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3章13話 Brothers Reunited and a Truth in Chains

 アダムはクリフからの抱擁を解いたあと、クリフをしばらく見つめた。クリフは泣きじゃくって赤くなった目から流れる涙を拭う。

 流れる長い金色の髪、青白い肌に宝石のような紫の瞳は相変わらず、美しい少女のようだ。そして……夢の中で見た魔女ヘレナに酷似している。

 ガラス細工のように美しくて、今にも壊れそうな人。

 記憶の中、彼女が赤ん坊の自分を抱いてくれていたのはなぜだろう?

 ヨグ・ソトースが言った『禁忌の消失点』とは一体なんだ?

 だが再び、ヘレナについて思考しようとすると、またわずかに頭が痛むのを感じた。その瞬間、彼女の慈愛に満ちた優しい笑顔は、一瞬にして冷たい表情に変わってしまう。考えては、いけないーー。あの許されざる『魔女』のことを。

 まるでそう誰かが警告しているかのように。

 涙を拭いながら、クリフはバツが悪そうに呟く。

「ごめん……かっこ悪いね。久しぶりに会った兄さんに見せる顔じゃない」

「かっこ悪くなんてないよ。俺ずっと……眠っていたみたいだ。ごめん。迷惑かけたよな、すごく……」

 クリフに会えて嬉しいものの、ぎこちない言葉しか出てこない。

 前の未来で見た冷酷な表情ではなく、しかし見覚えのあるどこか寂しげな表情でクリフは続ける。

「謝るのは僕の方だ。仕方がなかったとはいえ、僕は君の代わりに、自分の立場を偽って王座を継いだ。君と違って父上の子ではない上に、魔女ヘレナが産んだ呪い子なのに」

 アダムは思わず息を飲みながら、言葉を返す。

「そんなこと……謝る必要ない! 俺がいない間、国を守ってくれたんだろ? たった一人で……!」

 クリフは涙目で頷き、そして意を固めたように唇をかみしめた後、ゆっくりと言う。

「これには、かなり複雑な事情があって……きっと驚かせてしまうけど、聞いてくれる?

 クリフはそれから、アダムが意識下でヨグ・ソトースに告げられたのと同じ、現在の状況を教えてくれた。

 クトゥルーと賭けをし、半神たちを生み出し、アザトースの眷属たちと戦っていること、王都のシールドが壊れかけていること・

 アダムを半神の身にして助けるためにもみんなの記憶を欺いて、王になったこと……。

 クリフは一つ一つ、ヨグ・ソトースに見せられたのと同じ現実を、そして紛れもない真実をアダムに告げてくれた。全く、前の世界で目覚めたときに全てを偽ったクリフとは違う。

 そしてそれがなぜかはわかっている。

 クリフが本当のことを言ってくれるのは、俺を信じてくれているからだ。

 俺が……前の未来とは違って、クリフを見捨てず、裏切らずに助けに行ったから。そう思うと、自分はなんてひどいことをしたのだろうと、自責の念にわずかに顔が曇る。

 クリフはその表情を不安か、自分への責めと受け取ったのか、アダムを労わるような声をかける。

「急な事で受け入れがたいだろうね。僕も、君がああなったあとは必死でね。他に選択肢がなかったとはいえ、正しい判断ができたかどうかはわからない……。国民には負担をかけているし、君を半神の身にしてしまった」

「そんな……俺は平気だよ! ほら、この通り、元気だし!」

 クリフはアダムを黙って見つめる。

 長い年月を待ち続けた疲れと深い安堵がそこにはあった。

 だが、どこか固くかしこまった口調で次の言葉をゆっくりとアダムに告げる。

「一つ、君に了承を得たいことがある。父上の血を継ぐ本当の嫡子は君だ、アダム。君が戻ってきたからには王座を必ず返すと誓う。だが、国民の記憶を塗り替えている以上、簡単に認識を変えられないから、あらぬ困惑を招いてしまうかもしれない……」

 アダムはクリフの言葉から状況と予想される未来を理解した。

 クリフが正当な後継者でなかったと知った。国民たちが一体どんな反応を示すのか?

