58.正式な作法
いつのまにか現れたお仕着せのメイドさんに先導されて廊下を進む。
幸いにして階段は上らずに済んだ。
このドレス、貴族令嬢の正装だから足首まで完全に隠れるくらいスカートが長いのよ。
おまけにAラインだから油断すると裾が足に絡まる。
ちょっとでも油断したらつんのめったり引っかかってコケそうで怖い。
幸いにしてメイドさんは静々と、ナメクジとは言わないまでもナマケモノが這うような速度で歩んでくれたので助かった。
この辺りも教育が行き届いているんだろうな。
たかがメイドと侮るなかれ。
エリザベスのお供をしていたサラさんみたいに商会員がメイドやってるようなのとは違う。
なるほど。
高位、いや領地貴族家本邸のメイドってこういうレベルなわけね。
グレースも凄いけど特に傑物というほどじゃなくて、ごく当然なのか。
私なんか無理(泣)。
体感では1時間くらい歩いた気がしたけど実際にはほんの数分でお茶会が開かれる部屋に着いた。
ドアの前でメイドさんが声をかける。
「サエラ男爵令嬢がいらっしゃいました」
「お入りになって」
メイドさんがドアをあけてくれたのでグレースに引っ張られて踏み込む。
半テラスというか、ガラス張りで庭がよく見える明るいお部屋だった。
結構広い部屋のあちこちに観葉植物の鉢が置かれている。
そして中央に大きな円形テーブル。
椅子が5脚あって、既に二脚が埋まっている。
ていうか貴族のご令嬢がお着座になっておられた。
グレースがすっと身を引く。
私はスカートを両手で摘まんでちょっと膝を落とす礼をとった。
「サエラでございます。
本日はお招き頂き、ありがとうございます」
頭を下げたまま言って、そのままの姿勢を保つ。
「ようこそ。
席にお着きになって」
ややあってお許しが出たので身体を起こす。
グレースが椅子を引いてくれた。
ゆっくりと腰掛ける。
ため息が出てしまった。
クスクスと密やかな笑い声が上がった。
「お見事です」
「ありがとうございます」
そう、今のは様式美というか、貴族令嬢がお茶会で示す礼儀なのよ。
これが「型」で正式な作法だ。
むしろ公式といった方がいいか。
少なくとも初めて招かれたお茶会ではこの一連の儀式なしには始まらない。
もちろん知己だったり親しくなったら略式というか全部省いてもいいらしいけど、私は初陣でしかも間違いなく今回出席する貴族令嬢の中では身分的に最下位だ。
配慮しまくって当然。
グレースが壁際に引っ込むのを横目で見ながら表面上はつましく腰を落ち着かせる。
壁際には数人のお仕着せが並んでいた。
みんなメイドを連れて来ているのよね。
さて。
メイドさんが私の分のお茶を配膳するのを待ってもう一度頭を下げる。
「サエラでございます」
「モルズ伯爵の三女よ」
「シストリア子爵長女です。
お初にお目にかかります」
私の正面の貴族令嬢が主催者らしい。
ちなみにここではお互いに名前は呼ばない。
というよりは出さない。
もちろんお互いに知ってはいるけど、名前を呼び合うということはごく親しい間柄だと表明することになってしまうから。
私の前世の人が読んだ小説では男爵令嬢が王子や高位貴族子弟を名前呼びしていたけど、あり得ないのよね。
それだけで首が飛びかねない。
ちなみに王子や高位貴族子弟が男爵令嬢の名前を呼ぶのも駄目だ。
婚約者はあり得ないから妾だと主張することになってしまう。
そして人前でそれを言ったら決定だ。
王子や子弟の分際で公然と妾を囲うとは何事だ、と問題になって下手すると廃嫡にまで至るかもしれない。
だって貴族社会は減点法というか足の引っ張り合いだからね。
隙を見せたらとことんつけ込まれる。
もっともこの場ではそこまで厳密には判断されない。
クスクス笑うなどと言う動作は正式な場では許されないから。
つまり、主催者のモルズ伯爵令嬢がそうした時点でこのお茶会は仲間内の気安い場に変わったことになる。
まだ名前で呼び合うほどではないが露骨に礼儀を押しつけ合うことはなかろう。
もちろん油断はしないけど。
「まだ全員集まってないの。
少しお待ちになって」
「はい」
事前の情報によれば今回のお茶会の出席者は私を含めて5人。
主催者のモルズ伯爵令嬢とシストリア子爵令嬢の他にあと2人が来るはずだ。
良かったビリじゃなくて。
まだ指定時刻には早いが、最後になってしまったら何となく気まずいよね。
それから当たり障りの無い雑談、つまり天気がどうとか最近王都で起きた出来事とかを話しているうちに残りの2人も到着した。
ヒルデガット子爵令嬢とサラーニア伯爵令嬢。
みんな私より身分が上だから、到着されるごとに立ち上がって礼をとった。
全員揃って席についたところでモルズ伯爵令嬢がおっしゃった。
「それでは始めましょうか。
本日はお客様をお招きしました。
サエラ男爵令嬢です。
ミルガスト伯爵令嬢のご推薦です」




