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3章10話 Sullen Bonds and the Shadow of the Magno

 北方の忌神、フェンリルはその鋭い爪と牙を以て、かつて人間たちを脅かす悪神たちの軍勢の礎となって世界を滅ぼそうとしたと伝わっている。

 善神ノーデンスによって討伐されたあとも、現フォルディアルス共和国にフェンリルが残した戦いの爪痕、そして永遠に続く遠吠えの残響が大地に刻まれ、今もなお消えることがないと言う――。

 

「うおおおおーー!!!」

 人狼の姿を取ったゼファーは勢いよくゴーレムの岩塊の体を粉砕し尽くした。その強大な力に討たれると、ゴーレムは岩の破片すらも残さずに霧散する。

 拳に計り知れない力が込められているのか、わずか数発の打擲でゴーレムは跡形もなく消え去った。

 白紫の毛に覆われた巨躯がわずかに武者震いのようにビクビクと震える。

 そして、低い声がふと響いた。

「けっ、つまんねえ……こんなんじゃ、腹は膨れねえな」

 耳慣れない口調に違和感を覚えながらもクリフはゼファーに語りかける。

「『獣化』と『総力強化』……。君の能力を実際に見たのは初めてだった。驚いたよ」

 ゼファーはわずかにびくりと肩を震わせた後、クリフに背を向けたまま、軽く自分の頬を叩く。そして呟く。

「ダメだよ……戻らなきゃ……!」

いつもの口調に戻ると同時に、人狼の大きな体躯がするすると縮み、だが、クリフより背の高い少年になって振り向いた。にこにこと天真爛漫な笑顔で言う。

「よかったー!! 王様が無事で!」

「その……」

クリフは口ごもる。王が半神に助けられるなど、あってはならないことだ。これまではそれを必死で避けてきた。

討伐によって神食が進んでしまうというのに、自分がその原因になるなど許されない。

「すまなかった。次の討伐は休んでいいから」

 彼がもし『荒人神』となれば、より強大な相手と戦わせることになるのに。矛盾している……クリフはそう思いながら、少し下を向いて告げた。

「なんで? ボク、なにか悪いことした?」

「逆だ。悪い事をしたのは僕の方だよ。王が半神に守られるなどあってはならないのに」

 クリフははっとして、ゼファーの首輪のボタンを操作した。

「わっ、急に何するの?」

「神食度、20パーセント!? 早いな……」

 間違いない……。炎龍のもたらした忌神の『嘆きの残滓』は通常の半神より早く神食が進んでしまう。そうした先に待つのは暴走と死だ。

 神食の結果、暴走してしまったら、周りを巻き込んでしまう可能性が高い。

 首輪に暴走を止めるための自殺装置を付けることを炎龍に勧められたが、それはしなかった。麻酔薬の入った針を首輪内部に仕込み、それで眠らせてから引き上げ、城で拘束してできうる限り面倒を見る。

 炎龍からはその行いが無駄だと言われた。一度神食度が上がって暴走した個体は二度と止まることができずに意識も元に戻ることは無いし、やがて人間の体が内部の神に打ち勝てずに死んでしまう。

 どちらにせよ、遺体はヨグ・ソトースの受肉結晶の泉の中に返さなくてはいけない。

 半神は最初から死を覚悟した者が自分の体を実験材料として差し出すことに合意した存在。

 一度暴走して自我も失い、いずれ死を待つ存在にそんな配慮をする必要があるのかという炎龍の言葉に思わず反論した。

『それでも彼らは民である事に変わりはない! 彼らを戦力として利用している事実は変わらない。でも、せめて最期まで人間として扱いたい……! 王として、責任をとらなくては!』

 炎龍は金の瞳を大きく見開いたあと、呟くように言った。

『あのお姫様に似てるのは顔だけやない、か……。でも、思い上がりはほどほどにせえ。何がお前の罪や。半神の生成も荒人神の培養も全て朕の入れ知恵でしたことに過ぎんくせに、偉そぶるな』

押さえ付けるように支配的な口ぶりにたじろぎながらも、クリフは譲らなかった。

「たとえ偽りの王座であろうと、僕はルルイエの王だ。全て、あなたの言いなりにはならない」

すると、炎龍は深くため息をつきながら呟いた。

『儘ならんところまでそっくりとはな。ほな、好きにしたらええ。まあ……これぐらいは予想のうちや。『歪み』が少ないと厄介やな』


「首が、苦しいよ……! 王様」

 ゼファーがじたばたと身を捩らせる。

「あ……すまない、本当に」

 いずれ暴走する個体、そして荒人神の素材になるであろうゼファーに討伐を休ませるのは一度きりになるだろう。シールドはいずれ壊れてしまうし、国民を守るためにも酷く急ぐ必要がある。自分だっていつ神食が進んで暴走し、死ぬかわからないのだから。

