第三十六話「星環大樹都市国家・エンバータウン」
異質だった。
エンバータウンは、遠目で見ただけでも“普通ではない”ことが分かる。
エバーウッドの里と比べても、明らかに規模が違うのだ。
入口の大門へ近づくにつれ、それはひしひしと伝わって来た。
──ただ、見上げた。
街の中央にそびえる桃色の巨大樹は、樹というより──
都市そのものを支える柱、だった。
大門前。
街を出入りする旅人の列が、絶えず流れている。
列の流れに身を任せていると、青い制服に身を包んだ若い衛兵が、忙しなく動き回っているのが見えた。
彼は手に四角い機械端末を持ち、荷物の確認をしているようだった。
検問だろう。
「こんにちは~!」
「どうも、こんにちは。ええと、皆さんは四人、ですかね。どちらから?」
ポーニャが尻尾を揺らし、クラリッサを親指で示す。
「こいつとオレは、東北のグレイン村から」
続くように、フィオナが俺の手をとり上げた。
「私とこの人は、エバーウッドから!」
「……これは驚いた。皆さん、人語が喋れるんですね」
「オレらは、人と暮らして長いからな」
「私も里で、たくさん勉強したー!」
今まで、深く考えたことはなかったが──
なぜ俺は、この世界の住人の言葉を、“当然のように”理解しているのだろう。
「長旅お疲れ様でした。では、荷物のチェックのほうを──」
「おい、新入り。ちんたらすんな!」
衛兵の背後から、苛立つ声が飛んだ。
そこには、髭を生やした中年の坊主がいた。
青年と同じ制服を着ている──上司のようだ。
「お前らもだ! さっさと身分証を出して、荷の中を見せろ」
言われるがまま、フィオナが、背嚢のポケットに手を突っ込んだ。
取り出したのは──黒い銀庫カードだった。
「はい、これ」
「……こっ、これはっ」
髭坊主が、裂けるほどに目を見開いた。
「し、失礼しました! 皆さん、どうぞお通り下さい!」
荷物チェックは、要らないようだった。
クラリッサが手を叩く。
「すごぉい! ブラックカード!」
「ブラックカードって?」
俺が首を傾げると、ポーニャが口を開いた。
「上流階級だけが持てる代物だ……はじめて見たな」
「フィオナ……さん。貴族だったんですか」
「ふふ、まぁね~。お金は、全然ないけどねっ」
なぜかフィオナは、得意げな顔をしていた。
呆気に取られていた衛兵が、喋り出す。
「あっ……街中では暴力は厳禁。魔法・武器の使用も禁止です。くれぐれも、気を付けて下さい」
注意事項を聞き、俺たちは街の中へと歩いた。
門をくぐり抜けると──
眩い白光が広がった。
そこは、石畳の大広場だった。お祭り会場のような賑わいだ。
頭上には色とりどりの布飾りが渡され、街灯の光が昼間の空気に淡くきらめいていた。
行き交う人の波は途切れることなく、笑い声、店の呼び込み、カラカラとした馬車の車輪、どこかで鳴る弦楽器──重なり合う音は、街の鼓動のようだ。
道路の端には、露店が立ち並んでいる。
「見てあれ! 美味しそーっ!」
フィオナが、弾けるように駆け出した。
「スライムキャンディですねぇ~」
クラリッサは楽し気にいうと、ピンクの短髪を揺らし、フィオナに続く。
大斧を背負っているとは思えない身軽さだった。
俺もポーニャと共に、悠々と歩いていく。
露店の台には、透明な桶がいくつも並び、内部では半液状のスライムがぷるぷると揺れている。
店主はゴーグルを額に乗せた若い女性だった。
彼女は、棒を一本、桶の中へ差し入れた。
くるり、くるり。
棒を回すたび、淡い水色のスライムが絡みつき、層を重ねるように形を成していく。
甘い香りが、後ろまで届いた。
スライムって、食えるんだ──。
