第三話「エバーウッドのエルフ里」
現実感がまだ戻らないまま、俺は彼女の背中をただ追っていた。
木々の根が絡まり合って形作られた“木の道”を歩いた。
頭上では太い枝がアーチを描き、無数の小さな灯りが星のようにまたたいていた。
「──でね、エルフの里は七日に一度お祭りがあって~」
静かな空気を嫌うように、エルフ(本物)の少女は無限に言葉を発している。
蛍のような光と戯れながら、嬉々として喋り続けていた。
「……ねぇ。聞いてる~?」
生返事をし続ける俺が気になったのか、少女はこちらを覗くように見た。
肩下まで伸びた淡い青髪、湖面のように光る青い瞳、そして──人間にはありえない長い耳。
彼女は、本物のエルフだった。
「ああ、なんか……未来の話だよな」
「ぜんぜん聞いてないじゃんっ! もー!」
ようやく言葉を発した俺に安堵したように、少女は吹き出すように笑った。
木の道を抜けると、木々の上へ張り出す高台──見張り台らしき建造物が姿を現した。
木漏れ日が欄干を斜めに照らし、その光の中にふたつの影が揺れた。
「おっ、嬢ちゃん! おかえり」
褐色の肌にぼさぼさの茶髪、無精ひげを生やした若い男が顔を覗かせた。
肩の大剣に夕日が反射し、黄金色にきらめいている。
腰には皮のベルトをつけ、いくつかの短剣がぶら下がっていた。衛兵だろうか──
「グレースおじさん、ただいま!!」
彼女が大きく手を振ると、グレースと呼ばれた男は高台から軽々と飛び降り、木の幹を蹴って三角跳びのように着地した。
凄まじい身体能力だ。
「ほーう。こりゃまた、珍しいもん拾って来たな~」
グレースは腰に手を当てると、楽しげに目を細めた。
その視線に、自分の姿のおかしさに気づいた。
薄汚れた白ワイシャツ、黒のスラックス、履き古した白い運動靴。
明らかにエルフとはかけ離れた恰好をしている。たしかに俺は“珍しい来訪者”だった。
「困ってるみたいなの! 助けてあげたくて……えっと、その……“人間”なんだけど」
「人間──だって!?」
背後から、若い男の鋭い声がした。
俺は思わず振り返った、まったく気配は感じなかった。
緑の軽装、柔い栗色の短髪、狩人のように鋭い眼光。
弓と矢筒を手にかけ、静かな足取りでこちらに歩いている。
その様子は、明らかに俺を警戒していた。
「お前っ……フィオナ!! 何を連れて来たんだ!」
フィオナ──それが彼女の名前なのか。
名を知っているという事は、とても親しい仲なのだろう。
「蛮族だぞ! 何をするか分かったもんじゃない!」
青年は俺を指さし、声を荒げた。ひどい言われようだ。
「大丈夫。精霊たちも懐いてるし、きっと良い人だよ!」
胸を張る彼女に対し、青年は眉間に皺を寄せたまま動かない。
俺は両手を上げ、できる限り友好的な笑みを作った。
「山田っていいます。カッコいいですね、その弓。道に迷ってしまって、本当に困ってるんです。助けて、頂けないでしょうか……?」
褒めてから下からお願いする。唸れ、三十二年分の処世術!