 半神はそのための、犠牲……。

激しい罪悪感が襲う。アダムが見たら、きっと僕を軽蔑するだろう。

「どうしたの? 王様。どこか痛い?」

「いや、どこも痛くないよ。君のおかげで助かった。僕は討伐に戻る。君も持ち場の処理が終わったなら今日の分は終了だ」

 だがゼファーはブンブンと首を横に振った。

「ボク、王様と一緒にいる!」

「は?」

「だって王様、すごく寂しそうなんだもん。心配だからひとりにできないよ」

 寂しそう……。

 クリフは思わず、胸の奥にあるものを見られた気がして、居心地が悪くなった。

 誰にも言っていない感情だ。炎龍陛下にも言葉にして伝えたことはない……。

 だってあの人は、僕が何かを言う前にそばに来てくれるから。

「神食が進むから、もう帰ってくれ」

「じゃあ見てる。王様が戦うところ」

「そんなの見て、どうするんだ。何も面白くなんかないよ」

「うん、王様ってゴーレムみたいな硬い敵は苦手なんだね!」

 おそらく一切悪意がないが、歯に衣着せぬ物言い。思わずクリフは反論する。

「なっ……! 喧嘩を売っているのか!? 確かに岩を粉砕できなかったのは予想外だったが、もう少し研究の時間さえあれば僕1人でどうにか出来た!」

「えへへ、冗談! あのね。ボク、王様と友達になりたいんだ~」

 クリフは思わず後ずさる。だが天真爛漫なゼファーはずいずいと近寄ってくる。

「友達……」

ついぞ、考えたこともない響きだった。

「ね、いいでしょ?」

「なぜだい?」

「うーん、なんでだろ? でもボクね、王様のこと大好きなんだ~! 綺麗だし、クトゥルーの『嘆きの残滓』もカッコいいし、優しいし~」

「優しい? 僕が……?」

 毎日、王として討伐を取り仕切り、半神たちの命を犠牲にしているのに?

「うん! さっきだってボクの神食を心配してくれたじゃないか」

「それは、義務で……」

「だから、友達になりたい!」

 話を聞かないのか。そう思って呆れながらクリフは返事を返す。

「無理だ。王に友達などいない」

 だがゼファーはクリフの言葉を遮って、またぶんぶんと首を振って否定した。

「そんなことないでしょ! アーサー王は楊炎龍と友達だったって、なんかの本に書いてあったよ」

「実際はどうだったか知らないけれど、おそらくそれは互いに利害関係が発生していたからじゃないか? 七国大戦のさいに助け合ったとは言うが、本当に仲が良かったかはわからない」

 炎龍はむしろ、アーサーというよりも母ヘレナと何かしらの繋がりがあったように思える。

 決して答えてはくれないが、その感情からきっと、同じ顔をした僕に甘いのだろう。

「仲良かったんだよ、きっと! だからボクたちも友達!」

「意味がわからない……。なんでそうなる? それに、僕は君が思うような立派な王じゃない」

「そ、そんなにいやなの……?」

 ゼファーは立っていた獣耳を垂れさせ、うるうると目を潤ませる。

 僕なんかよりずっと背が高いくせに……。なぜ、くしゃくしゃの前髪の下の目はつぶらで可愛らしいのだろう。

 クリフはまるで、道端に捨てられた子犬を見捨てるような罪悪感に襲われた。

 いや、罪悪感は表向きだった。

 本当はこの申し出に惹かれている自分がいた。兄のアダムを除けば、同世代の友達なんて、ついぞいたことがなかったからだ。

「いや、悪い気はしない。君には恩があるし……なら、構わない。友達で」

 とぎれとぎれにクリフはそう呟いた。

「やったー!! じゃあ、ボクたち友達だね!」

ゼファーはそう言ってブンブンと大きなふさふさした尻尾を振った。

面倒なことになった……。そう思いながら、ぴょこぴょこと(それなりに大きな足音で)ついてくるゼファーの気配を感じつつ、クリフは次の討伐先へ向かった。

 クリフは母の形見である指輪型の魔脳デバイスを通し、魔脳マリアに語り掛ける。

「マリア、マップを表示――」

 だが、応答がない。

「マリア……?」

『暫定的なエラー。“H・O・L”の巡回により、ただちに復帰いたします』

 機械音声が響き、わずかに胸をなでおろす。ゼファーはぴょこりとクリフと指輪を覗き込んで言った。

「またマリアのエラー? 最近多いよね。ねえ、H・O・Lって何?」

「君、さっきから思ってたけど、いつの間にかため口になってないかい?」

「ダメだった?」

「いや、別にそうだなと思っただけ。……友達だからか」

「わあ! そう思ってくれて嬉しい!」

「ちょっと後悔し始めてるところだよ」

「もー!! いじわる! で、H・O・Lってなに?」

 クリフは少し考えてから話し始める。

 普段、対話相手がろくにいないせいで誰にも話したことがないことではあるが、あたりさわりのないことならばいいだろう。

「僕もわからない。マリアに質問したが、答えてくれないんだ。おそらくだけど、これは一種の上位プログラムかもしれない」

「上位……プログラム?」

「かつて活動を静止してしまった魔脳マグダラは、死した地上の神々が人間に残した叡智だった。だが、魔脳マリアは父上……アーサー王がマグダラを土台にして作ったコピーAIだ。いわば、『神工知能』ならぬ『人工知能』だね。神ではないからマグダラのように完璧な答えを生成することはできないし、その都度父が管理していた上位プログラムを通して知識を更新して覚えさせざるを得ない。魔獣の出現マップについても、父がマリアとの対話とその根幹プログラムの操作によってどうにか編み出したと言われているんだ。……父上はそれからすぐに死んでしまったけれど」

