第六十四話
「ちょ、ちょっと待ってね。……え、アニエス……貴女、貴族だったの?」
驚くわたしに、アニエスは悲しそうに首を横に振った。
「貴族だなんて名ばかりの落ちぶれ貧乏貴族よ。娘のわたしは、こうしてルディウス様の使用人をしているくらいだし」
男爵家というのは貴族の中でも位は低い。それに先代が功績によって受勲したものの、子孫が先代と同じように能力があるとは限らない。そうなれば領地の管理もままならなくなり、ある意味名誉だけの爵位になっている場合もあるらしい。落ちぶれたということは、アニエスの家もそうなのだろうか。
「別にそれはいいの。華やかな貴族令嬢の生活より、働いている方が性に合っているから」
確かにわたしはお仕着せ姿のアニエスしか見たことがない。しかしその正体は男爵家令嬢だったのだ。
なるほど、だからベルティルデ様たちはアニエスのことを知っていたのか。そのうえで貧乏だのと嫌味を言っていたのだ。意地悪く歪む口元を扇子で隠すあの伯爵令嬢を思い出した。
いやいや、今はそんな場合ではない。
「あのね、アニエス。いえ、アニエス様」
「様なんてつけないで。貴族といっても平民と同じ暮らししかしてないんだから。それなのにお父様ったら見栄を張ってばかりで……っ」
「わ、わかったわ。わかったから落ち着いて。アニエス、貴女の話を聞きたいのはやまやまだけど、もう少しあとでも構わない? わたしね、今から料理を作らなきゃいけないの。このまま驚きの事実を受け止めてたら、そっちが気になっちゃって集中できないわ」
「ええ、わたしもその為に来たの!」
「だからあとでゆっくり話しましょう。ーーえ?」
僅かに滲んだ涙を拭い、強く決意したよう言い切ったアニエス。だけどちょっと言っている意味がわからない。
そこへ少し間延びした声が聞こえてきた。
「おーいリリアナ、持って来たぞー……って、何やってんのお前」
「ヤンさん!」
今日も練習の時と同じように補助的な手伝いと、それと昨日の夜から仕込んでいたものを持ってきてくれたヤンさんは、まだ調理も開始せず、アニエスの肩を掴んでいたわたしに呆れた顔を向けた。
「それで、その女は誰なんだ?」
「えっと、彼女はわたしの友達で……。それよりアニエス、今のはどういう意味?」
彼女がつい今しがた言った、その為とは? 訊けば、アニエスはきっぱりと答えた。
「わたし、あれからルディウス様のところに戻ってないの。でも貴女がここで昼食を作るっていう話を耳にして、ちょっとでも手伝えないかって。どの面下げて来たんだって思うのは当然だし、わたしのことなんか信じてもらえないだろうけど」
「アニエス……」
噓をついているようには見えないけれど、信じていいものだろうか。いくら命令だとしても、彼女は魔法石を盗んだ。それによってわたしは窮地に陥っているのだ。
だけどアニエスがすべて悪いわけではない。そもそもルディウス様が命令をしなかったら、彼女は行動を起こさなかった。正反対の感情がわたしを揺さぶる。
煮え切らない態度に、ヤンさんが面倒くさそうに口を開いた。
「よくわかんないけどさ、いいじゃないか手伝ってもらえば。時間は限られてるんだから、人手があった方がいいぞー」
「それはそうなのですけど……」
「友達なんだろう? だったらそんなもん遠慮なんかしないで、こき使ったらいいんだよ」
こき使うというのはどうかと思うけど、確かにこうしている間にも時間は刻々と進んでいる。ならばヤンさんの言う通り、アニエスにも手伝ってもらってもいいのかもしれない。
「それにさ、悪いんだけど、今日手伝うって約束してたの無理になったんだよな」
「え!?」
「屋敷の厨房で急に病欠が出たらしくてさー」
「それはそれは……」
確かに皆忙しそうにしていて、人数的にそこまでの余裕はないように見えた。なのにジョエルさんはわたしにヤンさんを付けてくれたのだ。これ以上の我儘は言えない。
「しょうがないですね」
「だからこいつに手伝ってもらえよ。あんたも食材切るくらいできるだろ?」
いきなり話を振られたアニエスだけど、アピールするかのように一生懸命に頷いた。
「も、もちろん! 難しいことはできませんが頑張ります」
その答えを聞いて、腹を括る。信じるか信じないかはこの際置いておいて、時間的に手伝ってもらう以外の選択肢はなさそうだ。
それにもしこれもルディウス様の命令だとしても、簡単な作業だけを任せれば問題ないだろう。万が一変なことをしないように、なるべく目を光らせていよう。その上で最後にわたしが毒見をすれば、最悪の事態は回避できるし、今日の料理はルディウス様本人も食べる予定なのだから。
それに何も起きず、アニエスが真剣な気持ちで手伝ってくれたのなら、もう一度信じられるかもしれない。こんなことを考えているのがバレれば、お前は甘いとブライル様にまた怒られるのだろうな。
「じゃあアニエス、本当にお願いできる?」
「ええ、よろしくね、リリアナ」
自分の後釜が見つかって、ヤンさんは安心して帰っていった。