「……」
しかし、彼の強張った表情は変わらなかった。
だめか──
「ワハハ! 見る目あるじゃねーか! な?」
豪快に笑ったのはグレースだった。バンバンと青年の背を叩き、彼を諭していた。
「里長のとこ案内してやんな」
「隊長!! 何をっ──」
「まぁいいじゃねーの。嬢ちゃんの言う通り、悪い奴には見えねぇしさ」
グレースが軽く手を振ると、青年は悔しそうに眉を寄せたが、それ以上反論はしなかった。
夕風に揺れる弓の弦が、かすかに震えている。
「はは! 今日は楽しい酒の席になりそうだ。またあとでな、山田」
「……俺は、認めないからな」
青年の刺すような視線と、グレースの豪快な笑顔を背中で受けながら、俺と彼女は足を進ませた。
「ごめんね、ライルは人間があまり好きじゃないの」
青年はライルというらしい。
「いいんだ、入れてくれただけありがたい」
怪しい奴が来たら誰だって警戒する。逆の立場だったら、俺もそうしたはずだ。
しかし今後、彼が名前を教えてくれることはないかもな……
高台の森を抜ける頃には、夕光はすでに沈み、景色は静かに夜の色へ染まり始めていた。
ザァ──遠くから、滝の落ちる音がかすかに響く。
木々が連なる土の道を進むと、やがて闇の中に大きな橋が浮かび上がった。
巨大な木々が編み込まれたアーチが幾重にも連なり、十人は並んで歩けそうなほど広い。
枝の隙間では、小さな灯りが星のように瞬き、金色の粒子が漂っていた。
──大橋を抜けた瞬間に、視界がひらけた。
大きな広場だ。中央には、一本の巨木。その幹は大人十人で抱えても足りないほど太かった。
そして中心樹を囲むように、木造の建物が軒を連ねていた。
「あらためて、ようこそ! “エバーウッドのエルフ里”へ!」
「でかいな……」
広場には多くのエルフが行き交い、柔らかな談笑の声が絶えず流れていた。
露店が立ち並び、木工細工を並べる店や、淡く光る果実を売る店が彩りを添えていた。
どの店も木々と調和しており、吊り下げられた灯籠の淡い光が優しく周囲を照らしていた。
「エルフは木工が得意なんだよ! あのアクセサリーショップとか女の子に大人気でね──」
彼女と喋りながら通りを歩いていると、多くの視線が自分に向いている事に気づいた。
場違いな格好に短い耳、注目を集めるのは当然だ──
居心地の悪さを覚えながらも、案内されるまま大通りを西に抜けていく。
「もうすぐ長老の家だよ!」
緩やかな坂を上っていくと、夜空へせり出すように一本の橋が伸びていた。
空に架かる遊歩道、空中回廊だ。
木に灯るランプが、宵闇の道をほのかに照らしている。
足を踏み入れると、下から吹き上げる夜風が服の間に入り込んだ。
少しの肌寒さを感じながらも、俺たちは回廊を抜けていく。
やがて大樹の麓に、二階建ての古びた家が見えてきた。重く静かな気配が漂っている。
重厚な扉の前につくと、彼女は一歩進み出た。
「長老! フィオナです! 用件があって参りました!」
その声に呼応するように、入り口の扉はギギギと音を立て開き始めた。
なっ──
この世界にも自動ドアが!?
思わず扉の縁を触ってみるが、特に何の仕掛けもなさそうだ。
「山田、何してるの?」
「いや……何でもない」
エルフの家は自動で扉が開く、そういうものなのだ。と自分に言い聞かせた。
木の香りが深く染み込んだ廊下を進むたび、足音が静寂に吸い込まれる。
壁には古びた紋章が刻まれ、蝋燭の炎が金色の揺らめきを投げていた。
廊下の奥につくと、深い影を抱えた古木の扉があった。
コン、コン──
彼女が扉を軽く叩くと、ギィ……と低い音を立てて内側へ開いた。
部屋の奥、古い書物に囲まれた机の前。
緑のローブを羽織り、長い銀の髪を背に垂らした老人が腰掛けていた。
深い森をそのまま閉じ込めたような眼差し。
顎から胸元へと流れる白い髭は、年配者の威厳を宿していた。
「ここに来るとは珍しい。どういう風の吹き回しだ」
皺を刻んだ表情は穏やかだが、気配は鋭い。
心の奥底まで射抜くような眼光に、俺は身構えた。
「──お久しぶりです、ヴァレン長老。人間の迷い人を森で見つけたので、連れて参りました。どうか、この者に滞在の許可を頂けないでしょうか」
彼女は胸に手を当て、深々と頭を下げた。
丁寧な言葉使いと姿勢。あどけない少女の姿は、どこにもなかった。
「……はじめまして。山田緋色っていいます。気づいたらこの森にいて──」
今の状況をどう説明するか考えあぐね、俺は言葉が詰まった。
長老は沈黙したままだ。
「どうやって、エバーウッドに入ったのだ」
低く響いた声に、記憶の蓋が開いた。
この場所に来た経緯──そう、俺はドライブをしていた。
現実逃避。行くあてのない真夜中ドライブ。
そして突然、光の渦が現れて──
「変な光に飲み込まれて、いつのまにか森に居たというか……違う世界から来たというか。信じてもらえませんよね。はは、は……」
長老の瞳がかすかに見開くと、すぐにまた細められた。
「ふむ……フィオナ、部屋を出ていなさい」
横に居た彼女は畏まると、無言で部屋を後にした。
──重い沈黙。
チクタク、部屋に置かれた古い時計の音だけが響いた。
「山田、と言ったな」
「はっ、はい」
「……この里に“異界人”が訪れるのは、数百年ぶりのことだ」
“異界人”。
俺と同じ境遇の人間が、他にもいたのか!