 悪しき魔女ヘレナの産んだ呪いの子。そう認識した途端に前の世界線同様、クリフを迫害し差別することだろう。そして王政への不満が爆発する。

 だからクリフは国の厄災、呪いの王子としてその存在を不可視のものとするべく、地下に閉じ込められてきたのだ。

「記憶の改竄を上塗りすることはできる。だけど、上塗りすればするほど、クトゥルーの記憶操作の能力には綻びが出てしまうんだ。だから、少しだけ待って欲しい。今進めている計画があるのだけれど、それが完了するまでは国民の混乱を避けたいんだ。すまない……! 僕を助けに来てくれた、大事な君から盗んだ王座で居座るなんて!」

 アダムは申し訳なさそうな顔をしたクリフの肩を掴み、強い口調で言った。

「謝らないでよ! 王座とか、そんなのどうでもいいから。そんなことより、俺は半神として、クリフを助けながら魔物と戦うよ。ノーデンスとの適合も完了したから平気。俺をこき使って!」

「こきは使わない。君は親王の立場にあるし、丁重に扱うと約束するよ」

「丁重にって……水臭いな。ずっと一人で頑張ってきたんだろ? せめて、これからは俺を頼ってほしいよ」

 クリフはほんの少しだけ頬を弛めた。

「……よかった」

「ん? 何が?」

 クリフはそっとアダムの手を握った。指が折れそうなほどに細くて、冷たい。

「アダム、君は全然変わってない。牢獄で一人きりの僕を助けに来てくれた、大好きな兄さんだ」

 その瞬間、アダムはずきりと胸が痛むのを感じた。

 違う――違うよ。

 俺はクリフに感謝されるような、立派な人間じゃない。

 アダムは心の中でそう呟く。だが、口にすることは出来なかった。

クリフを 助けに行ったのは、一回間違いを犯して、見捨ててしまったあとだ。過去を変えられても、変えられないものがある。

 それは――俺自身に残った、改変する前の世界の記憶。

 その記憶は、消えた時の痕跡はもうどこにも存在しないと、一体誰が言い切れるのだろうか?

 でも、今のクリフは俺を信じてくれている。

 その気持ちに、全力で応えてちゃんとクリフを守って支えてあげたい。

 償いを胸にクリフと向き合って、今度は絶対に独りぼっちにしない。

 そして、アザトースの侵攻をどうにか抑えるために共に戦う――。

 それが今自分にできる唯一の事だと思った。

 もう二度とクリフの心を悲しさで歪ませてしまわないように……。

 そのとき、脳裏にある言葉がよぎった。

『可愛い可愛いクリフちゃん……。世にも美しく歪んだあの子が、兄弟の愛やなんやで、いい子ちゃんになってしもたら困るんや』

 自分を刃物で刺し、父を殺して改変後の世界での行動を妨げた男、楊炎龍。

 人を喰ったような東方訛りの滑らかな声が生生しく蘇ってきて、ゆっくりと背筋が冷えていく。

「そうだ、クリフ! 楊炎龍はどうしている!?」

 クリフは少しだけ、アダムの言葉の勢いに驚きつつも、にこりと笑って言う。

「陛下には色々助けて貰っているよ。どうにか、半神としてやっていけてるのも彼のおかげだ」

 アダムは思わず息を飲む。

「クリフ、ダメだ! あの人は……!」

 その時、不思議な香りがどこからか立ち上った。そして周囲は煙に包まれる。

 煙にむせて、アダムは言葉を失う。クリフの姿さえも見えなくなる。

――そのとき背後から、アダムの耳元で誰かが囁いた。

「ええんか? もし話せば、お前の『真実』もこの子に一つ残らず告げたるで」

 アダムは恐怖のあまり、息を呑む。

 そして瞬時に考える。

 俺の『真実』……それは一つしかない。改変前の過去だ。囁き声は淡々と続いて響いていく。

「二年も一途に待ち続けた、たった一人の愛しの兄君にもうひとつの未来では見捨てられた……なんてことを知れば、クリフちゃんは一体どう思うやろうなあ? ああ、なんておかわいそうに……知らぬが仏とはこのことやな」

 そうだ……自分を害し、クリフと共に歩む道を阻んだこの男には『知られて』しまっている。クリフを見捨てた過去を。

 決して変えられない、俺にとって都合の悪い『真実』を。

 だからといって、この男の介入をこれ以上許す訳にはいかない……!

 クリフを守らなければ!

