ。
「すごい……! 見たことないドレスばかり……」
「もちろんセオリーな形のものも作りますが、うちが得意とするのは、他に同じものがない一点物のデザインです。皇妃様のご要望をすべて入れさせていただきますよ」
そう言うとルカは、ツィツィーの好むデザイン画を選び取りながら、あれそれと質問を始めた。
ドレスの良し悪しなど私に分かるかしら、と不安になっていたツィツィーだったが、聞かれることに答えていくにつれ、何となく自分の好きな形が浮かんでくる。
時折ルカがうんうんと頷くのを、隣に座るエレナは黙ったまま見つめていた。
「では後は採寸ですね。すみませんが、どこか別室をお貸しいただければと」
脇に控えていた執事が、どうぞとツィツィーを案内する。
デザイナーということはルカが測るのだろうか、と身構えたツィツィーだったが、一緒に来たのは妹のエレナだけだった。
扉一枚隔てた隣室に移動し、終わりましたらお声がけくださいと執事が退室する。
二人きりで残されたツィツィーは、黙ったままのエレナに向かって微笑みかけた。
「採寸は妹さんがなさるんですね」
「は、はい……」
初めて聞いたエレナの声は、とてもか細いものだった。それでも反応が返ったこと自体が嬉しくて、ツィツィーは出来るだけ穏やかに言葉を続ける。
「ええと、服はすべて脱いだ方がいいのでしょうか?」
「あ、いえ、その……そのままで結構です……」
後半を早口で言い終えると、エレナは持参していたカバンを開け、メジャーを取り出した。使い込まれているのか、かなりくたくたになっている。
緊張しているのか紐解く手も危なっかしく、ぽろりと絨毯の上に落としてしまった。
ツィツィーがすぐに拾い上げると、すみませんすみません、と何度も頭を下げる。
「も、申し訳ございません、皇妃様にご無礼を……!」
「大丈夫ですよ。すみません、緊張させてしまいますよね」
かつてのリジーを思い出し、ツィツィーは少しだけ苦笑した。
「大切にされている道具なんですね」
「え? そ、そんな、ことは……」
「ずっと、このお仕事を?」
するとエレナは突然「違います!」と強く言い返した。先ほどまでの気弱な様子と打って変わったはっきりとした声色に、ツィツィーは少しだけ目を見開く。
するとそんなツィツィーに気づいたのか、エレナはすぐに首を振った。












