第七十六話
わたしとしても気心の知れた人たちが居てくれた方が、少しは緊張もほぐれると思う。だからたとえ毎日でなくとも、夕食の時間だけだどしても、ブライル様たちの存在はすごくありがたい。もしかするとそこまで考えて姫様は提案してくれたのかもしれない。
それから少しの間姫様たちのお喋りに耳を傾け、初めての来謁は無事に終了した。しかし残念ながら料理人であるわたしは居残り……というか今日からここで働くのだ。粗相しないように気合いを入れなければ。
「頑張ってね、リリアナちゃん」
「まあ、気負わずいつも通りにやればよい」
「フェリさま、ブライルさま……」
ただ仕事に戻るというお二人を見送る時には、どうしようもなく涙が出そうになった。だって王族や貴族ばかりの所に一人残されるなんて、やっぱり恐ろしくて心細くて仕方ない。
それにせっかく姫様からお誘いを受けたけれど、残念ながらお二人とも今夜は来られないと言う。あまりに不安げな顔をしていたからだろうか、フェリ様が優しく頭を撫でてくれ、ブライル様からは気遣う(?)言葉をいただいた。
しかし気を落としている暇はなく、早速ナターリエ様に周辺を案内をしてもらえることになった。
さあ、いつまでもしょげてはいられない。自分の果たすべき役割を全うしなくては。それにこの騒動が終われば王宮なんてところには二度と入れないのだから、美しい物の数々をしっかりと目に焼き付けておかなくちゃ。
よし! と下を向く気持ちに喝を入れ、すでに歩き始めていたナターリエ様を小走りで追いかける。そして静かに歩くべし、と早々にお叱りを受けた。そうでした、淑女は走らないものなのです。
まずは姫様の部屋の近くにある使用人の部屋から。ここは待機場所兼休憩室であり、食事や細々とした雑務もここで行うらしい。隣の部屋には、夜間詰める人の為にベッドも置いてあるとか。
休憩室には使用人の方が数人いらして、ナターリエ様の隣に立つわたしに興味を持ったようだ。じっくり見つめてくるので、間髪入れず挨拶をした。新入りということもあるけれど、ナターリエ様同様、彼女たちも貴族に違いないのだから。
こちらが平民だということは知られていると思うけれど、ナターリエ様がブライル様とフェリ様の名前を出してくれたおかげか、侮蔑の目は向けられなかった。いや、むしろ好意的なような……。よろしくね、なんて優しく声までかけてくれた。
貴族といえど、皆が皆ベルティルデ様みたいではないのだと改めて知った。考えれば、ブライル様やフェリ様、それにアニエスたちは基本的に優しいし、わたしに対して威張りもしない。クリス先輩は威張っているというより、ツンデレな性格なだけだし。今思えば拾われたのがブライル様だったことは、とても幸運だったのだ。
そして次に案内してくれたのは、わたしにとって一番大事な場所だった。
「リリアナさん。ここが当分の間、貴女の仕事場となる厨房です」
「わあ! すごく綺麗ですね」
「姫様に召し上がっていただく料理を作る場所ですから、清潔を保つよう徹底しています」
おっしゃる通り、どこもかしこも丁寧に磨かれてピカピカだ。それに調理台は大理石でできているのだろうか。壁も一面白くてとても明るい感じがする。
聞くと、ここはティアーナ姫専用の厨房だそうで、成人を過ぎた王族なら全員に様々な専用のものが与えられているのだとか。ということはこの広大なフロアすべてが姫様のものなのだろうか。規模が大き過ぎて、最早羨ましいとも思わない。
ナターリエ様は厨房の奥にある扉を開き、隣に続く部屋へと向かった。わたしもあとに続く。
「そしてここが食料庫です」
「うわぁ」
野菜にハーブ、穀物など。たくさんの食材が綺麗に並べられている。これもすべて姫様お一人の為に用意されているものかと思いきや、使用人用の食事もここで作られているらしい。
その横の壁にはには一際目を引く両開き扉が二つ並んでいる。収納棚か何かが埋め込まれているのだろうか。
「ナターリエ様、この扉は何でしょう」
「食材を冷やす為の冷却装置です。隣は冷凍装置。見たことはありませんか?」
「冷却装置なら魔法薬研究所にもあります。でもここまで大きくはありません」
「そうですか。なら説明はいりませんね。厨房にはもう少し小さな装置を設置してありますので、それも使用してください」
こんな大きい冷却装置なら中を冷やすのも大変だから、使われている魔石もきっと大きいものなのだろう。それとも数が多いのかしら。あとで確認してみよう。
「食材は毎日専門の業者が運んできますので、受け取ってください。足りない物があれば、その業者に頼むか、貴女自身が買いに行っても構いませんが、その際は必ずこの食料庫に保管して、どの店で購入したかも記録しておくように。それで早速今晩の夕食からお願いしたいのですが、よろしいですか?」
かしこまりました、と頷く。
もし何かあった場合、入手経路は明確にしなければならないから納得だ。しかし問題を大きくしない為にも、なるべく配達の業者さんにお願いしよう。
「そういえば姫様は好き嫌いなどはあるのでしょうか」
研究所にいらしていた時は、昼食やティータイムということもあり簡単な物ばかり出していたし、せっかくなら美味しく召し上がっていただきたい。
「嫌いな食べ物は特にありません。好物は甘い物や果物。主菜なら肉料理も好きですが、どちらかと言えば魚料理の方がお好きなようですね」
魚料理かぁ。ブライル様たちはどちらもお好きなようだけど、クリス先輩が圧倒的に肉食男子なので、わたしのレパートリーも肉料理が多いのだ。
さて何を作ろう、と頭を働かせていると、ナターリエ様が何かの鍵を差し出してきた。それも二本。
「厨房と食料庫、外につながる扉の鍵それぞれ二つずつあるので、一つは貴女が管理してください。もう一つは私が保管しておきます。鼠が入り込まないように、僅かでも離れる時はその都度施錠するように」
「は、はい」
それを徹底することで不審者を遠避けられる。それでも毒が混入すれば、犯人を絞り込めるというわけだ。
鍵は以前から取り付けていたのだけれど、複数人が何度も出入りするので、一度解錠した後は夕食が終わるまで開けっ放しだったらしい。
「でもよろしいのでしょうか、わたしのような者が王宮の鍵をお預かりするなんて」
「貴女のことは信頼できる人物だと聞いております。しかしもしも貴女が悪行を働けば、その責任はすべてジルヴェスター卿が取ることになっています」
「ブライル様が……?」
「ええ。だとしても貴女を罪に問わないというわけではありませんので、肝に銘じておくように」
ナターリエ様の厳しい視線に、ごくりと喉を鳴らした。姫様に害をなすようなことはしないけれど、ブライル様に迷惑がかからないよう疑われるような行動にも気を付けなければ。
「外部の人間に頼らなければならない事態になり、わたくしたちも不甲斐なさを痛感しています。他の王族には被害がないといえども、そちらの料理人を借り受けるわけにもいかない。詳しくは話せませんが、内々の事情から信用できる人物を選定できないからです。それならばと姫様は貴女を登用することを提案したのですが、ジルヴェスター卿が首を縦に振ってくださらなくて。しかし何とか説得して、漸く貴女を貸し出すことを承知してくれたのです」
あのブライル様を説得するなんて大層骨が折れたことだろう。それに最初はわたしの派遣を拒否してくれてたと聞いて、ちょっと嬉しかったりもする。
預かった鍵をぎゅっと握り締め、頑張ろうと心に誓った。