 アダムは必死でクリフを探すが、煙で何も見えない。だが感覚でそばにあったノーデンスの三又槍を掴み、構えた。

 だが煙の中の声は容赦なく、アダムの抵抗の意思を一瞬でねじ伏せるような圧をかける。

「心配せんでも、可愛いクリフちゃんには何もせんわ。お前が余計なことを喋りさえせんかったらな」

 煙が徐々に晴れていく。

 そこには竜玉公国の装束に身を包み、煙管を持った皇帝が立っていた。

「ごほんごほん! 陛下! 急に現れなくてもいいでしょう? しかもいつもより煙が濃い。なんの嫌がらせですか?」

クリフが炎龍に語り掛ける言葉は親しげで、兄の自分に対してよりも、少し幼さと甘えがあった。

「ん? 呼ばへんかったか? 勘違いとは恥じ入るばかりやなぁ」

アダムは思わず、炎龍を睨みつける。炎龍は悪びれもせずにアダムを一瞥して呟く。わずかに眉が顰められる。その瞳には明らかな敵意と苛立ちのようなものがあった。

「ああ……兄弟水入らずのところを邪魔してしもたか。おはようさん、いい夢は見られたか?」

「兄さんをからかうのはやめてください。まだ、覚醒したばかりで意識があやふやかもしれないんです。兄さん、この人が竜玉公国の皇帝の炎龍陛下だよ。君の父上の旧友だったそうだ」

 クリフが、彼の前で自分が嫡子ではないことを告げた。どうやらこの男の記憶はクトゥルーの能力で改ざんしていないらしい。

アダムはしばらく無言で炎龍を睨んでいたが、無理やり落ち着きを取り戻して聞いた。

「あなたはどうして、ここへ?」

彼は魔香を操り、死者の記憶を通じて過去の時間にランダムで飛べるはずだ。

なのになぜ? 父アーサーの記憶をたどって……? それならば、辻褄が合わない。父はあのとき、既に死んでいるはすなのだから。この時間に飛べるわけはない……。

 炎龍はアダムの動揺を嘲笑するかのように肩をすくめて言う。

「それはクリフちゃんと二人だけの約束や。詮索は野暮やで」

「なにっ……どういうことだ?」

 アダムを遮るようにクリフは言う。

「大したことじゃない。この人はいつも好き勝手に僕の前に現れるんだ、アダム。聞いたところで絶対に答えてくれはしないさ」

「そうそう、細かいことを気にしすぎても体にようないで? それと……言葉には注意することや。『うっかり漏らした一言』が案外命取りになるやもしれん」

その言葉には獲物を押さえつけるような圧があった。

 この男はアダムの真実を人質に取り、自分の真実を隠し続けるつもりだ……。

 まるで首元に刃物を突きつけられたような気分になって息を飲む。

知られたところで、クリフは信じるかどうかわからない。早く手を打たなくては、この男の目的は何か知らないが、大変なことになってしまう!

 だがその一方で、アダムは凄まじい殺気を感じた。あろうことか、クリフはこれに気づいていない。もし、アダムがここで少しでも戦闘の動きを見せれば、一瞬にして反撃されるだろう。

 この男は危険だ。簡単に倒せる相手でもない……。アダムはノーデンスの槍を見るが、それは先が欠けたままだった。

 もうひとつの未来で徐々にノーデンスと時を積み重ねた末に完全体になれたときのように、まだ完全に適合できたわけではないからだろう。

こんな状態で挑んで、勝ち目はない……。

『こら、しょっぱなから儂が悪いみたいな言い方すな! まーちょっと!? 今の感じだったらこの眼鏡色男は相手にせん方がええかなと思うけどのう! 儂も自信がなーい!』

 頭の中でノーデンスの声が響く。

 やっぱり、そうじゃないか!