俺の記憶にあるスライムは、フィオナを殺しかけた緑粘液体だけだった。
軽いカルチャーショックを受けていると、ポーニャがぽつりと口を開いた。
「──山田。本当に助かった。感謝する」
「いいんですよ。あと、お金は返さなくて結構です」
「なぜだ。オレは、必ず借りを返すと言ったはずだ」
「代わりといってはなんですが……何か困った時に、相談にのってください」
「本当に、それでいいのか」
「ええ。……お友達に、なってくれますか?」
「友達……人間と……、オレが……」
猫耳がぴくりと動き、ポーニャの視線が下がる。
しばしの間。
「……わかった。オレは、山田の友達だ」
彼女は仏頂面で、表情が分かりにくい。
だが──
小さな口の端が、緩んでいるように見えた。
「ところで。お二人は、この先どうするんですか」
「オレたちは、獣国ルプスガンに向かう」
「それは、奇遇ですね。俺たちも行く予定です」
「何……? 戦時中だぞ。しかも、人間が歓迎される国でもないだろう」
「いやぁ。色々と、事情があって」
「……であれば、仕事で会うことも増えそうだ」
ポーニャは溜息をついた。
怪訝そうな俺の顔を見て、彼女は続ける。
「戦時下は、関門の交通規制が厳しいんだ。冒険者ランクが、C以上じゃないと通れない」
「えぇっ!」
俺……まだ、冒険者ですらないんですけど。
「オレだけなら、問題ないんだが……」
「ポーニャンも食べなよぉ~、美味しいよぉ」
クラリッサとフィオナは、露店の棒状キャンディをぺろぺろと舐めていた。
「このアホの、ランクを上げないといけないんだ……」
ポーニャは頭に手をやると、悩ましい顔をした。
「そういうわけで、しばらくこの街に居る予定だ」
「……お互い、長い滞在になりそうですね」
冒険者ランクは、どういう条件で上がるのだろうか。
何にせよ、楽な道ではなさそうだ。
「何かあったら、いつでもクラリッサに言え。オレは大体こいつと一緒だ」
「わかりました。また連絡します」
「それじゃ、オレらは宿をとりにいく。またな」
「連絡、待ってますねぇ〜」
フィオナが元気にいう。
「二人とも、またねぇ~!」
俺たちは、遠ざかる二人に手を振った。
広場の前、低い階段を上ろうとした──
その時。
階段の先に、小柄な少女が立っていた。
短くウェーブがかかったクリーム色の黄髪、頭の上には黒ゴーグル。
服装は、カーキ色の腹出しインナーに、軽いジャケット。
短パンの腰には幅広のベルトが巻かれ、横には小さなポーチや留め具が無造作に下がっている。
探検家のような装いだった。
少女は、あたりを見渡すと──
地図を抱えたまま、こちらに手を上げた。
「こんにちは!」
笑顔が、ぱっと咲いた。
「どうも」
「この街に来るのは、初めてですかっ?」
「ええ」
少女は金茶の瞳を見開き、
「ようこそ! 星環大樹都市国家・エンバータウンへ!」
明るくそういった。
都市国家──納得である。
ここは街ではない、ひとつの国なのだ。
「よければ、私を雇いませんか?」
「雇う?」
「エンバータウンは超巨大! 一人では、道に迷ってしまうでしょう……」
少女は身振り手振りして、困った顔を浮かべる。
「そこでっ!」
人差し指をびしっと天へ向けた。
「観光案内は私にお任せ! あなたの専属ガイド、リリーナが手とり足とりサポートします!」
「おおっ!」
「今なら夕方まで、格安八千ゴールド! どうでしょう?」
「うーん……」
フィオナをちらっと見た。
「私は良いと思う。頼もう!」
「……そうしようか。カードって、使えますか?」
「もちろんです。この街では、銀庫カードでの支払いが一般的ですよ!」
リリーナは左腕を差し出す。
腕には、スポーティな黒い時計が巻かれていた。
