第五十三話
一体何が起こったの?
何が何だかわからず、足早に歩く先輩を慌てて追いかける。
「ど、どこに行かれるのですか?」
「ロギアの家に決まっているだろ」
「今から? 明日ではダメなのです?」
「今すぐ確かめたいことがあるんだ」
馬車で家の前まで乗り付け、その勢いのまま入り口のドアを叩く。何事かと出て来たロギアさんに碌な説明もせず台所に駆け込み、棚の横に干していた植物の束を掴み取った。
確か最初にロギアさんの家に来た時から、この場所に何かは干してあったような。でもどんな物かなんて覚えていない。もしかして先輩はそれを記憶していたのだろうか。
「ロギア・オロル。これをどこで手に入れた」
「え? ああ、それは息子が持ってきてくれたんですよ。何でも滋養に良いとかで」
「息子だと?」
「あ、前におばさんが言ってた、独り立ちしたっていう?」
「そうそう、あれが少し前に騎士になってね。それで遠征に行くついでに取ってきてくれるのさ。図体ばかり大きくなってと思ってたのに、ちゃんと母親の体のことも考えてくれてるなんてね、嬉しいことだよ。でもそれがどうかしたんですか?」
「いや……」
息子さんの話を嬉しそうに語るロギアさんに対して、「詳しいことはまだ言えない」と、険しい表情のクリス先輩。この植物に、一体何があるというのだろうか。
「悪いけど、これはもらっていくからな」
「え、」
「あと、次に息子がこれを持ってきたとしても、絶対に口にするなよ」
それだけを言い残し、先輩はロギアさん宅を後にした。
「今のは何なのですか? まさかヤバい代物なのでは……」
「ただの魔草だ」
クリス先輩は一言だけ簡潔に答え、その後は何やらブツブツと呟きながら一人の世界に入ってしまった。
騎士団に入団した息子さんが取ってきたのなら頷けるが、魔草なんて普通は庶民の家庭にあるものではない。その違和感に、なんとも嫌な予感がした。
再び研究所へと戻れば、資料室に飛び込むや否や書棚を漁りだす。
「先輩、今度は何を?」
「あれはどこだ、まだ未研究の症例がいくつもあったはずだ」
「それなら、こちらにまとめてあります」
「貸せ!」
わたしが差し出した分厚い資料を奪い取ると、一枚、また一枚と捲っていく。そしてとあるページでピタリと動きを止めた。
「ーーあった。これだ」
そこにはとある下級貴族の症例が記載されていた。三十年以上も昔のものだ。
原因不明の胸の痛みを発症。そして有効な治療法が見つからないまま、その人は亡くなっている。その後検死が行われ、臓器などに異常はないものの、魔核が破裂していたのを発見。更にその魔核が薄い膜状のもので覆われていた可能性が高い、とある。
他にもたくさん書かれていたが、概ねそういった内容だ。
「これがどうかしたのですか? 胸の痛みと治療法が見つからないいうのは同じですが。というか膜というのは……」
「ここを見てみろ」
そう言って指したのは患者の基本情報の欄だった。その中でも普段食べてる食事の項目である。
「パンに卵、ベーコン……なんだか朝食のような食材ばかりですね」
「きっと貴族というのは名ばかりで、実情は平民と変わらない生活をしていたんだろうな」
「ここに書いてあるビーシェンとは何ですか?」
唯一聞き慣れない食材名に首を傾げれば、クリス先輩がロギアさん宅から持ち帰った植物を手に取った。ドライフラワーのようにカラカラに乾燥し、茶色く変色している。
「まさかそれがビーシェンですか?」
その問いに、クリス先輩は深く頷く。そして胸の中心に手を当てた。
「僕たちには、ここに魔核があるだろ? この魔核で魔力を蓄えると共に、ここを中心に魔力は循環している。そして許容量を超える魔力は自然と体外へ排出される」
「はあ、そうなのですか?」
「まさか……お前だって魔法を使うのだから、知らない筈ないだろう」
「魔力が体の中でどのように管理されているかなんて考えたこともありません。逆にどうすれば無くなるか考えたことなら腐るほどありますけど」
信じられないという風な声色を聞いて、正直に告白する。貴族が家庭教師からや学園で習うことを、平民のわたしが知っているなどと思わないでほしい。
「まあいい。じゃあそこに膜が張るというのがどういうことかわかるか?」
「えっと……魔力が循環しない、とか」
「その通り。もしその膜が魔力を通し難いものだとしたら、普通の人間と同じように循環させるのは厳しいだろう。同じように魔核に魔力を溜めるのも難しい状態だと思う」
「ではこのビーシェンが膜を張る原因ということですか」
「いや、ビーシェン自体にそんな負の効果はないと思う。そもそもこれはさほど珍しいものじゃない。ロギアが言ったように滋養があるといわれているだけあって、上流階級の中ではある程度流通している。だけどそれで胸が痛くなったなんてことは聞いたことがない」
「ビーシェンではないなら、一体何が原因なのですか?」
「先天的かどうかわからないけどな、考えられるのは魔力流動が上手く機能しない体質ということだ」
「えっと、それはどういう……」
「胸が痛くなる以前からすでに膜は張っていたんだ!」
先輩がドヤァと言い切った。
つまり前から膜が魔核を覆っていて、魔力の蓄積や循環の邪魔をしていたと?
