第119話 感触
バーベキュー後に行われた4つゲームに3勝1敗で勝ち越した吉井が車、みきがテントで寝ることとなった昨日の夜を経ての今朝、かなり迷った結果、強炭酸水で顔を洗って歯磨きをしていた吉井は、テントから出てきたみきに気づいた。
「おはようございます。なんか飲み物ってありましたっけ?」
みきはクーラーボックスを開け、ごそごそと中身を確認した。
「昨日の残りのお茶と、大量に余っているおにぎりとじゃかりこが」
「あー、なんかいっつもじゃかりこって余るんですよねえ。なんでなんですかねえ」
みきは1/3程度残っている2リットルのペットボトルのお茶とじゃかりこを手に取り吉井が購入した6万7千円の椅子に寝そべった。
「朝日気持ちいいですねえ、お茶も美味しいし」
「それはよかったよ。テントどうだった?」
吉井は食べ物が入ったクーラーボックスに腰を降ろす。
「敗者の朝はデリケートなんです。それに朝は敵を作る時間じゃないんで、夜に作ってください」
みきはウエットティッシュで手を拭いてからじゃかりこの蓋を開ける。
「いや、まあ単純な興味っていうか。寝袋ってどうだったのかなって」
「ねえ、吉井さん。わたしは夜は寒いかもしれないって長袖のヒートテック的なのに着替えたんです。それでテントに入って寝袋に入ってみたらめちゃくちゃ暑くて。テント、寝袋、ヒートテックどれかが悪さをしてたんだと」
「悪さねえ、まあそういうことか」
「で、わたしは寝袋が悪いって思って枕にして寝たんですけど、結果ちょっと寒くて。でもう1回、もう1回って」
「はいはい、服を着替えてみたり外で寝袋を使ったりってことかな」
吉井はクーラーボックスの中からおにぎりを2個取り出した。
「そうそう。全パターン試したんですけど、どれかを抜いたら寒くて全部入れると暑いってことがわかったんです。だから最終的には体半分寝袋に入れて寝ました」
それ最初にやるやつだけどなあ。吉井は顔を洗った残りの強炭酸水の蓋を空ける。
「廃校舎の中で寝ようとかはなかったの?」
「吉井さん、それはですね」
みきは2個目のじゃかりこに手を付ける。
目的がぶれるじゃないですか、スリルとつええで。うん、でもきみはせっかくだから肝試しでもやらないと損派かなーって。わたしは肝じゃなくて吉井さんがどれぐらいつええできるかを試したいんです。そう言われたらそうだけどさ。だいたい吉井さんは8月の夜にああいうのを廃校舎に入って2人で肝試しをやりたかったんですか? 実際には無い思い出を現実に行うことで思い出にしたかったんですか?いや、そういう訳じゃ。大体わたしたちにとって廃校舎はただ押す物です。おっけえおっけえ、じゃあ押すか。いいですね、わたしこの椅子の向き変えて見てますから。ええ、せめてその辺まで来てだな。同じですもん、ほら、早く。押してください。本当に押すからな? あの体育館ぐらいの廃校舎ならおれぐらいだと。あの何回も言いますけど、と、前にも言ったと思いますけど、っていうのを前に言ってますけど、学校のものを学校のもので例えないでください、ごちゃってなりますから。
実際見えてるんだしごちゃっとはならんだろ。吉井は思ったが強炭酸水のペットボトルを持って廃校舎に向かい、建物の真ん中に位置する玄関の前でどう押すか考えていると、ちょっと、ちょっと止めてください!みきが手を×にしながら近づいてきた。
「吉井さんまさか正面玄関側から押すつもりですか?」
「ああ、そうだけど」
「ほんと信じられない!」
みきは座り込んで地面に絵を描き始めた。
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ゲンカン
↑↑↑おす
吉井さん わたし
「こう↑の方に押そうとしてません?」
「ああ、そうだけど」
あー、もう、あー、もう。みきは空を見上げた。
「絵的に絶対こっちなんですよ!」
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| |←
| |← 吉井さん
| |← おす
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ゲンカン
わたし
「あー、はいはい。なるほどね」
「見てる人の気持ち考えてください、手前から奥だと動いた感出ないですよ。大人なのにそんなこともわからないですか!」
「でも見る位置はきみのさじ加減じゃ」
「カメラの位置はどう考えてもここです。吉井さん、こういう時は凝った演出いらないんですよ。横から撮って、玄関側から押す。そんなの誰も求めてないですから」
はいはい、こっちね。吉井はみきが書いた←の方向から押すために建物の側面に向かった。
「じゃあ押すぞー」
吉井は気持ち大きな声で言った後、木造校舎の壁に手を添えた。
「え、ちょっと。押してないのに何で戻ってきてるんですか?」
「ああ、うん」
俯きながら戻ってきた吉井は、先ほどのクーラーボックスに座り、昨夜炙って食べるつもりで買ったが存在を忘れていたスルメを取り出す。
「とりあえず一旦スルメを食べてだな」
「ねえ、まさか押してないというか押せないんですか?」
「いやほら。おれの、何ていうかなあ。力が強すぎるんだよ。んでそれが結局右手と左手に集中するとさ、廃校舎動く前に壁に穴が開く雰囲気をね、手の平からもろに感じるのよ」
「えー、そういうもんですかねえあ、それわたしにも下さい」
吉井は食べていたスルメを半分割きみきに渡す。
「あ、そうだ。建物の両端を持ってですね。こうクッって」
ほら、クッって。みきはスルメを咥え両手の親指で何かを押す仕草を繰り返す。
「言わんとしてることはわかる。ただ建物の両端に手が届かないっていう」