 どこか気が抜けた気分になりつつ、頭の中で突っ込みながらアダムは一旦、三又槍を握る手を緩めた。 

 すると、炎龍から感じる殺気がわずかに収まった。

クリフは炎龍に軽口を叩く。

「兄さんを脅さないでください。僕が何を言っても、大して怒らないくせに」

「何を言われても腹が立つ顔と、腹が立たん顔があるんや。この王子様は前者、クリフちゃんは後者やな」

「またそんなことを言う……本当に困った人だな」

 人に対して心を開くことなどなかったであろうクリフが笑顔で、他人に軽口を叩いている。

 その光景は不思議であり、紛れもない脅威だった。

この男は自分がいない間、クリフのそばにい続けて信頼を得たのだろうと見ただけでもわかる。クリフは信じ切っている。まるで兄のように、父のように。

だが偽りだ。

この男はクリフにクトゥルーの賭けをさせ、この国を好きなように操っている。

孤独なクリフを利用して、なんて卑劣なのだろう。

 たとえクリフにもう一つの未来を知られてしまったとしても、伝えなくてはいけない。

「クリフ、この人は……!」

 だが瞬間、どこからか漂ってきた香りを感じ、口がしびれた。

 口が思うように動かず、言葉が出てこない。

 アダムが思わず炎龍を見ると、いつの間にか新たな色の煙を煙管から吐き出していた。

「どうやら朕は招かれざる訪問やったようやなぁ? 詫びにひとつ、とある神話の土産話を聞かせたるわ。遠き国の忌神の『嘆きの残滓(ラメント)』を回収したついでにな。まあ、静かに聞いとき」

 アダムはどんなに口を動かそうとも動かないまま、固唾を飲む。

 クリフは親しげに返す。

「またいつものホラ話ですか? 少しは面白いといいのですけれど、期待してもいいでしょうか?」

「ああ。かつて忌神とよばれた悪しき神々は、善神ノーデンスに討伐され、聖遺物レガシーおよび、それに込められた『嘆きの残滓(ラメント)』さえも世界に遺すことが許されずに散っていった。かつて彼らの大罪に怒った創生神たち……クトゥルーとヨグ・ソトースが、『嘆きの残滓(ラメント)』の消滅を望んだからや。だから、そんな奴らの『嘆きの残滓(ラメント)』は現在・過去・未来、どの時間の中にも存在せえへんはずや」

 アダムは炎龍に警戒しながら、しびれる口を仕方なく閉ざしたまま、話を聞くほかなかった。

「いつも、そんなものを取ってきていると? 嘘でしょう。あなたが龍神皇帝の『嘆きの残滓(ラメント)』を背負っていようが、そんなことできるはずがない」

「話の腰を折るんはようないで? 奴ら罪深き忌神は『完全に消えて、どの時間にも存在しない』ことにはなっとる。せやけど、奴らはその荒々しさで世界に爪痕を残したんや。それこそ大量に殺した人間どもの骨、抉って枯らした大地。力への傲慢さゆえに砕いた岩跡……。その痕跡地は人類にとって脅威をもたらすがゆえ、通常は立ち入りを禁じられとる」

「なぜです? 脅威と言っても、もう滅んだものなのに」

「『両方の時間が存在していたと知る』矛盾によって、人間が混乱するのを防ぐためや。単に仮説として聞く分は問題ないし、立ち入り禁止は少々大袈裟やけどな。絶対的に統一された認識や、特定個人に大きく影響を与える大きな出来事が起こった『存在しないはずの時間』があったと知れば、通常の人間は強い精神的負荷に耐えられずに気が狂う。わかりやすく言うと、『信じていた絶対なる認識が覆される』のに案外人間は耐えられへんのや。それを防ぐ為に神が定めた犠牲の羊である『禁忌の消失点』っちゅうもんがあるんやが……それはまた、別の話や」

 アダムは炎龍が何を言わんとしているか、この例示によってアダムに何を伝えようとしているかを理解した。

 ――つまり、クリフに『時の改変』前に起こった出来事を伝えてしまえば、彼に精神的負荷をかけ、気を狂わせてしまうことになるのだ。

どこまで本当かはわからないが、クリフにとってアダムが助けに来たことは人生における大きな出来事。自分が裏切りを行ってしまった時間のクリフは、あまりに今のクリフと大きく違っている……。

 あの残酷な真実は決してクリフに伝えられない。いや、伝えさせてはいけない。

たとえ炎龍がカマをかけているとしても、謎の多い彼のこの発言を嘘と断定するリスクは高い。

 そして彼が言った『禁忌の消失点』という言葉が、アダムの思考に引っかかる。

 ヨグ・ソトースが魔女ヘレナについて言ったことと同じ。一体彼女は、どういう存在なんだ?

 ふと見ると、炎龍の首にツタのような赤い刺青が浮かび上がっていると気づいた。

 それは夢の中で見た、魔女ヘレナの体に絡みつくように浮かび上がっていたものと同じだと気づく。

 ――なぜ、彼女と同じ刻印を持つ?