「お支払いはこちら!」
支払い用の端末のようだ。
そこに銀庫カードをかざすと、ピッと音がした。
「領収書は必要ですか?」
「あー。一応、ください」
里と同じであれば、明細が表示されるはず。
手持ちの金額が分かる。
少女は、バックから四角い機械を取り出すと、時計をタッチした。
すると、低い駆動音を立て、小さな紙が出てきた。
「はい、どうぞ!」
紙を受け取ると、明細が書かれていた。
四月十一日、山田緋色さま、観光代八千G、発行者──リリーナ・オルドレイン。
残高は、二十八万ゴールド弱。
よし……三月の風牙隊の給料が入っている。
四月末までは、給料が入るはずだ。
俺は、少しの余裕があることに安堵した。
「ありがとうございますっ。私のことはお気軽に、リリィとお呼びつけ下さい」
リリィは、俺とフィオナの手を握ると、ぶんぶんと振った。
「敬語もいりません。呼び捨てで結構です!」
「分かった。よろしく」
「よろしくっ。リリィ!」
「ところで、この街には何を? 観光、それともお仕事……ぱっと見たところ、勇敢な冒険者さまのようですが」
「旅の途中、って感じかな。冒険者の登録をしたいから──」
ギルドに行きたい、そう言いかけて。
「いや、まずは荷物を降ろしたいかな」
「安いところが良いね。この街、物価高いみたいだし」
「そうなのか?」
「スライム固めただけのキャンディが、千ゴールドだよ? びっくりしちゃった!」
たぶん、観光向け価格なのだろう。
「それなら、リリィにお任せください! 良い宿を知っています!」
──リリィの話を聞きながら、俺たちは都市を歩いていた。
「エンバータウンは、あちらに大きく見える星冠樹──グラン=ティナを中心に、円環状に六つの層が広がっています。その直径なんと二十キロ!」
「二十……」
想像が追いつかない。
東京二十三区の半分、ぐらいだろうか。
何にせよ、でかすぎる。
「中立を貫く多国籍国家であり、総人口は住民だけで八十万人超いるんですよ!」
その時。
フィオナの明るい青髪が、大きく風に揺れた。
「わっ! 緋色、あれ見て! なんか飛んでる!」
空を指さした。
「あれは──」
飛行船だ。
街の上空を、大きな影が滑っていく。
「環航船ですね。停泊所も複数あって、乗れば移動が快適ですよ!」
「乗ってみたーい!」
碧眼を輝かせ、フィオナは興奮していた。
「お値段が高めなので、使っているのはほとんど貴族ですけどね」
歩いていると、ひと際大きな交差点に差し掛かった。
「さて、もうすぐ第五環・居住区につきますよ。私おすすめの宿は、路地裏の奥にあって──おっと、赤です!」
眼前に、赤いバツ印が浮かんでいた。
人の流れは、それに従うように自然と止まっている。
「これは?」
「魔導ビジョンを見るのは初めてですか? 赤が止まれ、青が進めです」
つまり、信号か。
「この街は大きいですから、これがないと渋滞してしまうのですよ」
次の瞬間、赤い印が消え、青い光の帯が、進路を示すように伸びた。
歩みが再開される。
「画期的だね~!」
フィオナが、感心するように言った。
「そうだな」
「ところで山田さん! エルフ語も喋れるんですね。凄いです!」
リリィが手をぱんと叩いた。
俺たちの会話が、エルフ語に聞こえているらしい。
「あぁ~。しばらく、エルフと過ごしてたんだ。北の、エバーウッドの里で」
「エバーウッド!? 魔獣が蔓延っているという、あの、エバーウッドですかっ!?」
「多分……それだと思う」
「はぇー」
彼女は指を丸め、望遠鏡のようにして俺を観察しはじめた。
「珍しいか?」
「珍しいも何も……あの森は、熟練の冒険者でも近寄りませんよ」
「そうなのか」
