第一章 結婚式は前途多難です。
ヴェルシアの春は短い。
一年を通して温暖な気候のラシーとは異なり、一年の半分は雪と氷に閉ざされている。だから儀典長の言葉は至極納得のいくものであった。
「半年後……ですか?」
「はい。それを過ぎると、雪で移動すら難しくなりますので」
国の公式行事を取り仕切っているという儀典長は、恭しくうなずいた。立派な白い眉毛が目を覆っており、表情こそ見えないが、声色から穏やかな人柄であることは分かる。
突然のことに、ソファで座ったままぽかんとするツィツィーに向けて、隣に腰かけていたガイゼルが続けた。
「公式での披露はしたが、それから色々あったからな」
「そ、それは分かります! でも、こんな大々的になんて……」
困惑するツィツィーは恐る恐るガイゼルの方を見たが、いつもと同じく無表情のまま淡々と手元の資料に目を通していた。
傍から見れば、あまり関心が無いのだろうかと思わせるような態度だが、ツィツィーには先ほどからずっと、期待と喜びに胸を高鳴らせるガイゼルの心の声が聞こえ続けている。
『いよいよか……思えばきちんとした式は挙げていなかったからな……。諸外国の王族貴族たちにも知らしめておくにはいい機会だろう。しかし一生に一度のことだ。出来る限り最高の衣装と宝飾品を揃えてやりたい。いや、飾り立てずともツィツィーはこのままでも美しいが。…‥違う、そういうものではない。国の権威としてでもだな……』
「……」
あまり派手にしないでほしい、という願いはどうやら叶わなさそうだ、とツィツィーは一人瞑目する。
今日は二人の結婚式についての打ち合わせだった。
政略結婚で結ばれたツィツィーとガイゼルは、この一年足らずの間で非常に濃い新婚生活を送っていた。
結婚を解消したいとツィツィーが母国へ帰ったこともあったし、誤解が解けてヴェルシアに戻ろうとすれば、ガイゼルが皇帝の座を追われていたこともあった。
極寒のイシリスで鹿の生肉と戦った皇妃は、世界中を探してもそうはいないだろう。
本来の式が延びた理由が、ヴェルシアの内部分裂によるごたごただと理解しているのか、謝罪とも否定とも取れない口調で、儀典長はやや口ぶりを濁らせた。
「元々は春に行う予定でしたが、ええ、その、まあ」
もちろん、ツィツィーがラシーから輿入れした時点で、書面による結婚は完了している。そこから諸侯らへのお披露目式、結婚式という運びになるはずだったのだが……前述の騒動に巻き込まれた結果、本来行われる予定だった結婚式だけが、いまだ行われていないのだ。
もちろんツィツィーとて、ガイゼルとの結婚式が嬉しくないわけではない。だが今のガイゼルは新政権の調整や、役職の変更などで慌ただしい日々を送っている。酷い時は本邸に帰る暇もないほどだ。
そんな中、新しい仕事を増やすことにツィツィーは不安を覚えてしまう。
「陛下は大丈夫なのですか? 無理に急がなくとも……」
「お前に心配されるほど、やわな体ではない」
ふ、と目を細めるガイゼルの様子に、ツィツィーは続く言葉を呑み込んだ。以前と同じからかうような口調ではあるが、どことなく優しさが含まれている気がして、心の奥が温かくなる。
だが少し遅れて聞こえてきた本音に、ツィツィーはこっそりと顔を伏せた。
『ただでさえ半年遅くなっているのに、これ以上延ばしてたまるか……書面だけでは不安過ぎる。早く対外的にも俺の妻だと認めさせたい。それに……ないと思うが、万一、また何かいらぬ誤解でツィツィーが身を引きでもしたらどうする……』
(……気のせいかしら、最近また陛下の声がよく聞こえ始めた気がするわ……)
いまだ残る先代派との緩衝や、新体制の立案に奔走しているという話もある。そうした口には出せない苛立ちが、ガイゼルの心の声を無自覚に大きく響かせているのだろう。