 炎龍が軽くその刺青を撫でるとすっと消えていった。

「おっと、随分『激しい』ことで……ま、細かいポイント稼ぎも大事やな」

「ポイント? なんの話です?」

「何でもないわ。つまり、『もう一つの未来』にはご用心ってことや。言わぬが花。これもまた、『アンダーザローズ』や」

「今日の話は難解ですね。しかし……荒人神の原理に通じる理論なのでしょう? 本来どこにも存在しないはずの忌神の『嘆きの残滓(ラメント)』を宿した半神は強大な力を持つようになる。……それはすべての人間にとって存在してはならない、『禁じられた時』を利用しているからですね」

「ご名答。さすがクリフちゃん。まぁつまり存在しないはずの伝説や時は精神を揺るがす危険をはらんでいるゆえに、忌神は強い力を持つ。毒を持って毒を制すと言うことや」

 クリフはうつむき加減で思い悩んだ様子で呟く。

「これまでも全然話してくれないから、忌神の『嘆きの残滓(ラメント)』がなぜ、荒人神まで育つのか分からなかった。だからこそ……それを入れ込んだ半神の神食が通常より早く進むのですね。討伐数をコントロールしなければ……」

「心配ない。忌神の『嘆きの残滓(ラメント)』が戦闘によって培養されていくうちに荒人神を飼いならせれば、神食が止まるはずや」

 クリフは驚いて、炎龍のその言葉尻に食らいついた。

「今のは本当ですか!?」

「好きに解釈したらええ。朕が可愛いクリフちゃんを困らす嘘をついたことがあるか?」

「何度もありますよ。ありもしない神話の話をそれらしく聞かされて、とても感動したので、スピーチで話そうと思いましたが、魔脳で確認すると、それが存在しないと発覚しました」

「それはすまんかったなぁ? せやけど、魔脳とどっちが正しいやろうなあ?」

「マリアは後継機ですが、過去のデータは神が作った最高峰の神工知能マグダラのものを引き継いでいる。さすがにあの件は間違いないかと」

「便利やからって、なんでも信用するのは程々にした方がええで? 脳光福音団の奴らが自滅したようにな」

 知らない言葉が色々と飛び交う。一体この男の狙いはなんだ? 真実を人質にとってまで、一体俺達に何をしようとしている。

 ふとクリフが炎龍との議論から気がそれたのか、異変に気付いてアダムに問う。

「そういえばアダム、さっきから無言だけれど、どうしたんだい?」

その時、炎龍が別の色の煙を吹かした。すると、口が急に動くようになった。

「目覚めたばかりの上に突然の来訪で疲れたんやろ。無理もないわ。ほな、お暇させてもらおか。兄君殿。この戯れ話を『ゆめゆめ忘れることがなきよう』。……朕は耳ざとい。どんなに遠くからでも、なんでも聞こえてしまうんや」

 明らかにこれは脅しだ。

 余計なことを喋れば、クリフにもう一つの未来を教えると暗に言っているのだから。

「待て……!」

「ほな再見、密友殿」

 アダムの静止を聞き分けるわけもなく、その言葉と同時に炎龍は煙と共に消えてしまった。アダムは葛藤のまま、口から出そうになる言葉を抑えるしかなかった。

クリフにもし炎龍がしたことを告げれば、アダムが隠している『真実』が伝えられ、精神負担のあまりに発狂してしまうことだろう。

だが、本当のことを言わずに、一体どうやって炎龍をクリフとこの国から引き離せる……?

「ごめん、アダム。あの人はいつもああなんだ。食えないところはあるけれど、悪い人じゃないんだよ。困ったときは、気づいたらそばに来てるしね」

 クリフは完全に炎龍を信頼している。柔らかい語調からも心を許していることが明らかだった。

 自分がいない間にクリフが王としてのプレッシャーや魔物との闘いに耐えられたのは、良くも悪くも、あの悪魔のような男の存在があったからだろうと直感する。

 言えない言葉ばかりが喉につまったような感覚にアダムは狼狽しながらも、あたりさわりのないことを言う。

「俺は別にどうってことないよ。さっきは疲れてて……言葉が出なかっただけだ」

そしてアダムはあることに気づく。

 過去を変えてやり直せば、本当の兄弟になれると思った。

 なんでも話せる。どんなことでも共有できる。共に苦難を乗り越えるために。

 そうなるはずだと信じていたが、もう今の時点でクリフに決して言えない嘘が一つできてしまった。

 まるで立場が逆になった。別の未来で目覚めたアダムに苦しみながら嘘をつき続けたクリフと……。

 思わず、小さな声で呟いてしまう。

「バチが、あたったのかな……」

「アダム?」

違う! 反省する暇があるなら考えろ!!