「でもそれならずっと前から胸が痛くなっていないとおかしくありませんか?」
「普通に生活する分には問題ないんじゃないか」
うーん、いまいち要領を得ない。
先輩はロギアさんからビーシェンを奪ってきた。なのにその珍しくもない魔草は関係ない? どういうことなのだろう。
「ビーシェンは滋養に良いと言われている一方で、魔草の中でも魔力濃度が高いものの一つとして一部の人間には知られている」
「魔力、濃度……」
「それを体内に取り込めば、もしかするとある程度の魔力量は膜を通り越してしまうかもしれない。そうしてビーシェンを摂取する度に魔核が魔力を吸収する。だけど次は放出しなければならない。だけどやっぱり膜が邪魔をする。すると魔核が悲鳴を上げる」
「それが胸の痛みの正体ですか?」
「僕が立てた仮説だけどな。ロギアの臓器に異常がないのはほぼ立証された。残るは魔核しかない」
胸の痛みが発症する病気はすべて調べ尽くしたけれど、魔核については未着手だ。だとすれば先輩の言う可能性もあるのだろうか。
「でもおばさんは平民ですよ? 魔力なんて……」
「平民だからといってゼロじゃないことはお前だって知ってるだろ。限りなくゼロに近いだけで、魔核は存在する。魔力量だって平民でも個人差はあるし。まあ僕もこの症例は魔力に関係する病気だろうからって最初から候補にも入れてなかったんだけどな」
そう言って先輩は資料をパンと叩いた。その言葉を聞いてわたしも確かに、と頷く。
小さくても魔核さえあれば魔力は蓄積されるし、循環もするだろう。ただ簡単な魔法一つさえ使えない微々たる魔力量というだけだ。
そして先輩が除外した可能性を繋いだのが、魔草ビーシェンというわけなのか。
「ロギアの魔核を膜が覆っているのかは、胸を開いてみないとわからない。それは医師の領分だし、平民が施術を受けることは難しいだろう。だったら僕は魔法薬師としてできることをするしかない。そして今できるのは膜という可能性に賭けることだ」
おお、なんて立派な!
可愛らしい筈の先輩がなんだか凛々しく見える。
「でも魔核に膜が張るなんて、よくあることなのですか?」
「いいや、発生率がそれなりにあればもう少し問題になっていると思うし、それこそ胸を開いてみないとわからない。それにもし膜が張っていても、ビーシェンのような魔力濃度の高いものを摂取しない限り、症状は悪化しないだろう。せいぜい魔法がうまく使えないといったところだと思う」
「でももし膜が張ってしまっている人が摂取してしまったらどうすればいいのですか? 貴族の方はお医者様に診てもらえるけれど、平民はそうもいきませんよ」
「そもそもビーシェンは魔物が生息している地にしか生えない魔草だ。今回はたまたまロギアの息子が持ち帰ったに過ぎない。普通なら手に入りもしないさ」
少しだけホッとする。
確かに魔核に膜が張ること自体絶対数が少ないのに、その人が魔草……特に魔力濃度が高い魔草を摂取することがどれだけ低い確率だろう。
「では、あとはその膜をなくせばいいのですね?」
「それをどうすればいいか、だな。この膜も魔力でできているとここに記されている。ならばそれを溶かすことができれば」
「できるのですか!?」
「それは……やってみないとわからない」
「でもこれが成功すれば、おばさんも助かるんですよね」
「そうだな。でもまずは魔力を溶かすことを考えなきゃ。完全に溶かせなくても、膜に穴さえ開けばそこから魔力の放出ができる筈だ。でもどうすれば……」
うーん、と先輩が悩みだす。
そんな先輩を見つめながら、わたしは彼の心境の変化を感じていた。
もちろん最初は自分の為に始めたことだ。だけど今はちゃんとロギアさんのことを考えている。
それがすごく嬉しい。