早速調理に取りかかるが、今回は魔法が使えないから手順も考えないといけない。そう思って水瓶の中を覗くと、すでにたっぷりの水が入っていた。そういえばここに来た時、アニエスが火の準備をしていたのを思い出した。
「アニエス、この水はもしかして貴女が?」
「ええ。手伝おうって勝手に決めておきながら、そんなに料理上手じゃないから、力仕事くらいなら役に立つかなって。ベルティルデ様たちみたいに、水魔法が使えたら良かったんだけど。でも火魔法は使えるの。魔力が少ないからこうして火をおこすのがやっとだけどね」
「ありがとう、充分よ」
そうか、アニエスは貴族なのだから魔法が使えるのか。だけど水魔法は使えない。自分が四大魔法すべてを使えるから忘れていたけど、これは普通ではないのだった。そこら辺りも今度ブライル様に詳しく聞いてみよう。
まずはただひたすらに野菜を刻んでいくのをアニエスにお願いする。セロリ、玉ねぎ、人参、ポワロ葱、大蒜は薄切り。エシャロットとシブレットはみじん切りに。
深鍋に油と大蒜を入れて香りを引き出し、薄切りにした野菜をすべて投入。じっくりと炒める。
そしてわたしは市場で買ってきたばかりの新鮮な大海老を剝いていき、身と殻に分ける。そして殻だけをフライパンで焼いていくのだけれど、その前に頭から味噌を取り出しておく。
そしてフライパンにコニャックを加え、鍋底についた海老の旨みをこそげとる。それを野菜を炒めていた深鍋に移し、ひたひたになるまで水を加える。
鍋が煮立ったら灰汁を取り、トマトを手で潰しながら入れる。昨日から作っておいたトマトペーストと、タイム、パセリの茎、ローリエ、白粒胡椒のブーケガルニ、そして取っておいた海老の味噌も投入。しばらく煮込んでいく。この間に、別の料理の下準備を進める。
充分に煮込めればこれを笊で漉し、もう一度火にかけて灰汁と油を取り、最後は目の細かい布で漉す。
「次は何をすればいいかしら」
「じゃあ前菜用のトマトの皮と種を取って、果肉だけを滑らかになるまで裏漉ししてくれる?」
「わかったわ」
出来上がった海老の出汁とアニエスに頼んでおいたトマトピューレを火にかけ、煮詰めながら塩胡椒で味を調え、生クリームを加えて冷ましておく。
茹でてざく切りにした大海老は、みじん切りにしたエシャロットとシブレット、作り置きしていたマヨネーズとレモン汁に混ぜ合わせる。次に清潔な布の上に薄切りにしたアボカドを段々に重ねて並べ、その上に大海老を乗せる。くるりと布を丸めると、大海老がアボカドで包まれた緑が鮮やかな棒状のものが出来上がった。
海老とトマトのソースを皿の真ん中に丸く流し込み、その上に大海老を包んだアボカドを置く。横にはベビーリーフを飾り、アボカドの上には黒オリーブとトマトのみじん切りを直線的に盛り付ければ前菜の完成だ。
「わあ! こんな綺麗なもの作れるなんて、すごいわリリアナ」
「わたしにはこんな料理思いつかないわよ。フェリ様のお屋敷で見た料理本に載っていたの」
「へえ、さすがアルトマン家ね」
サラダは簡単だけど少し豪華なものにしようと思う。
ブロッコリー、人参、蕪、カリフラワーは塩茹でし、きゅうりとラディッシュは薄切りにしておく。レタスやルッコラなどの葉野菜は洗って食べやすい大きさにちぎっておく。これらはアニエスに頼もう。
わたしはサラダの主役になる帆立の貝柱をソテーする。これは盛り付ける直前まで冷ましておく。
ドレッシングはバルサミコ酢、シェリービネガー、粒マスタード、塩を混ぜ、そこにオリーブ油をごく少量ずつ攪拌しながら加え、刻んだエシャロットと混ぜれば出来上がり。
野菜がしなしなになるので盛り付けは出す直前に行う。野菜はふんわりと盛り、その横に貝柱を添える。ドレッシングは上から振りかけ、そして皿の周りにも曲線を描くように流す。
次にアニエスにはマッシュポテト作りをお願いして、メインに取り掛かる。
フライパンに少量の油を敷き、みじん切りにした大蒜と拍子木切りにしたベーコンを炒める。ベーコンから油が出たら、塩胡椒した鶏むね肉を皮目から焼いていく。火は弱火で、油を回しかけながらゆっくりと熱を通していき、焼きあがったら肉を取り出し休ませておく。
使い終わったフライパンからは、油と大蒜を取り出しベーコンだけ残す。そこにこれも昨日から仕込んでおいた鶏の出汁を加えて煮詰め、生クリームを加えて更に煮詰めたら塩胡椒で味を調える。
アニエスの作ったマッシュポテトを深皿に盛り、薄く切り分けたむね肉を乗せる。そこにベーコン風味のソース流し込めば、メイン料理の完成である。上にはセルフィーユを飾れば見映えも良い。
これですべての料理が出来上がった。アニエスが感激したように目を輝かせる。
「とってもおいしそうだわ! それにすごく綺麗!」
「何とか形になったわね。ありがとうアニエス、助かったわ」
時間もギリギリのようなので、アニエスには片付けをお願いして、わたしはセッティングに向かうことにした。そして準備が整った頃、前回と同じ四人が現れた。