「あ、ごめん……」

 ゼファーは少し気まずそうに首を垂れる。

 マップが少し遅れて生成されはじめ、魔獣のいる座標が明らかになった。

「いいさ。ともかく、僕も魔脳マリアについてはよくわからない。大体の質問には答えてくれるが、本当に答えてほしいことには口を噤むし、今みたいに解答がうまくいかないときは、『何か』が調整してくれているようだ。それがおそらく、上位プログラムのH・O・Lだよ」

「うーん、結局わかんないや。それは一体マリアの何を調整するの?」

「さあ、解答パターンなのか、思考レベルなのか……魔脳科学士に依頼して何度も調べさせたが、不明のままだった」

 もし、自分に母ヘレナのような頭脳があればわかったかもしれない。

魔女と呼ばれ、彼女が嫌われたのは、辛辣な言葉を投げかける冷たさや近づきがたさだけではない。

 彼女は魔脳との対話の繰り返し、あくなき勉学によって、魔術書ネクロノミコンの細部までをも理解し、有神時代の古代文献を徹底的に読み解いた。そして若くして魔脳マグダラに匹敵する叡智を備えたこと……それがゆえに禁忌の術を身に着けたゆえに忌み嫌われたとも言われている。

 誰も知り得ない膨大な知識を振りかざし、豪胆な政治意見を述べる様はまるで神に背くような振る舞いであったと……。

 ゼファーはぽつりとクリフに投げかける。

「でも王様、それって本当に知らなくてもいいの? なんか、怖くない……? 上位プログラムが何を直してるかわからないなんてさ」

「いいとは思っていない。だが、現状わからない以上は仕方ないだろう」

「なんだか、不気味なんだもん。知らずに使うのは怖いよ」

「アーサー王……父上が残したものだ。間違いはないだろう。ほら、行くよ。ついてくるんだろう?」

 クリフは歩きながら、ふとH・O・Lの意味に思いを馳せる。ただの意味のないバベルトの羅列なのか、それとも……。

 考えても仕方がないが、それについて考えると、何か背筋が凍るように冷たくなる。

 まるで本能的な恐怖に近かった。

 何も知らない……それを知ってはいけない気がする。歩を速めたクリフを追って、ゼファーは小走りになりながらついていった。


 城に戻ったあともゼファーはクリフに付きまとい、『友達だから』を伝家の宝刀のようにふりかざしてはあちこちについてきた。

「ゼファー、一つ聞いてもいいかな?」

「なあに~!? 王様!」

「君の言う『友達』は、相手のプライバシーに遠慮なく立ち入ることが許された存在なのかい?」

「うん! それより、ごはん何食べる?」

 どうしよう、肯定された……。

 ゼファーは『友達』に対してとんでもない認識をしているようだ。

 クリフは思わず、ため息をついた。

 『友達』はこんなにも面倒なものなのだろうか。

「さすがに食事まで一緒に摂るのは不可能だ。僕には執務が色々とあるから失礼するよ」

「ええっ、食べないの?」

「空腹を感じたら、食べるかどうか考えるさ」

 牢獄で暮らした名残なのか、食事を三回摂るという習慣がひどく億劫に感じられる。

 胃の容量も縮みすぎているのか、食べようとしても大して食べられない。

『そのせいでろくな体力もつかへんのやろ』と炎龍にも呆れられたが、自分には普通の生活を普通にする難しさがあった。ゼファーはなぜか怒ったように言う。

「食べるか考えるって何!? 食べないと。王様、すごく痩せてるから心配!」

 城の回廊を曲がってクリフは立ち止まる。これ以上は好きについてこられると困る。

「まさか執務室までついてくる気かい? さすがに問題があるし、君を贔屓してると思われたらまずい」

「ゼファー! ここにいたんですね! って、王様も一緒!?」

 ちょうどよく、眼鏡の青年が現れた。

「いいところに来たね。彼を連れて帰ってくれ」

「す、すみません! ゼファーが失礼を……こら、何考えてるんですか! 越権行為で処刑されますよ! 王様は厳しくて何するかわからない人だって言われてるんですからー!!」

 やっぱり、彼のほうが無礼だ。

「やだー!!」

 そしてゼファーはゼファーでうるさい。クリフはイライラとしながらたしなめる。

「子供かい!? 僕より年下とはいえ、君はわがままが過ぎるよ。とりあえず頼んだ。それじゃ」

 クリフはそう言って、つかつかと執務室に歩いていった。

「ねえ王様、ボクたち……明日も友達だよね?」

 わずかにクリフは立ち止まった。そして少しだけ振り向くと、子犬のような目をしたゼファーがこちらを見ていた。

「ああ……たぶん」

 つい、そう答えてしまった自分に居心地の悪さを感じながら、クリフは少しだけ明るい足取りで去った。

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