「その話、詳しく教えてくれませんか! その人はどんな状況でしたか? 元の世界に戻る方法はありますか?」
堰き止めていたダムが決壊したように言葉が出る。
前の世界に未練など無いと思っていたが、脳裏に家族、兄弟を思い出していた。
妹と弟の顔。母の心配する声。
突然いなくなった長男を、家族は案じてくれているだろうか。
「……前に訪れたものは、お主と同じく黒い髪、文様の入った着流しをまとい、腰には長尺の得物……カタナと呼ばれる武器を帯びていた」
それって、日本の侍じゃないか。
「その者だけではない。この星には、ときおり別世界から“渡る者”が現れた。彼らはそれぞれ独自の文明と価値観、生態系を持ち、この世界に自らの居場所を形づくっていった」
俺は喉を鳴らした。
世界の核心に触れるような、そんな話をしている気がする。
「そしていつしか、誰かがこう呼んだ。
──多次元惑星『ファンタジア』と」
長老はゆるりと立ち上がり、奥の本棚に向けて手をかざした。
すると一冊の分厚い黒革の本が、重力を無視するようにふわりと宙へ浮かんだ。
そして、それは彼の手元へと滑るように移動した。
本が浮いたことに突っこみたかったが、今は話が優先だ。
「……その本は?」
「里長だけが閲覧を許された、何百年と受け継がれる古文書だ。最古の記録は、約二千年前までのぼる」
長老は古い封を解くかのように、ぱらりと本のページを開き始めた。
「最も古きエルフ、“始祖エバーディル”はこう記した。『我は、異界より降り立った。故郷エルハイムに戻る術、未だ見つからず』──」
冷たい汗が、頬につうっと流れた。
「では……」
「そうだ。元を辿れば、我らもそなたとおなじ……帰り方を探す異界の種なのだ」
長老の静かな言葉が、部屋の空気をわずかに震わせた。
「じゃあ、帰り方は……」
「知らぬ。少なくともエルフの里では、見つかるまいな」
「そんな……」
胸の奥が、すっと冷えた。
「もっとも、この話はすでに風化している。文献として残ってはいるが、異界人を見るのはワシも初めてだ」
長老は本を閉じ、そっと机に置いた。
「帰りたいとは、思わないんですか」
「……この広大な地、永遠のように深い森、この里は──もはや我らの故郷なのだ。帰る方法があったとて、みな此処を動かぬだろう」
静かに、そして穏やかに彼はいった。
エルフ達はもう、この“ファンタジア”に居場所を見つけているようだった。
「行く当てがないのだろう。好きなだけこの里に居るといい」
「ありがとうございます」
長老の見た目は少し怖いが、その声には確かな温かさがあった。
「これ、よかったら。本当につまらないものなんですけど」
俺は車から持ってきた缶ビールと、おつまみの袋をそっと差し出した。
エルフの口に合うか分からないが、せめてもの手土産だ。
「俺の世界の酒と、燻製の肉です」
「ほう……」
長老は缶ビールを手に取ると、興味深そうに窓辺の光へとかざした。
金属の表面に淡い光が走った。
──開け方……あとで教えないとな。
「今日は七夜祭だ。貴殿の歓迎もかねて、祝杯をするとしよう」
その声音はどこか柔らかく、厳格さは少し崩れていた。
「フィオナを連れて広場に行きなさい。私もすぐに向かう」
「はい。ありがとうございます」
俺は軽く頭を下げ、部屋を出た。
扉が閉まる最後の瞬間まで、長老の視線はこちらを追っていた気がした。
「これも……女神の導きか」
静まり返った執務室。
長老はふと窓を見やり、雲間の満月を静かに見ていた。