ガイゼルが良いというのではあれば、とツィツィーは改めて儀典長に尋ねた。
「――ええと、具体的に私は何をしたらよいのでしょうか?」
「結婚式に必要なものの準備にご協力いただければと。特に重要なのは、ティアラとドレスですな」
「ティアラとドレス……」
「はい。ティアラは結婚式の際、陛下から妃殿下へお授けするもので、ドレスは言わずもがな婚礼用となります」
渡された資料に目を通すと、結婚式についての概要がつらつらと記されていた。やはり皇帝陛下しかも第一皇妃との結婚式ともなれば、こなすべき工程も多いらしく、事前の準備から終了後の宴の時間まで、恐ろしいほど綿密に定められている。
その中でも肝となるのが、ティアラを戴冠するくだりだ。
豪奢な宝石をふんだんにあしらったティアラを、夫である皇帝陛下の手ずから、妻となる皇妃の頭上に掲げる。
ヴェルシアの王たる威厳の光を、最愛の女性に分け与えることで、互いの幸せとその子らである国民たちの幸福を願う、という意味があるそうだ。
「ドレスにつきましては、今仕立て屋を厳選しておりますので、少々お待ちいただければと思います。今日お話しにうかがったのは、ティアラに使う石についてです」
そう言うと儀典長は数枚の紙をツィツィーとガイゼルの前に並べた。どうやらメインに据える宝石の鑑別書のようだ。それぞれ絵師による着色済みのデッサンが付いており、産出国やカラット、硬さや劈開性などが記載されている。
「やはり第一皇妃さまが身に着けるものとあれば、ヴェルシアの権威を誇るものでなければと。こちらにご用意しました宝石は、特別に用意させた素晴らしい品質のものばかりでございます。妃殿下の好みの色や見目でお決めいただければ、と思いまして……」
「は、はあ……」
言われるままに一つの資料を手に取る。
完熟した果実のような、ピジョンブラッド・ルビー。清流をそのまま押し固めたような瑞々しさを誇るアトラシア・トルマリン。もちろんピンク・ダイヤモンド、カナリー・ダイヤモンドといった宝石の王様・ダイヤモンドたちも多く名を連ねている。
普通の貴婦人であれば、やれデザイン画が先だとか、他の誰とも重複しないものをといった要望もあるのだろうが、いかんせんツィツィーは、母国であまり優遇されていなかったという過去がある。高価な宝石を身に着けた経験も、当然数えるほどしかない。
(一体どれがいいのかしら……私としてはあまり高くない方が、気持ちの上で楽なんですが……)
だがおそらく、どれを選んでも目玉が飛び出るような値段であることは間違いない。むしろ一般の市場には流通させていない類の品物だろう。
助けを求めるように再びガイゼルを覗き見ると、彼はソファのアームに肘を乗せたまま、どこか遠巻きな態度で、冷ややかな視線を机上へと向けていた。
それを見た儀典長は「や、やはりこうしたことは、我々よりも女性の目線で選んでいただくのが大切ですので……」と必死にフォローしてくれたのだが、ガイゼルの心の声が聞こえているツィツィーにとっては、あまり意味のないことだった。
『ふむ……俺としてはツィツィーの無垢な愛らしさを表現するにはダイヤモンドしかないと思っていたが、あっちのアトラシア・トルマリンの色はまるでツィツィーの瞳をそのまま映し込んだかのようだ……ティアラと合わせれば、さぞかし美しいに違いない。はあー見たい。すごい見たい。いっそ三つほど作らせるか。まあ一番はツィツィーの望むものでなければな……しかしツィツィーが身に着けたら、宝石の方が見劣りするのではないか?』
(……陛下……私より熱心なのでは……)
おまけに少々褒めすぎである。
だだ漏れ第二部開始しました!
糖度高めで行きますので、またのんびりお付き合いいただけたら嬉しいです~!












