第五十六話
ロギアさんの話によると、いつもより仕事が終わるのが遅く、帰宅したのはわたしたちが訪ねてくる少し前だったらしい。そして帰宅してすぐ、灯りをつける間もなく発作が起こったのだとか。
しかもここ最近は発作の間隔が短く、胸の痛みも強くなっているらしい。発見が早くて本当に良かった。
処置をしたおかげで痛みもなくなったみたいなので、わたしと先輩でロギアさんをベッドまで運ぶ。今日はもうゆっくり休んでもらいたい。
だけどロギアさんは、もう一人の人物が気になって仕方ないようだった。後ろに控えるブライル様を、ちらちらと盗み見ている。
「リリアナちゃん、そちらの方は……」
「あー……、えっとね、クリスティアン様の上司というか、お師匠様でジルヴェスター・ブライル様とおっしゃるの。わたしがお世話になっている所の責任者で、今日は新しい薬ができたこともあって一緒に来ていただいたの」
嘘です。本当は勝手についてきたのです。
そんなことを言える筈もなく(結果的に居てくれて助かったのだし)、だけどわたしの様子から色々と察したのだろう。ロギアさんは横たわっていた体を無理やり起こそうとした。
「そ、そんなお偉い方にこんな所まで足を運んでいただいたなんて!」
「構わない。寝ていろ」
さすがにブライル様も、さっきまで倒れていた病人に礼儀を尽くしてもらおうとは思わないのだろう。ロギアさんをベッドに縛り付ける。
「それでね、その新しい薬を飲んでもらいたいんだけど。あ、でも今飲んでも大丈夫ですか?」
発作が起きたばかりなので、製作者である先輩に確認する。先輩は少し考えるようにしてから、ロギアさんに尋ねた。
「ロギア、あれからお前の息子は来ていないのか?」
「息子ですか? え、ええ。来てません」
「ならば、あの薬草も口にしていないんだな?」
「はい、クリスティアン様が持ち帰られたものが最後だったので」
それを聞いた先輩は、自分の見解をブライル様に告げた。
「ビーシェンを摂取していないのに発作が起きた。そして倒れる程の強い痛み。ということは、今はもうかなり魔核に負担がかかっている状態かもしれないと思うのですが、どうでしょう先生」
「まあ、そう判断するのが妥当だろうな」
今回原因を解明するのに参考にした症例。あの患者は、治療方法が見つからず、亡くなっているのだ。そして今の先輩の言葉。かなり魔核に負担がかかているということは、もしかしてロギアさんも相当危ない状態なのではないだろうか。
そんな風に素人が思いつくことなんて、とうに考えが至っていたらしく、先輩は今すぐに服薬した方が良いと判断した。それに対してブライル様は何も言わなかったので、間違いはないのだろう。
そして数日後。
いつものようにクリス先輩と連れ立って、買い物がてらロギアさんの店に行くと、笑顔のロギアさんが待ち構えていた。
なんとあの胸の痛みが綺麗さっぱり消えたのだとか。もちろん発作も起きておらず、その上体の調子がすこぶる良いとのこと。
その笑顔と弾んだ声に、驚きと喜びが入り交じった震えが、体中を駆け廻ったのを感じた。クリス先輩の考えが正しかったことが証明されたのだ。
「や……やりましたね先輩っ、成功したのですよ!」
「あ、ああ……」
そう答えたにも拘わらず、フードの中ではまだ信じられないといったような顔をしている。彼の通ってきた現実が、今の言葉と交じり合わないのだろう。何度も失敗していたことが、余程こたえていたのがわかる。
「クリスティアン様、ありがとうございます。あのままなら店を閉めるしかないって思ってたんですけど、これで仕事が続けられます」
「いや、だけどまだ完治したかどうかわからないから……」
「それはそうですけど、今は素直に喜びましょうよ。おばさん、本当に良かったわね」
「リリアナちゃんにも礼を言わないとね。あんたがクリスティアン様を連れて来てくれたおかげさ。ああ、こんなに清々しい気分になるのは久しぶりだよ」
こんな素敵な言葉をもらって、こっちまで幸せな気持ちになる。帰りの足取りも軽くなるというものだ。