「そうですよ! ホーンウルフですらレベルが高いとか。山田さんたちは、お強いんですね~!」
やはりあの森は、“普通”ではなかったようだ。
しばらくすると、リリィが路地裏へと入っていった。
その後ろを追うように、俺たちは歩いていく。
何度か曲がると、景色がふっと開けた。
小高い丘だ。
喧騒は、いつのまにか途切れている。
左を見れば、街が一望できた。
街並みの向こうでは、空を押し上げるように、桃色の星環樹が立っている。
正面に視線を戻すと、数メートル先に、赤い橋が架かっていた。
さらさらと、水の音が聞こえる。
橋の先には、五階建ての建物──石造りの、落ち着いた西洋宿だ。
橋へと踏み入り、緩やかに歩いていく。
小川は、街の中へと流れているようだった。
遠くを見渡しながら歩いていると、前から、リリィの明るい声がした。
「つきました! ここですー!」
彼女は右手で、入り口を示していた。
上に掲げられた控えめな看板には、白く“星見館”と書かれている。
派手な装飾はないが、品を感じる外観である。
中へ入ると、木を基調とした広いロビーだった。
簡易的なリビングの脇には暖炉があり、小さな火が灯っている。
ほどよい熱が、心地よかった。
奥にはカウンターがあり、そこに座っていたのは──
緑の短髪に丸い眼鏡、整った顔立ちの女……だろうか。男に見えなくもない。
彼、もしくは彼女が、眼鏡をくいと上げ、こちらを見た。
「リリィ、おはよう」
中性的な、落ち着いた口調だった。
「ステラさん、おはようございます!」
「こちら、私のお客様です。二名なのですが、お部屋は空いていますか?」
「運がいいな。最上階の部屋が、まだ空いているよ」
「じゃ、そこで!」
フィオナはそういうと、すぐに暖炉に駆け寄った。
「あったかーい!」
俺はもう、何も言わなかった。
俺たちは部屋ひとつ、そういうルールなのだ。
「へぇ。人間とエルフのカップルなんて、珍しい」
「えぇ、まぁ。おいくらですか」
説明がめんどうだ。
そういうことにしておこう。
「リリィの紹介だから、二割引きだね……二人で、一万五千ゴールド。支払いは現金、もしくはカードだよ」
「カードで」
俺は、カウンター脇にある決済端末、銀庫灯を見た。
エバーウッドは青白いランプ型だったが、ここにある物は四角い機械端末だ。
現代的なデザインの端末に、銀庫カードを近づけた。
ポォン──
軽い音がすると、端末が白く光った。
「部屋は、五階の五〇三号室。朝食を食べたければ、朝九時までにリビングへどうぞ」
持ち手がリング状になった古びた金鍵を差し出され、俺は受け取った。
「わかりました」
「僕は、ステラ・グリンデル。何かあれば、気軽に言ってくれ」
「ありがとうございます」
俺たちが、階段を上ろうとすると──
「昇降機は向こうだよ」
後ろでステラの声がした。
「歩きたいなら、それでもいいけどね」
ふふっと、彼女は笑う。
俺はもう、ステラを女として見ることにした。可愛いからだ。
広間の隅。
鉄柵に閉じられた扉の前で、白い丸ボタンを押した。
ガコ……低い作動音。
待っていると、柵が開いた。
中に入ると、柔らかな照明が空間を満たした。
手元のボタン、“五”を押す。
再び、ガコ……と音がして、浮遊感がした。
上に点灯した一の数字が、ゆっくりと五へと進んでいく。
五階につくと、空気が変わった。
磨かれた石床に、深い色合いの木の梁。
灯りは天井になく、石壁の上下の縁をなぞるように、柔らかな光が滲んでいた。
足音が、吸い込まれるように消えていく。
星見館は、高級ホテルといっても過言ではなかった。
突き当たりの角──五〇三号室、ここだ。
金鍵を差し込み、扉を開けた。
