第15話 とんかつやの仕事/化け物
翌日、とんかつや田川に着いたおれは戸惑いつつ看板を眺めていた。
午前11時から午後15時までの営業(日祝休み)って。おれが言うのもなんだけど、やる気あんの? でも雰囲気はいい。なんかきれいだし。そしてこれはあれだな、1階が店舗で2階が居住スペースっていうやつか。
約束の10時まであと15分あったので、おれは一旦とんかつや田川を離れコンビニに向かった。
同日午前10時12分。田川での面接を終えたおれは、一旦外で考えたいと席を外し、とんかつや田川近くの公園で今後の身の振り方を考えていた。
田川でのおれの仕事というのは当然とんかつを揚げることではなく、掃除、会計、掃除、掃除、注文、掃除、掃除、という掃除多めの対応だと伝えられた。そもそも店の広さ的に田川さん一人で回すこと自体は可能だと思われるが、揚げてる最中にその場を離れることができないため、単純にもう一人必要だという。また掃除多めに設定されているだけあって、店内の床は、表現として間違っているし実際落ちているが、油一つなくおれとしては非常に心地よい空間であった。
やってみるか。うん、とりあえずやってみよう。だめだったらその時に考えよう。ほぼ出ていた答えをなぞりおれは店に戻った。
田川んはおれの一旦席を外すという行為を単純に帰ったと思っていたようで、こんなにすぐ返事するならさっきしろよ、と怒っているのか笑っているのか判別が難しい雰囲気で言った。
田川さんの言葉に対し、おれは自分の配慮が欠けていたことを認め謝罪。改めて勤めさせて欲しいと伝えると、田川さんは今回は確かに笑いながら、じゃあそこに座れ、とカウンターの席を指した。
基本的な説明を受けた後、開店までの30分掃除行うよう言い渡され、おれは張り切って乾いた雑巾と濡れた雑巾と駆使して店内を拭きまわり、開店してからは初日ということもあり、客の注文は田川さん自身で確認、おれはひたすらとんかつを運んで会計を行うということを繰り返した。
レジに関しては、おれコンビニバイトの経験あるぜえ、というイキっていた部分はあったがタブレット端末を使ったPOSレジであったため、かなりの戸惑いの中、田川さんに口頭で確認しながら根性で処理を行った。
15時を過ぎ最後の客が帰った後、お疲れさん。という言葉と共にとんかつや田川では中クラスの定食がカウンターに置かれたとき、おれは泣きそうになりながら、というか心の中では半ば泣きながら、この流れはうまいなあ、田川さんやるなあ。そしてとんかつもううまいなあ、中クラスの定食を食べた。
翌日からも頼む。おれが店を出るときに田川さんが言った言葉でさらに心が震えたおれは、仕事(実際にはボランティア)の予定を調整しなければならないという設定を忘れ、わかりました、こちらこそお願いします。と反射的に返事をしていた。
店を出た後、最初に話したのは息子だったんだろうか。今日はいなかったけどこの前はたまたま? いや、たまたまってなによ。
興奮していたこともあり、自転車を押して帰りながら電話に出た人物について想像していると、いつのまにか最寄り駅周辺に着いており、そして近くにあった不二家を一瞬見た後、おれは軽く笑って通り過ぎた。
シンプルなショートケーキ2個? あほか、普通に1個でいいよ。1個でいいし、もっと言うなら今度でいい。なぜならお腹がいっぱいだから。
おれは5千円を貯金することを決め夕方の住宅街を歩いた 。
「いいけどさ。なんでとんかつ?」
「長くはなる。色々とあって」
田川で働き始めて数日後の11月24日。時間ができたという大塚の連絡により、おれはチェーン店の居酒屋で最小限のフード注文のみでハイボールを飲めるだけ飲もうと決め、一杯目のグラスを傾けていた。
「月どれぐらいになるんだ?」
「どうだろうなあ。1日、ええと」
おれは指を折って数える。
「一日5時間だからな、大した金にはならないよ。時給はいまいちよくわからない」
「なんだよ、それ。お前すげえな。何もわからず働くなんて」
「大したことないよ。それより今までと比べると金の価値が全然違う、物の見え方も。なんか外国から帰って来たみたいだ。もしくは外国に行ったみたいだ。まあその辺はいいんだけど」
おれは2杯目のハイボールを注文し、グラスをテーブルの端に寄せる。
「前も言ったけど藤倉さん。あの人ってどういう人なの」
「どういうって。おれが勤めてる派遣会社の社員だよ」
「いやいや、普通じゃないだろ。かなり、こう特殊な」
「実際にあの人の中のことはわからんけど。しかしどうでもよくないか? この話題」
どうでもいいという雰囲気を纏いつつ、大塚は2杯目のハイボールを注文する。
よかった。おれがどうこう言える立場ではないが、藤倉さんは一般社会で息ができてるんだな。安心したおれは店員が持ってきたハイボールを受け取った。
「ちょっと気になってたんだけど、お前は働きたくなかったのか、働けなかったのかどっちなの?」
「ああ、そうだなあ」
100日編から解脱していたおれはフラットな状態で串盛り合わせの中からポンポチをつまむ。
「おれは金が無くても、えー、金が無い状態が嫌ってわけでなかったんだよ」
「なんだそれ。遠いな」
「逆から見るとだな、100億持ってる普通の人間がコンビニでバイトするか?」
「じゃあなんで100億持ってんのに今はとんかつ揚げてるんだよ」
「いちいちうるさいがすまん。現時点でおれは揚げる立場にない。それにやっぱりきっかけっていうか、タイミングなんだよな、結局」
おれは藤倉さんとのやり取りをかいつまんで話した。
「おい、それ金じゃねえか! お前5千円欲しかっただけだろ!」
「確かに5千円はでかい。でも本質はそこではない。いくら金を持ってたって落ちている5千円は拾うってだけだから」
「はっは、じゃあ5千円じゃねえか」
大塚は笑って豚串を手に取った。
「まあいい。わかった、今日は就職決まったからそこは譲ってやるよ。なんか最近面白い漫画あったか?」
「いくつかあるよ」
端末を取り出しながらおれは言った。
飲み放題のラストオーダーで頼んだハイボールを互いに数口で飲み干した後、店を出たエレベーターの中で、大塚はこれから仕事に戻るというおれには理解できないことを言い出した。
「え、結構飲んだけど。大丈夫なの?」
「車乗らないし、単純作業を置いてきたから」
ごく自然なエレベーター内での会話として大塚は言った。
こいつ化け物か? アルコールはいいとして。まあ10杯ぐらいは飲んでたけど。それもある、それもあるけど。あれだけ漫画の話で盛り上がり切った後に仕事なんてできるのか? こんなタフなやつだっけ、いやこんなタフになったのか。
おれはそう思いながら建物を出て駅に向かう大塚を見送った。