 アダムは自分にそう言い聞かせる。

 本当のことを言えないのならば、炎龍と引き離すための次善の策を探すしかない。

「ねえクリフ。あの人は他国の皇帝だろう? そこまで信頼していいのか?」

クリフはそう言われて、宝石のように美しい紫の目をアダムから少し逸らしながら、どこか苛立ったように告げる。

「まさか……完全に信じてるわけじゃない。僕がそんなに愚かに見える!? でも確かに僕はアダムと違って英雄アーサー……父上の子どもじゃない。王の器としては不足があるのかもしれない。だからこそ、あの人に頼ってしまうのかな」

 そんなことを伝えたいわけではなかったのに。クリフの頭に浮かんだ解釈は、全く違うことだったようだ。

 真実が阻害されると、伝えたいことがまったく伝えられない。あまりにも歯切れが悪く、靄がかかったようだった。

 同時に、それほどまでにクリフは自分が王の血を引いていないことに強いコンプレックスを持っているのだとも気づかされる。

 側室の子どもだとはいえ、当然のようにアーサーの血が流れるアダムには理解しえない感情と劣等感だった。

「違う、そんな意味じゃない。ただ、クリフは心配なんだ」

 クリフは眉根を寄せて、わずかに顔を歪める。

 悲しみのなかにほんのわずかな怒りをにじませて言う。

「じゃあ、なんでもっと早く……!」

クリフは途中でハッとして言葉を切った。

 だがアダムはその先に続く言葉を理解する。

『なんでもっと、早く目覚めてくれなかったの?』

 明らかにそう言おうとしていた。

 その通りだ……。アダムはクリフが放とうとした言葉に、自分の弱さを痛感した。

 ヨグ・ソトースが目覚めを阻んでいたとはいえ、夢に浸っていたのは事実だ。

 経過してしまった時間の分は、これから償っていくしかない。

「ごめん……こんなことを言っても仕方ないし、突然色んなことを言ってしまって混乱させたね」

「いや、俺のほうこそごめん。ずっと寝てたのに、色々と口を出しちゃって」

「とりあえず、このあとはやることがたくさんある。みんなに君を紹介して、寝る部屋を決めて……討伐までに戦闘力をチェックしたりする必要はあるけど、今日はゆっくり休んで欲しい。ああ、それと」

クリフはポケットから、綺麗な青い組紐を取り出した。そして少しだけはにかみながら言う。

「君、眠ってる間に髪が伸びたんだよ。何度か理髪師に切ってもらったけど、最近は忙しくて手が回らなくて。もししばらくそのままにするなら、よければこれで結んでくれ。邪魔になるだろうから」

 アダムはふと、近くにあった洗面台の鏡を見た。すると髪が肩ぐらいまで伸びていると気づく。

 青い組紐と、それを乗せたクリフの華奢な白い手を見つめ、アダムは思わず顔をほころばせながら受け取る。

「すごくきれいで嬉しいよ。ありがとう! じゃあしばらく、切らないでおこうかな」

クリフは少しだけ驚いた顔をしたが、嬉しそうに笑う。

「よかった。一応だけど……自分で作ったんだ。魔脳で古代文化を検索してる時に見かけてね。有神時代にはこうやって組紐で作った腕輪や髪飾りを相手へのお守りとして渡したらしい」

「お守りってこと!? すごいなあ……。これ編み込むの大変じゃなかった?」

「触手を使えば簡単さ。執務作業中に片手間でできたよ」

そういえば、もうひとつの未来でクリフがクトゥルーの触手を使って器用に書類へのサインまでこなしていた光景を思い出す。

「へえ、使いこなしてるなあ……」

「それじゃあ、ここを出よう。これからよろしく、アダム……僕の兄さん」

「ああ、よろしく。クリフ」

 そう言いながら、アダムはさっそく髪を結ぶ。

 クリフはその様子を見て、どこかほっとしたような、少し寂し気な顔をした。


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