「おおっ。眺め良い~!」
開かれた大窓の外には、桃色の巨大樹──星環樹グラン=ティナが大きく見えている。
部屋は石と木を基調とした造りで、無駄な装飾はない。
長机に椅子、大きめのベッドに至るまで、どれも手入れが行き届いている。
これで、一泊一万五千ゴールドは安い。しかも朝食付き。
リリィは、これ以上ない宿を紹介してくれたようだ。
俺たちは荷を下ろした後、リビングへと降りた。
「じゃ、ギルドいこっか。リリィ、案内してくれる?」
フィオナはそう言った。
「お任せ下さい! 道中を楽しみながら、行きましょう~!」
そして俺たちは、星見館を出た──。
──人通りの少ない道を歩いていると、左手に桃色の大樹が立っていた。
中央の星環樹ほど大きくはないが、それでも建物三つ分ほどの高さはある。
フィオナが深呼吸した。
「ん~! 空気、美味しい~!」
「……良い街だよなぁ」
「うん! エンバータウン、もう好きになっちゃった!」
ご機嫌なフィオナを見て、リリィは顔を緩めた。
「ふふ。この街は、季節で樹の色が変わるんですよ。夜はとっても綺麗なので、ぜひ楽しみにしててください!」
大樹を通り過ぎると、リリィは右を向いた。
「右をご覧あれ!」
首を向けると、広場の一角に──
横長の石壁が据えられていた。
大きい。人間が、二十人は横に並べそうだ。
その石面には、無数の文字が淡く浮かんでいる。
「あれは、エンバータウン名所の一つ──“祈りの壁”です!」
数人の人影がすでにあり、そのうちの一人は、静かに祈っていた。
すると──
白い文字が浮かび上がり、波紋のように壁一面を走っていった。
「ああやって、魔力を込めて念じると、願いが文字となって吸い込まれていくんです」
「へぇ……面白いな」
「古の魔法使い、ダイアンが造ったといわれており、祈れば願いが叶うと言われています!」
俺たちは、壁に近づいた。
「そして、記録した人のことを想って触れると──その人の言葉が、浮かび上がってきます」
リリィが触れると、文字が白く浮かび上がってきた。
“理想の私になりたい。リリーナ・オルドレイン”
そう、書かれている。
「ね? とってもロマンティックでしょう」
そういうと、リリィはぱちっとウィンクした。
フィオナは目を輝かせ、前のめる。
「私も祈っていい!?」
「どうぞどうぞ。あなたの夢、今後の意気込み、誰かに残したい言葉などなど、自由に祈っちゃって下さい!」
フィオナは手を合わせ、目を閉じた。
彼女にならい、俺も手を合わせる。
しかし──
何を祈ればいいのか、分からなかった。
一体これから先、どうしたいのだろうか。
自分のことは、何も分からない。
横にいるエルフのことでも、祈っておくか。
──フィオナ・レスターが、笑っていられますように。
白く文字が浮かび上がる。
読み取る間もなく、それは絡まりあい、壁に溶けていった。
「……フィオナは、なんて祈ったんだ?」
「えっ!」
青い目を、右へ左へと泳がせ──
「ん~、ふふっ。内緒~!」
何が可笑しいのか、笑っていた。
その笑顔につられ、俺も口角を緩めた。
「緋色はっ?」
「えっ!?」
俺は視線を、右へ左へと泳がせ──
「あ~……内緒に、しておきます」
「えー! 教えてよー!」
「こういうのは、言わない方が叶うんだ」
「何それっ」
彼女は、笑っていた。
俺の願いは、もう叶っている。
今のところは、だが──。
──通りを抜けた瞬間、色と匂いが押し寄せてきた。
呼び込みの声が、四方から降ってくる。
布の天幕、吊るされた看板、所狭しと並ぶ露店。
行き交う人々の足取りも、どこか忙しない。