ああ早くブライル様にも報告しないと! 先輩だってブライル様に褒められるとなれば、喜ばないはずがない。
美少年の満面の笑みを思い浮かべ、ウキウキしながら振り返る。だけどやっぱり当の先輩の感情がいまいち盛り上がっていないような……。
「どうしたのです? 嬉しくないのですか?」
「そんなことはない。まだちょっと実感はないだけだ」
そんなものかしら? でも最近はずっと薬のことばかり考えていたから、確かに拍子抜けしてしまったかもしれない。
「でも良かったですね。これで胸を張ってお兄様に言えますよ。何せ先輩は、誰も治療できなかった病気の薬をお一人で作りあげたのですから」
先輩の肩がピクリと揺れる。そして気まずそうに視線を揺らすと、ゆるゆると足を止めた。どうしたのだろう。
「……本当に良いのだろうか」
「何がです?」
おっしゃっている意味がわからなくて首をかしげると、先輩は堰を切ったように吐き出した。
「結局先生の教えがなければ、薬は完成しなかった。僕一人では成し遂げれなかったんだ。なのにそれを自分だけの手柄のように兄上に伝えるのは……」
「でもブライル様の件はタイミングの問題じゃないですか。もっと前に教えていてくだされば、先輩はそれを思い出して完成していたでしょうし」
どんなにすごい御方でも、習ったことを積み重ねて、その上で偉業を成し遂げるのだ。先輩が天才だと言うブライル様だって、そこは同じだと思う。
「だけどお前も聞いていただろう。僕はあの時、兄上に対して何も言えなかった。魔法薬師の存在を蔑むことを言われても、碌に反論できなかった。この仕事に関わる者としてあるまじきことだ!」
悔しそうに顔を歪める先輩を見つめながら、この少年が抱えていたものがやっとわかった気がした。
しかしわかったと言っても理解はできない。わたしは生きる為に仕事をしているだけで、先輩のように大きなものは抱えていないから。
「ヘンリック様は、武官として強い誇りをお持ちなのでしょうね」
「あ、当たり前だ。我がハイネン家の為、そしてノワール王国の為に兄上はずっと努力してきたのだから」
あんな勝手な取り決めをされたのだから、さぞや嫌っているのかと思えば、先輩はちゃんとお兄様を尊敬しているのだ。
一見プライドは高そうだけれど、他の人をちゃんと認められる先輩を純粋にすごいと思った。
「御家の為というのは、貴族ではないわたしにはわかりません。でも先輩も同じではないですか? 先輩も薬師としての誇りを、ちゃんと持っているとわたしは思います」
「そんなもの、僕には……」
「苦しんでいる患者さんを助けたいって、薬を作ろうと思って行動に移したた時点でれっきとした薬師ですよ。おばさんだってあんなに喜んでいたじゃないですか」
「それは互いの事情があって、それを利用したに過ぎない。もしロギアの病気が軽いものだったら、見捨てていたかもしれない」
いや、見捨てたに決まってる! と、先輩は叫んだ。そして自分の台詞に、ズドーンと落ち込んでしまった。
己の言葉に傷ついて、何のプレイだ一体。
「もう! 本当に強情ですね。先輩は魔法薬師を続けたいのか続けたくないのか、どちらです?」
「そんなの……続けたいに決まってるだろう」
「ではそれが答えなのではありませんか」
そう言えば、ハッと目を開いた。
本当にやりたい仕事ならば、覚悟を決めれば良い。もちろん色々と大変だろうけど、そこに辿り着く道があるのに、自分から背を向けるのはすごくもったいない。
「お祝いしましょうか」
「え?」
「先輩の作った薬で、おばさんの病気が治ったお祝いですよ」
「だからまだ完治したかどうか……」
「じゃあ完治したのがわかったら……あと先輩がヘンリック様に認めてもらえたら、ちゃんとお祝いをしましょう」
「何だよそれ。どっちも未確定じゃないか」
「病気はそうですけど、ヘンリック様の方は先輩の気持ちひとつです」
その為に、今日は精がつく夕食にしようと決めた。
憂いを帯びた美少年というのは素晴らしいけれど、やっぱり先輩が落ち込んでいるのは似合わない。
そしていつもの元気を取り戻さなければ、勝てる戦も戦えない。