「えー、じゃあどうするんですか?」
みきはだらんと椅子に横たわり足をふらふらと揺らす。
「妥協案としては、押す、ではなく、持ち上げるでどうだ?」
「廃校舎を持ち上げる、ねえ」
みきは目の前の廃校舎を見た後、吉井に視線を移す。
「あー、なるほど絵が浮かびました。そこそこあほっぽいですねえ」
「いいじゃないか。ちょっとやってみるよ」
吉井は再び廃校舎の側面に向かい、その場でしゃがみ込んで建物を持ち上げようとしたが、土台を持った雰囲気から、そこからもげるか、いい感じに上がったとしても真ん中が折れる感じがしたので止め、みきに、ごめん無理。と言いながら手を振り、玄関前に戻った。
「は? 無理って何が?」
みきは新しく取り出した2リットルのお茶を紙コップに入れている。
「なんかおれの思ってる感じじゃなかった。持ち上げたらどこかが壊れるとか剥がれるとかもげるとか割れる気がする」
スルメってあごつかれるなー。再びクーラーボックスに座った吉井は、残っているスルメを他の食べ物が入っているビニール袋にそっとしまった。
「そうでしょうね。じゃあどうします? あ、そこに入ってるおにぎりを1つ下さい。あ、もしあったら2つ」
みきは吉井が持っていたビニール袋を指さす。
どうするっていってもなあ。吉井はみきにエビマヨと筋子のおにぎりを渡した後、改めて眼下に広がる横浜の街を眺める。
夏の朝、体感で普段より雑味のない空気の中で見るその景色は、吉井の気持ちを盛り上げた。
「まあやってみて、実際にはやってないけど、思ったのは、きみの言わんとしてることわかるよ。街中でちょっとした鉄筋の建物押しても、なんかこう味気ないというか。こういう景色のいいところで、気持ちよく建物を動かす。それってなんかいいよね」
「やっとたどり着いたんですね、わたしとしてはそれだけで十分です。じゃあ、わたしがおにぎりを食べたら帰りましょう。つええを見せびらかす機会はいくらでもありますよ」
そしてみきがおにぎりを食べ終えるのを待った後、2人は片づけをしてマンションに向かった。
「ねえ、吉井さん。会社の買収ってどうやるんですかねえ」
みきは助手席の窓を全開にし、車内に漂う炭と肉が混じった空気を入れ替えていた。
「買収かあ。おれモノポリーですらいまだに理解できてないからなあ」
まだこのまま行ける、右折は良きタイミングを見計らって。吉井は片側3車線の真ん中を走行しながら、いつかはしなければらない右折について考えを巡らせていた。
「スタジオカラーを自分のものにしたいんですよ。そして庵野監督にエバーの続きを」
「いや、あれ終わっただろ。なんかで見たけど監督も満足してる風だったけど」
「わたしは」
みきは端末の画面を見ながら続ける。
「エバーを終わらせません。というかあれは終わっていいもんじゃないんですよ。だから先に会社を押さえておいて、庵野監督を軟禁状態にしてずっとエバーを観てもらうんです。テレビ版じゃなくて『序』からのを。そしたら自然と再構築した部分を壊して、また新しい世界を作ってくれるはずです。あとは宇多田ヒカルとの連絡方法さえわかれば」
「うーん、その新しい世界はまた別のもので見せてもらったほうがいいよ。お互いにさ。あ、そういえば最後のって観たの?」
「観るわけないじゃないですか!」
みきは両手を握りしめて吉井をにらむ。
「だって観たら終わるんですよ! 終わっていいものじゃないって言ったじゃないですか!」
「まあそうなんだけどさ、お。もうすぐ着くけどどうする?」
「どうするって。普通に降りますよ。吉井さんは駐車場まで行くんでしょ?」
「うん、まあ。割と遠い有料駐車場までなんだけど荷物って」
「荷物?」
みきは振り返って後部座席を見た。
「なんとかなりますよ。後で考えましょう。あ、わたしここでいいです」
みきはマンション近くのコンビニを指して窓を閉めた。
「うん、そのなんとかの部分がだな。おれには想像がつかないっていうか」
「わかりましたよ。あ、そうだ。次また行きましょうよ。その時使うからそのままってことで」
車を降りたみきはそのままコンビニに入った。
近隣の駐車場に向かう途中、洗車スペースを見つけた吉井は、これはいいかも。いや、かなりいいかも、と思いウインカーを出して車を停めた。
そして周りに人がいないのを確認しながら、バーベキューで使ったものを出して、出来るだけ目立たないよう、車と交互に洗う。
なんか大丈夫なような気もするし、怒られる気もする。かなりギリギリのラインだな。
何も用意していなかったので車は適当に水で流し、洗ったバーベキュー用具は片付け用にと過剰に積んでいたキッチンペーパーで拭き取った。
こりゃあいいよ、気分がいい。これなら、こんな気持ちよく洗えるならまたバーベキューしたくもなるわ。
洗いあがりに満足した吉井は駐車場に向かった。
ん、なんだろう。なんか、これは。マンションまで能力を出し入れしながら移動した吉井は、玄関を開けた瞬間に違和感を覚えた。
空気が淀んでいるっていうか、こもってるっていうか。流れてないっていうか。重いっていうか。だめだ、やっぱりおかしい。
吉井は全力で能力を使い、ほぼ静止した空間を移動してリビングに入る。
え……、これ。みき、か?
吉井の目の前、リビングの中央付近にみきが倒れており、その周辺には大量の血が溢れソファーの前に敷いたラグを染めていた。
「おい、おい!」
みきの傍にしゃがみ込んだ吉井は肩を揺らす。
「ちょっと、おい! 大丈夫か! おい(あ、これはわかる。おれのような素人でもわかる)」
声を掛けつつ吉井は感じていた。
死んでいる。こいつは、みきは、確実に死んでいる。