「さて、ここからは第四環・商業流通区になります。薬品や武器などの個人商店、大型デパートなど、商業系のお店が多く立ち並ぶエリアです!」
フィオナが、目移りするように露店を見た。
そのうち、青い液体が入った小瓶を手に取り──
「これ、回復薬だ!」
飲むと体力が回復するという、アレか。
「子供の頃に、飲んだことあるんだ。スカッとして、美味しかったんだよね~」
そういえば──エルフの里には、不思議とこういうものはなかった。
怪我をしても、謎の爺さんがすぐに治してくれていたし……。
「まさか、すぐに怪我とか治るのか」
「ん~。テンションが少し上がって、目が覚めるぐらいかなぁ」
エナジードリンクじゃねーかよ。
「マーケットはお店がいっぱいあって、無限に時間が溶けるのです。ちなみにこの先の裏通りには、もっと面白いお店があってですね~」
「どこどこー!」
水色の髪を揺らし、フィオナは首を振った。
「ちょっと待て」
俺は、進もうとした二人の手を掴んだ。
「先に、ギルドに行こう」
「えぇーっ」
フィオナは不満げに、口を尖らせた。
この好奇心の怪物を、そんな面白そうなところに行かせるわけにはいかない。
恐らく夜になってしまう。
「そうですね。では、先に行きましょうかっ!」
リリィが元気にいった。
歩みを進めていくと──
交差点に面した建物の外壁、その上方に、大きな映像が浮かび上がっていた。
『対立する獣国ルプスガンと、ロレリア聖王国。戦争は依然、厳しい状況が続いており──』
……ニュースだ。
魔女帽子をかぶった女性が、深刻な顔で喋っている。
っていうか、テレビあるんだこの世界。
「このへんからは第三環・中央都市区ですね。ギルドや大聖堂、娯楽が多く溢れていて、闘技場なんかもありますよ!」
フィオナはきょろきょろと見渡し、うずうずしている。
遊びたくて仕方がないのだろう。
「そして、この大通りを真っすぐいけば都市の心臓部、王城区につきます」
はるか遠く──
立派な石造りの白城が、巨樹の根元に寄り添うように建っていた。
「王城には、グランティナ王家が住んでるんですよ」
「王様がいるんですか」
「ええ! 女王、マーガレット様がいます」
王家に、女王──
俺の人生には、縁もゆかりもなかった存在だ。
「中央にある星冠樹、グラン=ティナ。その名をそのまま苗字としていて、エンバータウン四大派閥の一つでもあります!」
「四大派閥って、他にもあるのか?」
「ええ、他には──あっ。丁度いいところに!」
リリィの視線の先を見ると──
人の流れが、滝のように割れていた。
中心には、黒スーツに黄色いネクタイを装った、謎の集団が闊歩していた。
「あれが、エンバータウン四大派閥の一つ──」
刺青を入れた金髪の男に、黒いグラスをかけた黒髪オールバックの中年。
どう見ても、堅気ではない。
「黄色いネクタイに黒スーツが彼らのシンボル。その名も、マフィア・“黄金の誓い”!」
彼らの先頭を歩いているのは、黒髪短髪の美青年。
青年の黄金色の眼が、ちらりとこちらを見た──ような気がした。
「マフィアといっても、街の掃除をしていたり、困ってる人を助けていたり……怖そうに見えますが、けっこう良い人たちなんですよ」
彼らを見ていると──
通りすがりに、つるりと禿げたマフィアの一人が、こちらへ歩み寄ってきた。
「何、見てんだテメェ」
低い声。
次の瞬間、男は俺のシャツの襟を、ぐいと掴んだ。
横で、リリィが肩をすくめる。
「たま~に、こういう柄の悪いのもいるんですよねぇ……」
「あぁっ?」
男の視線が落ちる──横に立つ、少女へ。
そして。
「──旦那ッ!」
急に、声色が高くなった。
男は目を見開き、掴んでいた襟を慌てて放す。
「襟が……襟が曲がってますぜ。へへっ」
そういって、今度は丁寧に、指先で整えはじめた。
「男は、やっぱ襟が大事ですからねっ」
「……あぁ、はい。そう、ですね」
「へへっ。それじゃ、あっしはこれでっ」
男は深々と頭を下げると、そそくさと去っていった。
フィオナが不思議そうに言う。
「なにあれ?」
「さぁ……」
「基本的には、良い人たちなんですよ。基本的にはね」
リリィは、何事もなかったように、にこにこと笑っていた。
一体、なんだったのか──。
「──三つ目の派閥は、街を巡回する警備組織、星環保安局です!」
リリィは、青い制服を着て歩いている遠くの青年を、手で示した。
検問の時に見た制服と同じだ。
「何か悪いことをしてしまうと、すぐに彼らが飛んできます。気を付けて下さいねっ」
にこりと、リリィは笑った。
──角を曲がっていくと、噴水のある大広場に出た。
水音とざわめきが、耳に流れ込んでくる。
奥には大階段があり、多くの人──主に武器を持った冒険者らしき者たちが行き交っていた。
「そして、この階段の頂上にある冒険者ギルド──残火の灯が、最後の四大派閥になりまーす!」
リリィは指を四本立てた。
「大まかにこの四つが、この街の勢力組織です。お互いの役割をこなしながら、共存しているという感じです」
「なるほど」
「では──私は、ここの噴水の前で待ってますね!」
「来ないのか?」
「行きたいのは、山々ですが……私は、少し目立ってしまうのです。お邪魔になるかと思います」
どういうことだろう。
「冒険者登録は、銀庫カードがあれば誰でも可能です。受付にいえば、簡単に出来ますよ」
「わかった。行ってくる」
「……あーっ!!」
フィオナが叫んだ。
「ん?」
「私、宿にカード置いてきた! 緋色、先行ってて!」
そういうや否や。彼女は走り去っていった。
いつでもどこでも、慌ただしい娘である。
仕方ない、先に行こう。
石造りの大階段を、登っていく──
見上げるだけで、息を吐きたくなる段数だ。
剣を背負った鎧騎士。
つばの広い帽子を被り、杖をもった魔法使い。
顔が獅子の獣人。
黒マントを羽織った、怪しい男たち。
絶え間なく、冒険者と思しき者たちが行き交っている。
階段を上がりきると、石と木で組まれた巨大な建物群が、広場を囲んでいた。
壁面には、炎の紋章を刻んだ縦旗が揺れている。
正面には、高く太く伸びる大樹。
その根元はくり貫かれ、巨大な扉が開いていた。
「これが……」
冒険者ギルド、『残火の灯』。
樹の根元へと進み、扉をくぐると──
騒音が、どっと押し寄せた。
酒の香ばしい匂いに、熱気が、肺の奥まで流れ込んでくる。
広大なホールだ。
中央には、大きな円形テーブル。
案内カウンターらしき場所には、人だかりができている。
左を見れば、巨大な掲示板。
そこには紙の依頼書が、びっしりと乱雑に貼られていた。
右を見れば、長い通路。
物販区画が、奥まで途切れることなく続いている。
見上げれば、吹き抜けた高い天井。
絢爛なシャンデリアが、穏やかな光を降らせていた。
柔く照らされた階段は、上へ続き──
二階のテラスでは、大柄な男たちが酒を飲み交わしている。
さらに見上げれば、三階、四階と人影が浮かんでいた。
どうやら、五階建てのようだ。
視線を下げると、女戦士は依頼書を睨みつけ、獣人の男は人間たちと口論し、ボロ着の女は受付に詰め寄っていた。
──混沌である。
カオス、としか言い様がない。
ここは、荒くれが集う大型デパートだった。
その時。
「こんにちは」
澄んだ、美しい声。
振り向くと──
腰まで伸びた金髪、長い耳、そして、深い青の瞳。
美しい少女エルフが、柔らかく微笑んでいた。
喧騒は、もう、聞こえなかった。




